ヨーロッパをカヌーで旅する 63 :マクレガーの伝説の航海記

ジョン・マクレガー著

現代のカヤックの原型となった(帆走も可能な)ロブ・ロイ・カヌーの提唱者で、自身も実際にヨーロッパや中東の河川を航海し伝説の人となったジョン・マクレガーの航海記の本邦初訳(連載の第63回)
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うれしい驚きだったが、この運河には、はっきりした流れがあった。右手の方に一時間ほど、距離にして二マイルくらい漕いでみた。水路の幅はわずか十二フィート(約3.6メートル)そこそこだったが、水は透明だし水深もあったので楽といえば楽だった。数マイル進んだところに、跳ね橋があった。この橋の高さは水面から一フィートもない。機械式になっていて、橋の跳ね上げ操作のために係の男がやってきた。どうやって通過させようか思案している様子だった。ぼくはカヌーを降りて橋を超えた。彼が橋の下を通してカヌーを押し出してくれたので、橋の反対側でまた乗りこんだ。この橋の下をくぐった舟は、疑いもなくぼくのカヌーが最初だろう。とはいえ、これまでドナウ川では何度か非常に低い橋をくぐったことはある。なかには、水面から二インチもないところもあった。そういうときはカヌーを引っ張り上げて橋を超えてきた。橋がそんなに低いのなら洪水のときはどうするのだろうと疑問に思うかもしれない。なに、増水した水は橋を乗りこえて流れていくだけだ。状況によっては、水位の上昇に応じて橋の踏み板を取り外してしまうこともある。そういうときに徒歩で旅行している者が川を渡ろうとやってきたとしても、肝心の橋がなくなっているので立往生してしまうことになる。

この跳ね橋の操作係はとても気がきく人だったので、ここで一休みし、朝食をとることにした。グロス・ケンブズの集落にある小さな宿屋までの道を教えてもらった。その宿では、しわくちゃなおばあさんの女将さんがオムレツを作るのを手伝った。といっても、何か特別なことをしたのではなく、ただオムレツを注文し、それを食べて、きちんと支払をすませただけのことだ。それだけの意思を通じさせるのに、けっこうな手間暇がかかるのだ。フランスの女性はみな上手だが、用意してもらった寝床は申し分なかった。

ぼくのことはすぐに集落中に広まった。カヌーを見かけた人が、こんな小さな舟で帆走してきた外国人を一目見ようと、宿まで押しかけてきた。ヨーロッパ大陸の人々の洗練された尊敬すべき振る舞いはどこでも同じなので、そのなかによそ者がまぎれこんでしまった場合、地元の人々を面白がらせたり楽しませたりする必要がある。自分で描いたスケッチ帳の絵を見せるのが一番手っとり早い。とはいえ、このときは金箔を押した聖書が彼らの好奇心の的となり、集まった人々のうち外国語である英語がわかる学のある連中全員が順番にそれを読もうとしたがった。

彼らはいわばスポークスマンとしての役割を果たしてくれたのだが、その一人がなんとも立派というか真面目な人で、ぼくのカヌーについての記事を地元の新聞で読み、こうしてその所有者と会える栄誉に浴するとは思ってもいなかったと丁重に話しかけてくれた。僻地(へきち)にある地方新聞だよ! これはニュース・オブ・ザ・ワールド紙*1なのか、はたまたグロス・ケンブス・サンダラー紙なのか*2? 新聞のタイトルはともかく、それにはローマ帝国の総督ポンテオ・ピラトについての記事や黒い森のティティゼーをぼくが訪ねたときの記事が掲載されているのだ。そして、こういうことはまぎれもなく運河周辺の人々にとって探求心をそそるものなのだった。

*1: ニュース・オブ・ザ・ワールドは、当時のイギリスの有力新聞。
現在は存在しないが、当時の英語圏で最大の発行部数を誇っていた。
*2: グロス・ケンブス・サンダラー - サンダラー(雷鳴のように怒鳴る人)は、イギリスの代表的な新聞であるロンドン・タイムズの異名。

この運河を進むルートは、今ではハルツ山地にさしかかっていた。両側は深い森になっている。静寂そのもので、ときどきトンボの羽音が聞こえるくらいだ。徒歩で帰宅途中の一人、二人の木こりに出会ったものの、手つかずの荒野という心がわきたつような世界ではなく、しみじみと寂寥(せきりょう)を感じさせる場所だ。とはいえ、ぼくはときには歩きながらカヌーを押したり、気分を変えて引っ張ったりして進まなければならなかった。太陽がさんさんと輝く最高の日だったが、この運河周辺には生き物の気配がほとんどなかった。新鮮な空気にすみきった水、青い空に緑の木々といったものに恵まれた場所で、そういうところでも退屈だと言える場所があるとすれば、ここがそうだ。何もかもが単調で、人工的で、退屈きわまりない。高い岩壁に囲まれた輝くような川と、土手で遮断されたこの運河との違いは、高い山脈の山中を歩いていて誤ってロンドンのブルームズベリー・スクエアに出てしまったようなものかもしれない。

小鳥のさえずりも歌も聞こえない。人の気配にさっと飛び去る鳥の姿さえない。遠くの汽車の音にまじってハエの羽音が聞こえるだけだ。この運河が駄目になったのは、鉄道の線路があるからだ。この運河では、動いている舟を一隻も見かけなかった。雨がずっと降っていないので運河の水量も減ってしまい、大きな船の往来にも支障がでている。もっとも船の往来自体がごくわずかだ。船に必要な水を買う分の儲けもない。干ばつのときには、運河の水は非常に高価だ。ロンドン北部のリージェンツ運河では、雨が降らない夏には一シーズンで五千ポンド支払う必要があったらしい。

ようやく開けた盆地に出た。運河はあちらこちらに向かって枝分かれしている。ぼくはミュルーズの町に向かう運河に入った。そこはフランス最大の綿花の町で、非常に栄えている。フランスのマンチェスターといったところなのだが、現在はドイツ領になっている。この町の少年たちにはうんざりさせられた。というのは、彼らはとても頭がよくて、とにかくこっちを質問攻めにするし、一般に製造業が盛んな町の子供は生意気でませていて、何かと積極的なタイプが多い。

ぼくはそこで出会った婦人から荷馬車を借り、男に頼んで引いてもらった。そうやって大きなホテルまでカヌーを運んだ。このホテルに着いたところでやっと、これがカヌーだということが認められた。カヌーの航海について興味津々ですべてを知りたがっているようだった。

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