米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著
夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第150回)
六、わが豪州の娘よ
うるわしき豪州の娘よ、
いざや、別離(わか)れん。
われは忘れず、永久(とこしえ)に、
君と送りし、楽しき月日(とき)を。
(古船調)
世界のどこへ行っても、無邪気(むじゃき)にして、こぼれるほどの真情(しんじょう)の流露(りゅうろ)を、知らぬ外国(とつくに)の人にまでそそいでくれる者は、いつでも七、八才から十二、三才の子供である。
すでに述べたように、西オーストラリアは、カリフォルニア州や南アフリカのケープタウンなど、排日的傾向が強烈な土地を歴訪してきた練習生をして、さらにアッと驚かせたほどに、排日的色彩の強烈なところである。しかし、それは坑夫(こうふ)あがりの成金党(なりきんとう)や、女性の権威の尊重を声高に主張する女たちの間だけである。
目の当たりにした、惨憺(さんたん)たる排日の真相や、悲痛(ひつう)極まる在留同胞(ざいりゅうどうほう)の悲憤(ひふん)慷慨(こうがい)を見聞したものでも、さびしい冬の雨がもの寂しく灰色のカテドラル寺院の尖頂(スパイヤー)に降りそそぐ電車道をたどるとき、行き違う少年少女が手を挙げ、洋傘(パラソル)を振って、なつかしげに挨拶(あいさつ)するのを見たりすると、盛んに心の奥から沸き起こってくる敬愛の真情を唇に顕わさないわけにはいくまい。かわいい白い顎(チン)をした少年(こども)が笑いながら二、三間(げん)の遠方(むこう)から盛んにうなづいてくるかと思えば、また、道の向かい側では、気のきいた小さなナップサックを背負った少女(おとめ)が、金髪(ブロンズ)を波うたせながら、匂いこぼれるばかりの愛嬌(あいきょう)を振りまいていく。
いつぞや、アイヴァンホー(Ivanhoe) とかヒアシンス(Hyacinth) とか、心ゆかしくも典雅(みやびや)かな家名を銘にした家の多い山の手を散歩していたとき、かわいらしい快活(かいかつ)な小娘(こむすめ)がチョコチョコと駆けてきて、はにかむ気色(けしき)もなく、何を言うかと思うと、「私の学校を見にいらっしゃい」……と。
不用意に、子供らしい真率(しんそつ)な好意をありがたく頂戴したぼくは、しばらく、娘の長いまつげと黒い瞳の涼しい目を見つめて立っていた。
七、インド洋のシケ
過ぎ来(こ)しかたは、八重(やえ)の潮路(しおじ)、
船の行く手は、千里の波濤(はとう)。
涯(はて)しも知らぬ、広大なる大海洋(おおうみ)は、
漂浪(さすらい)の児(こ)を、その愛着の里に送る。
(古船調)
前後三週間の休養で、すっかり健康を回復した二百の乗組員を搭乗(の)せた船は、このさびしい「冬の雨」の港を、八月二十三日に出帆した。
風が不順なので、まだ帆走に移ることができず、ところは世界的に有名な海上の難所のこととて、怖(おそ)ろしく力強い高いうねりが縦横無尽(じゅうおうむじん)に荒れまわっている。そのため、機走している船は、揺れて揺れて、いまいましいほど盛んに揺れる。三角帆(ステイスル)は何枚となく破られ、乗組員は何人となくケガをする。こしゃく千万なシケである。
実のところ、もうシケはたくさんである。
大西洋のシケは怖(こわ)がられた。しかし、インド洋のシケはかくも小馬鹿にされる。人世(ひとよ)に処しては、すべからく適所を選ぶべし、だという。シケにもまた、こうした嘆きがあるのだろうか?
* 西オーストラリア・フリーマントルを出た練習船・大成丸は、インド洋から太平洋へ向かうべく、オーストラリア大陸の北へと向かい、東南アジアを経て、かつて香料諸島と呼ばれたインドシナの多島海であるモルッカ諸島のアンボン島に最後の寄港をし、その後、いよいよ日本へと向かう最後の航海に出ます。
南洋から故国へ