米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著
夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第136回)
四、寄り合い所帯
ブラジル国における欧州諸国の移民は、イタリアの百三十万人を筆頭に、スペイン、ポルトガルの各八十万人、ドイツの六十万人等が最も優勢である。
これらの移民のうちで、その時々で莫大な黄金(かね)をつかんで帰国する者が十万人を超え、一九〇八年に、この種の帰国者はリオ港から四万六千人、サントス港から四万人あった。
これらは皆、プロパガンダ(カトリック教)の手を経て入国して来た者である。ブラジル政府はこれらの欧州移民に対して、おのおのその国民性に応じ、速やかに本国と似た風土気候を物や土地を選定するなど、すこぶる丁重に応じている。
それで、各国移民の落ち着く先はといえば、イタリア人は主としてサンパウロ州(八十万)で、ポルトガル人はリオグランデへ、ドイツ人はサンタカタリナ州へ、である。ドイツの植民は比較的に新進であるが、最も同化力が強く、リオグランデ州やサンタカタリナ州の三分の二は同国人が占め、(日本が移民を進めていくと)将来は最も恐るべき強敵である。
ポーランド人はパラナ州へ、スペイン人やロシア人はミナス州へ行く。しかして、ポルトガル、スペイン、イタリア、トルコの諸国から来た人々は都市の家庭的労働に従事し、ドイツ、ロシア、イギリス、フランス等は耕地所有者となる傾向を示している。
ことに、ドイツ人が農園主(ファゼンダ)として、またイタリア人が農夫として成功しているのは、一対の明白なる事実である。さらに、彼らがブラジルの原住民や他の外国人と結婚して、いわゆる「ブラジル人」となっているのも注目すべき事実である。
各州の人口に対する白人移民数の割合は、リオ市付近の共和政府に直属する土地では二十五パーセント、サンパウロが二十三・二パーセント、サント州が十五・七パーセント、パラナ州が十三・八パーセント、リオグランデが十二・二パーセント、サンタカタリナが一〇パーセント、リオデジャネイロが六・二パーセント、ミナス州が三・九パーセント、アマゾン州が一・三パーセントという順序で、ブラジル国全体として、植民した総数は全人口の八パーセントに相当する。
セントである。
要するに、ブラジルは、イギリス、フランス、カナダ、ベルギーといった諸国からの資本を基礎に、イタリア人を農夫とし、スペインとポルトガルの二国の人々を鉱夫に、ドイツ人をコーヒー農園主に、イギリス人、アメリカ人を技師に、イギリス、フランス、ドイツ人については、教官(イギリス人は陸海軍の、ドイツ人は陸軍の、フランス人は宗教上の)として、各国の人々の持ち寄り世帯を巧みに調和させて、利を稼がせ甘心を求めて、狡猾(ずる)く総合し統率していく軽業(かるわざ)的な共和政体の国家であるといえよう。