現代語訳『海のロマンス』72:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第72回)
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しゃくにさわるケープタウン

 

一、アデレイ大通り

悟(さと)るは迷うのはじめとやらで、久米(くめ)の仙人の通力(つうりき)もふくよかな白い脛(はぎ)にはゼロとなる世の中である。すっかり会得(えとく)し、大悟(たいご)徹底(てってい)したつもりで、最初の上陸日に、この南のロンドンたるケープタウンに惹(ひ)かれすぎないように自制しながらアデレイ大通りを歩いたぼくは、やはり人形を見るとほしくなる子供と同じ心理作用を持っているという自覚を、いかんながらその意識の上に受け取らねばならなかった。

今日以前のアデレイ大通りはいざ知らず、今日以後のアデレイ大通りもいざ知らず、現在この瞬間に、ぼくの瞳に展開したアデレイ大通りは実にしゃくにさわるほど魅力的な光景(ありさま)である。

もしも今、万引き女の罪の一半が、その虚栄心をそそのかす美しい呉服屋の陳列にありとなしうるならば、ケープタウンには気の毒ながら、このアデレイ大通りのたたずまいは、確かにぼくのかんしゃくを誘発するに十分なる実力を備えている。

ぼくはしばらく黒々と日に焦(こ)げ雨にたたかれたバンリエベックの銅像の下に立って、静かにその美しい街並みを見上げた。ウエストミンスター・シガレットとか、ホワイトローズ・オイルとかいう広告が描かれている二階建てバスが走ってくる。ロンドンそのままだという意地悪い想像がむらむらと頭脳(あたま)に沸き起こる。

市庁の時計塔(クロックタワー)の十五分毎の時鐘(ベル)が、間断なき生存の黙闘(もくとう)を続けている人に瞬時の平和と慰謝(いしゃ)と経験とを与えるように、やわらかにしてスイートな鳴り方をしている。その意味深い調子や、間隔(かんかく)の長い大気のうねりが秩序よく推し進む感じや、その諧調(かいちょう)のよく整える音楽的の響きなどが、あたかもそれがすぐ腹の底へと共鳴し、と同時にしゃくの虫がにわかにいきり立ってくる。

ぼくがこのように腹の虫をなだめるのにホトホト手を焼きつつある間に、他方においては、引きも切らずに遠慮会釈(えんりょえしゃく)なく目に入ってくるすべての街頭の出来事を、いかに識別し、いかに知覚し、いかにまとめようかと考えてみても、とうていこの思索によるディレンマという窮境(きゅうきょう)から脱出することが不可能だと思いいたるに及んで、ついに深き絶望のため息をついてしまった。

かくして、ぼくに「しゃくにさわるケープタウン」なる印象を与えたこのアデレイ大通りは、かかる理不尽な観察に対してもなおよく、あまりによくそれ自身がロンドンに類似せるという事実に照合して、自分にこう思われるのを免れることはできない運命とあきらめてもらわねばならぬ。

二、ドッグカート

いかにも軽快そうなドッグカートが、やわらかにしておとなしいピッチングで上下に揺れながら、どうだ乗り心地がよさそうだろうがと、歩行者(てくりや)の乗車欲をあおりつつ鷹揚(おうよう)とやってくる。

ロンドンの辻馬車(ハンソムキャブ)そっくりだと、見習い(アプレンテス)でロンドンへ一、二度行った男が言う。ただ場所が植民地で、「南半球のロンドン」と品位が一段下がるにつれて、馭者(ぎょしゃ)もまた自ら一段卑下(ひげ)してシルクハットが中折れ帽となり、コックニー(ロンドンの下町なまり)がボーア(オランダ語なまり)となっている。

いや、まだ一つある。このドッグカートとボーア人の馭者(ぎょしゃ)が通る道路の舗装がまた植民地式に謙遜(けんそん)していることである。といっても、かのロンドンのように、アスファルトを鏡のように研ぎあげてはないが、こまかいひし形の木口が理路整然と見渡すかぎり敷き詰めてあるから、決して東京のように履物(はきもの)で道路を掘り返す必要はない。しかし、またロンドンのように雲に乗ったようなおめでたい心持ちに納まって、快く車を飛ばすということはできないかもしれぬ。

ありがたいことには、アスファルトの統一道路でないために、「オレンジ、バナナ等の果物の皮を往来に捨てると人馬を滑らせて危険なので、通行人は必ずその皮をこのカゴに投ぜられたし」などと馬鹿丁寧な告示を張り出す必要がなくて大いに助かると、ケ―プタウンの人々はやせ我慢しているかも知らん。

しかし、幸か不幸か、ケープタウンの歩道はすべてアスファルトであるから、ケータウンの人々のやせ我慢も歩道に向かってはその甲斐もなく、また告示をするのであれば「人馬」の項の「馬」だけの手数は助かるわけとなる次第だが、前に述べたように、こんな告示が存在しないところからすると、ケープタウンには道でオレンジ、バナナをほおばる無作法な紳士淑女がいないためか、それともケープタウンではロンドンほどにオレンジやバナナが安くないためか、大いに考究を要する点であろう。

このように、しきりにあれこれ考える必要のない安全な道路を走ってくる。何を思いついたか疾駆(しっく)する馬を巧みに制御して高く長い鞭(むち)を中折れ帽(なかおれぼう)の上にふるいながら、オランダ語なまりのすこぶる怪しい英語で「日本の紳士よ……」と、何かくどくど言っている。話す方がオランダ語なまりで、聞く方の耳はセイラー仕込みだから世話はない。

英国人が聞いたら正真正銘まぎれのない英語だと感嘆するか、あるいはお国自慢の言葉(こえ)がすこぶるぞんざいに取り扱われているのに憤慨(ふんがい)するかの二つのどちらかだろうと、腹の中のおかしさを抑えながら「今日は乗らないよ」と言ったら、「君は日本でこういう種類の馬車(ビークル)を見たか」とつきまとう。こやつ馭者(ぎょしゃ)風情(ふぜい)のくせに日本人とみてなめているなと、「ロンドンのゴンドラにはお前のような無作法な馭者(ぎょしゃ)はいないよ」と言ったら、先生、ミカンを半分呑みかけたダチョウのように目を白黒しておったのは奇観であった。

ちなみに、ドッグカートとはいかにも不穏当な呼び名であるからか、ケープタウンではこれをシャレでケープタウン・キャブというそうだ。なるだけいい名前の下に実力以上の好いエフェクトをアイデンティファイせしめようとする下心であろう。賃金は一マイルごとに、ケープタウン・キャブ、タクシー、キャリッジの三種を通じてすべて一シリング半。一マイルを超過するごとに六ペンス。超過乗客数一人ごとに一マイル当たり六ペンスと、なかなか込み入った規則である。ケープタウン・キャブの乗客定数は二人である。

しかしてここに面白いのは、キャブの中で発見した遺留品の拾得に対する判定報酬である。遺留品の推定価額一ポンド以下のときは一シリング、十ポンド以上のときは十シリングと、推定価額一ポンドごとに六ペンスずつの割増金をもらう。しかし、いかなる場合も報酬金額は十ポンドを超過しない定めである。

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