米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著
夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第60回)
氷山の見張り
誰やらが二、三日前に、いよいよケープホーンだとささやいた。
パラパラと細かい鋭い雨が断続してリギンの間から飛びこんでくる。空はもちろん暗く、人の心はもちろん緊張している。なるほど、ケープホーンのような天気であると思う。
軽風用のライトセイルはもう午前のうちにたたんでしまった。気圧計(バロメータ)は午後の三時にはすでに標準示度(二九、五七)よりも低下した。
不思議にも、餅つきもめでたく済んだ翌日(あくるひ)の十二月二十八日である。
午後四時半には総員にて上トップスルをたたむ。このころからして海神(かいじん)の予測不能で不可解な超絶的魔力は、サイドやガンネル、ビーム等をふるわせて一帯に響く巨大な波浪となって出現し、船はものすごい南太平洋の夕暮れを、インド人の弓矢から放たれた鋭い戦闘用の征矢(そや)のごとく走る。真一文字に泡立つ航跡(ウェーキ)を後に残して……。
かく震え、かくおびえて一目散に走っていた船に、瞬時の小康(しょうこう)を与えて緊縮せる心の警戒を無理に油断せしめるように、悪戯(いたずら)好きの風神はその呼吸(いぶき)の手を緩める。
人間は昔から神よりも正直でだまされやすい。
二十八日午前二時に当直士官一等航海士は三枚の上トップスルと前帆とを張らせた。
この所作を海のどこやらで冷笑(あざわら)いながら、意地悪い黒い眼で見ておった風の神は、それっとばかり風の袋を開けっぱなしにする。風力八の烈風がごうごうとマストにうなって、船はどことも知らず狂奔する。三枚の上トップスルはあわてた船乗りによって再びたたまれる。
かかるてんてこまいのときでも、氷山に対する警戒はなお必要である。そうして二時から三時の見張り当番はぼくに当たった。
冬シャツ上下、モンキーシャツ上下、通常服上下、事業服と呼ぶ作業用上下、カッパという順序で冷たい身体をマリのように幾重にも身動きのならぬように包んで、さて百尺の空に上がる。
黒い寒い風と、冷たい痛い雨とがいきおいよく通りすぎる。耳たぶは風や雨と共にどこかへ飛んで行ったような気がする。今は、寒いといって身体を震わす元気もない。下方の船と海との闘いの美を眺める気力もない。
リギンをつかんだ手の甲と足のかかとは、鋭利な太刀(たち)で切り去られたように何の感じもない。何の神経もない。
交代して危うげに一歩一歩リギンを降りながら、つくづくと考えた。何の因果で船乗りになった? 何の因果で練習船(ふね)はこんなケープホーンあたりをうろつくのだろう? 何の因果で日本はこんな厄介な不経済な船を造ったのであろう? 見えもせぬ氷山を相手に、寒い風、冷たい雨に吹きさらされて、百尺の空に立つのが何で「修養」であろう? これが修養なら「修養」とはいたずらに精力を消耗させて喜んでいる愚人の別名にすぎない。しかし、そうはいくまい、いくら因果でも、いくら愚でも、生きんとするさびしい努力のためなら仕方あるまい。日本も生きんとし、練習船(ふね)もまた生きんとし、ぼくはもちろん生きるのが大好きだ。……と、大悟徹底したとき、冷たいアシは冷たい甲板に着いて、陰気な六点鍾がカンカーンと耳に響いた。
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