米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著
夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第45回)
ミセス・ホラハン
ぼくはかつて、外国へ行っている日本の留学生が、心さびしい異国の地で、「ドイツの母」とか「ロンドンの母」とか、なつかしげに呼びならわしている老婦人を持っていると聞いている。そうして心の中で、物の道理のわかった、親切で、心の広い、どんな人種に向かっても快い抱擁を与える年とった女性を描いてみた。
この多年、心の中で描いていた美しい絵が現実となって現れたのが、わが「カリフォルニアの母」ミセス・ホラハンである。
船は「女性」である。練習船・大成丸はそのあらゆる種類の女性の中でも、最も優艶(ゆうえん)にして最も高雅な一人である。
美しく清らかな女には、また美しく清らかな同性の友がある。美しく気品のある友人として最もすぐれた人が二人いる。すなわち、日本の伊藤静代夫人と、カリフォルニアのホラハン夫人と……
静代夫人とは、先年釜山(ぷさん)沖で美しき最後を遂げられた故・鉄嶺丸(てつれいまる)*1船長伊藤鎫氏の未亡人である。
*1: 鉄嶺丸は大阪商船所属で、大阪~中国・大連の定期航路に就航していた客船。夏目漱石もこの船で大連に渡っている。1910年、朝鮮半島南西部の木浦(もっぽ)沖で座礁して沈没した。
原文には「釜山沖」とあるが、釜山は朝鮮半島南東部にあり、むしろ、2014年に大韓民国のセウォル号が座礁・沈没して多数の死者を出した場所に近い、地形の複雑な多島海である。
駿河台にあるニコライ堂の聖壇の前にひざまづいた、白無垢(しろむく)に切下げ髪のやつれ姿を見たとき、自ら進んで事前救済の社会へ身を投じられたと聞いたとき、ポーランドの作家シェンキェヴィチの歴史小説『クォ・ヴァディス』、アメリカの詩人ロングフェローの『詩集』、英国の作家ジョン・バニヤンの『天路歴程』、トルストイの自伝『生い立ちの記」等の書を練習船に送られたとき、やさしき婦人、悟れる婦人、偉い婦人と思った。
わが「カリフォルニアの母」ホラハン夫人もまた、やさしい、偉い、そうして悟った夫人である。
ぼくは世間の年寄りが口癖のようにいう「書生っぽ」である。「青いブドウ」である。であるから「群集心理」とか「社会的ムーブメント」とか「時代思潮」とか「文化の推移」とかいうことには、まったくの門外漢である。従って、こうしたムーブメントの産物たる「新しき女」とか「新人」とかいうものは、その定義さえも知らないものである。その正体はどういうものか知らないが、女だてらに酒を飲んだり、遊里(ゆうり)に彷徨(ほうこう)したりして、いわゆる「破壊時代の新人」とうぬぼれるのが決して「真の新しい女」ではないと思う。
英国には「ニューウーマン」なるものはないと聞いた。アメリカの女に、日本には近頃「ニューウーマン」というものがあると話したら、彼らからどんな種類の女かと聞かれて、ぼくは返答に窮したこともあった。当惑し赤面したぼくは、「新しい女」などと珍しがっている日本人の婦人問題研究の時代遅れで愚かであるのを憐み、雷鳥*2や紅吉(こうきち)一派の女*3ぐらいをもって、最も新しい女、最も進んだ女と承認されても文句のいえない日本女性のおかれた状況を気の毒だと思った。
*2: 雷鳥 - 平塚らいてう(ひらづか らいちょう、1886年~1971年)は明治生まれで第二次世界大戦後の昭和四十年代まで活動した女性解放運動家。女性の権利獲得に奔走した。
「元始女性は太陽であった」ではじまる雑誌『青鞜(せいとう)』を創刊したことで知られる。
練習船・大成丸が世界一周に出発した1912年に、読売新聞が与謝野晶子や平塚雷鳥などを取り上げた「新しい人」という連載を開始している。
*3: 紅吉 - 尾竹紅吉(おたけ べによし、1893年~1966年)。画家、随筆家。夫は陶芸家・富本憲吉。
平塚雷鳥に心酔して青鞜社に入社したが、男が客として行くのが一般的なバーで五色の酒と呼ばれるカクテルを飲んだことや吉原遊郭の見学などが新聞紙上等でスキャンダラスに報じられ、メディアをはじめとする青鞜派自体に対するバッシングが集中したため退社した。
古い道徳と法律と身体とにとらわれたる女に、自由にくつろげたる思想と、新しき権利と義務の力とを与えるというのが彼ら、いわゆる「新しい女」らの主張だという。それがためには、その主義の過渡時代の今日では、あのくらいの突飛な破壊的行動は必要だという。しかし、ぼくは──いまアメリカにいるぼくは、かく「力ありげ」に呼号している彼らの言葉の裏には悲しき涙が潜んでいると思う。鳥のいない里ではコウモリは天下に偉大なる者われのみと誇っている。鳥の眼から見たら、誇っているコウモリは、憎いというよりはかえって気の毒に思われるだろう。
日本の女が一様に多少とも「到達しない」ように*4、新しき女はいたずらに冷笑され、貴(たっと)い日本人の脳味噌はこんなくだらない研究材料に向かって空費されている。
*4: 到達 - 前述の「元始、女性は」について、平塚雷鳥が「各自がその自我の当体に到達することによって、失われた女性の生 - 創造力 -の全的回復をもとめた」と説明したことによると思われる。
平塚雷鳥はこの前後、禅に傾倒しており、座禅を通してその境地に到達した、としている。
強いていえば、アメリカは「一様に到達せる女」の国である。ぼくはアメリカにおけるホラハン夫人は、決して「新しい女」だともまたは「到達せる女」だともいわない。日本の女よりも思想上においても知的においても、社会に対する識見と自覚においても、一段と高いレベルを持ったカラハン夫人のような女は、平均に一様に国内に見出されるゆえに。
早く日本の女もかかる境地に引き上げたいものである。「新しい女」を珍しがるなどという、研究と鑑賞の「幼稚なる過程」から脱するようにしてやりたいものである。せめて「新しい女」よりも「到達せる女」を珍重するほどの階級に引き上げてやりたい。
ミセス・ホラハンは二十三年前に、引き続いて夫と一人っ子とを亡くした婦人である。しかし、そういう女性にありがちなエクセントリックな性格を持っていない。
今はサンディエゴのハイスクールの教授であるが、その哲学的造詣の深いのと、建築学上の趣味の豊富なのとは、校内でも有名なものだという。米国人特有の音楽の趣味はもちろん、絵画でも宗教でも倫理でも韻文による詩でも一通りは研究している。ことにバラードの詩作に巧みなるには、船の「英語教官」も驚いていた。悲しい思いを胸底深くおさめながら、常に明るい心と、快き抱擁とをもって人に対する静かなしおらしい婦人は、あくまで深い学芸の知識と、多彩多能な天賦(てんぷ)の才能とを巧みに抱擁しながら、理知の鋭い角をすりつぶし、ただ慈悲と情操とに生きている女!! 己(おの)れが悲しき境遇より得たる宗教の悟得(ごとく)を、少しも他に勧めようなどとは試みぬ女!! 人種や宗教や言語や、習性の差異(ちがい)を度外視して、「国際的信義(インターナショナル・フェイス)」をその広い温かい心から相手の心にそそぐ女!! こういう型(タイプ)に近い女を求めたとき、ぼくはわがホラハン夫人を得た。
女は心が狭く、偏(かたよ)った情の発露をもち、あさはかなものであるという主張は、わがミセス・ホラハンにはどうしても当てはまらない。
ホラハン夫人の心理についてぼくが感心した点は、その海のように広い慈悲に富んだ心と、書斎において沈思(ちんし)と悲しき追憶(ついおく)とに使っていた心を、少しも友との握手の際に出さない覚悟と、さらに人によってその友情の深浅を区別せぬという三つの点である。
ホラハン夫人を「わがカリフォルニア・マザー」と呼んだものは、そう多くはない。一方、ホラハン夫人の「わが大成丸ボーイズ」はいつも「百二十五の練習生」を意味していた。十月十七日にサンディエゴを出帆するときも、多くの本と植木とジャムの缶とを「大成丸ボーイズ」に贈ったが、ほとんどすべての人に、「赤道通過の朝」に開封(ひらけ)とか、「クリスマスの晩」に読めとかいってたくさんの手紙をくれたその精力と熱情とにはまったく動かされた。
出帆の朝、もう生涯に再び会えないと、悲しい口づけをS氏の額に与えたとき、そばに見ていたぼくは思わずホロホロと涙の落ちるのを禁じえなかった。されば健在なれ、わが「カリフォルニアの母」ホラハン夫人よ!! 「到達せる女」ミセス・ホラハンよ!!
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誤植を見かけましたので。
21行目「事前救済」および70行目「カラハン夫人」です。