米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著
夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第30回)
手紙とみかん
オイスター湾の牡蠣(かき)の味と船乗り生活とは一生涯忘れられない、という説がある。さもありなん。乞食(こじき)も三日すればやめられないということがあるからなあ、などと茶化すものは、一度でも永い永い空と海しかない長距離航海の後の手紙と漬物との味を知るがよかろう。
もうあと二、三日でポイント・ロマの灯台が見られるという頃から、室(へや)の空気はにわかに色めきたって、朝晩の話という話の中心はみな、上記二つのものに帰着してしまう。
「手紙一つにつきネーブルみかん一つを徴収すること」という緊急動議が、一人によって提出される。「ただし、手元に荷物が届いた者は、これを妙齢の女性からの手紙とみなし、特に一つにつき二個ずつ徴収する」と、たちまち修正案がとびだす。歓声裡(かんせいり)に、この議案は通過してしまう。この際、ああだこうだと言うと、たちまち藪蛇(やぶへび)の憂(う)き目にあうから、苦もなく八人の一小王国の憲法案は成立する。
練習船からは停泊中、毎日一人づつ雑役(ざつえき)なるものが出る。郵便事務取り扱いとコンパ周旋(しゅうせん)役とを合わせたようなものだ。コンパとは、例のあみだくじを洋風にした名称である。サンディエゴに錨をブチこんで、士官よりも学生よりも船長よりも、誰よりも先に上陸した者は、この雑役(ざつえき)殿であった。
船ではまた、各室の室長が宝くじでも引くくらいの勢いで食堂に出張して雑役の帰るのを待つ。やがて二つの大きな郵便の袋(サック)が荷物を入れる船倉口(カーゴポート)から放りこまれる。それっとばかり、大テーブルの上にさらけ出す。絵ハガキ、封筒、写真といろいろの物が出る。しかし、なんといっても群を抜いて切ないのは、野に山に満つ故国からの音信(おとづれ)である。皆まじめな顔をして、なつかしさを語る者のみである。しらばっくれた者や、道化(どうけ)た者など一人もいない。先年、サンピドロへ来た「わたしやいやとて振るアメリカに何故(なぜ)にお主(ぬし)の気が通う」*1的なものは、もちろんない。
ことに学校に出入りの石島屋からわざわざ送ってくれた、皇居前で国民が祈っている様子、目の不自由な人たちが涙を流して慟哭(どうこく)している様子は、見る者の目にはじめて元首が崩御した国家の大悲痛事を具象化していて、しばらくの間は思わずふり落ちる熱き涙を禁ずることができなかった。
「ナポリを見て死ね」という有名な句があるが、自分は「カリフォルニアのみかんを食って死ね」と言いたい。森林の神ダイアナの寵愛(ちょうあい)をうけたのか、カリフォルニアはすべてが優秀な果物(くだもの)を産出する。実にカリフォルニアのみかんは世界一と言われている。皮が薄く、甘く芳醇(ほうじゅん)な汁、種のない柔らかな、その厚肉は、初めて外国を見た前回のサンピドロ航海における深い印象(インプレッション)の随一であった。このほかに白い、大粒な、甘い、種なしブドウもまた旅人の食指をしきりとそそるものである。
このなつかしい追憶の念を抱いて、電燈の光まぶしき食堂に開かれたコンパに臨む。瀟洒(しょうしゃ)な白いテーブルクロスの上に、なめらかに柔らかい感じを与える白磁(はくじ)の大皿が置かれて、美しく盛られた紫玉(しぎょく)のブドウの狭い空間(スペース)から、くっきりと鮮やかに描かれた朱色の羅針章(コンパスマーク)がほのかに匂って見える。まことに好(よ)い色である。
薄紅(うすくれない)色のみかんと、緑玉色(エメラルド)の梨と、飛騨の内匠(たくみ)に彫られた豊果が美しき色をまとって浮き出てきたようなブドウとが、一様に乳色の皿に盛られて、景気のいい電燈の光で輝やいている。見ているだけで、もう胸が一杯になったように感じる。
あいにく外国には漬物(しんこ)はなかった。
脚注
*1: 幕末に横浜にあった遊郭(ゆうかく)・岩亀楼(がんきろう)の遊女、亀遊(きゆう)が、外国人に身受けされるのを嫌って自害した際の辞世(じせい)の歌とされる「露をだにいとう倭(やまと)の女郎花(おみなえし) ふるあめりかに袖はぬらさじ(やまとの国の女郎花は露さえ嫌うというのに、なんでアメリカの雨に袖を濡らすものですか)」をもじって、「私が嫌だと振ったアメリカに、なぜあなたは行くのですか」と、冗談半分の問いかけになっている。
もっとも、「ふるあめりかに~」の歌は、尊王攘夷(そんのうじょうい)派が攘夷(じょうい)に対する共感を集めるために捏造(ねつぞう)したという説もある。
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