スティーヴンソンの欧州カヌー紀行 (6)

ボートでおバカなことをするより商売の方が面白いと誰が言えるだろうか? そういうことを言う人はボートを見たことがないか商売というものを知らないに違いない。少なくともボートの方が健康にはずっとよいのは確かだ。人間がやるべきは、まず楽しむことだ。金を稼ぐこと以外に、これに対抗できるものはない。あの

          マンモン──そうだ、天から堕ちた天使のうちこれほど
さもしい根性の持ち主もなかったという

(ミルトン『失楽園』平井正穂訳)

あの拝金主義の権化くらいしか一語でもあえて反論しようという者はいないだろう。商売人や銀行家を人類のため滅私奉公する人々とみなし、彼らが取引に没頭しているときに最も貢献しているというのは上っ面のきれい言だ。というのは、人間自身の方がその人の職務より重要だからだ。このロイヤル・ノーティークのクラブ員たちが帳簿以外の何かに情熱をそそぐことができない、希望に満ちた若さというものから堕ちてしまっていたら、彼らがこんないい人でいるはずはないし、夕闇が迫ってからずぶ濡れになってボートを漕いでブリュッセルまでやってきたイギリス人をこれほど暖かく歓迎してくれたりはしないだろう。

ぼくらは服を着替えて、クラブの繁栄のためにペールエール*1で乾杯した。それから、一人がぼくらをホテルまで送ってくれた。彼はぼくらの夕食には加わらなかったが、ワインには付き合ってくれた。情熱というものは非常に疲れるものだ。ぼくは、預言者が地元のユダヤでなぜ人気がないのか、だんだんわかってきた。この若者は三時間ほどぼくらと一緒にいて、ボートやボート競技について語り、帰る際には親切にもぼくらの寝室のローソクを注文してくれた。

ぼくらは何度か話題を変えようとしたが、うまくいかなかった。このロイヤル・ノーティークのクラブ員はぼくらの意図には乗ってこず、質問に答えるとまたしてもボートやボート競技について熱く語りだすのだった。ぼくは話題と言ったが、その話題と彼自身が一体になっていた。アレトゥサ号に乗っているぼくとしては、レースなんてものはすべて悪魔が生み出したものだと思っているくらいだし、ジレンマも感じた。祖国イギリスの名誉のためにもレースについて無知をさらすわけにはいかないし、以前には聞いたこともないイギリスのクラブやイギリスのボート競技者について話を合わせたりした。何度か、とくに一度などは、スライド式のシートという質問で無知がばれそうになった。シガレット号のオーナーはかつて真剣にレースをしたことがあるのだが、今ではそうした行為を若気の至りと思うようになっていたので、ぼくよりもっと大変だった。というのも、ロイヤル・ノーティークの連中が、翌日にクラブ所有のエイト*2に乗って、イギリスの漕ぎ方とベルギーの漕ぎ方を比べてみないかと提案したからだ。その話が出るたびに彼が椅子に座ったまま冷や汗をかいているのがわかった。すると、さらに、ぼくら二人が同じように感じる、もう一つの提案がなされた。カヌーのヨーロッパ・チャンピオンが(他のほとんどのチャンピンと同じく)ロイヤル・ノーティークのクラブ員だということだった。ぼくらが日曜まで待ってくれれば、ぼくらにとってはとんでもない名手が次の航程でぼくらに同行してくれるだろうというのだ。ぼくらには太陽神アポロンの馬と競争しようなんて気持ちはまったくなかった。

この若者が戻っていくと、ぼくらはローソクを消してブランデーと水を注文した。大波が頭上を乗りこえていったようだった。ロイヤル・ノーティークのスポーツマンたちは誰もが出会いたいと思うすてきな若者たちだったが、いかんせん若すぎたし、ぼくらからすれば潮っけがありすぎた。ぼくらは自分が年をとりシニカルになっていると感じさせられた。ぼくらはのんびりするのが好きだったし、あれやこれや、とりとめのない話をするのが好きなので、エイトに乗って必死に漕いだり、四苦八苦しながらもカヌーの選手権者の後塵を拝して祖国に泥を塗りたくもなかった。それで、早い話が、ぼくらはとんずらした。面目ない話だが、せめて心からの称賛を書きつらねたカードで感謝の意を表して埋め合わせようとした。実際、罪の意識を感じる暇もなかった。ぼくらは首筋にまでチャンピオンの熱い息吹を感じたような気がしていたのだった。
脚注
*1: ペールエール - ビールの一種。
*2: エイト - 八人の漕手が乗るのでエイトと呼ばれ、ボート競技では最大かつ最速。これに舵手が一人加わる。

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