スティーヴンソンの欧州カヌー紀行 (7)

モーブージュにて

ロイヤル・ノーティークのよき友人たちや、ブリュッセルとシャルルロア間に五十五は下らない水門があることに恐れをなしたぼくらは、国境はカヌーや荷物もまとめて一緒に列車で超えることにした。一日の航程に五十五も水門があるというのは、その間をずっとカヌーをかついで歩くのも同然だ。運河沿いの木々もびっくりだし、常識を持った子供たちにとっては嘲笑の対象になってしまう。

ぼくという人間にとっては、列車であっても国境を通過すること自体が厄介だった。なにしろ役人には要注意人物に見られることが多く、旅をするとどこでも彼らが集まってきてしまう。いろんなまじめな条約が締結され、中国からペルーにいたるまで、外務大臣や大使、公使が威儀を正して座し、イギリス国旗のユニオンジャックもいたるところで風になびいている。そういう庇護の下で、でっぷり太った牧師や女教師、グレーのツイードスーツを着た紳士など、マレーのガイドブックを手にした英国の旅行者たちが大挙して大陸の鉄道に乗り嬉々として旅をしているのだが、アレトゥサ号の痩身の男、つまりぼくだけは、なぜか法の網にひっかかってしまうのだった。パスポートを持たずに旅をしていると、そのまま薄汚い地下牢に投げ込まれてしまうし、旅券が整っていれば入国はできるが、周囲の人々には疑惑の目でみられてしまう。ぼくは生まれも育ちも生粋のイギリス人なのだが、役人にそう思われたことは一度もない。自分は率直で正直だと誇りに思っているが、スパイじゃないかと疑われることも多く、そうした人々の不信感を払拭しようとしても、自分がとんでもなく恥ずべき商売をしているに違いないと思われなかったことはない……

ぼくはどうしてもそれが理解できない。ぼくだって教会で祈ったり、良家の人々の会食に列席したこともあるのだが、そういう雰囲気がぼくにはまったく感じられないらしい。役人にはインド人の誰かみたいな、妙なやつだと思われてしまう。自分がいまいるところとは別の世界のどこかからやってきたやつだと思われてしまう。先祖たちの努力は無駄になり、栄光に包まれたイギリスの憲法でも、外国を歩いているときのぼくを守ることはできない。というわけで、自分が属している国のごく普通の国民とみられることは、それ自体がすばらしいことだ。

ぼくをのぞけば、モーブージュに行く途中で旅券を見せるよう求められた者はいなかった。ぼくは自分の権利を主張したが、しまいにはこの屈辱的な扱いに従うか列車に乗るのをあきらめるかを選択するほかなかった。譲歩するのは嫌だったが、モーブージュにはどうしても行きたかった。

モーブージュは要塞化された町で、グラン・セールという非常によい宿屋がある。兵隊とセールスマンだけが住んでいる感じだ。少なくともホテルの従業員を除いて、ぼくらが見かけた人々は皆そうだった。カヌーの到着が遅れ、最後は税関で止められてしまったため引き取りに行ったりした。そのため、この地にしばらく滞在せざるをえなかった。その間は何もすることはなかったし見るものも何もなかった。食事はおいしくて、それはそれですばらしかったが、でもそれだけのことだ。

シガレット号の相棒の方は、要塞をスケッチした嫌疑で拘束されかけた。彼にそんなことができるはずもないのに。交戦国はそれぞれ相手の要塞化された場所の図面くらいは持っているだろうから、こうした予防措置は馬が逃げた後に馬小屋の戸を閉めるようなものだという気もする。とはいえ国民の士気高揚に役立つのは間違いない。内輪だけの秘密を共有しあっていると人々に思いこませることができれば、それはそれですばらしいことではある。自尊心も大きくなるしね。ちょっと刺激がなくなって退屈しはじめたフリーメーソンの会員にもその種のプライドはあって、会員になっている八百屋の大将が自分は人畜無害の正直者だと心の底で思っていたとしても、仲間内の秘密の会合に出た後は、自分はひとかどの人物だという誇りを抱いて家に戻っていくだろう。

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