米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著
夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第20回)
ああ、七月三十日
帆を操作するために帆桁(ほげた)に取り付けられているタックというものがある。直径三インチ(七・五センチ)の鋼のロープだ。簡単には切れそうにない女の髪の毛は一房でも大きなゾウの強さをつなぐに足るそうである。ましてや太く強い鋼(はがね)の線である。見ようによってはずいぶんと強そうである。
バビロンの城壁はたあいもなくユーフラテス川の河畔に埋まり、ラメス王のオベリスク*1はその見苦しい姿をロンドンの真ん中にさらしている。そういう世の中である。まして、本当に細い一本のロープだもの、時間の経過という力の前には、すべての物質は無力である。ささいなことを論じるスコラ哲学には「朽ち果てて終わる」とある。
[訳注]*1: ラメス王のオベリスク - ラメス王は古代エジプトのファラオ(王)であるラムセス二世(治世は紀元前13世紀ごろ)と思われる。
オベリスクは特に古代エジプトで製作された細長い塔状の記念碑を指し、ロンドンには通称「クレオパトラの針」と呼ばれるオベリスクがある(かの有名なクレオパトラとは直接の関係はない)。
古代エジプトのオベリスクでは、ロンドン、パリ、ニューヨークに移設されている三本がよく知られている。
見ようによっては、芋のツルより弱くて切れるかもしれない。しかし、それほど風も吹かない快い凪(なぎ)の日であったんだが、などと小首をかしげても追いつかない。自分はこんなことを考えながら練習船の主帆(メンスル)の切れたタックを眼前にながめた。
ときは明治四十五年、七月三十一日の午前七時である。場所は北緯四十度八分、東経一六七度四十五分、広大な北太平洋のただなかである。タバコをかんで黄色いツバをペッペッと吐いて「ウイスキーこそ船乗りの生活にふさわしい」と歌った昔の船乗りは古い物語の中に葬り去られた時代である。デルファイの巫女(みこ)*2などはやらなくなった今日である。蒸気とプロペラとが、帆とロマンスを海から追放した海の上である。まして科学的な頭と排神秘的思潮とを持った賢明なる二十世紀の船乗りの前である。
*2: デルファイの巫女 - 古代ギリシャのデルファイで、神の意思(神託)を伝えるとされたアポロン神殿の巫女(みこ)。政治にも影響を及ぼしたとされる。
であるから、もしもこれよりわずかの後に、前檣(フォアマスト)のローヤルが目に見える変化の手で引き裂かれるようにビリビリとフットロープから見事に二つに裂けて飛んだりしなかったならば──まだ帆船では十三日という数字の威嚇(いかく)と金曜日という週日の権威とが失われていない*3のであるから──これほど乗組員の注意を引くことはなかっただろうに。
*3: 十三日の金曜日 - 一般には「キリストが磔(はりつけ)になった日だからキリスト教圏では不吉」とされているが、これは俗説で、明確な根拠はないようだ。洋の東西を問わず、迷信というのはそういうものかもしれない。
知識は記憶の堆積であるといえるならば、不安は同性質の予報的な奇妙な現象が集中することにより生じると推論することができる。ローヤルの破れた頃から、そろそろ人々の顔には疑わしい、不思議だ、妙だという雰囲気が流れ出した。迷信的な思いこみがソロリソロリと人々の頭を支配しかかる。神秘的な気分が船の空気を染めはじめる。シャロットの女の鏡*4はかくてだんだん曇りはじめた。雨でさえ降る前には青嵐(せいらん)が堂に満つといわれている。何事か起こらねばならぬ。
*4: シャロットの女の鏡 - 英国に伝わるアーサー王伝説に登場するシャロットは、英国の詩人テニスンの詩『シャロットの女』のヒロインであり、彼女をめぐる悲劇の詩に触発されて多くの絵画も描かれている。
シャロットは現実の世界を見ることを禁じられ、鏡を通して世界を見ていた。
夏目漱石の『薤露行(かいろこう)』はアーサー王伝説を取り扱ったファンタジー小説だが、この中でシャーロットの女についても取り上げている。
事件の進行が発覚するには、ある程度の空間と時間の推移とが必要であると哲理は教えている。空間は二千何トンという大容積で十分である。この上はただ時間の推移を待つばかりだ。
一時間後の船内の空気は、依然として静まりきっているわけにはいかなかった。時間の推移とともに、シャロットの女の鏡はついに破れた。そのときは北太平洋の妖霧(きり)のために乗組員の心を腐らせ、根気をけずり、神経を逆なでするするように、うっとうしく憂鬱な状態が続いていた。この場合、この霧はかなりの効果(エフェクト)を示すなかなかの背景だったと言わなければならない。加えて、無線電信という道具も加わった。ジャキジャキと鯨の脂肉を鉄火にあぶったような音と、青くすごく光る威嚇的で幽玄な光がまだほの暗い下甲板に射しているところはなかなか壮観である。舞台は整っていた。
天皇陛下のご病状については、七月二十二日に石橋校長から
陛下は十四日来胃腸を害せられ、体調不良のところ十九日より腎臓炎を併発され、熱が四十一度、脈拍が百八となり、すこぶるご重態にして、誰もが憂慮(ゆうりょ)している
との来電があってから以後、二十四日には、陛下はその後は快方にむかわれ、誰もがほっとしているという情報が、二十七日には、陛下のご容態はまたまた悪化し、脈が百七、熱が三十九度になられたという情報が、二十八日には、ご容態は良好に転じたとの報に接し、歓喜に堪えず、なお神のご加護と国民の心をこめた祈願により全快されることは疑いなしという情報の、計四回の喜憂(きゆう)相なかばする消息が伝えられたが、その後はなかなか晴れない妖霧(きり)と戦いつつ、心ひそかに憂慮(ゆうりょ)しながらもなお最後の望みがある消息に慰められていたのだったが、この日の朝になって、九時に整列し作業を開始するという航海中の行事が中止になり、九時半に総員、後甲板(こうかんぱん)に整列するよう命じられた。
ひょっとしてと、心臓が少し縮み上がって、肋骨の三枚目をける。四角い重いものがスーと腹の下から浮いてきて、胸のなかでもだえるように揺れ動く。どこの船室でも重苦しい空気だが、ヒソヒソとはばかるような低い声がしている。誰の顔にも緊張し興奮した様子と、おそろしく真面目な表情がみなぎっている。
暗い表情を浮かべた百十五の顔が後甲板に並ぶと、恒例の分隊点検が済んだ後、「集合っ──」と全員を海図室の前に集めた船長は、厳粛かつ荘重な口調で、まだ学校から正式の通知は来ないのだが、銚子局発の某軍艦および郵船会社の〇〇丸宛の無線通信により、畏(おそ)れ多くも天皇陛下におかれては、七月三十日午前零時四十分、ついにご崩御されたことを、ここに遺憾ながら発表する、国民として誠に哀悼の念に堪えないしだいであると述べ、いま我らは遠く千五百海里も離れた洋上にあるわけだが、母国にいる国民と同じように陛下の赤子(せきし)たる思いを胸に、八月一日午前十時二十五分──東京のちょうど八時──に先帝陛下の奉弔(ほうちょう)式を、または七月三十一日午後二時十五分──東京の正午──に新帝の即位祝賀式を挙行すること、ならびに今後は当分の間、行事および教習を中止し、音楽や唱歌や遊戯(ゆうぎ)を禁ずる旨を公表された。
ついに来た。もしやと思ったことが、ついに来た。言葉につくせない感情が湧いてきて、いまさらのごとく胸をふさぐ。寒い刃(やいば)の光が暗闇にひらめき、匕首(あいくち)を直ちにズバと胸元に突きつけられたような気持ちとでも言おうか。
かくて、自分らはその生涯に二度とない世界一周という革新的経験を試みつつある最中だったが、はからずもこの偉大なる荘厳で悲しみに満ちた国家的規模の革新を経験したわけである。
天子(てんし)崩ずるときは世の中もまた哀悼すると言われている。自分らも当分は敬虔(けいけん)な態度で筆を洗わねばなるまい。
帆繕(ほづくろ)い
巨大な黄色い帆柱(マスト)は三層の甲板を貫き、甲板から仰ぎ見るその頂(いただ)きは雲にも届きそうなほどで、かすかに揺れている。マストの涼しい影が長く甲板(デッキ)に落ちている。
維摩*5が堂にこもって無言の勤行をなすときのような静寂(しずけさ)が、八月一日以降、船内のいたるところをおおっていた。信号用のラッパはもちろん、士官の号笛(ごうてき)も、伝令管(ボイスチューブ)の鈴音(すずおと)も、すべて音という音は未練なく船の上からふるい落とされてしまった。一秒間六回以上の振動を空気にささやく発音体は禁止されたわけである。このクレタ島の迷宮(ラビリンス)*6のような、荘重な沈黙が保たれている練習船の上甲板(じょうかんぱん)で、かすかな、きわめてかすかなささやきが聞こえる。
*5: 維摩(ゆいま) - 釈迦(しゃか)の在家の弟子。初期の大乗仏教の経典の一つである維摩経(ゆいまきょう)にその名を残している。
黙して語らないことが意味を持つという「維摩の一黙、雷のごとし」など、禅と深い関係もある。
*6: クレタ島の迷宮(ラビリンス) - ギリシャ神話で、クレタ島のミノス王が牛頭人身の怪物ミノタウロスを閉じ込めたとされる迷宮。
練習生の実習科目として、帆縫(ほぬ)いなるものがある。鬼とも組みあって戦うぞという面魂(つらだましい)の豪の者が、甲板に座って、おぼつかない様子で糸で帆をつくろっている姿は、十五番の先が長い縫い針が厚い〇号のキャンバスを縫っていくときの小さなさっさっという音に聞きほれているように見える。手を縫った、指を刺したというような逸話を前の航海で残している二期生の古顔が、きょうは「君、ここはシツケをして一針(ひとはり)抜きにするんだよ」などと、さかんに裁縫の術語(テクニカルターム)を使う。自分の手塩にかけてどうやらできあがった新しい帆(セール)が初めて檣頭(マストヘッド)に高くかけられ、おりからの海軟風(シーブリーズ)に適度に湾曲して、快く船を押しやるのを見るときの快感と軽い誇らしい気持ちは、やったことのない者にはわからないと、髭男の一人が満足そうに見上げている。しかし、日焼けした黒く太い指をした髭面(ひげづら)の男が黙々と、危うげに仮縫(かりぬ)いをしたり、シツケをしたりするのを見るのは、かよわい女が力業(ちからわざ)をなすのを見るときに浮かぶような、ある種の複雑な感情にかられる。
君、こういうところを国のマザーやシスターに見せたら……と述懐する人の気持ちはどうであるか知らんが、自分はこの短い時間のうちに無限の憐(あわ)れさを感じて、真夏の夕暮れのような気分になるのである。
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