ヨーロッパをカヌーで旅する 34:マクレガーの伝説の航海記

ジョン・マクレガー著

現代のカヤックの原型となった(帆走も可能な)ロブ・ロイ・カヌーの提唱者で、自身も実際にヨーロッパや中東の河川を航海し伝説の人となったジョン・マクレガーの航海記の本邦初訳(連載の第34回)


その日の午後は、騒々しい二つの楽団でだいなしになった。両者は明らかにライバルで、互いに負けまいと大音響を出しあっていたのだ。とばっちりを受けたのは、週末を湖畔で静かにすごしたいとやってきた旅行者たちだ。ぼくは湖の周辺で長い散歩をしたのだが、この騒音からのがれることはできなかった。おまけに、戻ってくると、月の光に照らされた湖にボートを浮かべている男がいて、打ち上げ花火を発射したり爆竹を鳴らしたり回転花火を放り投げたりしているのだった。ぼくとしては、遠くの、残雪が満月に照らされている山々をうっとりと眺めているほうがずっとよかった。しかも、頭上には「一つ一つの星」がきらめき、それが湖面にも映っているのだ。

コンスタンツ湖は長さが四十四マイル、幅は九マイルほどだ。翌朝早く、心身ともににすっきりして湖にカヌーを浮かべてみた。湖面には、さざなみ一つなかった。すると、もう一度スイスの旅を、以前とは違う新しいやり方でやってみたいという気持ちになった。まもなく、ぼくはカヌーに乗って沖出しし、どちらの湖岸からも同じような距離にあるところまで漕いでいった。ここまで来ると、どっちに漕ぎ進んでも対岸が近づいてくるようには感じられない。それで、一休みした。このときに感じた興奮は確かに初めて体験するものだった。周囲の景色はどこを見ても美しく、どこを眺めるのも自分の勝手だった。どこにも近道はなく、道路もなく、航路も見えない。時間もなく、せかされる予定表もなかった。パドルを漕ぐだけで右にも左にも行けた。どっちに行くか、どこで上陸するかも、まったく自分しだいなのだ。

聞こえてくるのは、一隻の蒸気船の外輪がゴトゴトいう回転音だけだ。しかも、その蒸気船はまだ遠くにあった。その船が近づいてくると、乗客たちはカヌーに喝采してくれた。ぼくの勘違いでなければ、彼らは笑顔を浮かべ、こっちがいかにも楽しそうに、そして素敵に見えるので、それをうらやましがっているというようにも思えた。これからどうするか少し思案したが、このままスイスまで行ってしまおうと決めた。集落が続く湖岸を漕ぎ進み、奥まった入江にある小さな宿屋に寄ることにした。カヌーを係留し、朝食を注文した。宿には八十がらみの老人がいた。彼が主人で給仕も兼ねているのだった。立派な人だった。人は年を重ねるにつれて、年長者には敬意を払うようになる。

その宿屋で食事をしたり本を読んだりスケッチをした。暑く、静かだった。そうしていた五時間ほどの間、彼は日向ぼっこをしながらぼくの話相手をしたり、ぼくの目を山々に向けさせたり、眠そうな声で何かを答えたりしていた。今度の川や湖の旅では、平和でほとんど夢のような休息のひとときだった。激しい川下りをしてきた後なので、なんとも心地よかった。ここには、カヌー旅につきものの急流や悪戦苦闘というものがまったくないのだ。

宿屋の近くに介護施設があった。古い城で、少し認知症気味のかわいそうな女たちが入所していた。カヌーに取り付けた小さな旗が彼女たちの注意を引いた。入所者たちは全員外に出るのを許され、カヌーを見物に来た。楽しそうに笑顔を浮かべ、訳のわからないことを言ったり身振りで示したりしている。この奇妙な集団と別れると、他の場所でまた上陸した。一本のすばらしい樹木があったので、その木の下で一、二時間かけてカヌーの損傷したところを修理した。ちょっとした道具は積んであるのだ。今度の旅の次のステージではイギリス人の視線も気にしなければならないので、念入りに磨き上げた。

あまりに暑く、湖には波を起こすエネルギーすらなかった。羊につけてある鈴が、ときどき、疲れて気乗りしないように、不規則にチリンチリンと鳴っていた。一匹のクモがカヌーのマストから木の枝まで糸を張り、セキレイが近くの小石の上を跳ねながら歩いている。湖水に半分浸かった状態のカヌーと、そばの草むらに寝転んでいるぼくの方をいぶかしげに見つめたりしていた。


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