現代語訳『海のロマンス』19:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第19回)


東から来て一歩でも百八十度線を超えると、天や空と同じように度量も広く、どこか荘重にして厳粛な感じがする。そして横紙破りの本家本元の剽悍(ひょうかん)な兄貴分の陣風(スコール)の王土に踏み込んだ気配がする。

空はおおいかぶさったように薄暗く、底冷えのする薄ら寒い密集した雲が我が物顔に、怒りっぽい癇癪(かんしゃく)持ちの海を混沌(こんとん)と圧迫している。したがって、陣風(スコール)もいわゆる「南洋の雨浴(うよく)を許す」的なものに比べると、いやに大きな面(つら)をした肝のすわった腹黒いやつが傲然(ごうぜん)とやってくる。その降り方も王者のごとく横柄(おうへい)で、その勢いや量から見るときは無雲陣風(ホワイトスコール)と同じように東洋の豪傑(ごうけつ)風だと思われるが、後者に比べると淡白ではなくて、少し執拗(しつよう)に、少し未練な気風を持っているようである。ときによると天や空のように度量が大きいどころか、半日も続けて降っていることがある。やりきれたものではない。いい加減にしてくれと言ったって、とうてい相手はこっちの言うことを聞きそうにもない。それに比べると百八十度線から東のスコールはなかなか小気味いい茶人的な、人なつっこい、さっぱりしたやつである。

七月二十六日の午後、本船を奇襲したやつは、この黒雲陣風(ブラックスコール)の部でも小頭(こがしら)くらいの格のやつであった。数日来の西方の疾風(ゲール)に、海はいうまでもなく荒れている。天が落下し、海を抱擁(ほうよう)せんとするその偉さ、海が突起して天に接吻(くちづけ)せんとする様子! その大きな波頭(なみがしら)と波頭(なみがしら)の間に海洋はひょうたんのくびれのように落ち込んで、本船はその間を潜航艇のように縫って進む。

逆巻いて持ち上がった波は船首(ステム)によって二つに破られ、両舷を押しつぶすようにフツフツという音をだしながら流れ走る。このように蒼黒色(ダークブルー)を示していた水はここに砕け、高く持ち上がったものは緑玉色(エメラルドグリーン)を示し、深く沈んだものは青靛色(プロシアンブルー)を見せ、その間に黒い色の背をして青い色の腹をした海の剽軽者(ひょうきんもの)──トビウオ──が列をなし群れをなして、ネズミのごとく、カワウソのごとく飛んでいる。このときのさまざまに入り乱れた海の色! 錯綜(さくそう)した海の色! あるいは青に緑に藍に、紺青(こんじょう)と光り、瑠璃(るり)と散り、五彩の妙をつくし六色の精緻(せいち)を極めた様子は、とうてい逗子(ずし)や大磯(おおいそ)の女性的な波浪に求めても得られない神技(しんぎ)の一端だろう。

第一陣、脈々と、しかも堂々と押し寄せて来る波浪が三十尺の舳(みよし)によってもろくも砕かれるや、たちまちその歩調と周期的行動(ハーモニックモーション)に乱れが生じ、あるときは波の峰と峰とが敢然(かんぜん)とぶつかりあい、もつれあい、パッと散る水沫(しぶき)とともに、見よ、今やまさに砕けんとする波の美しい塊は、厚い青い半透明の水晶の、ひびが生じている面にそってザックと天斧(てんぷ)にてブッ欠いたような壮麗(そうれい)で細やかで美しい、一大キネオラマ*1を形成し、あるときはこの波の谷と谷、峰と峰とがしっくり相まって巨大なヒマラヤの峻峰(しゅんぽう)や深玄(しんげん)なるパミールの大高原を現出させる。

このような巨大な波濤(なみ)の両頭が相まってヒマラヤの峻峰(しゅんほう)を形成するとき、暗緑色(ダークグリーン)の波はみるみるうちに、その頂きにおいて清新な海の大気を吸入し、かのプリズムがスペクトルを分析するようにもみえる藍青色(らんせいしょく)──むしろ、お納戸色(なんどいろ)というべき──を呈し、透明に光るのもほんの一瞬で、アッという間に細い屈曲した銀色の無数のひびが入ると見る間に、たちまちさまざまな大波小波の大崩壊と大騒乱を呼び起こし、滔々(とうとう)として崩れ去った後には、いく百千のラムネ壜(びん)を投じたような雪白の泡沫が、シューシューと奇音を発し、ささやいては消え、ささやいては消える。やがて、この無数の細かい小さな鳴動(めいどう)が静まりおさまって、やがて悠々と波紋をつくって流れ去る。

このようなとき、青い世界に黒ずんだ瞳をあげて空を見れば、ビュービューとうすら寒い風音をリギンヤードで生じさせている陣風(スコール)の足跡を見ることができる。そして、陣風(スコール)に斬られて銀色の矢のように、蒼穹(そら)と船と海とを縦貫している豪雨の跡を見るだろう。

このような蒼穹(そら)と海洋(うみ)と──最も崇高なる天地間の活力現象──の偉大なる男性的な大背景を背負って、三百尺のローヤルの上に帆を絞る、赤き血潮と温かい涙を持っている海の寵児(ちょうじ)は無声の詩人である。無色の画家である。大自然の唯一の鑑賞家である。あれは、どこの阿呆だったろうか! 「二万三千海里」の航海で「船乗りの生活(ライフ)は野蛮(ブルータル)だ」とののしったのは!! 一度でも、この男性的な壮観に接すれば、知らなかったと慚愧(ざんき)に堪えないだろうし、そうでなければ救いようがない愚か者だ!



脚注
*1: キネオラマ: キネマ(映画)とパノラマ(風景)を組み合わせた和製の造語。この時代、風景などを描いたパノラマにカラフルな光を当てて変化を楽しむ興行が流行した。

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