ヨーロッパをカヌーで旅する 15:マクレガーの伝説の航海記

ジョン・マクレガー著

現代のカヤックの原型となった(帆走も可能な)ロブ・ロイ・カヌーの提唱者で、自身も実際にヨーロッパや中東の河川を航海し伝説の人となったジョン・マクレガーの航海記の本邦初訳(連載の第15回)

 

ライン川源流域の川がカヌーには適していないと知ったマクレガーは、山間部にあるティティゼー湖にカヌーを浮かべることにした。その湖にはイエス・キリストを処刑したピラトの亡霊が潜んでいるという言い伝えが残っていて、生きて戻れないぞと地元民に脅されるが、それを尻目に湖へと漕ぎ出す。


もちろん、そのおかげで決心がついた。さわやかな朝で、霧がかかってはいたが、ぼくは小石まじりの岸辺からカヌーを漕ぎ出した。ざっと数えて少なくとも八人の地元民がかたずを飲んで見守っていた。数マイルを漕いだが、とても快適だった。カヌーは水面からの高さがないので、遠く離れるにつれてカヌーそのものは見えなくなる。「水面に浮いた状態で座った人間が、顔のあたりでパドルを振りまわしているように見えた」だろう。

この湖については、海抜三千フィート(標高約千メートル)の、黒い森のど真ん中にあって人の気配がないことを除けば、他に何も驚くものはなく、絵になるような風景もなかった。これまでイギリス人がボートを浮かべたこともなかったはずだ。

この後、カヌーを荷車に積み、また森林地帯の奥深くへと進んだ。製材業者の馬車と出会ったが、積み荷はすべて材木だった。荷車を三台連結し、八頭の馬で引いているのもあれば、別に一、二頭の牛を連れているものもあった。そういう馬車の男たちは皆、ぼくらに興味津々で、馬車を止め、こっちをじっくり眺めている。ぼくらの御者は懸命になって連中に説明している様子なのだが、方言まじりの言葉で話をしていて、よくわからない。こっちの馬車にはカヌー以外に、これといった荷物も積んでないので、この珍妙な旅の一行の正体を知りたいのだろうが、結局、彼らは理解できないと頭をひねりつつ、カヌーを売るために運んでいるのだろうと一応の理屈をつけて納得している風だ。実際、ぼくのカヌーは売ろうとすればすぐに売れただろうと思う。

昼頃、用心深いぼくらの御者氏は、ときどき空を見上げたりして、身振りをまじえて何やらブツブツ言いはじめた。ライン川が流れている国境ぞいの地域で話されている、英語とフランス語、それにドイツ語がごっちゃになった、なんとも奇妙な言葉にも少し慣れてきた。「ポティトはどうです?」と給仕が言うのは、「ジャガイモはいかがですか」と聞いているのだ。別の給仕が皿を客に差し出し、「スイートボーンです」と言うのは「シビレという南欧のホルモン料理」*1のことだ。

予想通り嵐になった。こんな場所でなければ、めったにこうはならないだろうという状況だ。ぼくはかつてベスビオ火山の噴火口に立っているときに雷鳴を聞いたことがあるし、まぶしいほどの稲妻も見た。寒いが壮大な光景だった。暗い夜にナイヤガラ滝の上で遊んでいるような気がした。今日この黒い森で遭遇した雷光は、なんとも鮮烈で最高だった。天上で恐ろしくも壮大な閃光の集中砲火が続く様子には肝をつぶした。一度など、すぐ近くに落雷したので馬がひどく興奮し、疲れ切っていたはずなのに猛然と坂道を駆け下りはじめた。ぼくは、荷車がひっくり返って、長く単独の旅をしてきて自分の分身のようになっている大事なカヌーに傷がつかないかを心配していた。

ローゼンハウス峠を苦労して登っていると、雨が降ってきた。寒くて暗いカラマツの森を音を立てて吹き抜け、たたきつけてくる。豪雨のため、黒い森で最高峰のフェルトベルクの頂上も見えなくなった。荷馬車や馬に御者、それにカヌーやぼくに向かって、雨が激しくたたきつけた。これが今回の旅で最後の雨だった。他の日はずっとかわいていた。

この豪雨のなかを荷馬車とカヌーが動いている様子を、村の人々は窓から眺めていた――何だ、ありゃ! こんな山の上でボートだなんて! どこへ行くんだろう、誰の持ち物なんだろう? 彼らはぼくらのところに駆け寄ってくると、御者を質問攻めにした。御者は彼らの好奇心に応じようと熱弁を振るったが無駄に終わったようだ。というのも、ぼくは濡れたワラの上に頭をつきだして、荷台の柵ごしに連中に会釈したり笑いかけたりしたのだが、彼らは半信半疑のむずかしい顔をして戻っていったからだ。


脚注
*1: シビレ - 羊や牛の胸腺や膵臓を用いた料理(英語のSweetbread スイートブレッドがなまったもの)。

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