ヨーロッパをカヌーで旅する 27:マクレガーの伝説の航海記

ジョン・マクレガー著

現代のカヤックの原型となった(帆走も可能な)ロブ・ロイ・カヌーの提唱者で、自身も実際にヨーロッパや中東の河川を航海し伝説の人となったジョン・マクレガーの航海記の本邦初訳(連載の第27回)


出発するときも好天が続いていた。深緑色の森から木々の枝が川面まで垂れ下がっている。川の流れというのはえてしてカヌーをそうしたところに運んでいくことがあるのだが、湾曲部で速い流れがそっちに向かっているようなところでは、鋭く曲がった枝で傷つかないように特に注意が必要だ。奇妙に思えるかもしれないが、カヌーにとっては岩や土手より実際にはこうした木々の方が危険だし、はるかに厄介だったりする。というのは、カヌーが低い枝の下に入り込んでしまうと、パドルをうまく使えなくなってしまうのだ。強く水をかこうとパドルを立てると、パドルの反対側が枝にひっかかってしまう。また、枝をかわそうと頭を下げると前方がよく見えなくなるし、一般に太い枝は固くて、頭をぶつけたりしたら、けっこう痛い。といって、上体を後ろにそらせてかわそうとすると、顔を小枝でひっかかれ、特別に高い鼻でなくても穴に枝が食い込んだりする。顔を守ろうと手を使うと、パドルを川に落としてしまうこともある。ぼく自身は帽子を落としたことはなく、石頭だし、パドルをなくしたこともない。むろん鼻を枝で串刺しにされたこともないのだが、川下りでは、できるだけ樹木から離れたところを通過するようにしていた。

それでも、サギやカモの群れをおどかしてやろうと、木陰を進みたいという誘惑にかられるときもある。

一度など、二ダースほどのサギの群れと遭遇したことがある。カヌーは音を立てず静かに水面を滑っていくので、じっくり観察することができた。この鳥たちはその場所でそれまでカヌーなどというものに邪魔されたことがなかったようだ。

サギたちはぼくとカヌーをじっと見つめ、互いに顔を見あわせ、それから、この未知の物が接近してくることについて群れ全体で意思を確認しあっていた。鳥たちの顔に気持ちが出ていて、それを読みとれるとすると、こうしたサギのうちの一羽は他のサギに「こんなの、いままでに見たことがあるか?」と聞いていた。もう一羽のくちばしの動きは明らかに「なんて図々しいやつだ」と応じていた。三羽目が皮肉な調子で甲高く叫んだ。「しかも、よそ者だぜ!」 そうしたことを相談しているようだったが、サギたちはやがて立ち上がって輪を作り、それから下流の方へと飛んでいき、ちょっと離れたところに舞い降りて、またひとかたまりになった。ぼくの方も川を下っていくので、しばらくすると、その新しい場所に接近する。すると、サギはまた飛び立って下流に移動する。こんな調子で同じことを繰り返し、それが数マイルも続いた。しまいにサギの群れは戦略を変更し、下流ではなく脇にどいてカヌーに道をゆずってくれた。

気持ちのよい追い風が吹いていたが、だんだん強くなってきた。帆を揚げると、カヌーはトップスピードで進み、岩を乗りこえ、干し草畑の耕作人たちを追い抜いていく。それを目撃した一人が残りの「仲間」に知らせようと叫んだが、彼らが見ようとやってくるより早く通りすぎてしまった。後方から興奮した調子で、幽霊じゃないかとか話し合っている声が聞こえた。

しかし、何度も幽霊船と間違われるのはうれしいことではない。カヌーについて何も知らない人や船を見たことのない人、外国人を見たことのない人たちの真ん前を突っ切っていく方がずっと面白かった。「突っ込んでいく」には大きすぎる落差の滝があったり、幅のある障害物が存在しているときには、カヌーを陸に上げて迂回する方がよい。ぼくはカヌーの先端を生け垣から突き出して他から見えるようにして干し草畑を突っ切って歩いたり、「水たまりさえあればどこでも」進めるアメリカの浅瀬走行船を真似て、露でぬれている刈り取られたばかりの草地の上を引きずっていったりもした。そういう場合、不意打ちでそういう場面に出会った人々の驚きは、ちょっと言葉では言い表せない。灰色の服を着た怪しい男がにこりともせず地面の上でカヌーを引いて歩き、人に囲まれると、いきなり笑いだしたり英語で熱弁を奮ったりするものだから、逃げ出す者さえいた。子どもたちはたいてい泣き叫んだりした。そういう様子は、ぼくにとって不思議だったが、相手にとっても同じくらい奇妙だったに違いない。

このあたりで川の水はすべて淡い青みがかったものになり、水面下の深いところの美しい光景が見えなくなったのは残念だった。だが、三十マイルほど進んだところで再び川底の小石が見えるようになり、魅力的な透明感を取り戻した。水の色が濃くなったり黒い影ができたりするのは、それなりに重要な問題をはらんでいる。というのは、水に陰影がささず色もつかず透き通っていれば、水中にある岩や大きな石や他の障害物をはっきり視認できるのは無論のこと、多少の経験を積むことで、ちょっと離れたところであっても、どれくらいの深さがあるのかがはっきりわかるようになるからだ。

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