スナーク号の航海(9) ジャック・ロンドン著

というわけで、遅延の問題だ。ぼくは四十七種類の組合の連中や百十五の会社を相手にした。どの組合員もどの会社もだれ一人として約束した時間に物を届けたり作業を終えたものはなかった。が、給料日と集金だけは例外で正確なのだ。連中は、決まったものを決まった時間に届けると固く誓った。そうした誓約を交わした後では、納品の遅延が三カ月を超えることはまれになった。そんな調子だったので、チャーミアンとぼくは、スナーク号の素晴らしさを、どんなに水密で頑丈かを互いにほめあって慰めあったものだ。また、ぼくらは小舟にのってスナーク号のまわりを漕ぎまわり、信じられないくらいに美しい船首をほれぼれと見上げたりりもした。

「考えてもみろよ」と、ぼくはチャーミアンに言った。「中国の沖合で嵐に遭遇してヒーブツー(漂泊)してるとするだろ。で、このすばらしい船首が嵐に突っこんでいくんだ。波は一滴だって船首を乗りこえてはこないだろうな。デッキは羽毛のように乾いたままで、嵐の咆哮を尻目に、ぼくらは下の船室でのんびりしてるってわけさ」

すると、チャーミアンがぼくの手を情熱的に握って叫ぶのだ。「すばらしいわ、すべて──作業が遅れているのも、経費がかさんでいるのも、あれこれ心配事が絶えないのも、なにもかも。ほんとになんてすてきなお船なんでしょ!」

スナーク号の船首を見るたびに、また水密区画のことを思うたびに、ぼくは勇気づけられた。とはいえ、ほかに誰も勇気づけられたりした者はいやしない。友人たちはスナーク号の出帆日をあれこれ言いあって賭けをはじめる始末だ。ソノマにある牧場の責任者として残してきたウィジェット氏がまず最初に賭け、一九〇七年の正月に金を受け取った。その後も賭けは増えつづけ、すさまじいものになった。友人たちはギャングのようにぼくを取り囲み、ぼくが設定した出帆日について賭けをした。ぼくも軽率だったし意地にもなっていた。何度も賭けをし、賭けは続き、すべてぼくが負けて金を支払った。それまで賭けごとなんか見向きもしなかった女性の友人たちまで大胆になって、ぼくと賭けを始めた。むろん、それもぼくが負けて支払うはめになった。

「気にしないで」と、チャーミアンがぼくに言った。「あのすばらしい船首と中国の沖でヒーブツーしているところだけを考えましょうよ」
「そうだな」と、ぼくは賭け金を友人たちに払いながら言った。「スナーク号をいままでにゴールデンゲートブリッジをくぐった最も耐航性のある船にするために手間も金も惜しんでないってことさ──それが遅れている理由なんだ」

一方、編集者や契約している出版社は説明を要求して困らせた。だが、どんなに説明しても、というか自分にすらなぜ遅れているのか説明できないわけだし、説明してくれる者もいないのに、ロスコウですら説明できないのに、連中にどうやって説明できるというのだ? 新聞はぼくを笑いものにしはじめた。「まだだ、だけどすぐじき」みたいな繰り返しのあるスナーク号の出発の歌なるものを公表したりした。チャーミアンは、船首のことを思い出させては、ぼくを元気づけてくれた。ある銀行家のところに行って、五千ドルの追加融資も受けた。とはいえ、遅延に対していいことも一つだけあった。なぜか評論家になっていた友人の一人が、ぼくがこれまでにやってきたこと、これからやろうとしていること、そのすべてを酷評したのだ。奴はぼくが航海に出た後でそれを公表するつもりだったらしい。それが発表されたとき、あいにく、ぼくはまだ出発できず陸にとどまっていた。それで、奴は必死で言い訳するはめになったというわけだ。

時間はどんどん過ぎていく。一つだけ明白なことがあった。要するに、スナーク号をサンフランシスコで完成させるのは不可能ということだ。建造期間が長引いたため、すでに壊れたり摩耗するところが出始めたのだ。事実、修理するよりも早く壊れていく。スナーク号は笑い話のネタになっていたし、誰もまじめに考えなくなった。少なくとも作業している連中はね。ぼくは、建造をやめ、このままの状態でホノルルに出発すると宣言した。そのとたん、船に水漏れが見つかり、出帆前に修理しなければならなかった。とにもかくにもスナーク号を水路の方に移動させようとしたのだが、そこにたどり着く前に二隻の大きな荷船にはさまれてしまい、派手にぶちあてられた。水路まで行くと、海面は広く深くなっていて、スナーク号は船尾から沈んで泥に突き刺さってしまった。

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スナーク号のチャーミアンとジャック
訳注:ヒーブツー:荒天時の対処法の一つ。
一本マストでジブ(前帆)とメインセール(主帆)を持つ一般的なヨットでは、ジブを裏帆にし、メインセールはそのままで、ティラー(舵柄)を風下側に固定(タッキングしようとして船首が風軸をこえたところでジブを風下側に移さずそのままにして舵柄だけ風下側に切った状態)にすると、船は風に対して斜めになった状態で安定する。スナーク号のような二本マストのケッチ/ヨールでは、メインセールを下し、ジブとミズンセール(後ろ側の小さい帆)で同様の状態にするが、船やキールの形状などによって船の反応は微妙に異なるので、その船ごとに微調整は必要。

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