ウィレブルーク運河
翌朝、ぼくらはウィレブルーク運河に入ったが、雨が激しく降って寒かった。こんなに冷たい雨が降りそそいでいるのに、運河の水は紅茶を飲むのにちょうどよいくらいの温かさだったので、水面から蒸気が立ち上っていた。あいにくこんな状態だったが、出発するときの高揚した気分もあったし、パドルでこぐたびにカヌーが軽快に動いてくれるので、苦にはならなかった。雲が流れて太陽がまた顔を出すと、家に引きこもっていては感じられないくらいに、ぼくらの気分も高揚してきた。風は音をたてるほど吹き、運河ぞいの木々が揺れていた。葉もかたまりとなって揺れ動き、陽光に輝いたり影になったりしている。目や耳にはセーリング日和という感じだったが、土手にはさまれた川面までおりてくる風は弱く、気まぐれに強く吹いたりするものの、ちゃんと帆走できるほどではなく、速くなったり遅くなったりムラがあった。かつて船乗りだったと思われるひょうきんな男が船を曳いて歩く道からぼくらの方に向かって「速いな、だが先は長いぞ」とフランス語で声をかけてきた。
運河の交通量は多かった。ときどき緑色の大きな舵柄のついた列をなす船と行き会ったり追い越したりした。船尾が高く、舵のいずれの側にも窓があり、そうした窓の一つには水差しや花瓶が置かれたりしていた。船尾から小さなボートを曳航し、女性が食事の準備に忙しそうだったり、子供がいたりした。こうした荷船は二十五か三十もあっただろうか、牽引ロープでつながれ、風変わりな構造の蒸気船に曳航されていた。牽引している蒸気船には外輪もスクリューもなかった。機械工学の心得のないものには理解できないような装置があるのだろう。その船は運河の川底に敷かれた細い鎖を光を反射させながら引き上げては船尾から降ろしていき、そうすることで鎖の輪をたどって積み荷を搭載した平底船の列を進めているのだった。この謎を解くカギを見つけるまでは、前進しているのを示すものはなにもないのに、こうした荷船の列が穏やかに水面を進み、横を流れる渦が航跡の中に消えていく様子には、どこか厳粛ではあるが妙に落ち着かないものがあった。
商業目的で作られたあらゆるもののうちで、運河の荷船ほどあれこれ考えさせることができて楽しいものはない。帆を展開して水路橋をわたったり緑のトウモロコシ畑を通り抜けたりすると、その帆が木々や風車ごしに見えるし、水陸両用のものでは最も魅力的だ。また、まるで世の中にそんな商売はないとでもいうように、馬が並足で歩きながら船を引き、ぼんやりと夢うつつで舵柄を持っている男は一日ずっと水平線に同じ尖塔を見ているのだ。こんなペースで荷物をどうやって目的地に運べるのかと不思議にもなってくる。さらに水門で荷船が順番を待っているのを見ると、これが世の中だと教えられもする。こうした船に乗っている人々には自分の生活に満足している人が多いはずだ。というのは、こういう船での生活は、旅をすることと家にいることの両方を兼ねているからだ。
進んでいくと、夕飯の支度をする煙が煙突から立ちのぼる。運河の土手からの景色が少しずつ展開していき、荷船は大きな森のそばに浮かんでいたり、公共の建築物があったり夜に街灯のきらめく大都会を通り抜けたりしていく。船頭にとって荷船は浮かぶ家であり「旅の寝床」でもある。他人の話を聞いたり関心のない絵本のページをめくっていくようなものだ。運河の土手に上がればそこは外国だし、そこで午後の散歩をし、それから家に戻って自分の炉端で夕食をとってもよいのだ。
こんな生活は、健康という観点からは、運動が十分とはいえない。とはいえ高い健康意識は健康でない人々に必要なだけだろう。病気でも健康でもない怠け者はこんな感じで静かな人生をすごし、そうやって安らかに死んでいくのだ。
ぼくは通勤の必要があるどんなよい地位につくよりも、荷船の船頭でいたほうがいいと思っている。呼び出されることはほとんどないし、暮らしに困らないようにするために断念する自由が少なくてすむからだ。荷船の船頭は船に乗っているが、自分の船だ。自分が上陸したいと思えばいつでも上陸できるし、ロープが鉄のように固く凍りつく寒い夜に一晩中、風上帆走しつづけることもない。ぼくにわかる範囲では、就寝時間や夕食の時間はあるものの、時間はほとんど静止している。荷船の船頭には死んだりする理由もあまりなさそうだ。