ヨーロッパをカヌーで旅する 40:マクレガーの伝説の航海記

ジョン・マクレガー著

現代のカヤックの原型となった(帆走も可能な)ロブ・ロイ・カヌーの提唱者で、自身も実際にヨーロッパや中東の河川を航海し伝説の人となったジョン・マクレガーの航海記の本邦初訳(連載の第40回)


翌日、鉄道の駅で、ぼくは「貨物」受付の窓からカヌーの尖ったバウを突っこみ、「ボートの料金」をたずねた。係員はまったく驚いた様子を見せなかった。というのは、ぼくがイギリス人だとわかったので、どんな奇人変人や狂人的な行動であっても、イギリス人ならやりかねないと思っているのだった。とはいえ、ポーターや警備員、運転士とはちょっと面倒な議論をした末に、やっとカヌーをなんとか貨物車のトランクの間に押しこむことができた。アメリカ人旅行者の尖った鉄張りの箱が薄いオーク材のカヌーに穴をあけていないか、鉄道会社に代わってときどき確かめた。プラットホームで積みこみを待つ頑丈な木製の樽がごろごろ転がされてカヌーのすぐそばを通るのではないかとか、魚籠や鉄の棒や木箱やいろんな不格好な貨物がカヌーに当たりはしないかとか、どうにも気になって仕方がない。こういうものって、汽車が停車したりするたびに貨車の中で倒れたり転がり落ちたりするものなのだ。

単なる物にすぎないカヌーに対して、こうして心配したり不安になったりするというのは、生き物ではないモノに対し、楽しみや苦しさを自分に置き換えて感じたことのない人にとっては、ちょっと異常だと思われるかもしれない。しかし、それ以外の人たちは、こういう航海ではボートに対する愛着がどんなに強いか、わかってくれるだろう。ここで強調しておきたいのは、こういう華奢な乗り物で旅をする人が今では増えていて、旅の折り返し点をすぎると、そうしたモノをなんとか無傷で母国まで持って帰りたいという気持ちが日増しに強くなってくるということだ。

チューリヒまでカヌーを鉄道で運搬する料金は二か三シリングくらいだった──駅とホテル間の運搬に要した費用の方が高くついた。そこからまた車両に載せて、古き良き鉄道の旅のようにトンネルを抜け、スイスを象徴する山岳地帯に到着した。そこにはスイス各地から旅行者が集まってくる。ホテルや巨大なレストランが立ち並び、さまよえるイギリス人にたっぷりの食事を提供したり、食事療法を施したりするのだ。むろん、値段はめちゃくちゃ高い。

ここでは、またしてもぼくの食べっぷりが噂になって、それに悩まされた。そう、これはしょっちゅうで、疑いもなく身体に関することなのだが、山に登ったりカヌーを漕いだり、ラバを御したりと、旅人が自分の筋肉を使って自分の体と荷物を運んでいる場合、たんぱく質をいかに取り込むかというのは、少なくとも当人にとっては死活問題なのだ。

スイスやドイツで快適に過ごしたいと思うのであれば、宿泊はドイツのホテルがおすすめだ。景色のよい観光名所の近くに建てられているイギリス人観光客向けの巨大な宿舎は避けた方がいい。汽車や蒸気船から降りた観光客はそのままバスへと乗せられ、待ち構えたホテル業者のところへと運ばれていくのだが、パパとママと三人の娘、それにお手伝いさんが一人という家族がいる。むろん、案内人が付き添ってくれる。また登山杖を持った、どこか戸惑った様子の女性もいる。手にしている白く長い杖はスイスに着いたときに渡されるのだが、それをどう使うのか、当人には見当もつかないのだ。次に、同じ車両から一ダースもの若いロンドンっ子の集団が下りてくる。一行は男も女も表面を取りつくろった顔をしているが、内心は心細さを感じているので、ホテル経営者は好きなように扱える。

添乗員と一緒ではなく、妻や重い荷物や娘も連れず、ぼくは一人でホテルに入ると、勇気を振り絞って、骨なし肉とジャガイモを注文した。三十分ほどして、肉二切れにホウレンソウを添えたものが出てきた。どちらも一口で食べ終えたし、冷えてもいた。果物を注文した。ナシが出たが、傷んでいた。小さなブドウも一房も出たが、これは高級品だった。代金として二シリングを払った。

翌日は、それと対照的に、湖を三マイルほど漕いで下ったところで、前日と同じように骨なし肉とジャガイモに果物付きの食事を注文した。今度は、二流のドイツの宿屋だ。骨なし肉がすばらしいジャガイモを添えて出されたが、実においしかった。果物は大粒のブドウや桃、果汁たっぷりのナシ、熟したリンゴと赤く色づいたプラムが、大きなカゴに盛り合わせて出てきた。代金は一シリング六ペンスだった。なぜこうなるかというと、イギリス人は値段が高くてもブツブツ言うだけで代金は払ってくれるが、ドイツ人は払わないからだ。イギリス人なら我慢できる料理にも、ドイツ人は我慢できないというわけだ。別にホテルの経営者を責めているわけではない。彼らはできるだけお金を稼ごうとしているわけだし、金を稼ごうとすると、誰でもそうなってしまうというだけの話だ。

夜明けの薄明かりのなかで、チューリヒ湖をカヌーで出発した。夕方まで快適な航海だった。涼しく、静かで、湖面には周囲の色彩豊かな集落が映っていたし、柔らかい歌声やゆったりとした音楽も聞こえていた。月が昇ってくると、はるか遠くの冠雪した山々が銀色に光った。カヌー用のボートハウスを見つけたのは、このときだけだ。また、カヌーが手荒に扱われたのも、このときだけだった。翌朝、責任者だというまじめで実直そうな男がやってきた。カヌーは無残にもひっくり返り、浸水しているのがわかった。座席は放り出され、周囲に浮いていた。カバー類もだめになっていた。帆は結び目がほどけていたし、大切なパドルは、汚い手で握られたために汚れていた。こうしたことを心苦しく思った男は、英語とドイツ語とフランス語の罵詈雑言を黙って聞いていたが、代金の半フランとともに、そのことをずっと忘れないはずだ。それ以来、ぼくは面倒でも、カヌーは必ずホテルまで運ぶようにした。ここでは、もう一つ別の体験もした。荷物を蒸気船で送っておき、目的地で受け取ろうとしたのだが、荷物が無事に着くかなと心配になり、なんとも気がかりで、利便性という効用も吹き飛んでしまった。カヌーの旅では、荷物は常にカヌーのどこかに収納し、自分で持ち運ぶべきだと痛感した。自由であることが、カヌーイストの喜びなのだ。


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