現代語訳『海のロマンス』133:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第133回)

三十二億円の借金

ブラジルに存在する計り知れないほど膨大な資源の価値が具体的な数値に基づいて知られるようになったのは、ほんとうに最近のことである。現に、まっさきにブラジルに目をつけた英国が盛んに投資を始めたのも最近一九〇〇年代以後である。ブラジル国は大まかに言って、英国の資本とイタリアの労働力とでその国富を樹立した、とブラジル国政府自身が言明するほどに、同国の金融界に英国の根はすこぶる深く張られているわけである。

とかく引っ込み思案のジョンブルの目覚ましい働きぶりを見て、ベルギーや北米合衆国、フランス、ドイツ、カナダ連邦なども争って、この世界的な商戦の場に参入する意気込みを示した。ここにおいてか、期せずして同国経済界において優先される分野が暗黙のうちにできあがった。すなわち英国債はブラジル政府、リオ市、リオ州等における重大な公共物の設計に使用され、フランス国債は農業、ことに製糖業を独占し、ベルギー国債は鉱業、紡績業、電灯工事業の支払いにあてられ、ドイツ国債は製造工業方面に新進気鋭の意を示し、北米の国債は近来さかんに資本の流入を画策して鉄道、市区改正、築港、ダイヤモンド発掘等の発展に向けられ、カナダ国債は電車、電灯、水力事業等に利権拡張を計画している。

しかして、従来、ブラジル国内の経済界の勢力序列は、おおまかに英、仏、伊、ベルギー、合衆国、カナダ、ドイツであったが、近来、英国がさらに有望なる資源を有する隣国アルゼンチンに秋波を送って、その方へ寝返りをうったのと、新進気鋭のドイツが盛んに発展するのと(移民は近来イタリアに次ぐ盛況で、コーヒー農園主(ファゼンドロ)の成功者の大部分はドイツ人)、合衆国が鋭意投資を企てているといったことで、だいぶその順序が変わってきている。 続きを読む

現代語訳『海のロマンス』132:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第132回)

南米に向く商品

リオの人々にはまがいものを収集する傾向があるという例は、演劇(しばい)の代わりにお手軽な活動写真を好むことや、美術館で陳列されている作品に示されているのみならず、そのあふれんばかりの虚栄心を満足させてくれる贅沢品や骨董品の選び方においてもよく観てとることができる。

ルア・ノバ・ド・オビールの八番地に長野県人の塩川伊四郎(しおかわいしろう)という人が経営している日伯(にちはく)貿易商会というのがある。外国語学校第一期の出身者で、在ブラジルの邦人間に南米通として認められている古株である。とある午後、例の珈琲(コーヒー)店でウーロン茶をすすりながら、塩川氏から聞き得た堅実な日本とブラジルの貿易についての話と、リオ市における邦人経営の商店の中で最も目立っている山縣商会の商況とを総合してみると、南米における本邦唯一の輸出商品である陶器、磁器、漆器の前途はいまだ楽観できるような状況ではない。

『草枕』に、日本は巾着(きんちゃく)切り*の態度で美術品を作る、西洋は大きくて細かくて、そしてどこまでも娑婆(しゃば)っ気がとれない、という文句があったように記憶する**。なるほど、柴垣(しばがき)に囲まれた四畳半の茶室で、紫檀の机や中国製の花毯(かたん)***、それに南宋画の軸に鼻をつきあわしては、巾着切りの態度で作られた日本美術品もよかろうが、こうやって日本とはちょうど裏表になっているブラジルくんだりまで流れてきては、大きくて細かくて、そうしてどこまでも娑婆(しゃば)っ気のとれない西洋の方がうらやましくなる。

* 巾着切り スリのこと。巾着は小物を入れる携帯用の袋。
** 夏目漱石の『草枕』の八。ほぼ正確に引用してある。漱石の芸術観が画家の目を通して語られるところで、作者はブラジルでの体験からそれに異を唱えている。
*** 花毯(かたん) 絵模様を編み込んだつづれ織りのタペストリ。 続きを読む

現代語訳『海のロマンス』131:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第131回)

しばらく南米ブラジルの話が続いていますね。
大成丸の航海中、日本からブラジルに移民するための広大な農地の無償提供を日本側の受け皿となる団体が受けるなど、当時、海外ニュースとして、ブラジルは最も注目される話題の一つでした。
というのも、北米では、日本からの移民急増に対して日本人排斥運動が組織的に行われ、日本政府もアメリカ合衆国やカナダへの移民に対する旅券の発行を自粛するなど、当時は新興国だった日本国内の社会問題解決の一助となる、新たな移民先が求められていたからです。
この航海記は、ほぼ同時進行で新聞に連載されていたこともあり、航海とは直接関係がないものの社会的な関心の高い時事的な問題について踏み込んで取り上げています。
というわけで、ブラジル編は、もう少し続きます。

下院議員の日給

これらの非立憲的な弊害は、これを要するに、当然に議会を叱咤(しった)し、政府を監視すべき政党に権威がなく、世論は閥族を制肘(せいちゅう)するにはあまりに無気力であって、というより、むしろ、無気力な国民がいたずらに桃源郷の安定したつかのまの生活を楽しんで、政権を横暴にして無責任極まる少数党にゆだねたという、積年の弊害に基づいている。ある意味で、かえって、身から出たさびのそしりを免れないというべきである。

これというのも、原因(もと)をただせば、新興国の国民に特有の、憲法という観念に理解が浅いためである。日本でも、小児(こども)にでもわかるような常識問題をその分野を専門とする博士連中が、頭から湯気を立てて論争し、一国をしてその渦中にことごとく埋没してしまうようでは、一等国の未来も心細い限りである。 続きを読む

現代語訳『海のロマンス』130:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第130回)

大統領の製造者(プレジデント・メーカー)

生糸が日本の対外貿易で大きな割合を占めるように、ブラジルは珈琲(コーヒー)を唯一の国富の源泉としている。そして二つの国が、その内国の製造工業の隆盛ならざるは共に軌(き)を一(いつ)にしている。

日本が二十何億の国債を有して、しかも自ら極東の盟主をもって任じているのは、ブラジルが四十億の借金にあえぎながら、しかも南米の盟主を気どっているのと一対である。

日本の国民道徳がいまだ過渡期にあるのは、ブラジルの思想界が動揺的であるのに対するもので、日本が目下(もっか)盛んに新奇の欲求に渇(かつ)えているのは、ブラジルが英語に憧憬(しょうけい)し、パリ型(スタイル)の流行を追っているのに似ている。

まがいものを好むにおいて、両国民は申し合わせたるごとく、歩調を一にし、虚栄心、装飾性、贅沢(ぜいたく)欲においてほとんど同典型に入らんとしている。 続きを読む

現代語訳『海のロマンス』129:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第129回)

あわれテラノバ

だれ言うとなしに、テラノバが入港したという。
テラノバが?! あの気の毒な、あの勇ましい、あの懐かしいテラノバが!!

四月二十八日である。
南半球の秋は今日もまた悲しげに曇っている。フラム号といえば、かのアムンゼンを連想するごとく、テラノバといえば直ちに、かの「南極の征服者」たるスコット大佐の、壮烈な男らしい最後をしのばずにはいられない。しかも、前者の連想の内には光をうけて輝く栄誉が漂っているのに比べて、これはまた何たる、暗い、悲しい、痛ましい影が付き添った追憶であろう! 南方の大海原に悲しく降る雨にむせび、骨身にしみる風に泣いている黒い帆の影には、痛ましくにじんだ涙の痕(あと)があろう!!

今年の二月、百十九日の恐ろしく長い非人情な旅の後、ケープタウンに入港したとき、まず第一にぼくらを驚かせたものは、南極における悲劇であった*。スコット大佐の壮烈なる最後であった。そして最後に、読む人をして必ず心ゆくばかり泣かせてしまうその遺書であった。

* ケープタウン寄港の項でもふれたが、大成丸の世界周航中の一九一二年、英国のスコット大佐率いる南極探検隊は、苦難の末に南極点に到達した。
が、わずか一ヶ月ほどの差でノルウェーのアムンゼン率いる隊に先をこされていた。
失意の帰途、探検隊は全員が死亡した。テラノバは探検隊を運んだ船の名称で、遠征プロジェクト全体の名称でもあった。Terra Nova ship by Herbert Ponting, 1911
極地で一九一一年に撮影されたテラノバ号 {PD}

昔の武士には相身互(あいみたが)いというものがあったという。現今(いま)の船乗り仲間にもまたこの観念がある。ケープタウン市長発起の義援金募集への加入も、セント・カテドラルの追悼会列席もみな、この観念の表現に他ならぬのであった。されば、高いパンダスカルの下(もと)に、黒い汚い三本マストのバーク型の帆船を見いだしたときも、初対面の人に対するような窮屈な気分は少しもなくて、同情し敬慕していたため、むしろ、ある程度まで打ちとけた姿に思えた。 続きを読む

現代語訳『海のロマンス』128:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第128回)

ペトロポリス行

電車でプライア・フホルモサという停車場に行く。
案内してくれるのは、公使館の書記生の大谷さんである。

四月二十二日、左舷直員*はペトロポリス日本公使館**に招待される、とある。そのプログラムをこうやって実現しつつあるところなのだった。

* 左舷直員  大成丸の生徒は、航海中、見張り当番に関して、右舷担当と左舷担当に二分されていた。
** ペトロポリス  リオ北東の山間部にある避暑地としても人気の古都。
当時、日本を含む外国公館の多くが集中していた。

RiodeJaneiro Municip Petropolis

左下隅がリオデジャネイロのあるグアナバラ湾

白い檳榔樹(ロイヤルパーム)の花が悠揚(ゆうよう)と雫(しずく)するマンゴの運河を渡ったぼくらの電車が、景気よく停車場の構内にすべるように入って、ピタリとペトロポリス行きの汽車と相対するプラットホームの片側についたのはなかなか気の利いた処置であったが、停車場そのものは、一国の首都とブラジル国一の別荘地とを連絡する門戸としては、あまりに心細いものであった。

木目がささくれだったプラットホームのつきるところに、粗末な荒削りの急造の建物がチョコナンと立っている。真ん中に申し訳程度の事務所があって、その隣の Buffet (ビュッフェ)兼新聞総覧所には、婆さんが青や赤など、いろいろの酒を売っていたのは、ちょっと奇妙に思われた。

涼しそうな籐椅子に身をもたせて、精水濾器(フィルター)の鎖が汽車の振動につれて瀬戸物にさわる音を聞いていると、隣の車両から景気のよい笑い声がさかんに洩れてくる。行ってみると、大谷さんが例の怪気炎(かいきえん)をさかんに燃やしている。

各列強のブラジル国内における利権樹立の競争から、イタリア人は現在百五十万人もいて、農業一切を独占しているとか、サンパウロの珈琲(コーヒー)の話から、植民の模様、一九一二年十二月三十一日にイタリア国王室は勅令をもって自国民のおびただしい数にのぼる自発的な移民を禁止する必要をすら認めたほどの勢いでイタリア人が移住してきているとか、話はそれからそれへと飛んで、カリフォルニアの土地所有権問題から霞ヶ関の外交方針の棚卸(たなおろ)しに及んだとき、汽車はアシやヨシの生い茂る草原帯に入った。

すると、このくらいの土地は時価一町五円から十円くらいのものだとか、東京シンジケート*は先年、移民輸入の斡旋(あっせん)に対する報酬として、五万町からの肥沃(ひよく)な土地をうまうまとただで貰ったとか、しきりとしゃべっているうちに、汽車はやがてオルト・ダーセラというセラ・ダ・エスツレラ山中の一小駅に着いた。

* 東京シンジケート  米国留学経験を持つ青柳郁太郎(一八六七年~一九四三年)が設立した、ブラジル移民を推進するための企業組合。
本文に記載された内容は、大成丸が世界周航に出発する直前の一九一二年三月、サンパウロ州政府と東京シンジケート間で、五万ヘクタールの州有地を無償提供する契約が締結されたばかりのことを指し、当時の最新ニュースでもあった。
この翌年、ブラジル移民事業はブラジル拓殖株式会社に引き継がれる。
まず土地を確保したことで、移民になればお金がなくても農地が持てるという夢の実現が可能となり、これをきっかけに日本人のブラジル移民事業が発展していくことになる。 続きを読む

現代語訳『海のロマンス』127:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第127回)

三、リオ雑感

リオですぐ目につくのは、魚売り、籠売り、ホウキ売り等が天秤棒*を用いることである。しかし、彼らはその歩きぶりといい、腰の振り方といい、はるかに日本の者より下手で、いかにも苦しそうである。その他、洗濯女が木靴(トマンコ)を履いて、自分の身体の二倍もある品物を頭に載(の)せて歩くのも、なかなか珍しい。

* 天秤棒(てんびんぼう)  長い棒の中央を肩にのせ両端に物を吊るして運ぶ道具。洋の東西を問わず、ヨーロッパなどでも使われていた。

Water Vender(Harunobu)

鈴木春信の浮世絵(東京国立博物館所蔵) 続きを読む

現代語訳『海のロマンス』126:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第126回)

リオ市民の虚栄
一、両手に八個の指輪

もともとリオ人は最も宝石を愛玩(あいがん)する国民として世界に有名である。

ちょっとした中流家庭の主婦でさえ必ず両手に八個の指輪をはめている。スカートには単に桃色の木綿の布を身につけ、垢(あか)じみた足には怪(あや)しげな木靴(トマンコ)をはいている洗濯女にいたるまで、一日に二度の食事をやめてまで指にまがいものの宝石の指輪を並べたがるほどである。

この虚栄的趣味は、ただ婦人間のみにとどまらず男子にまで及び、一国の宰相とか南米の富豪とかいう輩(てあい)までが、その夫人が夜会に招かれるような時は、高い金をかけたせっかくの自慢の指輪が隠れるのを悲しんで、冬でも決して手袋をはめさせないとのことである。

というわけで、リオ市で最もにぎやかで最も人出の多い例のオビドールの両側に並んでいる店は、珈琲店(カフェー)でなければことごとく宝石商で、間口(まぐち)二間(にけん)足らずの小さい店舗(みせ)の窓飾り(ウィンドショウ)に、一個七千ミル(四千五百円)、八千ミル(五千二百円)などのダイヤ入りの指輪が無造作(むぞうさ)に陳列されているのは珍しくもない。 続きを読む

現代語訳『海のロマンス』125:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第125回)

慈善救済の設備

やれ危ないと思わず心に叫んだときは、もうすでに遅かった。張り子の人形を踏みつぶすように一人の男がペタペタと前輪(くるま)の下にまきこまれて、自動車のドライバーがあわてて飛び降りる様子が、砂塵(すなけむり)もうもうたるなかで遠くかすんで見えた。

電車、馬車、自動車が互いのバンパーをきわどくすれ違わせて激しく往来するキンゼ・ド・ノメムブロの広場(プラサ)である。

時は四月十八日第一上陸日。ファローの埠頭(はと)から浮浪人(ビーチコーマー)の間をすり抜けて一歩進んだ午後の出来事である。

日本で言えば橋梁(きょうりょう)課の技手(ぎしゅ)といった風采(ふうさい)のリオの巡査が、騒がず迫らず悠揚(ゆうよう)と電話ボックスに入ったと思ったら、たちまち一台の救急車(アンブラン)が風を切って駆けつけて来たのには感服した。

感服したのはこれのみならず、当然のことながら加害者であるはずの自動車の運転手が、瀕死(ひんし)の被害者を足下(そくか)に踏みつけたまま平然と車上にそり返っておったことであった。後で聞いた話だが、過失が被害者に存在しうべき状態にあるときは、加害者は治療代さえ支出すれば平然と車上にそり返っていられるそうである。 続きを読む

現代語訳『海のロマンス』124:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第124回)

富くじ合衆国(ユナイテッド・ステート・オブ・ロッテリア)

馬鹿に狭くて馬鹿に雑踏するオビドールを通ると、まず第一に新旧大小さまざまの型(タイプ)の宝石店が目につく。そして、その間に点在し、ほしいままに一種の刺激的な芳香(アローマ)を放つカフェーに頻繁にせわしく出入りする不思議な階級の来客が、少なからず視線を引く。

その服装(みなり)や態度からいうと、リオ紳士の範囲(サークル)から遠く外れた姿である。珈琲店(カフェー)で一国の国政を料理する腕前を有する政治家のたぐいではむろんない。ポケットから何やらの紙片(かみ)を出して、通りかかった紳士に買え買えと迫っているところは、ちょっと新聞売りのようでもある。しかし、その売りぶりのいかにも気楽そうなところは、新聞売りよりものんきで裕福な生業とみえる。これがかの有名な富くじ(ロッテリア)の売り子で、ブラジル特有の浮浪者(バガボンド)や素足(すあし)に木靴(タマンコ)姿の洗濯女とあいまって、特徴あるリオの地方色(ローカルカラー)の、自堕落な一方面を担当しているものである。

この富くじ(ロッテリア)売りの活動期は夕方であるが、南半球の初秋の光が力なくコルコバード(別名ラクダの背中)の頂きにうすくかかり、街頭の白熱灯がようやく輝きはじめるころ、この背広(フロックコート)に鳥打ち帽(ハンチング)の売り子が人目をしのぶコウモリのごとく、町から町へ、大路から小路へと舞い歩く様子は、確かに特筆を要すべき一異彩である。 続きを読む