スモールボート・セイリング(4) 〜 スモールボート・セイリング(その4)

日本人たちは共用しているゴザの下に潜りこんで眠った。私もそれにならい、断続的にではあるが仮眠をとった。氷のような海水が打ちこんでくるし、ゴザの上には数センチの雪まで積もった。潮が満ちてきて風上側の岩礁が見え隠れするようになり、岩の上を波が洗っていた。漁師たちは海岸を心配そうに眺めている。私も同じだったが、船乗りとしての目で見れば、どんなに泳ぎが達者でも、波が打ち寄せている連なった岩のところまで泳いでいける望みはほとんどなかった。私は両方の海岸の先端を示し、どうだときいてみた。日本人たちは頭をふった。それではと、恐ろしい風下側にある海岸を指さすと、彼らはやはり頭をふって黙りこんでしまった。絶望的な状況に呆然となっているのだろうと思った。緩衝帯になってくれていた岩礁が満ち潮のために海面下に消え、錨で支えられているだけの船に波が打ちこんできたし、私たちはたえず波をかぶるようになった。それでも、くだんの漁師たちは波が打ち寄せている岸辺を凝視したまま黙っていた。

何度か完全に水浸しになろうとするところをきわどく逃れた漁師たちは、とうとう行動を起こした。全員がアンカーにとりつき引き上げたのだ。船首が風下に向いたので、小麦粉を入れておく大きな袋ほどの大きさの帆を揚げ、そのまままっすぐ陸へと向かった。私は靴のひもをほどき、厚いコートのボタンをはずして、船が岩にぶつかる前に脱げるよう準備した。しかし、船は岩にはぶつからなかった。そうして、そのまま先へと進んでいったのだ。景色は一変していた。眼前には狭い水路が口を開けていて、その入口に波が押し寄せている。ついさっきまで、いくら岸辺を眺めても、そんな水路などなかったはずなのだ。私は干満の差が三十フィート(約九メートル)もあるのを忘れていた。日本人たちが危険と隣り合わせの状態で辛抱強く待っていたのは、この満ち潮だったのだ。われわれの船は砕けている波に突っこんでいき、そのまま曲がって小さな保護された入江に飛びこんでいった。そこは強風の影響をほとんど受けていなかったし、前の満潮時の潮が寄せた跡が長く湾曲した線になって凍りついている海岸に上陸できた。これがサンパンに乗っていた八日間に遭遇した三度の嵐の一つだった。これは、船に乗っていて打ちのめされたということになるのだろうか。私は、船が辺境の岩礁に乗り上げ、乗員は自制心を失い、そのまま溺れ死ぬのではないかと恐れていたのだったが。

別の小さな船で航海した三日間には、大型船で丸一年外洋を航海したのに匹敵するほどの驚きと災難にたっぷり見舞われた。買ったばかりの小型の三十フィートの船で試験航海に出たときのことも思い出す。六日間で二度も激しい嵐に遭遇した。一度は通常の南西風で、もう一つは荒れ狂った南東風だった。こうした強風の合間に短い完全な凪があった。また、その六日間では三度も座礁した。サクラメント川の岸辺に舫いをとったところ、引き潮で急な斜面に乗り上げた格好になり、船がとんぼ返りでもするように斜面で横転しかけたのだ。カーキーネス海峡では潮が激しく流れているのに、風がまったくなかった。錨は潮流で磨かれた海底を滑るだけで、船は大きな埠頭に吸いこまれるし、あちこちぶつかりながら四分の一マイルほども押し流されてやっと広い海面に出た。それから二時間後、サン・パブロ湾では風が吹き上がり縮帆するはめになった。嵐で荒れた海で流された小舟を拾い上げるのは楽しいことではないが、私たちはそれも強いられた。というのは、曳航していた小舟を留めていたペインターが壊れて流されてしまい、浸水までしてしまったのだ。それを回収したころには疲れきって死にそうだった。スループタイプのヨットの内竜骨から備品に至るまであらゆる箇所を酷使した。その最後の締めくくりとして、母港へ向けてサン・アントニオの河口の一番狭いところを風上に向かって帆走していたとき、タグボートに引かれた大きな船と衝突しそうになり、かろうじてかわしたこともあった。私はずっと大きい船で大海原を一年かけて航海したこともあるのだが、そのときには、こんな肝を冷やすような出来事には遭遇したりはしなかった。
● 用語解説
サンパン: 主に(東/東南)アジアで使用される平底の小型木造船
ペインター: 舫い綱を通して固定する輪などの金具。舫い自体を指すこともある
タグボート: 曳船/押船。小回りのきかない大型船などの動きを助ける

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