ヨーロッパをカヌーで旅する 58:マクレガーの伝説の航海記

ジョン・マクレガー著

現代のカヤックの原型となった(帆走も可能な)ロブ・ロイ・カヌーの提唱者で、自身も実際にヨーロッパや中東の河川を航海し伝説の人となったジョン・マクレガーの航海記の本邦初訳(連載の第58回)

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ぼくがカヌーをつないだ地点から、通過可能と思われる中央付近の水路に直接向かうのは無理だった。もっと上流からじゃないと駄目なので、そこまでカヌーを引っ張っていくしかない。浅瀬をわたり、でこぼこした川縁に沿って、渡渉したり牽引したり、悪戦苦闘しながら、やっと半マイルほど川をさかのぼった。カヌーに乗って急流を横切って川の中央付近の水路まで到達できそうな場所に、なんとかたどりついた。とはいえ、そこから川を横切るように進んでも、流れが速いので、カヌーは波が荒れ狂っている方に横向きのまま押し流されていきかねない。

川をさかのぼるために疲労困憊した体力を回復させるため、流れがおだやかな小さな入江のようなところで「激流下りに備えて」三十分ほど休んだ。出だしで時間をくってしまったが、いったん流れに乗ってしまえば、あとは体力と注意力の勝負になる。

いろんな考えが交錯し、思いも千々に乱れた。この静かな岸辺を離れて無慈悲な白いくだけ波の世界へ飛びこんでいくのか、これまでのすばらしい旅をこの無謀な賭けでだいなしにするのではないか、カヌーは岩と接触しただけで木っ端みじんになるだろうし、あえてその危険を犯すのか? そもそも、この場所をカヌーで下るのは楽しいことなのか、賢明なことなのか、正しいことなのか?

カヌー内にたまった水をすべてふき取り、荷物は動かないようしっかり艇内に固定し、開口部を防水カバーでおおい、万一転覆しても艇内には一滴の水も入りこまないようにするというのが、こうした自問自答でぼくが出した答えだ──そうしておいてから、ぼくはパドルを軽くひと漕ぎして、カヌーの舳先(へさき)を穏やかな水面から速い流れの方へと向けた。行くっきゃない! カヌーは軽やかに揺れながら流れに乗った。

太陽はいまや頭上で輝いている。これが、この難所にさらに問題を投げかけることになった。というのは、ぎらぎらと輝く陽光は光の束となり、水面からあらゆる方向に向かって反射しているので、少し離れたところにある岩や波や水塊やもろい泡などがすべて同じに見えてしまうのだ。雲一つない快晴の空に唯一まずい点があるとすれば、それがこの状態で、すでに折り返しをすぎた今回の航海で西に向かう帰路では、これまでも、ときにそれが川下りのさまたげとなることがあった。午前の川下りを、太陽が前方ではなく後方か側方に動いてまぶしくなくなる午後まで三、四時間待ったこともあった。そして今まさに水面に反射した太陽光線で目がくらんだ状態なので、青い色つきメガネをかけていても、先の様子はまったく見えない。これほど強烈な輝きに対して、サングラスは無力だ。あまりにもまぶしくて目がくらみ、近くにある物すらほとんど見えない。

この予期しなかった問題はとても深刻だった。それで、ぼくは現在の川を横切っている進路を維持したまま、なんとか対岸までたどり着こうとした。そっち側で太陽の位置が変わるまで待とうと思ったのだ。しかし、このプランを実行するにはもう遅すぎた。流速のため、カヌーはどんどん川下に流されていく。すぐに覚悟を決めなければならない。「パドルで漕いだ数からすると、川の中央部の目指す水路付近には達しているはずだ。このまま一気に下っていくしかない」と判断した。

パドルをひとかきして舳先(へさき)を川下に向ける。と、カヌーのスピードと方向がどんぴしゃで、カヌーは舳先を正確に下流に向けたまま流れに乗り、荒れ狂う波の方へと猛然と突っこんでいく。暗闇に一人取り残された少年のような心細さを感じつつも、ぼくはぶきみな音を立てて流れている水路に乗り入れた。

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とにもかくにも十分ほどで激流を乗りこえることができた。荒れ狂う波にもみくちゃにされながらも、カヌーはちゃんと浮かんでいた。場所とりで押し合いへし合いするように四方八方から波が集まってきて、もみくちゃにされてはいるものの、ともかく「やれやれ」という状況にまでなった。

そのとき二人の漁師を見かけた。一人は前述したようにサケ漁の仕掛けを操作する人で、ぼくはすぐに連中のところまで漕いでいった。川岸に小さな白い砂地になっているところがあり、そこでカヌーに入った水をくみだし、休憩をかねて漁師から川の情報を得ようと思ったのだ。二人は「そのボートであそこの急流を下ってきたのか」とぼくに聞いた。
「そうです」
「あのど真ん中を?」
「そうです」
 彼らは互いに顔を見合わせて微笑し、ひどくなまりのある言葉を大きな声でしゃべりながら何やら早口で言い合っている。その熱意とエネルギーを目にして、怒っているのかと思った。だが、こうした大声のやりとりは、自分に意味がわからない場合にはさらに大きく感じられるもので、要は、こういう趣旨のことを言っているのだった。
「この先にも急流があるんだぜ。こっから三十分くらいかなあ。そこは、あんたがいま通ってきたところよりずっとひどいんだ。カヌーは陸に上げて迂回しなきゃなんねえよ」

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