ヨーロッパをカヌーで旅する 57

ジョン・マクレガー著

現代のカヤックの原型となった(帆走も可能な)ロブ・ロイ・カヌーの提唱者で、自身も実際にヨーロッパや中東の河川を航海し伝説の人となったジョン・マクレガーの航海記の本邦初訳(連載の第57回)
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第十章

カヌーをまた荷車に載せ、再び通りを抜けて滝の下の地点まで運んだ。数時間休憩した後、ロ・ブロイ・カヌーを水面に浮かべると、カヌーはまた生き返ったようになった。周囲のすべてがすばらしかった。川には十分な深さがあり、空はどこまでも高く、ぼくは幸福感に満たされた。まもなく、遠くで波が砕け散る鈍い音がまた聞こえ始めた。近づくにつれて、その音が大きくなってくる。無視するわけにはいかない。ラインフェルデンの急流までやってきたのだ。

これまで川のそれぞれの場所で知り合った友人たちは、ぼくが遭遇するであろう危険について用心するようにと説明し警告してくれたのだが、自分自身で川下りというものをやったことのない地元の人々はえてして危険を誇張しがちだ。過去の経験から、ぼくとしてはそうした話は真に受けず割り引いて冷静に受けとるようにしていた。とはいえ、実際に現地に来てみると、たしかに当惑するほど壮大な光景ではあった。

見渡す限りの広大な水面が白濁し、盛り上がった波は激流に抗している黒い岩盤によってのみ進路を変えられている。シューという音が大きな雷鳴のような轟音に混じって聞こえ、大波の無数の尖った先端から水しぶきが宙に舞っている。そうした様子を想像してほしい。

そこを過ぎると、また独りぼっちになる。両岸の土手は高く、守るべき貴重なカヌーだけがあるという状態だ。

ぼくはカヌーの中で立ち上がり、先の様子を調べたが、見渡す限り、波また波で、こうして眺めて見ても判断材料が何も見つからない。それで、川の片側にカヌーを寄せた。川辺では低木や木々が川面に枝を伸ばしていて、パドルに当たったりした。そういう木々は地面に生えているで安全なように思えた。

ブレームガルテン付近の急流は、川の端から離れないようにして進めば、たぶん楽に通過できるだろう。その場合は大幅に遅くなるし、「蛇行」を余儀なくされることも多くなる。とはいえ、今や、そうやって岸沿いを進んでも無駄だということがわかってきた。というのも、前方に高くそびえる岩が川の流れに向かって突き出しているのだが、運よく、その背後でものすごい轟音がしているのが聞こえたからだ。で、ぼくは手前の土手にカヌーを寄せて上陸し、カヌーをロープでつないでおいてから、藪をかき分けて崖の上まで登ってみた。

見た瞬間、どんなボートであっても、この岩の脇を通過しようとするのは狂っているとしかいいようがないとわかった。というのは、流れの最も速い部分が突き出した岩塊の真下を流れていて、そこからぐるっと曲がって数フィートの高さから滝のように流れ落ち、白い泡の世界へと続いていた。そこでは、細かく割れてちぎれたパワフルな波が待ち受けているのだ。

カヌーの舳先(へさき)にロープをつけ、カヌーを浮かべたまま、自分は陸にいてそのロープを握って歩きながらこの岩をやり過ごすことは可能だろうか? 岩をじっくり調べてみたが、それをするには高さがありすぎた。

崖の上からもっとよく見ようと、ぼくは腹ばいになった。自分がどうすべきかを考えなければならないのだが、どうしても、まずわくわくするような好奇心にかられてしまう。それから徐々に「やっぱり無理!」という、なんとも残念な結論になる。とはいえ、なおも川全体をじっくり見渡してみる。どこでも、激流のど真ん中でもかまわないから、どこかカヌーでたどれそうなコースがないか探ってみる。すると、あった。かなり遠いが、一か所だけ進めそうなコースがあった。カヌーに座っているときには水面からの距離が近すぎて気づかなかった場所だ。今となっては、ともかくやってみるか、カヌーを陸に上げて迂回させるしかない。迂回しようか? 離れた場所の樹木の下に、陸上でカヌーを運ぶ手伝いを頼めそうな人たちがいた。彼らは黙々と作業をしていて、ぼくのことなど気にかけていない。頼んでみたい気もしたが、そうはしなかった。

冷静になって考えてみれば、結局のところ、カヌーはいま見えている波や岩や荒れ狂っている何千もの砕け波すべてと遭遇するわけではない。ジグザグにコースを選んで進んでいったとしても、直接に影響するのはその両側にあるものだけなので、数はずっと少ない。残りの大多数は、カヌーの通らないところで荒れ狂っているだけだ。実際、目的とするコースとの間に、たとえば岩が五十あったとしても、一本の線で表されるコースをカヌーでたどっていくと、新たな危険となるのはせいぜい二つ程度だろう。

しかも、急流は岸から見ると実際よりも難所のようにみえる。というのは、陸上にいると困難な場所すべてが一度に目に入ってくるし、その場所全体の轟音が聞こえてくるからだ。また逆に、岸の少し高いところから眺めると、波同士が互いに隠しあっているので、二つの大きな波の谷間にいるカヌーから見るのに比べて、波はずっと小さく見える。水中に隠れている岩のおかげで通れる場所を発見することもある。川面から見て絶望的な状況に思えても、陸から眺めてみると、なんとか行けるんじゃないかという見通しが立つ場合もある。

最後に、流れは岸辺から見るとより速く思えるが、それは固定された地点から観察しているからで、流れに浮かんだカヌーでは、時速四マイルか五マイルほどで常に流れている自分の両側の流れとの相対的な関係でしか速度を感じない。とはいえ、本当は考慮すべきなのは流れの実際のスピードである。というのは、カヌーは、川の動かない同じところで砕け散っている波に向かって、そのスピードで突っこんでいくことになるからだ。

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