ヨーロッパをカヌーで旅する 22:マクレガーの伝説の航海記

ジョン・マクレガー著

現代のカヤックの原型となった(帆走も可能な)ロブ・ロイ・カヌーの提唱者で、自身も実際にヨーロッパや中東の河川を航海し伝説の人となったジョン・マクレガーの航海記の本邦初訳(連載の第22回)


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ツットリンゲンの町はライン川の両側に並んでいて、ほぼすべての家が染色業者か皮なめし工場かと思わせるほどで、男たちは川で皮をたたいたり解体したり洗ったりしていた。ぼくはカヌーを流れにまかせていたので、この目新しい乗り物について、少年たちが目ざとく見つけ──男の子というものは(いつの時代もそうなのだろうが)そういうものを見つけると、すぐに何か叫んだり駆け出したりする生き物だ。小さなドイツ人の集団がすぐに周囲に集まってきたが、こっちが期待している宿屋らしきものはどこにも見えなかった。自分が今いるところをじっくり観察できるというのが、川旅の持つ恩恵の一つだ。乗合馬車や蒸気船で運ばれてきた旅行者は、客引きやポーターにつきまとわれたりするが、こちらは川の上という連中の手の届かないところにいるわけなので、そういう煩瑣(はんさ)なことにわずらわされず、どういう町なのかじっくり検討することができる。気が進まなければ、そのまま通りすぎてしまうことだってできる。実際に気に入らなくて次の町まで進んだりしたこともあった。とはいえ、この川旅は今や、まったく窮地に立たされていると言ってよかった。流域の人口がそれほど多くない地域に差しかかっているため、ある町を素通りしたとして、その先にもっとましな町があるのかわからないのだ。上陸に適した場所を探して町外れ近くまで行ってみて、ぼくは水車用の水路に入ってから上陸した。

人々がどんどん押し寄せてきたので、ぼくとしてはそれから逃れるため、たまたま見つけた四輪の小さな手押し車を持っている少年に声をかけ、それを貸してくれないかと頼んでみた。どっと笑いがおこった(むろん、それは彼にとって大いなる名誉なのだった)。で、ぼくらはその手押し車にカヌーを載せて宿まで運んだ。その子にお駄賃(だちん)として六ペンス渡すと、それを見た子どもたちがわんさか集まってきた。ぼくらはカヌーを干し草置き場に吊り上げておき、厩務員に盗まれたりいたずらされたりしないよう見張っていてくれと頼んだ。しばらくすると、大人の見物人たちもやってきて行列ができたので、一人ずつ中に入って眺めることが許された。夜になっても、彼らは──女も男も──提灯(ちょうちん)片手にハシゴに登って「船」を調べていた。

夕方に着替えをすませて村の通りに出てみた。いつもならカヌーで来たやつだとは気づかれないものなのだが、ここでは散歩に出たとたんにバレてしまった。翌朝に出発するときにも、こんな風に多くの見物人が集まってくるのだろう。

ツットリンゲンはとても興味をそそられる古い町だった。立派な宿屋が一軒あり、舗道の状態はよくなかった。高い建物が密集していて、大柄で垢抜けないが正直そうな男たちは仕事をすませて、のんびりしている。仲間同士で集まり、照明のない暗くなってきた通りで愉快そうに談笑したりしていた。馬たちは丸々と太り、楽しげな女性たちに一本の橋、それに大勢の生徒たち──これが、ツットリンゲンの印象だった。

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ヨーロッパをカヌーで旅する 21:マクレガーの伝説の航海記

ジョン・マクレガー著

現代のカヤックの原型となった(帆走も可能な)ロブ・ロイ・カヌーの提唱者で、自身も実際にヨーロッパや中東の河川を航海し伝説の人となったジョン・マクレガーの航海記の本邦初訳(連載の第21回)


こうしたことは休息について述べているだけで、真昼のぎらぎらした太陽が照りつける前後の比較的に涼しい時間帯に距離をかせぐためにカヌーを漕ぐとなると話はまた別だということは、わかっておいてほしい。カヌーを一生懸命に漕いでいるときには、そんな風にのんびりしている暇はないし、懸命に操船しているときに感じる楽しさも、川を下っていくにつれて変化していく。

出発する時は穏やかだとしても、やがて聞き慣れた水車用の堰(せき)で水が落下する音が聞こえてくる。そういうことは毎日ほぼ五、六回はある。堰に近づくと、ぼくは堰の際まで行って、一直線になっている堰堤に沿って漕ぎながら、そこから下流側を眺めることにしていた。眼下にある数え切れないほどの細流を調べて、どのコースを通るのが最適かを把握するのだ。その頃には、水車を設置している製粉業者やその家族、使用人や近所の人たちが物珍しそうにぞろぞろと集まってくる。ぼくはといえば、毎度のことだが小さなバックパックを背負い、パドルを岸に置き、カヌーを降りて引っ張りながら障害物を乗りこえたり、迂回(うかい)したりすることになる。ときには一つ二つの干し草畑を引いて通ったり、小道や壁に沿って引きずっていって、それから川が深くなっているところでまたカヌーを浮かべるのだった。こういう堰の高さはせいぜい四フィートあるかないかなので、カヌーに乗ったまま頭から「突っ込む」こともできないわけではないのだが、下に岩とかがあってカヌーがそれに激突しひんまがってしまわないとも限らないので、こういうときは素直にカヌーを降り、持ち上げて乗りこえたり、引きずって迂回するほうがよい。

他の場所では、カヌーの船尾にまたがり、両足を水につけた格好で座って、右舷や左舷の岩を蹴りながら慎重に操船しなければならないこともあった3

原注3: このやり方を思いついたのは、この川でだった、この方法の利点は、ラインフェルデンの急流を通過するときにさらに明白になった。あとでスケッチでも紹介するつもりだが、この方法は後に中東のヨルダンでも実際にやってみた。

こういう出来事や浅瀬での渡渉なども多少はあるものの、カヌーに乗っていると、水に濡れることはほとんどない。背もたれに持たれた状態で難所だってスムーズに抜けられるし、流れが早いところでは漕ぐ必要もないので楽ちんだ。そういうところで無理に頑張って漕いで加速させたとしても、何かに衝突したときの衝撃が大きくなるだけだし、そうなれば、どんなに頑丈な舟でも壊れてしまう。

そんなこんなで景色を眺めたり、川沿いの住民とふれあったりしていても、人間の心は貪欲なので、やがてそれだけでは満足できなくなったりもする。とはいえ、やがて何か水音が聞こえてくる。腹にひびくような轟音だ。激流があるのだろう。この音が聞こえてくると、それまで寝ぼけ眼(まなこ)でいたとしてもすぐに覚醒し、全身にエネルギーを充満させなければならない。ぼくはこれまでの航海でカヌーを転覆させたことはなかったが、舟を救うためにカヌーから飛び降りざるをえなかったことは何度もある。こういうときに最優先すべきは舟で、次が荷物だ。特にスケッチブックはなんとしても濡らすわけにはいかない。快適かつ速く進むというのはその次に来る。こういう激しい労働の喜びと休息とを何時間も続け、いろんなものを見たり聞いたりしたわけだが、それについて語りだすと長くなってしまう。ここでは、沈んでいく太陽や猛烈な空腹が、その日の終着点に近づいたことを教えてくれるとだけ述べておく。

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ヨーロッパをカヌーで旅する 20:マクレガーの伝説の航海記

ジョン・マクレガー著

現代のカヤックの原型となった(帆走も可能な)ロブ・ロイ・カヌーの提唱者で、自身も実際にヨーロッパや中東の河川を航海し伝説の人となったジョン・マクレガーの航海記の本邦初訳(連載の第20回)


マクレガーは、ロシアを除くヨーロッパで最長のドナウ川(全長2850km)の源流からの川下りを開始しました。


仲間の同行者が誰もいなくなって砂漠でラクダに進むべき方向を教えたり、人跡未踏の荒野で一人で馬を駆ったりするのは刺激的ではある。だが、両岸が高い崖になっている未知の川で急流を漕ぎくだっていくカヌーには、そういうものを超えた爽快感がある。

この楽しさは、一つには単に感覚的に動きがとても速いということによる。川で急流を下っていくのは、高所でロープにぶら下がって前方に飛び出すのと同様に、胸がしめつけられるような緊張感がある。ドナウ川での最初の数日は急流だった。水源からドイツ南部にある交通の要所のウルムまでの間、川には千五百フィート(約450メートル)ほどの高低差があった。5日間の航海で毎日三百フィート(90メートル)ずつ下っていく計算だ。だから、そういう日の航海というのは、午前に食事をとる頃が一番元気で、それからは夕方に上陸地点に着くまで休むことなくロンドンのシティーにあるセント・ポール大聖堂と同じ高さを下っていかなければならない。

この航海の楽しみのもう一つの要素は、難所を切り抜ける満足感にある。水路がいくつかに枝分かれしていて、自分が選択した流れに従って半マイルほど進んだところで、選ばなかった水路が中洲を迂回して自分の選択した水路に合流してきたりすると、まちがった水路を選択しなくてよかったと、自然に誇らしい気持ちがしてくる。

こうした感慨にひたりながら緑濃い大平原を曲がりくねりながら進んでいった。川にかかる橋にさしかかると、それだけで文明化した場所のように思えてくる。ある橋の下をくぐろうとしたとき、ドナウエッシンゲンから戻る陽気な歌い手たちを乗せた緑の枝で飾った馬車の一つが、ちょうど橋の上を音をたてて通過していくところだった。むろん、彼らはカヌーを見るなり馬車をとめて歓声をあげ、ドイツ語なまりの英語で「あのイギリス人だ!」「あのイギリス人だよ!」の大合唱になった。

カヌーでドナウ川の水源を出発した朝に集まってくれた、このにぎやかで愉快な人々との出会いがあったおかげで、ぼくの航海はニュースとして近隣の町々にすぐに広まった。そのため、ぼくのカヌー旅はどこでも歓迎され、ドイツやフランスだけでなくイギリスでも、さらにスウェーデンやアメリカでさえも、その進捗状況が新聞で報じられるようになった。

ガイジンゲンという村で、エンジンに燃料を補給する必要があることが判明したので、つまり腹が減って朝飯を食わなきゃと思ったのだが、川の近くには集落がなかった。近くに人もいたし、ぼくは係留ロープを使ってカヌーを岸から離して浮かべておき、利発そうな少年に、ぼくが戻るまでしっかり見張っていてくれと頼んだ。そうしておいて大きな建物まで歩いていって扉をノックし、中に入って朝食を頼んだ。座っていると、すぐにすばらしい食事が運ばれてきた。すると、村の人々が一人また一人と妙な服を着たよそ者を見物しに来た。こいつ、どうやってこんなところまで来たんだ、というわけだ。連中はひそひそ声でそういったことを話しあっていたが、ぼくが食事を終えて代金を払うと、どこへ行くのか確かめようとでもするかのように、ぼくの後をぞろぞろついてくる。こんな風に、いつも旅のそこここで、好奇心にかられた、しかし遠慮深い観察者たちが集まってくるのだった。

話を元に戻そう。八月の日差しは強烈だった。だからといって、途中でやめるわけにはいかない。高い岩場の下や涼しい洞窟、木橋の下や松が生えている崖の際(きわ)のちょっとした長い日陰などでカヌーをとめて休んでいると気持ちがよかった。

ぼくは昼日中には(体を動かすのも嫌なので)岸に上がり、建物の陰や草の生い茂った土手で何度か休んでみたりもした。だが、一番快適だったのは、葉を茂らせたオークの巨木の下にカヌーを係留したまま足を思い切り伸ばし、本を片手に夢見心地で寝そべったり、一日の航海を終えた夕方、川の流域で栽培されている安いタバコの葉を手に入れて前日に宿で作っておいた巻きタバコで一服したりすることだった2

原注
1: 高低差については、地図帳や地理書によって、ここに記載した数値と相違している場合がある。


2: イギリスでよく知られている二つの刺激物──紅茶とタバコ──は、ドイツでも広くたしなまれている。
(1) タバコの木(自生するので雑草木扱いされることもある)の葉を乾燥させて丸める。適当な道具を用いて火をつけ、その煙を吸引する。
多くの人で生じる効果は、気を落ち着かせることだ。が、食欲がなくなることもある。タバコはトルコで過剰に使用されている。葉には毒が含まれている。
(2) 茶の木(栽培もされている)の葉を乾燥させて丸める。適当な道具を用いて加熱処理し、成分を液体に溶け出させて飲む。
多くの人で生じる効果は、元気になることだ。が、眠れなくなることもある。紅茶はロシアで過剰に使用されている。葉には毒が含まれている。
この二つの嗜好品は安くて携帯可能だし、あらゆる地域で何百万もの人々が日常的に楽しんでいる。どちらにも支持者と反対者がいる。この植物が人間にとって有用であるか否かの議論は決着していない。


[訳者注]
タバコがヨーロッパで知られるようになったのは、コロンブスのアメリカ大陸発見以降。日本には、戦国時代にポルトガル人によって鉄砲が伝来したときに一緒に持ち込まれた。
なお、ヨーロッパで紙巻きタバコが普及したのは、十八世紀後半になってから。
また紅茶についても、大航海時代以降にヨーロッパに伝えられ(最初は緑茶)、十九世紀になると、カティーサーク号のような、中国から紅茶を運ぶティークリッパーと呼ばれる大型帆船が速さを競うようになった。
つまり、造船や航海術の進歩と嗜好品を含む新しい産物の伝来や普及とは、コインの裏表のように切っても切り離せない関係にある。
このあたりは、現代のテレビやパソコンやスマホの普及と人々の生活様式や文化の変化との関係に似ている。

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ヨーロッパをカヌーで旅する 19:マクレガーの伝説の航海記

ジョン・マクレガー著

現代のカヤックの原型となった(帆走も可能な)ロブ・ロイ・カヌーの提唱者で、自身も実際にヨーロッパや中東の河川を航海し伝説の人となったジョン・マクレガーの航海記の本邦初訳(連載の第19回)


いよいよ、ドナウ川の源流からカヌーによる川下りの旅が始まります。


八月二十八日、小さな橋の近くから出発することにしたが、合唱大会に参加していた歌手連中が大勢集まって歌をうたい、カヌーに揚げた英国国旗に別れを告げてくれた。(三日間の宿賃で十三フランも請求した)宿屋の主人は丁寧におじぎをしている(料金をきちんと払ったのだ)。地元の人々に見守られてカヌーを川に浮かべると、ぼくのロブ・ロイ・カヌーは喜び勇んで矢のように進んだ。

はじめのうち、ドナウ川は数フィートの幅しかなかった。が、すぐに大きくなり、大平原を流れるころには、上流域のヘンリー付近を流れるテムズ川くらいにはなった。静かで緑濃いドナウ川は、曲がりくねりつつ平坦な牧草地を、何時間もかけて、ゆったりと、しかしなめらかに流れていく。土手ではスゲが風になびき、岸辺の浅いところには柔らかい水草も茂っている。長い首と長い羽、長い脚を持った一羽の青サギが、さまざまな二十羽ほどのひとかたまりになったカモ類と一緒に餌をついばんでいた。きれいな色をした蝶が陽光をあびて漂うように舞い、ごつい顔のトンボが空中を飛びかっている。

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干し草を作っている人たちが仕事をしていた。なんとも恐ろしげな大鎌を振るう作業の手をとめ、それを水につけている。連中は話をしていた。この実直そうな一団のそばを通りかかると、連中は口をあんぐり開け、こっちを不思議そうに見つめている。が、すぐに我に返ると、帽子をとり、「こんちは」と言ってよこした。彼らは仲間に声をかけ、妙な気どりもなく、こっちを見て素直に笑っていた──小馬鹿にした笑というのではない。祖国から数百マイルも離れたところで小さなカヌーに乗っている男を見て、ちょっとありえない光景に、心底おもしろいと感じているような笑い方だった。

やがて左右の丘陵に、家々や古い城が見えるようになった。それから森に入り、やがて岩場になった。けわしい岩場に荒野、緑あふれる森が混然とし、川というものの持つ美しさが壮大なパノラマのように繰り広げられていく。それが何日も続く。きれいな川は何本も経験しているが、このドナウ川の上流域をしのぐところは、そうあるものではない。森はとても深く、奇岩や高い岩場もあって、変化に飛んでいる。水は透明度が高く、草は青々としている。川は曲がったり向きを変えたりしている。流れも速く、懸命に漕ぐ必要もない。景色が次々に新しくなっていくので、ずっと緊張しっぱなしだ。ボーッとしていると、瀬に乗り上げるか、岩にぶつかるか、無数のブヨやクモがいる木に激突してしまいかねない。そう、これこそ正真正銘の旅なのだ。ここでは、先に進んでいくには、技術や分別が要求される。そうした力を十二分に発揮しなければならない。思うに、人格というものは、こうしたことによって練り上げられていくものなのではないだろうか。というのも、まず自分で選択をしなければならない。それも瞬時に、だ。たとえば、いきなり眼前に五つの水路が出現したりするようなことの連続だ。そのうちの三つはまず安全だろうが、どれが最短で、どれが一番水深があり、現実に航行に適しているのはどれなのかを、瞬時に判断する必要がある。ためらったりすれば、次の瞬間にカヌーは浅瀬に乗り上げてしまう。こうした決断をすばやく行い、それを繰り返すことによって、それがやがては習慣になっていく──これは実に驚くべきことではあるまいか。むろん、そうしたことは何度もひどい目にあった後に可能になるのだったが。

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