ジョン・マクレガー著
現代のカヤックの原型となった(帆走も可能な)ロブ・ロイ・カヌーの提唱者で、自身も実際にヨーロッパや中東の河川を航海し伝説の人となったジョン・マクレガーの航海記の本邦初訳(連載の第25回)
ベイロンのクロスターは、この近在で行楽に出かける先としては好都合な場所だ。イギリスのカヌーイストがドナウ川を漕ぎ下る場合に定番の「見るべき場所」になるのは間違いないだろう。というのも、川下りでこのあたりを旅するときの状況が効果満点で、こんなところは他にないからだ。ぼくが寝室の窓辺に寄りかかっていると、月が出てきた。天に向かって突き出している岩山を月が銀白色に照らし、周囲の木々はさらに暗くなってそれを縁どっていく。一方で、修道士の礼拝所からは、かすかに淡く赤みがかった光がもれていて、穏やかで低い夜の祈りをささげる声が聞こえてくる。おそらくは、毎日を働き通しでせわしない生活をしている平信徒よりは、修道士にでもなって頭巾をかぶっていた方がよいのかもしれない。仕事に忙殺される世界で、控えめに感謝と信仰心を抱いているよりは、聖廟で精進し、祈り、ひざまづく方がよいかなとも思った。とはいえ、ぼくとしてはまだためらいもあるのだが。
いつものように岸辺からの祝砲と声援に送られてベイロンを去った後、ドナウ川は両側がどちらも切り立った岩場の間を流れた。穏やかな川下りが何時間も続く。水は言葉にできないくらい透明度が高い。離れた深いところの洞窟さえ、のぞきこめるほどだった。ぼくはずっと下を見つめているのにもなれてきたので、泳ぎまわっている魚を見かけるとパドルの先でたたこうとしてみた(一度も成功しなかった)。そのため注意が散漫になり、カヌーが浅瀬に乗り上げたり岩場に激突したりもしたのだが、ぼんやり夢心地で、カヌーがコースを外れているのに気づかず、太い木にぶつかって木の葉やクモやゴミなんかが雨のように降ってきたりして、やっと川を下っていたことを思い出すという始末だった。そういう事件に遭遇すると、さすがに警戒心が芽生えるようになるので、ぼくは真面目に前方を注視するよう心がけた。が、狭いトンネルのような「難所」を通過したり、小さな滝を乗りこえたり、もっと大きな滝ではカヌーを引っ張って迂回したりと、一時間かそこら頑張ったところで、ぼくはついまたキョロキョロしてしまう。頭上にそびえている山の頂きや滑翔している鷲、その背後に広がっている、どこまでも青い空をつい眺めてしまうのだ。と、カヌーがまたしても水面下の岩に接触して大きく傾く。カヌーが損傷しないよう、ぼくは瞬時に飛び降りて船体を守る、といったことを繰り返した。こういう日々が続いているので、すぐに川に飛びこむことができるよう、ぼくはずっと裸足のままで、ズボンはたくし上げていた。濡れても、強烈な太陽がすぐに乾かしてくれるので、この上なく快適だ。
健康で気持ちも乗っていて、信頼できるカヌーがあり、風景もすばらしいという状況で、こうやって自分の体を使って漕ぐ喜びというのは、その本当の気持ちよさというものは、実際に経験してみないとわからない。急流では居眠り禁止ということを忘れさえしなければ、悲惨な結末になることはまずない。実際、ぼくはこの航海で風邪を引かなかったし、ケガもしなかった。カヌーに穴が開くようなトラブルもなく、無事に家に帰りつけた。また、一日たりともカヌー旅を悔いたこともない。願わくば、できるだけ多くの英国人が自由気ままに「自分のカヌーを漕いでみる」ことを体験できますように。
とはいうものの、カヌーを漕いでいるうちに腕が疲れてきたり、まだ目的地に着かないのに日が暮れてきたり、腹が減って死にそうだったりしたとき、特に人家のある場所を教えてくれるような人が誰もいないとか、そこに着いたとして問題なく夜を過ごせるような場所かがわからないなど、早く今日の予定が終わらないかなと願う気持ちになることはある。それは間違いない。5
航海についてガイドもなく、川沿いに舟を引いて歩く小道もないような川では、自分がその日にどれくらいの距離を進むことができるのか予測するのはむずかしい。調整や予測が可能なのは、自分は何時間漕ぐつもりでいるのか、平均の速度、風の強さ、川の流速、食事や休憩で上陸できそうな場所、水車用の堰堤、滝または障害物の有無などは検討がつくものの、それで航程を正確に予測することは不可能だ。
人里離れたスウェーデンの湖では、一日に三十マイルも進めば十分だと思っていたところ、一日に四十マイル進んだことも珍しくなかったし、景色がよく、いろんな出来事に遭遇し、興味のつきることのないようなところでは、一日に二十五マイルがやっとというところもあった。
一般論として、徒歩旅行では、気持ちのよい地方で一日に二十マイルも歩けば身も心も十分に活動し観察も行ったことになるだろう。だが、川旅で生じる出来事は、徒歩旅行者の日記に書かれるような出来事に加えて、自分のカヌーをめぐる状況すべてが関係してくるので、路上で起きる出来事よりはるかに多くのことが頻繁に発生し、しかも興味深いのだ。それにちょっと漕いでいるうちに、カヌー自体が自分の仲間(ぼくの場合は友人かな?)になってくるので、湾曲部をまわるたびに、また舷側に何かがぶつかったり擦(す)れたりするたびに、自分の体に何かが当たったり擦(す)れたりしたように感じるようになってくる。「人と一体化したカヌー」 対「川」という心地よいライバル関係ができるほどカヌーが個性を持つようになり、川もそうなっていくが、そうしたことすべてが航海中に起こりうるのだ。
欧州大陸を何回か旅した後では、鉄道に乗るか見物しはじめて一時間ほどは、すべてが物珍しく楽しいものに感じられるが、やがて早く終着点に着かないかなと願うようになり、町に滞在しても、そう長くならないうちに、帰国のことを口にするか考えはじめたりするものだ。一方、カヌーによる旅の特徴は、そうしたことがゆっくり進行していくので、その間はずっと楽しむことができるというところにある。というのも、いつだって奮闘し体を動かしているのは自分であって、周囲の景色についても仔細に観察できるし、湾曲部を曲がったり傾斜による流速に応じて即座にどうすべきかを判断しなければならないから退屈している暇がない。一日の喜びというものは、確かに、その日に航海した距離の長さでは測れない。たとえば、昨日の航海は景色や出来事や運動という点ではまさに最良の一つだったが、距離は一番短かった。ガイドブックによれば、「ツットリンゲンまで十二マイル」──川旅では、十八マイルといったところ──「クロスター・ベイロンから、美しい景観が展開する。ドナウ川のこの領域は航行不能」となっている。
原注
5: バルト海の航海では、飢えを感じることはなかった。食料や調理具も積んでいたからだ。1867年4月27日にテムズ・ディットンでの最初のカヌークラブの競技会で「陸上と水上での追い駆けっこ」で五隻のカヌーが競った四つの賞のうちの一つは、きれいな小型の調理セットだった。二人分を調理でき、重さは二ポンドだ。その調理セットには今でも「船長が設計し、コックが提供し、パーサーが勝ち取った」と銘が刻まれている。ヨルダン川やナイル川、それに今はもう埋め立てられてしまったオランダのゾイデル海の航海では、ぼくはカヌーの中で眠ったし、カヌーには四日分の食料を積むようにしていたが、そういうところではカヌーを降りて引っ張らなければならないダムがないかわりに、宿泊できるような集落がないところも多かった。しかも、ほとんどの場合、自分の貴重な持ち物から離れた場所で食料を調理し宿泊しなければならなかった。おまけに、そういう東方の航海で最も安全な野営の適地というのは常に、人っ子一人いない人里離れたところなのだ。