スナーク号の航海 (15) - ジャック・ロンドン著

第3章

冒険

 いや、冒険は死んではいない。蒸気機関やトマス・クック・アンド・サンのような旅行会社ができる世の中であっても、だ。スナーク号の航海計画が公表されると、年配の男女は言うまでもなく、「放浪気質」のある若い男女たち大勢が志願してきた。ぼくの友人たちに、少なくとも半ダースは自分が現在は結婚して家庭を持っていることや結婚が目前に迫っていることを悔いていた。おまけに、ぼくが知っているあるカップルの結婚生活は、スナーク号のせいでうまくいかなくなってしまった。

「息苦しい町」で窒息しかけている志願者の手紙が殺到した。二十世紀のユリシーズは、出帆前に応募者に返信するため大量の速記者が必要になりそうだった。いや、たしかに冒険心というものはまだ死に絶えてはいないのだ──少なくとも「ニューヨーク市に住む一面識もない女ですが、このような心からのお願いについて……ことは疑いようがありません」というような手紙が届くうちは。さらに読み進めると、この見知らぬ女性の体重は九十ポンドしかないが、スナーク号の給仕役を志願しており「世界の国々を見てみたいと切望」しているのだ。

一人の志願者は、放浪を求める心中を「地理学に対する情熱的な愛情」と表現した。別の者は「私はずっと常に移動していたいと思ってきました。だからこうしてあなたに手紙を書いているのです」と書いてよこした。最高なのは、旅に出たくて足が鳴る、というものだった。

自分は匿名で、友人の名前を示し、その友人が適格者であると示唆しているのも何通かあったが、その類の手紙には何か腹黒い思惑があるように感じられて、その手の問題には深入りしなかった。

二、三の例外を除き、スナーク号のクルーを志願した何百人もの連中はすべて真剣だった。多くは自分の写真を同封していた。九十パーセントはどんな仕事でもいいと言ったし、九十九パーセントが給料はいらないと申し出た。「あなたのスナーク号の航海や」と、一人は書いている。「それに伴う危険のことを考えると(どんな役割でも)ご一緒することが自分の野心のクライマックスになるでしょう」 野心で思い出したが、「十七歳で野心的」で、手紙の最後に「でもどうかこの気概を新聞や雑誌には書かないでください」と書いてよこした者もいる。まったく別に「死に物狂いで働き、一銭もいりません」と書いた者もいる。連中のほとんどすべては、自分の志望がかなえられたら受取人払で電報を打ってほしいと望んでいた。多くの者が出帆日にはきっと行くと誓っていた。

スナーク号でどんな仕事をするのか、はっきりわかっていない者もいた。たとえば、ある者は「貴殿と貴殿の船の乗組員の一人として出かけ、スケッチや絵を描いたりすることが可能なのか知りたく、失礼ながらこの手紙をしたためさせていただきました」と書いてきた。スナーク号のような小さな船でどんな仕事が必要なのか知らず、何人かは「本や小説のために収集された資料を整理するアシスタントとして」お役に立ちたいと書いてよこした。それが多作の作家の流儀というわけだ。

「その仕事の資格を与えてください」と書いてきた者もいる。「ぼくは孤児で叔父と暮らしていますが、叔父は怒りっぽく、革命を目指している社会主義者で、冒険に赤い血をたぎらさないような男は生きているだけの布きれみたいなものだ」と。「俺は少し泳げるけど新しい泳法は知りません。でも泳法より大事なことは、水は俺の友達のようなものだということです」と書いてきた者もいる。「もし私が帆船で一人にされたら、自分の行きたいところにどこへでも行くことができるでしょう」というのが、志願者たる資格として三番目のものだった──とはいえ、次の資格よりはましだろうか。つまり「漁船が荷を下ろすのを見たことがあります」というのだ。とどめは、こいつにすべきだろう。こいつは世界や人生をいかに深く知っているかを遠まわしにこう伝えてきたのだ。「長く生きてきてもう二十二歳になります」

それから、単純かつ直截で、素朴で飾りっ気のない、表現の巧みさとは縁のない、本当に航海をしたいんですという手紙を書いてきた少年たちがいた。こういう連中の志願を断るのが一番つらかった。断るたびに、ぼくは自分がこの若い連中の顔をひっぱたいている気分になった。連中は本当に真剣に行きたがっていたのだ。「ぼくは十六だけど年のわりに大きいです」とか「十七歳ですが、体は大きく健康です」など。「少なくとも自分くらいの体格の平均的な少年くらいの強さはあります」と、明らかに体の弱そうな子が書いていた。「どんな仕事でもかまいません」というのが連中の多くが言っていることだった。金がかからないというところが魅力だったが、一人はこう書いてよこした。「ぼくは太平洋岸までの旅費は自分で払えます。だから、そちらにとっても受け入れやすいのではないでしょうか」と。「世界周航こそは私がやりたい唯一のことです」と一人が言ったが、同じ思いの者が数百人はいると思われた。「自分が出かけるのか気にかけてくれる人もいません」というのは、かわいそうな感じがした。自分の写真を送ってきて「私は地味ですが、いつも外見が大事だとは限らないでしょう」というのもいた。結局、ぼくは次のように書いてきたやつなら大丈夫だろうと確信した。「十九才ですが、かなり小柄な方なので場所をとりません。でも悪魔のようにタフです」 実は十三歳の応募者が一人いた。チャーミアンとぼくはその子が一目で気に入ったので、断るときには胸がはりさけそうだった。

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志願者で最高の冒険者

スナーク号の航海 (14) - ジャック・ロンドン著

サンフランシスコのボヘミアン・クラブには、何人かのベテランのヨット乗りのうるさがたがいた。なぜ知っているかといえば、スナーク号の建造中に連中がケチをつけたと聞いたからだ。スナーク号には一つだけ致命的な問題があるということだった。これに関しては連中みなの意見が一致していた。具体的には、スナーク号は風下への帆走(ランニング)では使い物にならないということだった。連中によれば、スナーク号はあらゆる点で申し分ないが、強風の吹きすさぶ大海原でランニングさせることは無理だろう、ということだった。「ラインズだ」と、連中はもったいぶって説明した。「欠点は船型だ。単純に、あれじゃランニングできるわけがない。それだけだ」 スナーク号にあのボヘミアン・クラブのうるさがたのベテランが乗っていて、あの強風が吹きあれた夜の走りを体験してくれていたら、連中が口をそろえた致命的という判断はくつがえったはずだ。ランニングだって? それはスナーク号は完璧にやってのけたぜ。連中は、ランニングって言ったっけ? スナーク号はバウからのシーアンカーを引きづったまま、締めこんだミズンで風下に走ってくれた。ランニングは無理だって? ぼくがこの原稿を書いている時点で、ぼくらは北東の貿易風を受けて六ノットで風下に帆走しているところだ。ランニングでは、きわめて規則正しい波にうまく乗っている。舵は誰も握っていないし、舵輪を縛ってもいないが、スポーク半分ほどのウェザーヘルムをこなせるよう当て舵はしてある。正確に言うと、風が北東から吹いていて、スナーク号のミズンは巻き取り、メインセールは右舷側に出し、ジブシートは一杯に締めてこんでいる。スナーク号の進路は南南西だ。とはいえ、四十年もの海の経験があり、操舵せずに風下帆走できる船はないと思いこんでいる連中もいるのだ。連中がこの原稿を読んだら、ぼくを嘘つきと呼ぶだろう。スローカム船長が世界一周したスプレー号についてぼくと同じことを言ったときも、連中はそう呼んだのだ。

スナーク号を将来どうするかについては、まだ決めていない。わからない。ぼくにお金か信用があれば、ちゃんとヒーブツーできるような船をもう一隻建造したいところだ。とはいえ、ぼくの資金はほぼ尽きている。現在のスナーク号で我慢するか、ヨットをやめるか――やめることなどできない。となれば、ぼくはスナーク号を船尾を前にしてヒーブツーさせるようにせざるをえないと思う。それを試してみようと次の嵐を待っているところだ。自分ではうまくいくと思っているのだが、すべては船尾が波にどう反応するかにかかっている。そのうちに、ある朝、中国の近くの海で、年老いた船長が凝視し、信じられないように目をこすってまたじっと見つめて、風変わりなスナーク号に非常によく似た小さな船が船尾を前にしてヒーブツーして嵐を乗り切っているところを目撃することになるかもしれないぜ。

追伸 この航海を終えてカリフォルニアに戻ったとき、スナーク号の水線長は四十五フィートではなく四十三フィートだとわかった。これは、造船所がテープラインまたは二フィート・ルールという条件を教えてくれなかったためだ。
訳注
ウェザーヘルム: 通常の帆走で船が自然に風上方向に切りあがろうとする傾向のこと。逆はリーヘルムと呼ぶ。この場面では、船を狙った方向に進ませるため、舵輪をスポーク一本分だけ風下側にまわしてある(これを当て舵という)。

スナーク号の航海(13) - ジャック・ロンドン著

とはいえ、またも信じられない、ひどい事件が鎌首をもたげた。なんとも不可解で、ありえない事態だ。信じたくもない。メインセールをツーポンリーフし、ステイスルをワンポンリーフしたのだが、スナーク号はヒーブツーしてくれないのだ。ぼくらはドラフトが浅くなるようにメインセールをきつく張ったが、船の向きは少しも変ってくれない。メインセールを緩めてみても結果は同じだ。ストームトライスルをミズンに上げて、メインセールを取りこんでみるが変化はない。スナーク号は波の谷間で横揺れしているばかりだ。美しい船首はどうしても風の来る方向に向いてくれない。

次に、リーフしたステイスルも取りこんだ。スナーク号で展開している帆はミズンマストのストームトライスルだけになった。これで船首が風上の方に向いてくれればよいのだが、そうはならなかった。話を面白くするための下心丸見えの筋書きと思うかもしれないが、実際にそうだったのだから仕方がない。どうやってもうまくいかなかった。信じたくはないのだが、これが現実だ。頭で考えたことを言っているのではなくて、実際に見たことを言っているのだ。

というわけで、心やさしき読者よ、小さな船に乗り、大海原の波の谷間で翻弄され続け、トライスルを船尾に上げても船が風に立ってくれない場合、君ならどうする? シーアンカーを取り出せって? いまやったところだ。特許を受けた沈まないと保証つきのものを特注して用意していたのだ。シーアンカーとは、巨大な帆布製の円錐形の袋で、その口を広げるために鋼鉄の輪がついている。ぼくらはロープの一端をシーアンカーに結び、もう一方をスナーク号の船首に結びつけた。そうしておいてからシーアンカーを海に投下した。すると、すぐに沈んでしまった。引き綱をつけていたので、それを引いて回収し、浮き代わりに大きな木片をつけてから、もう一度放りこんだ。こんどは浮いた。船首に結んだロープがぴんと張った。ミズンマストのトライスルには船首を風上に向けようとする性質があるが、それなのに、スナーク号はシーアンカーを引きづって進もうとした。波の谷間でシーアンカーが船尾にまわってしまい、それを引きずる形になって具合が悪い。ぼくらはトライスルを下し、もっと大きなミズンセールを上げてから、平らになるようぴんと張った。するとスナーク号は波の谷間で挙動不審になり、やたらシーアンカーを船尾の方向に引きずりまわしてしまう。ぼくの言うことを信じてないな。自分でも信じられないのだから仕方がないが、ぼくは見たままを話しているだけなのだ。

さて、ここで問題だ。ヒーブツーしたがらない帆船の話を誰か聞いたことがあるかい? シーアンカーを使っても駄目だった船の話さ。ぼくの短い経験でも、そういう話は聞いたことがない。ぼくは甲板に立ち、信じられない、とんでもない船、つまり、どうしてもヒーブツーしてくれないスナーク号をぼうぜんとして眺めているだけだった。嵐の夜で、とぎれとぎれに月光が差しこんでくる。空気は湿っていて、風上の方には雨を伴う突風の兆しがあった。大海原の波の谷間で冷たく無慈悲な月光を浴びて、スナーク号はやたら横揺れしている。ぼくらはシーアンカーを取りこみ、ミズンセールも下し、縮帆したステイスルを上げてから、スナーク号を風下に向けて帆走させた。そうしておいて下に降りた。暖かい食事が待っているというわけではなかった。キャビンの床は水びたしだし、コックと給仕は自分の寝床で死んだようになっていた。ぼくらはいつでも起きだせるように服を着たまま寝床に倒れこみ、船底にたまったビルジ水が調理室の床から膝の高さにまで達してピチャピチャいう音を聞いていた。

[訳注]

荒天時の帆船の対処法の基本は、
1.縮帆する
2.船首を風・波の来る方向に向ける(「風に立てる」と表現される)
の2点になる。

メインセールは数段階に帆の面積を減らせるようになっている。
ヨットでは一般に一段階目の縮帆(リーフ)をワンポン(ワンポイント)リーフ、さらに小さくする二段階目をツーポン(ツーポイント)リーフ(原文ではダブルリーフ)、、、と呼ぶ。

ステイスルは文字通りはステイ(支索)につける小さ目の帆のことだが、小型のヨットでは必ずしもステイに取りつけるとは限らない。メインセールの縮帆では追いつかないほどの強風では、メインセールを下し、ストームトライスルを上げる。

ジブセール(前帆)は何枚か用意しておいて、風の強さに応じて小さいものに取り替えることが多いが、以前にはジブも縮帆できるようになっているものがあった(現代は巻き取り式のファーラージブが普及している)。荒天用の特に小さく頑丈なものをストームジブという。

帆をすべて下してミズンセールだけ上げるというのは、現代でも釣り船や小型漁船が船を風に立てるのに使っているスパンカーと同じ原理だ。

船は構造や設計上、船首や船尾からの波には強いが、横から波を受けると、すぐに横倒しになってしまう。そのため、荒天では風や波に対して船腹を向けないようにするのがポイントになる。

シーアンカーは、頑丈な布製のパラシュートのようなもので、これを海中に投下すると、それが抵抗になって船首を風上の方向に引き戻してくれる。現代のヨットの航海記でも、シーアンカーの代わりにロープにタイヤをつけて流したりする様子がよく出てくる。ヒーブツーでダメなくらい風が強くなってしまうと、セールをすべて下し、シーアンカーを投入することになるが、これが抵抗になって船首が風上方向に向きやすくなる。これをライアハルとかライイングハルという。

シーアンカーは現代の釣り船でもおなじみで、潮に流されるのを遅くしたり船の向きを調整したりするために使用されたりもする。

本文にもあるように、ヒーブツーは陸から遠く離れた大海原での荒天対策の代表的な方法だが、船型によって反応が違ってくるので、特に帆が何種類もあり組み合わせも複雑な帆船では、その船に適した方法を見つけるには試行錯誤が必要になる。

ヒーブツーできないときは、ライアハル、それでもだめなときは、最後の手段として、本文にあるように風を受けて風下に向かって走るしかない。

速度調節や安定確保のため、船尾から長いロープを流したり、ドローグと呼ばれる抵抗物を流して引きづって走ることもある

スナーク号の航海(12) ジャック・ロンドン著

そこで、時間もお金もかけた、水密で頑丈なコンパートメントの出番なのだが──結局、これが水密ではなかったのだ。浸入した水は空気のように部屋から部屋へと移動した。おまけに、コンパートメントの背後から強いガソリン臭がしたので、そこに貯蔵していた六個のタンクのうちの一つか複数のタンクが漏れているのではないかと疑った。実際にタンクから漏れていて、それがコンパートメント内に密閉されていなかったのだ。さらに、ポンプとレバーと海水弁を備えた浴室だ──これも最初の二十四時間で故障した。ポンプを動かそうとすると、片手の力だけで頑丈なはずの鉄製レバーが折れてしまった。浴室はスナーク号で故障第一号になった。

スナーク号の鉄部は、材質はともかく、へにょへにょだと証明された。エンジンベッドのプレートはニューヨークから取り寄せたのだが、ぼろぼろだった。サンフランシスコから取り寄せたウインドラスの鋳物や歯車も同様だった。ついには、索具に使われている鍛鉄までも最初に負担がかかったときにあらゆる方向にちぎれてしまった。鍛鉄だぜ。それがマカロニみたいに折れてしまったんだ。

メインセールのガフ(斜桁)のグースネックが折れて短くなったので、ストーム・トライスルのグースネックと交換したが、二つ目のグースネックも使い始めて十五分で壊れた。いいかい、これって荒天用のストーム・トライスルのグースネックなんだ。嵐のときに頼りにしなきゃならないやつなんだ。グースネックの部分をぐるぐるに縛りつけてやったので、スナーク号は今はメインセールを折れた翼のようにひきづって帆走している。ホノルルでは本物の鉄が手に入ると思う。

奴らはこうやってぼくらを裏切り、ザルみたいな船で大海原へと送り出してくれたってわけだ。ところが、神様はちゃんとぼくらのことに気を配ってくれていた。凪が続いていたのだ。船を浮かせておくために毎日排水ポンプにかかりきりになっていなければならなかったが、船上で見つかる巨大な鉄のほとんどよりも木の爪楊枝の方がずっと信頼できるということもわかった。たまにスナーク号の頑丈さと強さがかいま見えたりもしたので、チャーミアンとぼくはスナーク号のすてきな船首をますます信頼するようになった。他にそういうものがなかったのだ。これが、ありえない、とんでもない話のすべてだが、少なくともあの船首だけは期待を裏切らなかったということになる。そうして、ある晩、ヒーブツーを開始した。

どう説明したらいいんだろう? まずヨットに不案内な人のために説明すると、ヒーブツーっていうのは、強風に備えて縮帆し、帆の展開具合や向きを調整して、船首を風や波の方に向けておく操船術の一つだ。風が強くなりすぎたり波が大きくなりすぎたとき、スナーク号のような船はヒーブツーでしのぐことができる。そうしておけば、船上では何もすることがない。誰も舵を持つ必要はないし、見張りも不要だ。全員が下に行って眠るかトランプをやったっていい。

ロスコウにヒーブツーした方がいいかなと声をかけたときは、ちょっとした夏の嵐の半分ほどの風が吹いていた。夜が近づいていた。ぼくはほぼ一日、舵を持っていたし、下にいると船酔いするので、ロスコウ、バート、チャーミアンの全員がデッキに出ずっぱりだった。大きなメインセールはすでにツーポンリーフ(二段階縮帆)していた。フライングジブとジブは取りこんでいたし、フォアステイスルは縮帆し、ミズンセールも取りこんだ。この頃になると、フライングジブのブームは波をすくうようになり、折れてしまった。ぼくはヒーブツーするために舵を切った。その瞬間、スナーク号は波の谷間に転がりこんでいた。船は谷間で揺れ続けた。ぼくは舵輪を押さえつけた。船は谷間から動こうとしなかった(心やさしき読者よ、波の谷間とは船にとって最も危険な場所なのだ)。スナーク号は谷間で横揺れしているだけだ。風に対して九十度に向けるのが精一杯だった。ぼくは、もう少し風の来る方に船首を向けようとして、ロスコウとバートにメインシートを引きこませた。スナーク号は波の谷間から抜けられずにいて、両舷は交互に下になったり上になったりしている。
訳注

メインセール(主帆):メインマストの後ろ側についている大きな帆。
ミズンセール:ミズンマスト(後檣)の後ろ側についている帆。
ジブ(前帆):マストの前にある帆。
フライングジブ:複数のジブがある場合、一番前のジブ。
ストームトライスル:荒天用の面積は小さいが頑丈な帆。
ガフ(斜桁):四角形の帆を張るため帆の上縁にある円材。
ブーム(帆桁):帆を張るため帆の下縁にある円材。
グースネック:マストとガフやブームの先端の接続部。

スナーク号の航海(11) ジャック・ロンドン著

もっと悪いことに、スナーク号が告発されたのは土曜の午後だった。ぼくは弁護士や代理人をオークランドとサンフランシスコに派遣したが、合衆国の判事はおろか保安官も売主一同氏も売主一同氏の弁護士も見つけられなかった。週末なのでみんな出かけていたのだ。それでスナーク号は日曜の午前十一時になっても出帆していなかったのだ。小柄な老人が担当のままで、どうしても出帆に同意してくれなかった。チャーミアンとぼくは反対側の埠頭まで歩いていき、スナーク号の美しい船首を見て慰めあった。この船が強風や台風にも堂々と立ち向かう様子について考えるようにしたというわけだ。

「ブルジョアのいやがらせさ」と、ぼくはチャーミアンに言った。売主一同氏と連中の訴えのことだ。「商売人ならパニックになるところだが、なに、気にすることはない。大海原に出てしまえば、この問題は終わるからな」

結局、ぼくらが出帆したのは、一九〇七年四月二十三日、火曜日の朝だった。白状すると、出だしからつまずいてしまった。動力伝達装置が壊れているので、アンカーも手で揚げなければならなかったのだ。おまけに、七十馬力のエンジンはスナーク号の船底のバラストとしてしばりつけてある。だが、それがなんだというのだ? エンジンはホノルルで修理できるだろうし、船の他の部分は立派なものだ! テンダーのエンジンが動かず、救命ボートはザルのように水漏れするというのは本当だが、そんなものはスナーク号そのものじゃない。単なる付属品だ。重要なのは、水漏れしないバルクヘッド、継ぎ目の見えない頑丈な厚板、浴室の設備-こういうものがスナーク号なのだ。なによりすごいのは、気品があって風を切り裂く船首だ。

ぼくらはゴールデンゲートブリッジを通過して太平洋に出ると南下した。北東の貿易風を拾えるだろうと思ったのだ。すると、すぐにいろんなことが起こった。雇った若者たちはスナーク号の航海に向いていると思っていたのだが、三分の二は当てがはずれた。スナーク号には三人の若者がいた──エンジニアにコックに給仕だ。ぼくは船酔いを計算に入れるのを忘れていた。コックと給仕の二人はすぐに船酔いで寝台にもぐりこんだまま、一週間というもの、まったく役に立たなかった。そういうわけで、ぼくらは食べるはずだった暖かい食事にはありつけなかったし、船室もきれいに整頓されることはなかった、わかるだろ? とはいえ、そんなことはどうでもいい。というのも、すぐに、凍らせてあった箱詰めのオレンジが溶け出しているのを発見したのだ。リンゴの箱も腐りかけて台なしになっていた。木箱のキャベツは届く前に腐敗していたので、すぐに海に捨てなければなかった。灯油はこぼれてニンジンにふりかかるし、カブはしぼんで薪のようになっているし、ビートもだめだ。たきつけは枯れた木だったが、燃えやしない。きたないジャガイモ袋に入れて届けられた石炭は甲板に巻き散らかされ、排水口から押し流されていった。

とはいえ、それがどうしたというのだ? そんなことは枝葉末節にすぎない。船があるし、それ自体にまったく問題はないじゃないか、そうだろ? ぼくはデッキを行ったり来たりしながら、ピュージェット・サウンド産の特注した美しい厚板材に一分間に十四もの継ぎ目を見つけてしまった。おまけに、甲板から水漏れした。それもひどくだ。ロスコウは寝台でおぼれかけたし、厨房の食料品がダメになったのはいわずもがな、機関室の工具も使い物にならなくなった。スナーク号の側壁からも水が漏れたし、船底も漏れているし、船を浮かべておくためにポンプで毎日排水しなければならなかった。排水して四時間もすると、厨房の床には船の内底から二フィートも海水が浸水し、厨房の床に立って冷たい食事にありつこうとすると、船室内で揺れ動く水に膝までつかるはめになった。

スナーク号の航海 (10) ジャック・ロンドン著

これはおそろしく厄介で、造船所ではなく海難救助業者の仕事だった。二十四時間に二度、満潮になる。夜だろうが昼だろうが満潮になるたびに、二隻の蒸気船のタグボートがスナーク号を引っ張った。スナーク号は水路と水路の間に沈み、船尾を下にして着底していた。この困った状況にある間に、ぼくらは地元の鋳造所に道具や鋳物を作らせて、エンジンからウインドラスまで動力を伝えた。例のウインドラスを使ったのは、このときが初めてだ。鋳物には割れ目があったため、バラバラになり、道具も壊れてしまって役に立たなくなった。ウインドラスが動かなくなり、その後で七十馬力のエンジンが故障した。このエンジンはニューヨークから運んできたのだ。土台になるエンジンベッドもそうだ。この台に傷が一か所あった。というか、たくさんの傷ができて、七十馬力のエンジンは土台から割れた。空中に跳ね上がり、接続部や締め具をすべて引きちぎって横倒しになってしまったのだ。それでも、スナーク号は水路の間に突き刺さったままで、二隻のタグボートはなんとか曳航しようと無駄な努力を続けていた。

「気にすることないわ」と、チャーミアンが言った。「船は一滴も水が漏れず頑丈だってことを考えましょうよ」
「そうだな」と、ぼくも答えた。「船首も美しいしな」
それで元気を取り戻すと、また作業に取りかかった。壊れたエンジンは、汚れた土台の上に固縛した。動力伝達装置の割れた鋳物や歯車は取り外し、保管しておいた──修理や新しい鋳物を作ることができるホノルルで、また取り出して使うつもりだった。はっきりとは覚えていないが、スナーク号の外側は一度白く塗っていた。日光の下ではっきり見えるようにするためだ。スナーク号の内部は塗装していなかった。逆に、グリースと、さんざん苦労させられたさまざまな技術者連中のタバコの唾が数インチも塗りこめられていた。気にしないようにしようと、ぼくらは言いあった。グリースや汚物は削り取ることができるし、いずれホノルルに着いたとき、本格的に修理し、塗装することもできるだろう。

奮闘努力した末に、スナーク号を難破状態から引きずりだし、オークランド市の埠頭に係留した。家から持ってきた衣類一式、本、毛布、各人の私物をすべて馬車で運びこんだ。それと一緒に、他のものもすべて船に持ちこんだりしたので、船上は大混乱だった──薪に石炭、水に水タンク、野菜、食糧、オイル、救命ボート、テンダー(足船)、友人たち、友人の友人たち、友人だと言い張る連中、乗組員の友人の友人の友人とでもいうほかない連中でごったがえした。おまけに、新聞記者やカメラマン、見知らぬ連中、変人、そうして極めつけは埠頭から流れてくる雲のような炭塵の煙。

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オークランド市の埠頭に係留

 

日曜の十一時に出帆する予定だった。すでに土曜の午後になっていた。埠頭には群衆が集まり、炭塵の煙も濃くなっていく。ぼくはポケットの一つに小切手帳と万年筆、日付スタンプ、吸い取り紙を入れ、別のポケットには一、二千ドル分の紙幣と金貨を入れていた。債権者が来てもすぐに対応できるし、こまごまとしたものの代金は現金で、大口は小切手で、というわけだ。あとは何カ月も作業を遅らせてくれた百十五もの会社の未払いの勘定書を持ってロスコウがやって来るのを待つだけだ。そうして──

それから、信じられない、ひどい話がまた起きてしまった。ロスコウが到着する前に別の男がやってきた。合衆国の保安官だ。スナーク号にはまだ未払債務が残っているという申し立ての通達を、埠頭にいる全員が読めるように、マストに貼りつけたのだ。スナーク号の管理人として小柄な老人を残し、保安官自身は行ってしまった。これで、スナーク号も、あの美しい船首も、ぼくにはどうしようもなくなった。この小柄な老人が今ではスナーク号の王であり主人なのだ。おまけに、ぼくはこの老人に管理料として毎日三ドルを支払うことになったらしい。ついでに言うと、スナーク号を訴えた男の名前も判明した。売主一同とある。債務は二百三十二ドル。この証書にはそれしか書いてない。売主一同だと! いやはや、売主一同だと!

とはいえ、売主一同とは誰のことだ? ぼくは小切手帳を調べて、二週間前に五百ドルの小切手をきっていた。別の小切手帳を見ると、スナーク号を建造している何カ月もの間に、ぼくは数千ドルも支払っていた。それなのに、なぜスナーク号を訴える代わりに、わずかな未収金を回収しようとしなかったのだろう? ぼくは両手をポケットに突っこみ、一方のポケットから小切手帳と日付スタンプとペンを取り出し、別のポケットからは金貨と紙幣を取り出した。このわずかな金の問題を解決する機会は何度もあったし、それに必要な金もあったのだ──なぜ、ぼくに支払うチャンスを与えてくれなかったのだろう? 説明はなかった。これがとんでもなくひどい話でなくてなんなんだ、というわけだ。

スナーク号の航海(9) ジャック・ロンドン著

というわけで、遅延の問題だ。ぼくは四十七種類の組合の連中や百十五の会社を相手にした。どの組合員もどの会社もだれ一人として約束した時間に物を届けたり作業を終えたものはなかった。が、給料日と集金だけは例外で正確なのだ。連中は、決まったものを決まった時間に届けると固く誓った。そうした誓約を交わした後では、納品の遅延が三カ月を超えることはまれになった。そんな調子だったので、チャーミアンとぼくは、スナーク号の素晴らしさを、どんなに水密で頑丈かを互いにほめあって慰めあったものだ。また、ぼくらは小舟にのってスナーク号のまわりを漕ぎまわり、信じられないくらいに美しい船首をほれぼれと見上げたりりもした。

「考えてもみろよ」と、ぼくはチャーミアンに言った。「中国の沖合で嵐に遭遇してヒーブツー(漂泊)してるとするだろ。で、このすばらしい船首が嵐に突っこんでいくんだ。波は一滴だって船首を乗りこえてはこないだろうな。デッキは羽毛のように乾いたままで、嵐の咆哮を尻目に、ぼくらは下の船室でのんびりしてるってわけさ」

すると、チャーミアンがぼくの手を情熱的に握って叫ぶのだ。「すばらしいわ、すべて──作業が遅れているのも、経費がかさんでいるのも、あれこれ心配事が絶えないのも、なにもかも。ほんとになんてすてきなお船なんでしょ!」

スナーク号の船首を見るたびに、また水密区画のことを思うたびに、ぼくは勇気づけられた。とはいえ、ほかに誰も勇気づけられたりした者はいやしない。友人たちはスナーク号の出帆日をあれこれ言いあって賭けをはじめる始末だ。ソノマにある牧場の責任者として残してきたウィジェット氏がまず最初に賭け、一九〇七年の正月に金を受け取った。その後も賭けは増えつづけ、すさまじいものになった。友人たちはギャングのようにぼくを取り囲み、ぼくが設定した出帆日について賭けをした。ぼくも軽率だったし意地にもなっていた。何度も賭けをし、賭けは続き、すべてぼくが負けて金を支払った。それまで賭けごとなんか見向きもしなかった女性の友人たちまで大胆になって、ぼくと賭けを始めた。むろん、それもぼくが負けて支払うはめになった。

「気にしないで」と、チャーミアンがぼくに言った。「あのすばらしい船首と中国の沖でヒーブツーしているところだけを考えましょうよ」
「そうだな」と、ぼくは賭け金を友人たちに払いながら言った。「スナーク号をいままでにゴールデンゲートブリッジをくぐった最も耐航性のある船にするために手間も金も惜しんでないってことさ──それが遅れている理由なんだ」

一方、編集者や契約している出版社は説明を要求して困らせた。だが、どんなに説明しても、というか自分にすらなぜ遅れているのか説明できないわけだし、説明してくれる者もいないのに、ロスコウですら説明できないのに、連中にどうやって説明できるというのだ? 新聞はぼくを笑いものにしはじめた。「まだだ、だけどすぐじき」みたいな繰り返しのあるスナーク号の出発の歌なるものを公表したりした。チャーミアンは、船首のことを思い出させては、ぼくを元気づけてくれた。ある銀行家のところに行って、五千ドルの追加融資も受けた。とはいえ、遅延に対していいことも一つだけあった。なぜか評論家になっていた友人の一人が、ぼくがこれまでにやってきたこと、これからやろうとしていること、そのすべてを酷評したのだ。奴はぼくが航海に出た後でそれを公表するつもりだったらしい。それが発表されたとき、あいにく、ぼくはまだ出発できず陸にとどまっていた。それで、奴は必死で言い訳するはめになったというわけだ。

時間はどんどん過ぎていく。一つだけ明白なことがあった。要するに、スナーク号をサンフランシスコで完成させるのは不可能ということだ。建造期間が長引いたため、すでに壊れたり摩耗するところが出始めたのだ。事実、修理するよりも早く壊れていく。スナーク号は笑い話のネタになっていたし、誰もまじめに考えなくなった。少なくとも作業している連中はね。ぼくは、建造をやめ、このままの状態でホノルルに出発すると宣言した。そのとたん、船に水漏れが見つかり、出帆前に修理しなければならなかった。とにもかくにもスナーク号を水路の方に移動させようとしたのだが、そこにたどり着く前に二隻の大きな荷船にはさまれてしまい、派手にぶちあてられた。水路まで行くと、海面は広く深くなっていて、スナーク号は船尾から沈んで泥に突き刺さってしまった。

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スナーク号のチャーミアンとジャック
訳注:ヒーブツー:荒天時の対処法の一つ。
一本マストでジブ(前帆)とメインセール(主帆)を持つ一般的なヨットでは、ジブを裏帆にし、メインセールはそのままで、ティラー(舵柄)を風下側に固定(タッキングしようとして船首が風軸をこえたところでジブを風下側に移さずそのままにして舵柄だけ風下側に切った状態)にすると、船は風に対して斜めになった状態で安定する。スナーク号のような二本マストのケッチ/ヨールでは、メインセールを下し、ジブとミズンセール(後ろ側の小さい帆)で同様の状態にするが、船やキールの形状などによって船の反応は微妙に異なるので、その船ごとに微調整は必要。

スナーク号の航海(8) ジャック・ロンドン著

スナーク号の美点と長所については、もっと続けることができるのだが、やめておく。もう自慢たらたらになっているし、この話を最後まで読む前に、読者はうんざりしてしまうだろう? だが「信じられない、ひどい話」というタイトルを思い出してほしい。スナーク号は一九〇六年十月一日に出帆する予定だった。それができなかった事情というのが「信じられない、ひどい話」というわけなのだ。出帆しなかった理由は、まだ出来上がっていなかったからだ。確たる原因があったわけではない。十一月一日には完成するという約束も、それが十一月十五日になり、十二月一日になった。そう、いつまでたっても完成しないのだ。十二月一日に、チャーミアンとぼくは居心地がよくて清潔なソノマ郡を出て、謀略渦巻く都会で暮らすようになった──だが、そんなに長居するつもりはなかった。せいぜい二週間だ。というのは、十二月十五日には出帆するつもりだったのだ。それに、ロスコウが言ったように、ぼくらは出発前に船のことを知っておくべきだと思ったし、奴の助言で都会に出てきて二週間生活することにしたのだ。悲しいかな、二週間が過ぎても、四週間が過ぎても、六週間が過ぎても、八週間が過ぎても、出帆するにはほど遠い状態にあった。どういうことかって? 誰のせいだ? ぼくのせいか? わからない。ぼくの人生で一度きりの前言取り消しだ。説明はできない。できるくらいなら自分でとっくにやっている。ぼくは言葉をあやつる職人だが、なぜスナーク号の準備が整わなかったのか、説明する能力がないことを告白しておく。すでに述べたように、そしてそれを繰り返すしかないのだが、これが「信じられない、ひどい話」というわけだ。

八週間が十六週間になったある日、ロスコウが元気づけようと言ったものだ。
「四月一日前に出帆しないとなったら、俺の頭をボールに見立ててサッカーをやっていいぜ」
二週間後、奴は「その試合用に頭をきたえておかなきゃ」と言った。
「気にしないようにしよう」と、チャーミアンとぼくは互いに言い合った。「完成したら出帆する、すばらしい船のことを考えていよう」と。

それで、互いにスナーク号のさまざまな美点や長所を言いあってリハーサルをやったものだ。それに、また金を借りることになった。机に向かっても、だんだん書くのが億劫になってくるし、日曜は休んで友人たちとの山歩きするのも、いさぎよく断念した。ぼくは船を建造しているのだ。いつかは船になるはずだ。大文字でつづると、B・O・A・Tだ。BOATである限り、いくら費用がかかっても、ぼくは気にしない。

おまけに、スナーク号にはもう一つ、自慢せずにはいられない長所があるのだ。船首だ。どんな波も船首をこえてくることはできない。船首が音を立てて海を切り裂いていくのだ。海にいどみ、軽々と波をこえていく。しかも美しい。夢のようなラインだ。これほど美しく祝福されていると同時にすぐれた機能の船首を持つ船があったろうか。嵐だって平気だ。この船首に触れるというのは、すべての頂点に手が届くということだ。ここを見れば、経費節減なんて思いもよらない。出帆が延期になるたびに、また追加経費が生じるたびに、ぼくらはこのすばらしい船首のことを思って満足した。

スナーク号は小さな船だ。高くても七千ドルだろうと踏んでいたが、その時点では金額も余裕をみていて正確だった。ぼくは納屋や家も何軒も建てた経験があるし、見積もった経費が超過することがあるのもわかっていた。自分で経験して知っていた。だから、スナーク号の建造費を七千ドルと見積もったのだが、なんと三万ドルもかかってしまった。質問なんか、してくれるな。本当の話なんだから。ぼくは小切手に署名し、金を工面した。むろん、それについては何も説明しない。何度も言ったように「信じられない、ひどい話」ということで、納得してほしい。

スナーク号の航海(7) ジャック・ロンドン著

第2章

信じられない、ひどい話

「金は惜しまない」と、ぼくはロスコウに言った。「スナーク号のすべてを最高のものにしようぜ。見てくれなんて、どうだっていい。ぼくとしては、仕上げは無垢の松材で十分だ。金は建造費に使う。スナーク号をどんな船にも負けないくらい頑丈にするんだ。そのためにどれくらい金がかかるかなんて、気にしなくていい。お前は船を頑丈にすることだけを考えてくれ。支払う金はぼくは原稿を書いて稼ぐから」

そして、実際にそうしたのだ……できる限りの努力はした。というのも、スナーク号はぼくの稼ぎを上まわる速さで金を食っていくのだ。実際問題として、稼ぎの不足分を補うため、しょっちゅう金を借りなければならなかった。一千ドル借金したと思ったら、それが二千ドルになり、五千ドルになるという具合だ。ぼくは毎日ずっと仕事をし、稼ぎはこれにつぎ込んだ。日曜も働いたし、休みなんかとらなかった。だが、その価値はあった。スナーク号のことを考えるたびに、それに価すると思えるからだ。

心やさしい読者には、スナーク号は頑健だと知っていてもらいたい。水船長は四十五フィートで、キール脇の舷側厚板は三インチ、他の厚板は二インチ半、甲板材は二インチ厚で、どの板にも継いだところはない。自分でピュージェット・サウンド産を特注したので、よくわかっている。さらに、スナーク号には四つの水密区画がある。つまり、船は水を漏らさない三つのバルクヘッド(隔壁)で分けられているということだ。だから、スナーク号に穴があいて浸水したとしても、その区画に海水が浸水するだけで、残り三つの区画でなんとか船は浮いていられるし、その間に修理もできるだろう。この隔壁にはほかにもいいところがある。最後尾の区画には六個のタンクがあり、一千ガロン(3785リットル)のガソリンを入れておくことができる。小型船に大量のガソリンを積んで大海原を進むのは非常に危険なのだが、漏れない六個のタンク自体も船の他の部分とは隔離し密閉された場所に置かれるので、現実問題として危険は非常に小さくなるだろう。

スナーク号は帆船だ。帆走第一で建造されている。とはいえ、補機として七十馬力の強力なエンジンを搭載している。これはすぐれた強力なエンジンだ。いやというほどよく知っている。ニューヨーク市からはるばる運んでくるための金を自分で払ったのだから。おまけに、エンジンの上の甲板にはウインドラスがある。これも最高だ。重さは数百ポンドもあり場所ふさぎなのだが、七十馬力のエンジンを搭載しているのに、アンカーを人力で揚げるなんてありえない、というわけで、ウインドラスを取り付けたのだ。ギアやサンフランシスコの鋳造所特製の鋳物を使ってエンジンのパワーをこいつに伝達するようになっている。

スナーク号は楽しみのために建造したのだが、快適にする装備にも金は惜しんでいない。たとえば浴室だ。狭くて小さいのは事実だが、陸で風呂に入る際の利便性はすべて備えている。器具やポンプ、レバー、海水弁などの配置もすっきりとしている。建造中、ぼくは床についてからもこの浴室のことを考えていたものだ。浴室の隣は救命ボートと上陸用のテンダーで、これは甲板に載せておく。空いたスペースは、ぼくらの運動用だ。体を鍛えておけば生命保険もいらないってわけだ。とはいえ、スナーク号のようにどんなに頑丈な男でも、よくできた救命ボートを持つのが賢明だ。コストは百五十ドルという話だったのに、請求書の支払をしようとすると、三百九十五ドルになっていた。これで救命ボートがどんなにいいものかわかるだろ。

スナーク号の航海(6) ジャック・ロンドン著

だが、このエンジンについては、これだけではない。とても強力なのだ。ぼくらはか弱い男二人と女性一人。アンカーを手で持ち上げたりすれば心臓も背骨もいかれてしまうだろう。そういう仕事はエンジンにさせればいい。というわけで、エンジンのパワーをどうやって前方のウインチまで伝達するかという問題が出てくる。そして、この問題をすべて解決するために、機関室や調理室、浴室、個室、キャビンに対するスペースの割当を再検討し、全部やり直すことになる。それで、エンジンを移すときにニューヨークのメーカーに電報を打った。こんな奇妙な文面だ。「トグルジョイントはやめた スラストベアリングに変更 フライホイール前縁から船尾材の面までの距離は十六フィート六インチ」

細かいことに神経を使うのが好きなんだったら、操舵装置をベストなものにしようとあれこれ思案したり、艤装の調整に旧式のラニヤード(紐)を使うかターンバックルを使うか決めようとしてみたらどうだい。ビナクル(羅針儀の架台)を船梁中央にある舵輪の前に置くべきか、舵輪の前の一方の側に置くべきか? ──熟練した船乗りの間でも議論のあるところだ。それから、千五百ガロン(約五千六百リットル)ものガソリンという問題もある。それを安全に貯蔵し配管するにはどうしたらいいのか? ガソリン火災に最適な消火器はどのタイプだ? 救命ボートとその保管場所という大問題もある。これが終わっても、コックや給仕係をどうするかという、悪夢になりかねない問題に直面する。小さい船だし、そこに皆が押し込まれることになるのだ。陸上での、男にとっての給仕してくれる女の子という問題など、これに比べたら物の数ではない。給仕を一人選んで、その分だけ問題は減ったと思ったら、そいつは恋に落ちて辞退してしまった。

そんなこんなで手がかかるのに、どうすれば航海術を覚える時間ができるっていうんだ──こうした問題で引き裂かれていて、問題を解決するための金をどこで稼ぐというのか? ロスコウもぼくも航海術のことは何も知らないのだが、そうこうしているうちに夏が過ぎた。出発が迫っていたが、問題の霧はますます濃くなっていくし、金庫は空っぽだ。まあ、とにかく、シーマンシップ(船舶操縦術)を学ぶには何年もかかるし、ぼくらはどっちも船乗りではある。時間がなければ本や教本を仕入れておいて、サンフランシスコとハワイの間の大海原で独学できるだろう。

スナーク号の航海には、不幸にも混乱する問題がもう一つある。副航海士のロスコウはサイラスR・ティードの信奉者なのだ。サイラスR・ティードは現在一般に受け入れられているのとは別の宇宙観を信じていて、ロスコウは彼の見解に同意している。つまり、地球の表面は凹面になっていて、人間はその中空球の内側で暮らしているというなんてことを、なぜか信じこんでいるのだ。というわけで、ぼくらは一隻の船スナーク号で帆走するつもりなのだが、ロスコウは内側の世界を旅することになるし、ぼくは外側を旅することになる。それはともかく、ぼくらは航海が終わるまでには、いずれ心も一つになるだろう。ぼくは彼を外側を旅させる自信があるし、彼も同様にサンフランシスコに戻ってくる前にはぼくが地球の内側にいることになると確信しているのだ。彼がどうやってぼくに地殻を通り抜けさせるつもりなのか知らないが、なんにしてもロスコウは優れた技能を持っているのだ。

追伸──エンジンが来た! エンジンを手に入れ、次は発電機、蓄電池とくれば、製氷機はなぜないんだ? 熱帯では氷だろう! パンより必要だ。というわけで製氷機を探すはめになる! いまやぼくは化学に首を突っ込んで唇は荒れるし、心はくじけるしで、どうすれば航海術を勉強する時間を見つけられるっていうんだろう?

[建造中のスナーク号の船体]

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[第1章 了]