米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著
夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第123回)
活動写真と国民性
日常のありふれた生活の間にも放縦(ほうじゅう)を楽しみ、享楽を夢みつつある徒(と)に対して、風紀を乱さない君子の楽はとうてい解(わか)るはずがない。ぜひとも強烈なる色彩と爛熟(らんじゅく)せる刺激とで、ホカホカ抱擁(ほうよう)されなくては、麻痺(まひ)しきった鈍い神経を興奮せしむることはできそうもない。かかる享楽的欲求を満足せしめんために特におあつらえ向きにできあがったかのように見ゆるのが、リオ市のいたる所にときめける活動写真である。
踏み石を光琳(こうりん)模様にきれいにモザイクした、例のアベニダ・リオ・ブランコの人道をそぞろ歩いて行くと、半町おきくらいに得体(えたい)の知れない不思議な店舗(みせ)があわただしく目に飛びこんでくる。堅気(かたぎ)の店としては、あまりにもけばけばしい装飾(かざり)を用いている。入口も柱も壁も露台(バルコニー)も窓枠も欄間(らんま)も、金粉や朱泥(しゅでい)の模様でピカピカと彩(いろど)られている。美しい花が机に飾られて、ギターの静かに沈んだ音が、ピアノの音とさわやかに調節して響いてくる。音楽会としてはあまりに内容が貧弱である。あまりに聴衆が多様乱雑である。茶を飲んでいる気配も食事をとっている様子もないから、むろん喫茶店でも料理店(レストラン)でもない。
そのうちに大きな柱時計の下にあったベルが鳴り渡ったと思ったら、今まで静かに一方に面して腰かけておった紳士も淑女も子供も一斉に立ち上がって、ゾロゾロと二つある入口から奥の間に消え失せてしまう。おや、こんな町の真ん中に停車場が……?! と、危(あや)うくも叫ばんとしたとき、今まで切符売り場と思ったところから首を出した男が何か言いながら手招きをしたので、ハハア、これがリオの活動写真館かと……危機一髪の刹那(せつな)にからくも赤毛布(あかげっと)*を演ぜずにすんだ天の助けを心ひそかに感謝した。入場料は一ミル(六十五銭)と五百レイス(三十三銭五厘)との二種に分れている**。
* 赤毛布(あかげっと): 田舎から出てきたおのぼりさん。明治時代に赤い毛布をコートのようにはおって地方から東京見物に来た人が多かったことから。
夏目漱石の『吾輩は猫である』にも、国を出るときに赤ゲットを頭からかぶるという話と買った値段が出てくるが、結構な金額……
** ミルもレイスも通貨の単位。当時のブラジルの通貨はレアル(旧レアル)で、複数形がレイス。ミルは補助通貨の単位で、1000の代わりにも使われた(1ミルレイス=1000レイス)。
二十分ばかり休息兼待ち合わせをした後、例によってぞろぞろと繰り込む。上等の席はただ後方の半分を占領するばかりである。五つ六つの映画(フィルム)のうちわずかに一つが自然科学の応用物であった以外、他はすべて人情物であったには驚いた。しかし、同じ粋筋(いきすじ)でも、惚(ほ)れた腫(は)れたのお甘い物では、サンディアゴやケープタウンですでにさんざん見せつけられているから驚くことではないが、リオのやつは五つが五つ、魂胆(こんたん)あっての、とんだ粋筋(いきすじ)ばかりだから、誠に恐れ入る。かたく結ばれている許嫁(いいなづけ)の間を間者(かんじゃ)のように中傷(ちゅうしょう)したり計略をはかって仲を裂いたり、夫の不在で一人寝ているさびしき友人の細君を口説いてみたり、家貧しいけれど見目うるわしき人の娘を金剛石(ダイアモンド)の腕輪(アームバンド)でコッソリ失敬したりする。
「自然科学」のときには、わき目をしたり、仲間同士で挨拶をしあったりしてすこぶる不熱心であった輩(やから)が、急に真面目になって微動だにせず身も魂もうちこんで恐ろしく景色(けしき)ばんでいる。いかにも感心したという様子で互いに頷(うなづ)きあっている。どうも見渡すところ、先天的にかかる低級な趣味に接して感化されたのでなければ、代々続く女たらしの性格かと疑われる者ばかりである。
例のごとく映画(フィルム)の説明弁士はなく、画(え)の初めに記(しる)される筋書きはブラジル語であるから、とうていこういう場面の妙味などわかるまいとみたか、隣におったオッチョコチョイ面のリオっ子が(ぼくよりはるかに)怪しげな英語で、頼みもせぬのに、……彼は彼の友人、その人の妻を見て……などなど大いに通訳したがって、もったいなくもこの小生を周囲の仲間に対する自慢の道具に使おうとする。
こんな酔狂な男につかまって迷惑するのは、ぼくばかりだ。ついでに酒場(バー)へビール(セルベージャ)でも飲みにいこうと言って誘うやつを振り切って、逃げるようにそこを飛びだした。振り切って威勢よく、憤然と飛びだしてはみたものの、いや、待て、しばしと、静かに考えてみた。
秋(あき)老(お)いて正(まさ)に冬ごもりに移ろうとする小春日和のホカホカした陽気には、平素(ひごろ)謹厳(きんげん)にして貞淑(ていしゅく)なる梅花(ばいか)の精もそぞろに心乱れて三度の狂い咲きをするとのことである。
身木石(みもくせき)の梅でさえ、かく容易にそそのかされるのをもってみると、脳みそが薄く血の気の多いぼくのごときは、はなはだ危ないものである。本能欲とか生活欲、生殖欲――などと、むずかしそうに、ひたすらに「欲」の字にごまかしてしまえば、はなはだ深玄(しんげん)に聞こえるが、実は古来ありふれた助平根性の変名にすぎないもろもろの性能が、凝(こ)って柔らかい皮膚(かわ)の下の赤い血液(ち)となり、その青春の血液(ち)が、この天下御免の享楽境(きょうらくきょう)で勝手に沸き立ったり勝手に蒸発した結果、さしもの広い堂内でたちまち一面にもうもうと立ちこめたかと疑うほどに一杯に充満した毒気に刺激せられたためか、戸外(そと)へ出て毒酒に酔ったような頭脳(あたま)を冷たい空気に触れたときは、さながらに白いアイスクリームの一塊(いっかい)を焦(こ)げるような舌の上に静かに落としたともいうべき一種の快味を心頭に自覚した。
と同時に、自分と自分の推理や考証を信頼することの少ないぼくの頭脳(あたま)は、さては……と過去五分間ばかりの推断を疑い悔やむの念がさかんに起こってきた。こいつは少々あわてているわいという自覚が徐々に胸底に湧いてくる。
妄動有悔、妄言多過、何如静而勿動*(もうどうくいあり、もうげんかた、なんぞせい しこうしてうごくことなきにしかず)という句さえある。どこかに、ブラジルの活動写真通でもおったら騒ぎである。風雨にさらされながら苦労して四万海里の遠い国まで命がけで嘘をつきにやってきたと言われては、誠に日本国に相済まぬわけである。これはうかつにはできんわいと、静かに他の二、三軒をのぞいてみる。
* 分別を欠いた言動が多く、静かにしてじたばた動くなという趣旨。出典不詳。
ところが、ある館(うち)の映画(たね)は全部この種(しゅ)である、他の館(うち)のものといえども、その大部分を占めるものはこの種(しゅ)である。台所が家庭を批判する唯一の手がかりであるならば、活動写真の映画(たね)は市民道徳を暗示する唯一の象徴(シンボル)かもしれん。
いや、かもしれんどころではない、たしかにそうである。ここにおいてか、ぼくがはじめリオ市民の上に試みた推断はまったく誤りなきものであった。すなわち、リオ市民の間に広がっている風潮は現世的である。その趣味は低級にして、その嗜好(しこう)は物質的なれど、活動写真の映画(たね)そのものに対しては玄人筋である。眼は肥えている、である。しかれども、市民道徳は悲しいかな凋落(ちょうらく)的傾向を帯びている。
ところが疑問なのは、因果いずれの方面より互いに相首尾するを論ぜず、はたしてリオ市民の間に活動役者が演じるような時代思潮が実現されつつありや否やである。その質問に対して、ブラジル人には気の毒ながら、ぼくはここに肯定的の答辞をせねばならぬ。すなわち、おおありである。ただ、ありという証言だけでは承知できんとならば、ここに最有力にして権威ある一例がある。故外務大臣ド・リオ・ブランコ男爵といえば、その華々しい名声は、リオ市第一の大通りがその名にちなんで命名されたほど、古今のブラジル国第一の大政治家で、同時に有名なる徳望家であったのだが、その人の愛嬢にして他家に嫁い(とつ)だ女が情夫(じょうふ)をこしらえたあげく、邪魔になる夫を短銃(ピストル)で射殺(うちころ)した事件があって、リオ全市の耳目(じもく)をそばだたしめたのみならず、思想界に大狼狽(ろうばい)と大恐慌(きょうこう)とを惹起(じゃっき)したこと、すなわちこれである。
リオ・ブランコ通りの北側の中程にある絵はがき屋が英語を操(あやつ)るというので、だいぶ練習生を吸収したようであった。ところが不埒(ふらち)なのはそこの亭主で、だいぶ馴(な)れっ子になったある一日、ユーライク、インテレスチング・ピクチュアース(こんな絵はいかが)? とかなんとか言って、奥から例のいかがわしい絵はがきをかつぎだして大いにぼったくろうとして、多数の東洋道徳論者のために手ひどくやりこめられた。そのとき彼は苦しまぎれに一方の活路を開く口上として、『いえ、実は、リオ市ではこれがなくては絵はがき屋は立ちゆきませんので、へい、それはそれはリオ人のこの道を好くといったら』……と弁解したとかで、一時は評判であった。純粋なる第三者の立場からとはいえないが、この老爺(ろうや)の言葉こそ最も簡潔で力強く、最も深刻にリオの思潮を表示するものとみてよかろう。