現代語訳『海のロマンス』124:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第124回)

富くじ合衆国(ユナイテッド・ステート・オブ・ロッテリア)

馬鹿に狭くて馬鹿に雑踏するオビドールを通ると、まず第一に新旧大小さまざまの型(タイプ)の宝石店が目につく。そして、その間に点在し、ほしいままに一種の刺激的な芳香(アローマ)を放つカフェーに頻繁にせわしく出入りする不思議な階級の来客が、少なからず視線を引く。

その服装(みなり)や態度からいうと、リオ紳士の範囲(サークル)から遠く外れた姿である。珈琲店(カフェー)で一国の国政を料理する腕前を有する政治家のたぐいではむろんない。ポケットから何やらの紙片(かみ)を出して、通りかかった紳士に買え買えと迫っているところは、ちょっと新聞売りのようでもある。しかし、その売りぶりのいかにも気楽そうなところは、新聞売りよりものんきで裕福な生業とみえる。これがかの有名な富くじ(ロッテリア)の売り子で、ブラジル特有の浮浪者(バガボンド)や素足(すあし)に木靴(タマンコ)姿の洗濯女とあいまって、特徴あるリオの地方色(ローカルカラー)の、自堕落な一方面を担当しているものである。

この富くじ(ロッテリア)売りの活動期は夕方であるが、南半球の初秋の光が力なくコルコバード(別名ラクダの背中)の頂きにうすくかかり、街頭の白熱灯がようやく輝きはじめるころ、この背広(フロックコート)に鳥打ち帽(ハンチング)の売り子が人目をしのぶコウモリのごとく、町から町へ、大路から小路へと舞い歩く様子は、確かに特筆を要すべき一異彩である。

この富くじ(ロッテリア)は、リオにおける日々の生涯(せいかつ)の重大なる一象面(フェイス)で、富豪もこれに浮き身をやつせば、政治家もこれに目の色を変える。紳士はこれを買って煩悶(はんもん)し、淑女はこれを買って本来の射幸的欲求を満たす。新聞は日々の重要なる経済欄をこれに割(さ)き、信用ある銀行業者は争ってその発行の機関となる。

されば、その売り子が目抜きの大通りの宝石商や果物屋や珈琲店や理髪店と提携し特約して、この百余万の大都会のいたるところで得意顔に堂々と歩いているのも無理はない。これではブラジル合衆国(ユナイテッド・ステート・オブ・ブラジル)ではなくて、富くじ合衆国(ユナイテッド・ステート・オブ・ロッテリア)である。

これらの売り子は珈琲店や床屋を本陣に単独で客を探す行動をとる者と、前記諸業者と手を組んで協力しあう者とある。

その発売所や仲買所や成績発表所は市中いたるところにあって、券(ふだ)は十枚づつ一組となっている。故(ゆえ)に、一人で十枚を買ってまんまとくじを当てることもできれば、あるいは十人一組となって一枚ずつを買い、当たりくじのときは、その所得額を等分することもできる。

富くじ(ロッテリア)の最高額は五百コント(三十二万五千円)であって、これを買うには一枚百ミルレイス(六十五円)を要する。これはその発行が不定期に属するもので、何かの記念日とか祭日のときに限って市中の人気を沸き立たせるのを例とする。かつて三人組の浮浪者(バガボンド)がいかなる運命のまわりあわせか、幸運にも、この微小なる可能性(プロバビリティ)となる三十万円の大賭博の成功者となって、すぐさま平素(ひごろ)夢うつつの境に憧憬(しょうけい)しておった欧州遊学の途(と)についたことがあった。

当時、首都はいたるところ、この噂で埋まって、はては「幸運三人男」という外題(げだい)の下(もと)に、その一部始終を堂々と活動写真に映写されて満都(まんと)の紳士淑女を羨望(せんぼう)させたとのことである。

その他、定期で毎月とか毎週、毎日とかに発行される百コントス*(六万五千円)、五十コントス(三万二千五百円)、一コントス(六百五十円)、五百ミル(三百二十五円)等の小口の者は、ほとんど数えるに暇(ひま)なく、ぼくらのごとき外来の客にさえ押し売りを企てた売値一枚二ミル(一円三十銭)の類にいたっては、日々二回ずつ定期にその成績を発表するほどの勢いである。

* コントス 原文ではコント。当時のブラジルの通貨はレアル(複数形はレイス)だが、コントス・デ・レイス(略してコントス)と呼ばれる単位もあったとされるが、詳細は不詳。

なにしろ一個六銭(せん)五厘(りん)の値を有する必需品たるマッチ箱にさえ二割(一銭三厘)の消費税を課するをもって有名なるブラジル政府である。課税主義をもって国家唯一の財政方針となすブラジル政府である。されば、この種の投機的企業に向かって十五割ないし二十割の重税を課して、一国の歳入の大部分をこれに仰(あお)がんがために、政府自らこれらの莫大なる寺銭の元締めとなっているのは無理もないが、このために遊惰(ゆうだ)なる国民性をいやが上に遊惰(ゆうだ)に、放逸(ほういつ)なる世俗をさらに放逸(ほういつ)にさせる傾向を、夫子(ふうし)自ら醸成(じょうせい)しつつあることも知らぬ気であるとは驚くの外はない。

それに比べればさほどではない馬券発行問題が上下貴賤(きせん)をあげて一国の物議(ぶつぎ)の中心となった日本のことを話してやったら、ただでさえ丸く大きな眼を、さらに丸く大きくして野暮な日本政府さんだこと――と笑うであろう。ところが、この富くじに限らず、たとえ貧弱ながらも、ブラジルの自国で産出する製造工業品に対しても、ブラジル政府は平然と重税を課して、これまで一度も厳しい徴税の手を緩めたことがない。自ら好んで国民の疲弊困憊(ひへいこんぱい)を楽しむような姿である。

その他、リオにおけるフロントン*や南京玉突き**のごとき賭博的設備はいたれりつくせりで、全市いたるところにその公開せる賭場(とば)を見るが、最も激しいのは革命公園(プラサ・レ・パブリカ)の周囲で、灯火絢爛(けんらん)として昼をあざむくあたり、いたるところ、この種の店舗(みせ)をもって満たされている。付近の酒場(バー)や喫茶店(カフェー)は、勝って得意がる者、敗(やぶ)れてわめく者、前祝いに景気をつける者など、常に生存競争のものすごき場面(シーン)を示している。もって自堕落(じだらく)にして虚栄心の強い国民性の一面と、贅沢(ぜいたく)にして享楽的なる市民の好みのはやりすたりと、浮浪者(バガボンド)と怠け者との多き世俗のありさまから判断することができる。

* フロントン ラケットを用いてボールを壁に打ちつけるスカッシュに似た球技で、フロンテニス(別名ハイアライ)とも呼ばれる。賭け事にも使用された。
** 南京玉突き ビリヤードには中国起源説もあるが詳細不詳。麻雀(マージャン)と同じように賭けの対象となることも多かったとされる。

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