米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著
夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第89回)
キッス・ミー・クワイエット
一、 二月(ふたつき)あまりも島人(しまびと)は、ぼくらの船を待ったとさ。
道理でバナナの味がよい。
夕風涼しい町並みを、いざそろそろと帰ろうか?
二、 待ちたまえ、君、あの婆さんが、ぼくらに花をくれるとさ。
色もめでたきこの島の、花に霊(れい)あり夢に入(い)り、
島物語(しまものがたり)をするそうな。
三、 もらった花はこのように、胸に抱(いだ)いているけれど、
ついぞぼくら見たことも、名さえ聞いたこともない。
そこらでちょっと尋(たず)ねよう。
四、 青いエルムの涼しい木かげ。
はずかしそうに目をパチつかせ、かわいい娘が立っている。
手にせる絵はがき買ってやろ、ついでに花も聞いてやろ。
五、 なんと言っても言わないよ。
さても内気な、君、娘じゃないか。
さらば乙女よ、この絵はがきへ、ちょっくらちょっと書いておくれ。
六、 何と?! Kiss me quiet!!
とてもやさしい花、やさしい娘。
顔赤らめて微笑(ほほえ)める、娘が彼方(あっち)へ逃げていく。
セントヘレナまで
一、 海の男は吾(われ)を好む。
ゆるぎなき風力(ちから)と、真面目なる性質(さが)とを。
白雲は高く輝き、蒼海(あおうみ)は深く澄みたり。
帆をかすむる貿易風(トレード)の雲、船首(みよし)を洗う熱帯の海。
二、 力強くわれ息吹(いぶき)するとき、
デッキよりトラックに、ジブよりスパンカーに
大帆(たいはん)はペガサスのごとく踊り、
波分けて船は矢のごとく。
三、 海を越えて吾渡るとき、若き舟子(ふなこ)の耳に歌えば、
喜悦(よろこび)は彼の胸に、勝ちどきは彼の唇に、
絶え間なく吹く風で索具とすれる帆に、
口笛を残して吾は過ぎゆく。
四、 夜と言わず、昼とも言わず、吾は過ぎゆく。
猟犬のごとバークを追いて、
銀(しろがね)の涙そぼ降る月の夜に、
変化(へんげ、フェアリー)のごとく吾はひらめく。
五、 広さも広し、わが渡る海路(うみ)、
吹きくたびれて吾やまんかな、
無風(カーム)のささやき、やがて来たらん、
さらばわが船、また邂逅(あ)わん。
-古船調(シャンティ)
ケープタウンからセントヘレナに到る千七百海里(マイル)の航海は、南東の貿易風帯を利用して、帆は張りっぱなし、ブレース(帆桁につけたロープ)は引きっぱなしで、寝ながらにして楽々と走りすぎてしまう予定が立てられる航路だ。はたして、船は二十七日の午後から心丈夫な涼しい快活な貿易風を右舷後部(クォーター)に受けて、すこぶる好(い)いご機嫌となって走っている。
鉄もとろけるという赤道直下の海は、あわれにも春夏秋冬を通じて一日も、熾烈(しれつ)なる太陽の直射から逃れることができない。この沸き立つ油のごとき赤道の海面から、霧のごとく、幻のごとく立ち上る水蒸気は空をおおいつくさずばやまぬ勢いである。このように加熱(かねつ)膨張(ぼうちょう)し立ち昇っていった後の下層の大気の空虚(うつろ)をうめようとして、南極付近の冷たい重い大気が横着な黒い翼をはばたきして、まっしぐらに赤道さして一直線に押し寄せる。ところが一方、地球は西から東へと一時間八百海里(マイル)の急速力で回転しているため、いきおいこれら北国の黒鷲(くろわし)どもも、はて面妖(めんよう)なという風に、正南(せいなん)または正北(せいほく)の原針路から西方へと偏する。かくて北半球では北東、南半球では南東の二つの貿易風帯が生ずるのである。
強くもなく弱くもなく、一定不変の速力(ちから)を有する風が吹き出て、ライトブルーの海は梨の花のごとき可憐(かれん)な波頭をかぶり、濃い浅黄色(あさぎいろ)の空に、かの絹層雲(Cs)が飛翔するようになったらもうしめたものである。泊(とまり)に急ぐ船人(ふなびと)は品良く膨(ふく)らんだ帆の湾曲率(カーバチュア)を見て、風の寿命(いのち)の永からんことを希(こいねが)う。古い船人(ふなびと)は、こういう航海を子供でもできる航海と小馬鹿にするであろう。しかし、ぼくらには心ゆくばかりののどかさと気楽さとを感じさせてくれる。
一定の安定した性質を持つ貿易風は、ことにぼくの好むものである。この頃の世の中にはつくづく愛想(あいそ)がつきるものばかりだ。なまこのように節操のない男、米の粉を練って作ったしんこ細工(ざいく)のように実質(み)のない男、自分をよく見せようと余念なき虚栄の女、男を見下そうと懸命になっているすさまじい女。いやはや、しらばっくれた男やふざけた女がうんざりするほどいる。軽佻浮薄(けいちょうふはく)は彼らの金科(きんか)であって、強い者への追従(ついしょう)は彼らの玉条である。
こう見てくると、陸上に住んでいるのが一つの苦痛である。こんな輩(やから)を十把(ぱ)一からげにマストのてっぺんに吊し上げて、この一定不変にして、かつてムラ気とか移り気とかいうものは微塵(みじん)もない貿易風に思うさま吹かせてやりたい。
連日連吹(れんすい)していた貿易風もようやくくたびれてきたのか、雨雲(ニンバス)のはびこる水平線の彼方に消え去って、あぶらを流したようなカームがついに来た。
セントヘレナ島の長大な大波(ローラー)は世に有名なものである。ナポレオン帝で名を売ったセントヘレナは、またこの恐ろしいローラーで評判である。その影響か、今宵(こよい)の海は普通一遍のありふれたカームではない。ただごとならぬ空恐(そらおそ)ろしい静けさである。月のまだ出ぬ灰色の薄暮(イブニング)の海面(うみづら)を、美しくしとやかなヴィーナスの影がスラスラとこなたに急ぐ様子は、数知れぬ幾千万の小さな銀の蛇の群れを見るようである。
これほどまでに鮮やかに星の姿を映している静かな海は、今宵(こよい)がはじめてである。風上舵手(ウェザーヘルム)の重要な職務中、瞳(ひとみ)は羅針盤(コンパス)の上に、両手は舵輪(ホイール)にあるのだが、海と大気と船の静寂(しずけさ)は、舵取りの心に限りなきゆとりを与える。
宵(よい)の明星(ヴィーナス)は美人薄命の連想(おもい)を旅人の胸に残しつつ黒い水平線のかなたに沈み去り、やがて十六夜(いざよい)の月が涼しき波を浴びて、そのあでやかな姿を現す。
たった今、風が死んで静まりかえっていた大気は、二度(ふたたび)活気を呈して、だらしなく垂れ下がっていた帆には、袈裟(けさ)のように風の跡が見えた。右舷から左舷に風が変わったのである。
ブレイル、イン。スパンカー!!*
* ブレイル: 帆を絞る綱。
スパンカー: 後側のマストの縦帆。
久しぶりに士官の口から号令が出た。実(げ)にさやけき月光しずくして、涼しい静けさの流るるがごとき良夜(りょうや)である。
ブレイル、イン、スパンカーと復唱する風下当番の反響(エコー)が後甲板のぼくの耳に聞こえてくるのも速い。
ツバメのごとくひらりと一つの影が黒く丸く、明るいデッキの上に飛び出す。続いて二つ三つと数える間にさっきの奴は、月の光を厭(いと)うリスのごとく、さっとデッキを区切っている帆の黒い陰に隠れてしまう。
足もとどろにバラバラと当直二十余人の足音が耳元近く聞こえたのは、消えるがごとく闇に座っていた、たくましい面魂(つらだましい)の面々が、再び明るい月の下に躍進しつつある時であった。
帆は何の会釈もなくスラスラと予定のごとく絞られた。