米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著
夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第71)
予定航路の変更
二度あることは三度あるという。
老人(としより)の言うことは尊重しなければならぬ。
すでにマンザロがサンディエゴに変更され、この航海の権威(オーソリティ―)であり、中核となる英国行きがなくなったところにきて、さらにシンガポール寄港が西オーストラリアの片田舎のフリーマントルに変更されたからといって、いまさら驚くにもあたらない。
このせちがらい二十世紀の世の中で、かんしゃくを起こしたり悲憤慷慨(ひふんこうがい)するのはいたずらに精力を消費するのみで、割の悪い仕事じゃ、それがそれ青年(わかもの)の無分別な血気というものじゃと、白いひげを握ってどこやらの好々爺(おじいさん)がおっしゃったげな。
皮肉でなく、アイロニーでなく、ぼくは──一体そんな大それた謀反(むほん)心を有する器用な人柄ではないが──真心から練習船がロンドンの方へ行かなかったのは、ロンドンの人にとっても在英邦人にとっても、さらに練習船自身にとっても幸福であったとひそかに祝っている
──などと言ったら、けしからんといきまく人もあるだろうが、まあ考えてもみたまえ。
来る日本人も来る日本人も田吾作(たごさく)や杢兵衛(もくべえ)の赤毛布(あかゲット)式*1でなければ、ピカデリー通いの道楽息子の寄り合いだと、あまり評判がよくない。その上、その英国の首都の大通りを、背の低い色の黒い人種が二百人も列を作って詰襟(つめえり)に学生帽で練り歩いたんでは、自他ともにたしかに冷や汗ものに違いなかろう。
*1: 赤毛布(アカゲット)は、明治時代に地方から上京した人々で外套(コート)代わりに赤い毛布をはおっている人がいたことから、あか抜けない田舎者(いなかもの)の象徴とされた。
イギリス紳士の鼻メガネの深いしわが一層深くなるだろう。船に乗っているのもまた、世界の大都(たいと)で見世物(みせもの)にされる憂(う)き目を逃(のが)れることができるというものだ。その変更は、しごく穏当で、穏便な処置といわねばならぬ。
フリーマントルに変更された件は、費用(かね)に乏しい帆船が高価(たか)い石炭をたくさん炊(た)いて、多くの小島や水道の間を縫走(ほうそう)し、シンガポールに寄港することはとうていできないという。これまた無理ならぬ理由(わけ)からきているので、変更または変更で、まるっきり不定期航路船(トランプ・スチーマー)のようだね、などと笑う者があったら、やせがまんの強いぼくは、「仰(おお)せの通り、しかし世の中の出来事の妙味はこういう場合にこそあるので、こういう事態をとことん楽しんでくれたまえ」と言ってやるまでである。
ただ面白いのは、サンディエゴを出帆(で)て四カ月、百十七日の長い航海中に、百二十五ののんき坊主が青い海と白い空との世界に、娑婆(しゃば)を外のすこぶる中和した平静(モノトニアス)な生活を送っている間に、ぼくらとまったく違った空気を呼吸している他の世界の一角では、いろいろの大変なことが持ち上がっていたことである。
日本で内閣がさかんに瓦解(がかい)すれば、米国ではウィルソンが当選したというし、ブルガリアがトルコをたたきつけたと思えば、スコット大佐が南極で死んでいたりする。
こういうときであるから「二十世紀のリップ・バン・ウィンクル、ケープタウンに上陸す」などは、実に面白い。そうして広いようでたちまち差し支(つか)えるのはいわゆる世間(せけん)なるもので、さかんに不人情をふりまわして喜んでいたのんき者に、内閣更迭(こうてつ)──予算低減(ていげん)──ロンドン行き中止などと、率直にして明確な因果の戒律(かいりつ)を実現させた手際(てぎわ)などはすこぶるあざやかなもので、いかにうぬぼれの強い男でも、なるほど俺は馬鹿だわいと悟(さと)られずにはおられないだろう。