現代語訳『海のロマンス』68:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第68回)
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高きは例のテーブルマウンテンから、低きは例のユニオン・キャッスルの定期船に至るまで、港内の形象は皆灰青色(はいせいしょく)に黒ずんでいるが、その中に、目も覚めるような雪白色の船体を誇示した練習船が、クリーム色のヤードを品よく上に高くそろえた頂きに血液のごとく赤き羅針章旗(コンパスマーク)をなびかせて入港する。

港内全部の視線がすべてこちらに向かうようで、少しきはずかしい気持ちで東桟橋へ向かう途中、船の近くに寄ってきた小蒸気船が、しきりと一葉の新聞紙を振って、ロープを下ろせ、縛(しば)ってやるからと怒鳴っているようだ。例の英語教官が、あの小蒸気の男は先年に練習船がここに寄港したとき、保税倉庫(ボンド)のタバコを安く売った商人だと教えてくれる。

その商人がくれたケープ・タイムズという新聞には何か重大な記事があるとみえて、その周囲は黒山のような人だかりである。士官や局長(無線電信)が平素(ひごろ)の威厳(いげん)と緊張(きんちょう)を忘れたかのように同じ集団にまじっているのを見ると、なかなかの異変が日本であったらしい。

やがて一人の男がミズン・マストの右舷リギンの下へ飛んでいったかと思うと、今やケープタウンから得たもろもろの印象を総合し、批判し、帰納し、統一しようと試みている一人の肩をたたいて

「おいおい、桂さんが焼き討ちをくらってね*1……おい、ちょっと、まあ聞けよ……大変だよ……、日本ではね、内閣が更迭(こうてつ)されたようだぜ……」

*1: 1913年の第三次桂太郎内閣の総辞職を指す。
藩閥政治と護憲運動のせめぎあいの結果として生じたもので、大正の政変とも呼ばれるが、これ以降、政党政治と大正デモクラシーの流れが強くなっていく。

「そうかね……おやおや……内閣が……とうとうやったかね、しかし……おい、君、ちょっと見たまえ、ここから見ると町のアウトラインはサンディエゴとあまり変わらんね……それにライオンズ・ヘッドなんて威張っているが、あれが獅子(ライオン)の頭に見えるかね……そうして……」

「ハッハ……こいつは面白い」

日本国民が海国民(かいこくみん)としての自覚をもって、従来いたづらに言葉の上だけで使われていた「海事思想の普及」なるものを具体化し、海外に広がり発展する第一歩としては、すべからく海運の直接の当事者たる船乗りを優待すべきである。海洋(うみ)と船舶(ふね)とを、女優を研究するように、飛行機を研究するように、新しき女を研究するように、そのように研究する必要がある。勇敢にして感情豊かで、犠牲的職業に従事している船乗りを持つには、外交官や商務官や詩人といったレベルの人材を確保する必要がある。一般国民の思想や教育や趣味などがこうしたレベルに到達しないうちは、未来永劫(えいごう)どんな珍事(ちんじ)異聞(いぶん)が日本に突発しようが、耳を貸すつもりはない、といった風なやりとりの会話がこの船上でなされている。

こいつは面白い、物になりそうだ。人と人とが会話するとき、これぐらいの異なった思いを胸に、このくらい違ったことを別々に考えているようでなくては、会話は面白くない。でなければ、平凡に流れる。月並みに落ちる。

「……ところが、そのライオンの頭でなくてね……例の砲弾の頭のようなビリケンさん*2が総理大臣になるとか……山本の権兵衛*3さんが種をまかなくなって、カラスが困って、薩摩の芋づるが得意だとか……大変な騒ぎだよ……日本は……」

*2: ビリケンさん-寺内正毅(てらうちまさたけ)(1852年~1919年)。当時流行していたアメリカ由来のビリケンさんに似ていることからビリケン宰相と呼ばれた。長州藩士、陸軍大臣、朝鮮総督を経て1916年に総理に就任。
*3: 山本権兵衛(1852年~1933年)。薩摩藩士、海軍大将を経て1913年に桂内閣の後を受けて総理に就任。

「日本も騒ぎだろうが、こっちも騒ぎだぜ……見ろよ……話にはかねて聞いていたが、なるほどテーブル・マウンテンはいかにもテーブルだ。あんな平べったい山もないもんだ……山としてこんなひょうきんな、ふまじめな、世を茶化し、人を愚弄する山もないようだ。しかし、なんだか恐ろしく薄気味の悪い底力のあるような山だ………ハハハ、どうした……日本の噂はもうやめたのか……」

「ウン、やめた……君の言い方を借りて言えばだね……一万海里も離れた南アフリカの南端におっては、日本がつぶれるような大騒ぎがあっても、利害交渉しないこと火星の川で身投げの女があるくらいのものかね……しかし、こうなると……アジアの盟主とか極東の新興国とかいう国の大事件もあんがい小さなものだね……」

会話はまだまだ牛のよだれか、馬の小便のごとくに続いたらしい。ただ、ぼくはそれを聞かなかった。しかし、その代わりに、ケープタウンに寄港したことでイギリス人気質(かたぎ)の一面がわかったような気もした。

もともとイギリス人は趣味好尚(しゅみこうしょう)という点からも、また流行を追うとか、新奇を好むとか、科学を応用するとかいう観点から見ても、その性格は確かに保守的であると聞いている。しかもその流行にせよ新奇物にせよ、応用の機械類にせよ、いったん実効あると認めたときは、それを実地に取り入れるのは実に速いとのことである。

しかるに、その例外ともいうべき例を、ぼくはこのケープタウンで見つけのだ。それは、この港にはガソリンボートやモーターボートがほとんどないということである。この点では、まったくサンディエゴとは反対である。

モーターボートが簡便(かんべん)で便利であるのはすでに世に定評がある。すでにロンドンやリバプールでは黒い汚い石炭煙を吐く小蒸気船は姿を消したことだろう。そこで、ぼくは次のように推測した。英本国では、日本とは反対に、比較的に頭の古い頑固な大保守主義者は皆海外に追い出されて、新進気鋭な者ばかりが本国(うち)に残っているのだろう、と。

このように、船内を一巡する間に高尚(こうしょう)遠大(えんだい)なる真理を発見して、元の場所へ戻ると、さっき仲良く妥協した二人が、明日の上陸にまごつかないように、あそこがドッグロードで、こちらが埠頭(はとば)の停車場、向こうがケープタウンの大通りのアデレイ街(ストリート)だなどと指さしながら話しあっていた。

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