米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著
夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第66回)
六、ケープタウンへの寄港が決定
練習船は二月五日にグリニッジの子午線*1を突っ切ってしまった。セントヘレナ*2は西経六度である。北方の風が連日連夜吹きつのるので、セントヘレナへ向けて変針することができないという。そういう噂が少しもれ聞こえてくる。しかし、こう途中でてまどっては行く先が案じられる。誰いうともなく、本船はひとまずケープタウンへ寄港するとの噂がたつ。さては、いよいよ怪しい。
*1: グリニッジはイギリス・ロンドン郊外の地名で、子午線は経線のこと。
経度0度は、グリニッジ天文台が設置されていたロンドン郊外のグリニッジを通ることから。
グリニッジ標準時(GMT)と協定世界時(UTC)は、タイムゾーンか否かなど定義は異なるものの、実質的に同じものを指すと考えてよい。
*2: セントヘレナは南大西洋に浮かぶ英領の孤島。ナポレオンが幽閉されたことでも知られる。
大きさは、伊豆大島より大きく、瀬戸内海の小豆島(しょうどしま)よりは小さい。
下の地図の赤色フラッグがセントヘレナ島のある位置
二月六日。一同を海図室の前に集めた一等航海士は「セントヘレナへ行く途中、本船はケープタウンに寄ることに決めた。理由は石炭と水と糧食の積みこみと、船員の休養である」と訓示された。
どうも不思議だと、この先の航路を心配するものの、南アフリカ随一の都市ケープタウンへ寄れるじゃないかと喜ぶ者もいて、十六の部屋はその噂ばかりだ。
七、皆、肥(こ)えた
もしも一隻の船の衛生状態の良不良が乗組員の平均体重の増減で示されるのであれば、アメリカ西岸のサンディエゴからアフリカ南端のケープタウンまでの百十七日、一万三千海里に及ぶ、練習船にとっては空前にして無比の長航海において、炎熱(えんねつ)焼くがごとき赤道を横切り、極寒(ごっかん)の極地に近いケープホーンを回航したという事実に照らしてみれば、稀有(けう)の好成績といわねばなるまい。
二月十日、ケープホーン入港前に計量した学生および水夫、機関担当、厨房担当それぞれのメンバーの体重は、次の表に示すとおりである。(単位: kg)
区分 | 人数 | 最重量者 | 最軽量者 | 平均 | サンディエゴとの比較 |
---|---|---|---|---|---|
二期学生 | 92 | 73.2 | 47.2 | 57.8 | + 0.8 |
一期学生 | 32 | 70.1 | 53.2 | 59.0 | + 2.1 |
水夫 | 21 | 65.7 | 47.5 | 55.0 | + 1.0 |
機関担当 | 13 | 59.2 | 43.6 | 50.8 | + 0.1 |
厨房担当 | 9 | 58.6 | 48.5 | 52.5 | + 1.1 |
合計 | 167 | 73.2 | 47.3 | 56.9 | + 1.0 |
*3: 原文の単位は日本の尺貫法(しゃっかんほう)の匁(もんめ = 3.75g)で示されているが、ここでは キログラムに換算した値を掲載している。
シチューとか缶詰とか乾燥野菜などに舌鼓(したづつみ)をうって、大牢(たいろう)の美食だなどと悦に入ったおぼえは毛頭ないが、こう冷酷な数字でブタのように平均して一人一キロも体重が増えた事実として証明されては、ちょっと変な気持ちになる。
船内の衛生状態からみてすこぶる成功した航海の象徴(シンボル)かもしれないが、各個人の生活程度から論じると、すこぶる安価にして世話のいらない生き方であるとの評は免れまい。
一期学生の二・一キロはものすごい増え方である。なかには一人で二貫目(七・五キロ)も引き受けた剛の者もある。その原因に至っては、どうもあいまいであるが、一期学生自身の説明するところによれば、彼らの勤勉がこの盛況を招来したのであって、決して彼らの体質が安価であるのに基づくのではないとのことである。
厨房(ちゅうぼう)担当の意見はまだ聴取していないが、一・一キロという二番目の増え方も決して「つまみ食い」や「ちょっと失敬」などには起因しないと威張るかもしれない。
キャッスル・オブ・グッドホープ(旧植民地総督の城)
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