ジョン・マクレガー著
現代のカヤックの原型となった(帆走も可能な)ロブ・ロイ・カヌーの提唱者で、自身も実際にヨーロッパや中東の河川を航海し伝説の人となったジョン・マクレガーの航海記の本邦初訳(連載の第87回)
宝島の作者スティーヴンソンやナポレオン三世に影響を与えただけでなく、欧米においてカヌー/カヤックによる旅の可能性を広く知らしめることになったジョン・マクレガーのカヌーによる欧州大陸の川旅もいよいよ大詰めです。
今回から最終章となります。
フランスの大平原の川や運河を漕ぎつないでセーヌ川へ、そしてパリへ、さらに故国イギリスへ──、
第十五章
月が出た。非常にはっきり見える。とはいえウサギならぬ「月の男」は見えない。月光に照らされて結婚披露宴を行っている人々がいる。若い連中は庭に移動し、爆竹やクラッカーを鳴らしたりしてさわいでいる。ぼくが部屋の窓から信号灯で近くを照らしてやると喝采が起きた! その翌日、披露宴の出席者全員が朝食を食べるために集まっていて、上機嫌の花嫁の父の大盤振る舞いでマディラ・ワインやシャンパンをあびるように飲んでいた。ドイツ人たちはまだモーには来ていなかった。
こうした村では、日中の喧噪(けんそう)は鍛冶屋のふるうハンマーの音を最後に、夕方の静寂へと切り替わる。この鍛冶屋のトンカン、トンカンという音は、イギリスにいるときよりも外国にいるときの方が耳にする機会が多い。これはおそらく、フランスではたいていの町に小さな鍛冶屋があるためだ。イギリスでは、鍛冶屋というより機械化された大きな鉄工所による製造が進んでいる。いずれにしても、ヨーロッパ大陸をずっと旅してきて、そっと観察し、出くわすものを自分の目で見て、耳で聞いて、鼻で嗅(か)いできたわけなので、ぼくの記憶には青い服や白い石、鐘の音、せわしない鍛冶屋のトンカンという音などが満ちている。
このモーの町には橋があった。橋の上に家がある。昔のロンドン橋と同じで、アーチ状の橋の上まで水車で水がくみ上げられている。川岸は庭園になっていて、夜はカフェの灯りが輝いている。豪華というほどではないが、こうしたものはフランスの男たちの生活には必要なものだ。植民地にはこうした施設がないので、フランスからの入植者の男の素行はどうしても悪くなるが、その理由の一端はこういうところにもある。彼らにとって「家」は「自分のいるところ」だし、「女」も「妻」も同じ言葉で表される。
モーの大聖堂は壮大で歴史があり、ここで行われる儀式の仮装は見ものだ! 教会のなかで三角帽をかぶり、剣と槍を持った不気味な「フランス系スイス人」。二十人の司祭と十二人の赤い冥衣(サープリス)をまとった少年たち。彼らと同じような数の聴衆に向かって何やら唱えている。一人の修道士が左官が使うようなよごれた刷毛(はけ)で四方八方に向けて聖水を降りかけ、少年二人が巨大な丸いパンを肩にかついで運んでくる。これは「聖体拝領用のパン」で、五十回ほどもおじぎをした後で、ありがたいことに、小さく切り分けられ、信徒に一口分が分け与えられた。こうした、いつ終わるともしれない儀式はカトリックに特有の慣例で、これにはたくさんのハエもたかるし、具体的な行為や見世物や目に見えるものにしか興味を持たない人々を集める仕組みとしてはよく考えられている。
むろん、そういう形にも、神に対する崇拝の念がなければならない。実際、人は態度に示さずに、あるいは行為の結果や変化なしに、神を崇拝できるものだろうか。聖書には、翼を持ち体をベールでおおい隠している神の栄光をたたえるセラフと呼ばれる天使や、地面にひれ伏す長老たち、天国で長談義する聖人たちが描かれている。死すべき存在としての人間もまた、なんらかの崇拝する形を持っていなければなるまいが、それは「程度」の問題であり、この点について、これまで賢者や愚者によりどれほど多くの本が際限もなく書かれてきたことだろう。
マルヌ川の川辺は、日曜に静かに散策するにはよい場所だ。三百頭ほどの羊が水を飲みにきている。水面にさしかけている花をかじったりもしている。羊飼いはぼんやりとそれを眺めているが、犬たちは羊を統率するためせわしなく前後に駆けまわっている。なかには勝手な行動をする羊がいて、そうしたことをしたって意味がないんだぞと、逃走を阻止したり罰したりするために犬が必要なのだろう。羊飼いは、イギリスはアフリカの近くにあるのか、イギリスの羊肉の足の大きさはどれくらいなのか、さらにはイギリスに牧羊犬はいるのか、海に浮かんでいる島国のイギリスにも川があるのかなどと、ぼくに聞いてきたりした。一方、ホテルでは、朝食のときの披露宴の続きは午後四時になってもまだ続いていた。調子っぱずれの歌も歌われている。国民としてみたフランス人は音程も和声もたいしたことはないが、テンポは正確だ。
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