ジョン・マクレガー著
現代のカヤックの原型となった(帆走も可能な)ロブ・ロイ・カヌーの提唱者で、自身も実際にヨーロッパや中東の河川を航海し伝説の人となったジョン・マクレガーの航海記の本邦初訳(連載の第49回)
で、そういう障害物がある場合には必ずカヌーから降りて、歩きながらカヌーを引きずって野原を迂回(うかい)するか、次のスケッチに描いたように、岩場を乗りこえ、カヌーをその先に下ろさなければならない。たいてい、こんな感じだ。
こういった作業では姿勢を変えることになるので、漕ぐのとは別の筋肉を働かせることになる。これ自体は悪いことではない。だが、カヌーの全重量を手足で支えたりするわけなので、足元がすべりやすいところでは、とくに慎重を期する必要がある。というわけで、こういう障害物を乗りこえるのは、どうも面倒だといわざるをえない。しかし、このとき、そういう小さな面倒を忘れるくらいの事態がすぐそこまで迫っていた。
川の両岸の土手がいきなり姿を変えた。どちらも急峻(きゅうしゅん)な崖になったのだ。しかも小石や岩が層状に積み重なった切り立った壁になっていて、その間を進んでいくにつれて、崖の高さがどんどん増していく。
いまや川全体が絶壁の間を流れていた。岸付近の流れはそれほど速くはないが、岩や石や砂利とのあつれきで無数の渦ができている。本流の中央付近の流れには危険なくだけ波もあるのだが、両岸近くのこういう渦を巻いた乱れた流れを回避するには、やはりずっと川の中央をキープして下っていくのが最善の策だ。どうも、ここはやはり「川下りにはきびしい場所だな」と思い始めていた。というのは、ずっと上流にいたときに、水量が多い時には露出した岩もずっと少なくなるが、今の時期、「この先はそんなちっぽけなボートでは危険だ」と、忠告してくれた人がいたのだ。「その近くまで行ったらカヌーを岸にあげて、土手を引っ張っていきますよ」というのが、そのときのぼくの返事だった。「そうかい。でも、土手の高さは百フィート(約三十メートル)もあるんだぜ」と、その人は言った。それで、ぼくとしては、かなり手前で余裕をもって川下りを中断して岸に上がり、その先の川の流れを偵察しようと決めていたのだが、それをまったく忘れてしまっていた。
その計画そのものは、理屈の上では、何の問題もなかった。が、この急流に至るまでの道中での変化が穏やかだったために、気持ちの上では、次々に出現する目の前の小さな障害を乗りこえることに没頭していて、ここらで一息いれようとか、作戦全体を練り直すというような機会がなかった。前方では、川が折れ曲がっていた。カヌーが近づいていくにつれて、腹に響くほどの轟音が聞こえてくる。川はSの字の形に曲がりくねって流れている。実際に、ほぼ完全な8の字を描いて流れていた。そうやって曲がりながら、川の流れは平べったい岩床の、傾斜のついた岩棚を流れ落ちていく。崖はどちらの側も高さ百フィートはあった。流れを斜めに横切るように岩床が広がっていて、その上を川の水が流れ落ちていくのだが、水深は数インチしかない。
ぼくはカヌーに乗ったまま流れに押されて一気にそこを通過した。カヌーの底や舷側が石にぶつかり、やわらかな苔(こけ)の上を滑りながら落ちていく。この苔のために岩は非常に滑りやすくなっていて、しかも黒く見えるのだ。そうやって流れ落ちていきながら、ぼくは必死でパドルを押したり引いたりしたのだが何の効果もなかった。そのままぶざまに流されていく。そうして、ついに頂点が白く泡だっている大きな波が視界にはいった。川音もとんでもない轟音だ。ぼくは非常に興奮するとともに大混乱にも陥った。
水音が大きいために、そして、たった一人で波にもまれて悪戦苦闘しているちっぽけな自分の無力さを感じているために、それだけ眼前の光景が実際よりも悪く感じられるのだと、一方では冷静な分析もしていた。とはいえ、こんなところで対応を間違えたら、カヌーは一発でひっくり返ってしまうだろう。転覆や沈をしてしまったら、その脇を泳ぎながらカヌーを支えることなんてことはとてもできない。といって、ここまで来たら、もうカヌーを止めるのも無理だ。
大きな流れが一点に集束しているときに必ず生じる、大きく盛り上がった波が、正面に、それも川のど真ん中に見えている。その先が狭くなって、流れるというより落ちているのだろう。結果から言うと、この滝の高さというか落差は約四フィートあった。手前の波の盛り上がり自体は、両脇の水面と比べて二フィートほどだ。つまり、その先の落下地点から波の頂点までの高さは合計六フィートというわけだ。この高さ自体はたいしたことないように思えるかもしれない。だが、実はこれは急激な変化なのだ。川の水はすごい勢いで流れている。それなのに、カヌーは一点に静止した状態で、そのままストンと落下することになる。この波をどうにかやりすごしたものの、その後も、それより小さくはあるが、似たような場面が次から次へと出現した。
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