ヨーロッパをカヌーで旅する 29:マクレガーの伝説の航海記

ジョン・マクレガー著

現代のカヤックの原型となった(帆走も可能な)ロブ・ロイ・カヌーの提唱者で、自身も実際にヨーロッパや中東の河川を航海し伝説の人となったジョン・マクレガーの航海記の本邦初訳(連載の第29回)


今日、新しい楽しみを発見した──飲み干したワインのボトルを川に放り投げ、プカプカ浮かんだり流されてぐるぐる回ったりする様子を、それと並走しながら観察し、川の自然な流れと自分が頭で考えて選択したカヌーのコースとを比較するのだ。やがてボトルが生き物のように感じられてきて、カヌーとボトルで競争したりもした。ボトルが川底の石に当たるたびに、人にみたてたコルク栓が水中に沈んだりするので同情心もわいてくる。カヌーに比べると浸水が激しいようで、川底にぶつかるたびに、ガラス特有のキンキンする甲高い音が聞こえてきて、やがて沈んだ。

川の近くには低木が生い茂っていた。それがもう数マイルも続いている。枝ごしに陸地が見通せる場所が一箇所あって、二十人ほどが干し草作りをしていた。男も女もいたが、川から離れたところで真面目に仕事をしているので、ぼくが接近しても誰も気がつかなかった。

ここでちょっといたずらをしてみようと思った。で、作業をしている人々が見える状態を維持しながら、カヌーを土手に近づけた。そうしておいて、いきなり大声を張り上げたのだ。

統治せよ、ブリタニア、
ブリタニアは大海原を支配する*1。

この詩で「奴隷(どれい)」のくだりになる前に、作業をしていた全員が石像のように固まってしまった。黙り込み、あぜんとし、前後左右や上の方をキョロキョロ見まわしたりしている。むろん、川の方には目を向けない。というのも、川に誰かがいるはずがない、と思い込んでいるのだ。これまで自分たちの平穏な日常を乱すために川から何者かがやってくるなんてことは一度もなかったからだ。そこで、ぼくは陽気な口笛を吹いた。そうしておいて、隠れるのをやめてカヌーの上に立ち上がり、できる限りわかりやすい英語で彼らに対して短い(が、華麗な)スピーチをし、次の瞬間にはまた姿を消した。

さらに進むと、道路を建設しているところがあった。ぼくはカヌーを木の下に引き上げておいて、「バラック」というか作業員用の食堂まで歩いていき、中に入った。三、四十人のドイツ人の作業員が座っていて、昼間からビールを飲んでいた。ぼくも一杯注文した。彼らの健康を祝し、金を払い、会釈して食堂を出たのだが、このフランネル生地の服を着た男がどこから来たのか知ろうと、連中は大挙してぼくの後をついてきた。ぼくはカヌーで出発したものの、川は建設工事のためにだめになっている。寸断され、迷路のようだ。ぼくは渡渉しながらカヌーを引っぱったり、漕いだり、抱えて運んだりと悪戦苦闘した。彼らは岸辺に並んでそれを眺めていた。

このあたりまで来ると、橋に頻繁に遭遇するようになったが、これは文明が悪い形で川に侵入してきたものだ。というのも、こうした橋のほとんどは高さが非常に低いので、マストを傾けるためにカヌーを片側に倒さないと通過できない。そうなると、カヌーは難破したような状態で自由に動けない。風があるため帆を下ろすことはできないし、それに加えて、川の流れも速いので、ぼくと彼女──カヌーは物ではなく相棒だ──は、橋の中央部のアーチにどんどん接近していく。橋脚の間に入ったとき、流れていくコース上に鋭い突起物があることに気づいた。脇に寄せてかわそうとすれば木製の堤防にぶつかってしまうだろう。とはいえ、突起物に激突すると穴があいてしまうし、堤防にぶつかる方が(両手で押して離れることができるので)まだましだ。

堤防にドシンと当たったカヌーは、ひっくり返ろうとした。転覆させないためには、すぐさまカヌーから飛び降りるしかなかった。無造作に突き出されていた橋の下の突起物は、鉄の杭の先っぽか柵のようなものだったろう。

というわけで、ここで、川旅で遭遇する多くの隠れた危険というものは、橋の周辺で起きるということを述べておきたい。水中に固定された木製または鉄製の棒や、橋の建設で残されて転がっている荒く鋭い岩などが川からきちんと除去されたりすることはないので、そうしたところを漕いで進んだりするのはむずかしい。

川には、もう一つ、別の種類の障害物も存在する。それは川に渡してある細いワイヤーロープだ。このワイヤーロープに取り付けた短いロープをたどって平底の渡し船が流れを横切る仕組みになっている。ロープの色は黒で、近くまでいかないと見えない。見えた時には、もうマストを倒そうとしても間に合わない。とはいえ、こういった危険はしっかり「見張り」をしていれば、回避するのがむずかしいわけではない。川旅を一、二週間も続けていれば、見張りは本能的かつ習慣としてできるようになる。

川旅には多くの利点があるが、その一つは、川では観察力が必要であるし、それが養われるということだ。

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訳注
*1: 統治せよ、ブリタニア(“Rule, Britannia”) - 仮装劇『アルフレッド大王』で歌われるジェームズ・トムソンによる詩の一節。


イギリスの愛国歌であり、ベートーベンが『ルール・ブリタニアによる五つの変奏曲』を、ワーグナーが『序曲 ルール・ブリタニア』を作曲するなど、ドイツ語圏でも知られている。


なお「奴隷」云々は、詩におけるこの呼びかけの後に、ブリトン人(イギリス人)は「奴隷とはならない」という表現が続くことから。

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