ジョン・マクレガー著
現代のカヤックの原型となった(帆走も可能な)ロブ・ロイ・カヌーの提唱者で、自身も実際にヨーロッパや中東の河川を航海し伝説の人となったジョン・マクレガーの航海記の本邦初訳(連載の第50回)
波の高さが問題なのではない。これが海であれば、相当に大きな波であってもカヌーは乗りこえていける。だが、川のこういう場所では、カヌーを持ち上げる波自体は動かないのだ。じっとしている。が、カヌーの方はといえば、強い流れに押し流されてどんどん進んでいく。で、いきなりカヌーの下にあったはずの波が消えた。カヌーは大量の水のかたまりに突っこんでいく。浮き上がる気配はない。で、やはりこの疑問が残る。「この波の向こうには何があるのだろうか?」と。岩があったとしたら、カヌーもろとも一貫の終わりだ2。
原注2: 当時、川でこういう風に波が急に盛り上がっているところでは、その先に岩などは存在しないという貴重な事実を、ぼくはまだ知らなかった。流路の先が狭くなって波が高く盛り上がっている場合、その背後では川は自由に流れている必要がある。でないと、こうならない。隠れている岩などの危険に関する限り、そういった場所は、むしろ安全なのだともいえる。これが、多くの似たような場所で何度も同じような目にあって得た、ぼくの結論である。
水に関する限り、ロイス川の出来事を忠実に表現したものをスケッチしてみた。水量が多くなるにつれて川の流速は増すが、流れそのものはスムーズになる。水が少なければ速度が遅くなって、あちこちでよどみが生じる。
もう避けられないと覚悟したぼくは、歯を食いしばり、パドルを握りしめた。カヌーは真っ逆さまに明るい水の壁に突っこんでいく。尖った船首が水の奥深く突き刺さり、ぼくは無意識に目をつむった。大量の重くかたい水の塊が胸にのしかかる。首は水の冷たい手で絞めつけられているように息ができない。そうしているうちに、カヌーはやっと浮き上がりはじめる。
この緊迫した一瞬に、いろんなことが脳裏に浮かんだ。さっきとは別の小さい別の波にこずかれ、下方の渦にぐるぐる回転させられたりしたものの、やがて、最悪の事態がすぎたとわかる。ちっぽけなカヌーは大量の水に押さえつけられてはいるものの、少しずつ浮上していく。両手はまだ水圧で自由に動かすことができない。カヌーは大きな衝撃に身震いするようにして水面に浮かび出た。よろけながら岸辺に漂着する。荒れ狂っていた水流も、川岸では穏やかになっている。ぼくは手近な岩にしがみついて身体を休ませた。疲れ切って震えている神経と、生きているという喜びとが入り混じった奇妙な気持ちのまま、ぜえぜえと息を継ぐ。
身体や足にはものすごい水圧がかかったが、すべては一瞬のことだったので、スプレースカートの内側は、ほとんど水に濡れてはいなかった。身体の前側はネクタイにいたるまでびしょ濡れなのに、上着の背中側はほとんど濡れていなかった。幸運だったことに、カヌーにいつも取りつけている英国旗は一時間ほど前に下ろしてしまっていたので流されずにすんだ。
ともかく危機を脱して、一息いれる。また新たな気持ちで川下りを再開することにする。というのも、この先も大波の急流が続いているわけなのだった。とはいえ、最大の難所はすぎたので、この後は──こういう経験をした後では──難所だと言われるようなところは十分に用心すべきところではあるものの、そうたいしたこともないように思えた。そうして、やっとゆっくり休めるところまで到達した。ブレームガルテンという、ローマ時代からの由緒ある古い町だ。急流のロイス川が蛇行しているところに存在している。家々は川沿いの岩の上に建てられていて、ある洗濯婦の家の戸口でカヌーをとめたときも、そのすぐ脇を川が流れていた。カヌーを川から引き揚げると、そこがその家の台所になっていて、そのまま部屋を突っ切って反対側にある通りまでカヌーを引っ張って運んだのだが、その家の奥さんはよくできた人で、こっちの事情はよくわからないらしかったが、突然の闖入者(ちんにゅうしゃ)に驚いたり面白がったりしていた。
というようなわけで、平和な街の舗道にいきなりカヌーが出現したものだから、人々はそれを見て驚いたに違いない。やがて人込みができ、カヌーはホテルまで運ばれていった。宿は、お世辞にもほめられたものではなかった。翌朝、宿賃十二フランを請求された。相場の二倍だ。一日に二人も法外な料金を請求する宿屋の主人に遭遇したことになる。この二軒目の方は、交渉してなんとか八フランまでまけてもらった。
この古風なブレームガルテンの街には高い壁や堀や遺跡があり、翌日の早朝の散歩で見物して歩くだけの価値はあった。それから、またカヌーに乗って出発した。
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