ヨーロッパをカヌーで旅する 62:マクレガーの伝説の航海記

ジョン・マクレガー著

現代のカヤックの原型となった(帆走も可能な)ロブ・ロイ・カヌーの提唱者で、自身も実際にヨーロッパや中東の河川を航海し伝説の人となったジョン・マクレガーの航海記の本邦初訳(連載の第62回)
今回から第十一章になります。
eyecatch_2019

第十一章

ライン川はスイスのバーゼルを過ぎると、あらゆる意味で、川の様相を一変させる。ここからは急激に西向きから北へと流れる方向を変え、川沿いの風景も、高い土手のある斜面から、数多くの川が流れこむ幅の広い水系となり、無数の中洲が入り組んだ状態で、両側に果てしなく続く屏風(びょうぶ)のような二つの山脈にはさまれた広大な谷を、前方へ、北へ、海へと流れていく。ここからは、どの方向にも新しくスタートを切ることができる。ぼくはこの段階ではまだどのコースを進むか決めていなかった。ソーヌ川やドゥー川経由でローヌ川まで行って、そこからマルセイユまで南下し、さらに地中海沿岸の街道にそって進み、ジェノアでカヌーを売ってしまうか、あるいは──今となっては愛着が湧いて別れがたいロブ・ロイ・カヌーを売却せずにすむ、もっとましな代替案はないか──となれば、フランスを通って元のコースを引き返すしかあるまいが。

続きを読む

ヨーロッパをカヌーで旅する 61:マクレガーの伝説の航海記

ジョン・マクレガー著

現代のカヤックの原型となった(帆走も可能な)ロブ・ロイ・カヌーの提唱者で、自身も実際にヨーロッパや中東の河川を航海し伝説の人となったジョン・マクレガーの航海記の本邦初訳(連載の第61回)
eyecatch_2019
スイスのバーゼルまでは近いので、朝は遅くまで寝て休養をとった。起きると、カヌーを橋の向こうまで運んだ。景色のよい中洲はテラス付きの庭園に作り替えられている。ここでカヌーを水面に浮かべた。この数日というもの、激流を漕ぎくだってきたので、あちこち無数にぶつけたりしている。そういうときの音はとても大きかったので結構な力がかかったと思われるのだが、愛艇はまだ堅牢なままで、とくに大きな問題はなさそうだった。自設計なのでそういう専門家の目で見ても、報告すべき損傷はどこにもなかった。この後の航海でカヌーの船体や板材を酷使し、さらにひどい目に会うことになるのだが、それはまだ先の話だ。

この日の出発では、大勢の女性たちが見送りにきてくれた。女たちは日傘を振り、男たちは万歳と叫んだり喝采したりしてくれた! カヌーは滑るように川を下っていく。「別れの会釈」代わりに、カヌーからは黄色のパドルを頭のまわりで振った。空いている手がないので、友人に対する感謝の意を示すために思いついてやってみた。

レインフェルデンについて、旅行ガイドブックのベデカー誌には「この町を過ぎた下流側で、ライン川はまた急流となり、ホーレン・ハーケン(曲がりくねった急流)と呼ばれる渦ができる」と記載されている。こわい情報で名前もおどろおどろしいが、ここに書いてある「渦」はそう気にするほどのものではなかった。

川に沿って鉄道の線路があった。汽車の音が聞こえる。「ここはまったく未知の荒野で予測もつかない土地」というわけではないことを思い出させてくれる。陸より一段低い位置にある川に浮かんでいると、両側にある土手の向こうが実際にどうなっているかを忘れてしまうことがある。道路から見る風景はよく知られているが、低くなった水面から見上げる景色はまた様子が違っている。どんな景色でも、陸から見た場合、視界は水平線までの距離を直径とする半円になっていて、周囲の空はアーチ状だ。だが、カヌーに座って眺めると、そうした風景は巨大な扇形に姿を変えてしまう。前方の澄みきった水面を視点として、そこから広がりながら両側の岩や木々や苔むした堤防などの土手が斜めに高くのびていく。これはテムズ川のようなふだんから見慣れた川でも同じだ。とくにオックスフォードとロンドンとの間の陸の風景はよく知られていて、旅行者も感嘆したりしているが、同じ場所の光景でも、川を漕ぎ下りながら眺めるとまた違って新鮮に見えてくる。テムズ川のように、曲がりくねって流れながらすばらしい景色を展開している川は少ない。

とはいうものの、ぼくのカヌー旅も、今では文明世界に戻ってきつつあった。よそ者には街並みや宿で体験するすべてのことが物珍しいという、心地よくもシンプルな生活は終わりかけていた。これまでとは対照的に、この文明世界では、天然ではなく合成したロウソクを使っていて芯切りバサミが不要だったり、英語が話せると自称するウェイターが横に座ってぼくの腕をつかんで自信満々に「ビーン・グリーン」(「インゲン豆のような緑色」を指しているらしい)と言ったりしている。彼の英語でぼくが気に入ったのは「花野菜」で、ぼくらが「カリフラワー」と呼んでいるものだ。

あなたがドイツを旅していて、内陸にある村でウェイトレスが大声のドイツ語で話しかけてきたとしよう。彼女の早口のドイツ語は、あなたにはちんぷんかんぷんだ。彼女は自分の言うことがまるで理解できない客を新しい動物でも見たように眺めている。が、やがて客もウェイトレスもどっちも笑いだすことになる。そういう世界を旅してきたわけだ。

だが、ぼくはいま、ライン川で一隻のボートがロープで引かれれているのを見た。舟を引くための道が確保されているのではなく、男たちは草むらを歩きながら舟を引っ張ったり浅瀬を渡ったりしているだけで、ごく素朴な形ではあるのだが、ボートについてこうした光景を目撃するということは、いつでもどこでも上陸できる、自由きわまりないすばらしい森林地帯を抜けてしまったということを改めて悟らされたのだった。

何度か西に向かって曲がった後で、バーゼルの街にある二つの塔が見えてきた。沈みかけている夕日がまぶしくて、正確に見分けることはできなかった。それで、そのまま漕ぎ続けた。九月十四日、川辺にあるホテルにカヌーを引き上げた。バーゼルの街にかかっている橋はすぐに物見高い通行人や野次馬であふれた。ここは、例のずぶぬれになった四つの漕ぎ座がある五人組のボートが数週間前に到着したところだ。建物の所有者は、また別のイギリスのボートが来たというので喜んでいた。今度はずっと小さなボートで、乗っているのも一人きりだったが、こっちは先を急ぐ風でもなく服も濡れてもいない。ぼくは街を散歩した。とある教会に入ってみた(スイスのバーゼルだから、むろんプロテスタントの教会だ)*1。ちょうど洗礼式が行われているところで、大勢の人が集まっていた。赤ん坊は母親から父親へ、教会の聖職者(クラークからミニスター)へと手渡しやすいように枠付きの台に寝かされていた。ぼくは赤ん坊という存在には畏敬(いけい)の念さえ抱いているので、こういう風に、どこか機械的に赤ちゃんを取り扱うことには強い違和感を感じてしまう。

*1: ドイツのマルティン・ルターと並ぶ宗教改革の主導者だったツヴィングリやカルバンはスイスの出身で、当時のスイスにはプロテスタントが多かった。
現在のスイスでは、イタリアやスペインなど南欧系の労働者の移住により、宗派統計上はローマ・カトリックがプロテスタントを上回っている。

洗礼式が終了するとすぐに、幸福そうなカップルが前に進み出た。これから結婚するのだ。新郎はぱっとしない風采だったが、新婦は美しかった。とはいえ、もう若くはなく、五十五歳くらいに見えた。花嫁の付き添い人や七面倒くさそうな関係者の姿は他になかった。式がすむと、このカップルは、女たちがクスクス笑うなかを歩いて出て行った。花婿は次にどうしたらよいのか、よくわかっていないらしく、新婦の前後を歩いたり横に並んだりしていたが、どこか居心地悪そうで、結局は彼女のそばからつかず離れずの斜めの位置を確保して歩いていき、二人とも別の建物に姿を消した。これから結婚生活をはじめる儀式として、これほどロマンティックの対局にあるものは見たことがない。とはいえ、こういう式にも取り柄はある。うっとうしい「両家の顔合わせの食事会」で、新しく親戚になる二組の人々が相手を探りあうという、うんざりするような儀式がないのだから。そういう食事会では、腹もへっていないのに一緒に食事をし、相手のしょうもない話に耳を傾けているふりをすることで、互いに親密になることを期待されているのだ。とはいえ、ぼくとしては、旅先で出会った人々の不可解な風習なんかを批判したいわけではないので、宿の話に戻そう。喫茶室で、あるフランス人と出会った。その人はロンドンで生活していたことがあり、これからロンドンに行くという二人のメキシコ人に現地のホテルについて説明しているところだった。ロンドンの「コーヒーハウス」や「レスター・スクエア」にあるホテルについての彼の説明は笑えた。「スクエアはイギリスではスクアと発音されるんだ」などと言っていた。

[ 戻る ]    [ 次へ ]

ヨーロッパをカヌーで旅する 60:マクレガーの伝説の航海記

ジョン・マクレガー著

現代のカヤックの原型となった(帆走も可能な)ロブ・ロイ・カヌーの提唱者で、自身も実際にヨーロッパや中東の河川を航海し伝説の人となったジョン・マクレガーの航海記の本邦初訳(連載の第60回)
eyecatch_2019
ラインフェルデンの町が見えてきた。ファウフェンブルグからぼくが跡を追う形になっている例のイギリスの五人組のボートは、ぼくがたったいま通過したこの激流の瀬をどうやって下ったのだろうかと気になった。後になってわかったが、この漕ぎ手四人の五人乗りのボートが瀬にさしかかったときは増水していて、岩が露出していなかったらしい。上流側の水深のあるところで川の水が渦を巻いているのはぼくも見たが、そういった渦に遭遇しただけらしかった。それで、連中はバーゼルまで一気に漕ぎ下ったのだという。バーゼルのホテルで関係者から聞いたところによると、五人のイギリス人たちは服も荷物もびしょぬれの状態で到着したそうだ。ウェイターはにやにやしながら、洗濯係をしている女友達が一晩で二十七フランも稼いだらしいと教えてくれた。

続きを読む

ヨーロッパをカヌーで旅する 59:マクレガーの伝説の航海記

ジョン・マクレガー著

現代のカヤックの原型となった(帆走も可能な)ロブ・ロイ・カヌーの提唱者で、自身も実際にヨーロッパや中東の河川を航海し伝説の人となったジョン・マクレガーの航海記の本邦初訳(連載の第59回)

eyecatch_2019

カヌーの運搬では自分たちを雇えと言外に示唆しているのかを確かめるため、ぼくは二人に、万一に備えてそっちの船でついてきてもらえませんかと聞いてみた。彼らは相談していたが、この提案には乗ってこなかった。それで、問題の激流の瀬を通過するためのベストなコース選択について聞いてみた。彼らは砂の上によくわからない絵を描き、かなりこみ入った指示を授けてくれた。が、それを実行するのは無理だった。で、ぼくは静かに頭を下げ、砂に描かれた絵を足でもみ消し、何も聞かなかったことにして行き当たりばったりでいくことにした。まあ「知らぬが仏」というが、実際に行ってみないとわからないとも思ったのだ。進むべき道は自分で見つけるという高揚した意気ごみと、それを自分で見つけたときの満足感は、そのためにした苦労には十分報いてくれる。それだけの価値がある。山岳地帯を旅しているときもそうだった。単に足の筋肉を動かして景色を見るためだけに行くのであれば、ガイドを三人ほども雇い、互いに身体をロープで結びあってガイドの後を黙ってついていけば成功するだろう。だが、頭を使い、気を配り、判断するのはガイドの役割で、案内される側はただその尻を見ながらついていくだけだ。

続きを読む

ヨーロッパをカヌーで旅する 58:マクレガーの伝説の航海記

ジョン・マクレガー著

現代のカヤックの原型となった(帆走も可能な)ロブ・ロイ・カヌーの提唱者で、自身も実際にヨーロッパや中東の河川を航海し伝説の人となったジョン・マクレガーの航海記の本邦初訳(連載の第58回)

eyecatch_2019

ぼくがカヌーをつないだ地点から、通過可能と思われる中央付近の水路に直接向かうのは無理だった。もっと上流からじゃないと駄目なので、そこまでカヌーを引っ張っていくしかない。浅瀬をわたり、でこぼこした川縁に沿って、渡渉したり牽引したり、悪戦苦闘しながら、やっと半マイルほど川をさかのぼった。カヌーに乗って急流を横切って川の中央付近の水路まで到達できそうな場所に、なんとかたどりついた。とはいえ、そこから川を横切るように進んでも、流れが速いので、カヌーは波が荒れ狂っている方に横向きのまま押し流されていきかねない。

続きを読む

ヨーロッパをカヌーで旅する 57

ジョン・マクレガー著

現代のカヤックの原型となった(帆走も可能な)ロブ・ロイ・カヌーの提唱者で、自身も実際にヨーロッパや中東の河川を航海し伝説の人となったジョン・マクレガーの航海記の本邦初訳(連載の第57回)
eyecatch_2019

第十章

カヌーをまた荷車に載せ、再び通りを抜けて滝の下の地点まで運んだ。数時間休憩した後、ロ・ブロイ・カヌーを水面に浮かべると、カヌーはまた生き返ったようになった。周囲のすべてがすばらしかった。川には十分な深さがあり、空はどこまでも高く、ぼくは幸福感に満たされた。まもなく、遠くで波が砕け散る鈍い音がまた聞こえ始めた。近づくにつれて、その音が大きくなってくる。無視するわけにはいかない。ラインフェルデンの急流までやってきたのだ。

続きを読む

ヨーロッパをカヌーで旅する 56:マクレガーの伝説の航海記

ジョン・マクレガー著

現代のカヤックの原型となった(帆走も可能な)ロブ・ロイ・カヌーの提唱者で、自身も実際にヨーロッパや中東の河川を航海し伝説の人となったジョン・マクレガーの航海記の本邦初訳(連載の第56回)
eyecatch_2019
カヌーを載せた牛車の行進はまもなく小さな町に入ったが、地名はわからない。通りに敷いてある大きな丸石を乗りこえながら、荷馬車ならぬ荷牛車がガタゴト音を立ててゆっくり進んでいくと、昼間で人の気配がなかった窓から、たくさんの人が顔を出した。ぼくらをのぞき見て、なんだか面白そうだ、もっとよく見ようと家から飛び出してくる。立派なホテルの入口まで牛が小舟を引いていくのは、確かにめったにお目にかかれない珍光景には違いない。主役となった殊勲の四つ足動物の名誉のために言っておくと、この牝牛はここでは由緒正しい淑女のごとき振る舞いをしてくれた。

続きを読む

ヨーロッパをカヌーで旅する 55:マクレガーの伝説の航海記

ジョン・マクレガー著

現代のカヤックの原型となった(帆走も可能な)ロブ・ロイ・カヌーの提唱者で、自身も実際にヨーロッパや中東の河川を航海し伝説の人となったジョン・マクレガーの航海記の本邦初訳(連載の第55回)
eyecatch_2019
今回の航海では、北に行ったり南に行ったり東や西に進んだりと複雑なコースをたどったので、中央ヨーロッパの多くの国や王国などをカヌーでめぐったことになる。すなわち、オランダ、ベルギー、フランス、ビュルテンベルク王国、バイエルン公国、バーデン大公国、レーニッシュ共和国、プロイセン、パラチン伯の領地、スイス、そしてかわいらしいホーエンツォレルン=ジグマリンゲン公国*1である。そして再びバーデン大公国まで戻ってきたことになる。ここでは、旅行者はすべて言動に注意しなければならない。

*1: ビュルテンベルク、バイエルン、バーデン、レーニッシュ、プロイセン、パラチン、ホーエンツォレルン=ジグマリンゲンは、かつて中央ヨーロッパ(現在のドイツ)に実在した小国。
大公や公爵などの貴族の領地で、江戸時代における日本の藩に似ている。

続きを読む

ヨーロッパをカヌーで旅する 54:マクレガーの伝説の航海記

ジョン・マクレガー著

現代のカヤックの原型となった(帆走も可能な)ロブ・ロイ・カヌーの提唱者で、自身も実際にヨーロッパや中東の河川を航海し伝説の人となったジョン・マクレガーの航海記の本邦初訳(連載の第54回)

今回の航海の最南端ルツェルンを経てヴァンルツフートで、今回の旅の折り返し点を通過したことになります。
eyecatch_2019
アーレ川はやがてライン川と合流した。土地の言葉ではリーナス川と呼ぶが、またこの大河にカヌーを浮かべることになった。川沿いに森のはずれという意味のヴァルツフートの町があり、高い土手の上から身を乗り出して歓迎しているように見えた。

少し低いところに道があり、崖の裾に小さな家々が一列に並んでいる。このあたりのライン川は流れが速く、水深もあって、強い渦ができていたりした。カヌーに気がついた年配の漁師が大声で話しかけてきた。自分が何者であるかを語りだす。某名家の世話係をしているが、そうなった経緯だとか、イタリアには七回も行ったことがあるとか、疑似餌のフライで魚が釣れるとか、自分は七十歳だが、ぜひとも自分の家に立ち寄ってくれ、といったようなことだ。

続きを読む

ヨーロッパをカヌーで旅する 53:マクレガーの伝説の航海記

ジョン・マクレガー著

現代のカヤックの原型となった(帆走も可能な)ロブ・ロイ・カヌーの提唱者で、自身も実際にヨーロッパや中東の河川を航海し伝説の人となったジョン・マクレガーの航海記の本邦初訳(連載の第53回)
eyecatch_2019
とはいえ、ここで合流したアーレ川は、カヌーにとってそれほど危険というわけではなかった。川が大きくなってくるにつれて激流も穏やかになるし、あちらこちらで暴れまわった後、少し落ち着いて安定し、堂々とした河になりつつあった。だが、このあたりでは、カヌーでの川下りの旅につきものの流木が多く、あちこちに引っかかっている。川底につかえた状態で先端が浮いたり沈んだりしていて、川の水もひどく濁っているため、流れてきた倒木の危険性は高い。油断せずしっかり見張っていなければならない。

前にも説明したが、身振りに加えて英語を大声で叫ぶというマクレガー流の「川の言語」は、このように川幅が広いところでは厳しい試練を受けことになる。たとえば、百ヤード(約九十メートル)ほども離れた川岸にいる人と、次のようなやり取りをするのに、ジェスチャーと彼らにとっては外国語の英語だけでどうやってうまく意思を伝達できるだろうか?

「あの岩のところまで行って中洲の左側を通った方がいいですか、それともこの辺で上陸し、カヌーを引きずって迂回(うかい)してから、また水路に戻った方がよいですか?」といったようなことだ。

続きを読む