翌朝早く、タイハイイが船にやってきた。捕らえた新鮮な魚をヒモに通して持っている。その日の夕食に招待しにきてくれたのだ。食事に行く途中、ぼくらは頌歌(しょうか)がうたわれる家に立ち寄った。同じ顔ぶれの長老たちが、昨夜は見なかった若者や娘たちと一緒に歌をうたっていた。様子から判断すると、祭りの準備をしているようだった。果物や野菜が山のように積み上げられ、周囲にはココナツの繊維を編んだヒモをつけられたニワトリがたくさんいた。何曲か歌った後で、男の一人が立ち上がって話をした。その話はぼくらに向けられたもので、まったくちんぷんかんぷんだったが、山のように積み上げられた食べ物はぼくらと何か関係がある、ということだけはわかった。
「これぜんぶ私たちにくれるっていうの?」と、チャーミアンがささやいた。
「ありえない」と、ぼくも小声で返した。「くれる理由なんかないだろ? それに船には積む場所もないし、十分の一も食べきれやしない。あまらせても腐るだけだしな。祭に招待するって言ってくれてんだろ。いずれにしても、ぜんぶくれるなんてありえないよ」
とはいえ、ぼくらはまたも最高の歓待というものを受けることになった。話をしていた男は身振り手振りで、山のように積み上げられたすべての品々は間違えようもなく、ぼくらへの贈り物だと伝えたのだ。なんとも困ったことになった。寝室が一部屋しかないところに、友人が白いゾウをくれると言っているようなものだ。スナーク号は小さいし、すでにタハア島でもらった品々を満載しているのだ。ここでまたこんなにもらってしまうと、もうどうしようもなくなってしまう。ぼくらは赤面しながら、片言の言葉でマルルーと言った。タヒチ語でありがとうという意味だ。すばらしいという意味のヌイという言葉も繰り返して感謝の気持ちを伝えた。同時に、身振り手振りをまじえて、これほどの贈り物を受け取るわけにはいかないとも伝えたが、これは礼儀に反することだった。歌をうたっていた人々はがっかりした様子を見せた。明らかに裏切られたという感じだった。で、その晩、ぼくらはタイハイイの助けを借りて妥協し、ニワトリを一羽とバナナを一房、それにタロイモなどを少しだけもらうことにした。
とはいえ、歓待を逃れるすべはなかった。ぼくはすでに現地の人から一ダースものニワトリを買っていたのだが、翌日、その人が十三羽のニワトリを届けに来たとき、カヌーに果物を満載して持ってきてくれたのだ。フランス人の商店経営者はザクロをプレゼントしてくれたし、立派な馬も貸してくれた。憲兵も同様に大切にしている馬を貸してくれた。誰もが花を贈ってくれた。貯蔵庫に入りきらないため、スナーク号は花屋や八百屋の店先のような状態になった。いたるところ花だらけだ。頌歌(しょうか)の歌い手たちが乗船してくると、娘たちはぼくらに歓迎のキスをしてくれた。乗組員は船長から給仕にいたるまで、ボラボラの娘に心を奪われてしまった。タイハイイはぼくらのために大物釣りのプランを立ててくれた。漕ぎ手として一ダースもの屈強な男たちが乗った双胴のカヌーで出かけるのだ。魚が釣れなかったので、ほっとした。でなければ、スナーク号は係留したまま積み荷の重さで沈没しかねなかった。
そうやって日々がすぎていったが、歓迎はおさまる気配もなかった。出発する当日、カヌーが次から次へとやってきた。タイハイイは、キュウリやたくさんの実がついたパパイヤの若木を持ってきた。しかも、小さな双胴のカヌーに、ぼくのために釣り具一式を積んできてくれた。タハア島の時と同じように、果物や野菜もたっぷり持ってきた。ビハウラはチャーミアンにいろんな特別な贈り物を持ってきてくれた。絹綿の枕や扇、飾りマットなどだ。住民たちも果物や花やニワトリを運んできたが、ビハウラはそれに生きた子豚をプラスした。会ったか記憶もないような連中も船の手すりから身を乗り出して、釣り竿や釣り糸や真珠貝で作った釣り針をくれた。
スナーク号が帆をあげて礁湖を進んでいくとき、船尾には小舟を曳航していた。これはタイハイイ用ではなくて、ビハウラがタハア島に戻るためのものだ。その小舟を切りはなすと、東に向かって遠ざかっていった。スナーク号は船首を西に向けた。タイハイイはコクピットにひざまづき、無言で祈りをとなえている。頬を涙がつたっていた。一週間後、マーチンが機会を見つけて現像した写真をプリントし、何枚かをタイハイイに見せた。すると、この褐色の肌をしたポリネシアの男は、最愛のビハウラの顔写真に号泣した。
とはいえ、いかんせん歓迎でもらった品数が多すぎる! 大変な量だ。船上で作業しようとしても果物が通路をふさいでしまっている。どこもかしこも果物だらけで、スナーク号にも足船にもあふれていた。天幕をかぶせていたが、それを張っているロープに重みがかかり、きしんだ音をたてている。しかし、貿易風の吹く海面に出ると、積み荷が減り始めた。横揺れするたびに、バナナの房やココナツ、籠に入れたライムが振り落とされるのだ。金色の大量のライムが風下側の排水口まで流されていった。ヤムイモを入れた大きな籠が破れ、パイナップルやザクロはごろごろ転がっていた。ニワトリは自由の身になり、いたるところにいた。天幕の上で寝たり、前帆用のブームにとまって羽をばたばたさせたり鳴いたりしている。スピンネーカーを揚げるためのポールを止まり木にして器用にバランスをとっているのもいた。このニワトリたちは野鶏で、飛ぶのになれていた。つかまえようとすると、海上に飛び出し、ぐるりと旋回して船に戻ってくる。戻ってこないのもいた。そうした混乱のさなか、見張っているものが誰もいなくて自由に動けるようになった子豚が足をすべらせて海に落ちてしまった。
『よそ者が到着すると、誰もがわれさきに駆け寄って友人として自分の住まいに連れて行こうとする。そこでは地区の住民から最大級のもてなしを受ける。上座に座らされ最高のごちそうがふるまわれる』