スティーヴンソンの欧州カヌー紀行 (10)

サンブル運河は小さな丘の間を縫って蛇行しながら流れていたので、クアルトの水門の近くまでたどりついた時には午後六時を過ぎていた。船を曳いて歩く道には何人か子供たちがいて、道沿いにぼくらを追いかけてきた。シガレット号の相棒は彼らと冗談を言いあっている。ぼくは相手にわからないよう英語で相棒に警告しようとした。やつらは最も危険な生物で、下手にかかわると、しまいには石が雨のように飛んでくるぞと、ね。だが、ダメだった。ぼくはといえば、にっこり笑って頭をかしげ、フランス語があまりわからない、無害な人間だというふりをした。実際にぼくは母国で経験しているのだ。こういう元気いっぱいの悪ガキの相手をするくらいなら危険な野生生物と出会うほうがましだ。

だが、ぼくはこの若く友好的なエノー州の子供たちに対して不当な仕打ちをしていたのだった。シガレット号が宿を探して運河を離れたので、ぼくは土手に上がってカヌーの番をしながらパイプをくゆらせたが、すぐに好奇心旺盛な、この人なつっこい連中に取り囲まれた。そのころまでには、子供たちに若い女性と片腕のない温和な青年が加わっていたので、ちょっと安心ではあった。ぼくがフランス語を一言二言口にすると、少女の一人が妙に大人ぶった様子でうなずいた。「やっぱりね」と、彼女は言った。「この人、ちゃんとわかるのよ。さっきは、わかんないふりしてただけ」 そして、子供たちは人が好さそうな笑い声をたてた。

ぼくらがイギリスから来たと聞くと、とても驚き感銘を受けたようだった。さっきの少女は、イギリスは島で、ここからずっと遠いんだよ(ビヤン・ロワン・ディシ)と説明している。

「そう、ここからずっと遠いんだ」と、片腕の若者が言った。

ぼくは人生ではじめてホームシックを感じた。子供たちの反応を見ていると、とんでもない遠くまで来た実感がわいてきた。子供たちはカヌーについて口をそろえてほめてくれた。この子供たちはちょっとした配慮もみせたのだが、それはここに書いておくに値するだろう。というのは、ぼくらが上陸しようとする最後の百ヤードほど、子供たちは乗せてくれと耳を聾するほどの大声をあげていたし、翌朝ぼくらが出発するときも同じ調子で頼みこんできたくせに、カヌーを岸につけて空っぽで係留しているときに乗せてくれとは口にしなかったのだ。それなりに気を使ったということだろうか? それとも、カヌーに自分たちだけで乗って、ぐるぐる回転するだけでうまく進めずに恥をかくことを心配したのだろうか? こういう皮肉というか、斜に構えたものの見方は好きじゃない。というか、この二つは同じことなのかもしれない。感傷にひたろうとする者に冷水をあびせ、バスタオルでごしごしこすれば元気が出てくるように、感受性が鋭敏すぎる人間には、人生においてこういう皮肉な見方も必要なのかもしれない。

子供たちの関心はカヌーからぼくの服に移った。彼らはぼくの赤い帯に感心し、ナイフには畏怖の念を抱いた。

「イギリスでは、こんな風に作るんだ」と、片腕の少年が言った。現在のイギリスで作られているナイフがどれほどひどいものか彼が知らなくてよかったと、ぼくは思った。「こういうナイフは船乗り用なんだ」と、彼はつけ加える。「大きな魚から自分の命を守るためにね」

言葉をかわすごとに、ぼくは自分が子供たちにとって、だんだんロマンティックな存在になっていくのを感じた。実際にそう思われていたのだと思う。ぼくが持っているパイプはフランス製の粘土でできた、ごくありきたりのもので汚れてもいたのだが、彼らの目には、遠くから運ばれてきた貴重なものに見えたらしい。ぼくの服にほめるところがなければ、それはすべて海を超えてきたからだとされた。とはいえ、ぼくの服装で一つだけ、そうしたほめ言葉の対象にならなかったものがある。泥まみれのズック靴だ。彼らとしても、この泥だけは自分たちの国のものだと認めざるをえなかったのだろう。さきほどの少女は子供たちのリーダー的な存在だったが、ぼくに恥をかかせないよう率先して自分の汚れた木靴を見せたりもした。彼女がいかに優雅に明るい調子でそうしたことを行ったか、みんなにも見てもらいたかった。

若い女性は取っ手が二個ついた真鍮製の牛乳入れを抱いていたが、いまは少し離れた草地に置かれていた。ぼくは連中の注意を自分以外のものに向ける機会を見つけてうれしかったし、それをほめることで少しはお返しをすることができた。ぼくは缶の形と色の両方を本気でほめ、金でできているみたいに美しいと言った。彼らは少しも驚かなかった。この地方では明らかに誇らしく思われている製品だったからだ。子供たちは口々に、この缶がいかに高いかを語った。一個が三十フランで売られることもあるのだという。この缶をロバでどうやって運ぶのかというと、サドルの両側にそれぞれ一個ずつ吊るすのだが、それだけで豪華な飾りをつけたようになる。しかも、この地方一帯に広く普及しているため、大きな農場には大きな缶がたくさんあるのだ、と。

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