スナーク号の航海 (40) - ジャック・ロンドン著

馬の通れる道といっても、それほど広いわけではない。これを造った技師のように、道自体が何にでも果敢にいどんでいるのだ。ディッチ(水路)は山塊を突き抜け、乗りこえ、峡谷を飛びこえたりしているのだが、馬の道──これからはトレイルと呼ぶが──も、この水路をうまく利用していて、その上を横切ったりしているのだ。この無造作に作られたトレイルは、平気で断崖を上り下りしているし、壁を掘削してできた狭い通路を抜けると、轟音をたてて白い水煙とともに落下している滝の裏側や滝の下に出たりする。頭上は数百フィートもの切り立たった断崖で、足元はと見れば千フィートもの深い谷になっているのだ。ぼくらが乗っているすばらしい馬たちも、トレイルと同様に、そんなことにはおかまいなしだ。足元は雨ですべりやすくなっているのだが、馬の自由にさせておくと、当然のように後ろ足をすべらせたりしながらも駆けていこうとする。このナヒク・ディッチのトレイルについては、豪胆かつ沈着冷静な人しか勧められない。同行しているカウボーイの一人は、ぼくらが宿泊した牧場では一番の勇者だと思われていた。生まれてからずっと、このハレアカラ火山のけわしい西斜面で馬に乗ってすごしてきたのだ。その彼がまず馬をとめた。他の者も当然のことながら前進をやめた。というのも、彼は牛小屋に野生の雄牛が迷いこんでいたら、平気でそれに立ち向かうような男だからだ。彼には名声があった。とはいえ、それまで、このナヒク・ディッチに馬を乗り入れたことはなかった。そうして、彼の名声はここで失われた。髪の毛が逆立つような最初の水路で、それに沿った道は細くて手すりもなかった。頭上で滝が轟音をたてているし、真下には別の滝があって、奔流が何段にもなって落ちている。一帯に水しぶきが舞い上がり、轟音が振動とともに伝わってくる──というようなところで、勇者たるカウボーイは馬から降り、おれには女房も子供もいると言い訳しながら、馬を引きながら歩いて渡ったのだ。

水路が地下深く潜っているところはともかく、峡谷で唯一救いになるのは断崖があることで、そして断崖で唯一救いになるのは峡谷にあるということだ。ぼくらは一度に一頭ずつ、もろくて流されてしまいそうな、左右に揺れる原始的な丸木橋を渡った。白状すると、ぼくは最初にそういう場所に馬で乗り入れるとき、最初のうちはあぶみから足を浮かせていた。垂直な断崖にあぶみが接触しそうになると、意識して足を谷側に寄せ、今度はその足が千フィートも落ちこんでいる谷につき出ているのを見てしまうと山側に寄せたりしていた。「最初のうちは」と断ったが、すぐになれてしまうのだ。クレーターの中ですぐに大きさの感覚が麻痺してしまったように、ナヒク・ディッチでも同じことが起きた。そのうち、ぼくらは深い谷について心配しなくなった。とほうもない高さと深さが延々と繰り返されているところでは、そういう高さも深さも普通に存在するものとして受け入れるようになる。そして、馬上から切り立った崖下を見ても、四、五百フィートは普通で、スリルがあるとも感じなくなってしまうのだ。トレイルにも馬にも無頓着になったぼくらは、目もくらむような高いところを通ったり、落ちこんでいる滝を迂回したり突き抜けたりして進んでいった。

とはいえ、なんという乗馬体験だろうか! いたるところで水がふりそそいでくる。ぼくらは雲の上や雲の下を、さらには雲の中を馬に乗ってつき進んだ。ときどき日が差し、眼下に口を開けた峡谷や火口縁の高さ何千フィートもある鋒が照らしだされたりした。道を曲がるたびに、一つの滝、あるいは一ダースもの滝が空中に何百フィートも弧を描いて流れ落ちている光景が目に飛びこんでくる。キーナ渓谷で最初の宿営をしたのだが、そこから見えるだけで滝の数は三十二もあった。この荒野では、植物も繁茂していた。コアとコレアの森があったし、キャンドルナッツの木もあった。オヒアアイと呼ばれる木もあったが、これは赤いマウンテンアップルの実をつけていた。豊潤で果汁も多く、食べてもうまい。野生のバナナもいたるところで育っていて、峡谷の両側にしがみついていた。トレイルのいたるところで、熟した果実の大きな房が落ちて道をふさいでいた。森の向こうには樹海が広がっていて、多種多様なつる性植物が、あるものは一番上の枝から茎を軽やかに宙に伸ばし、あるものは巨大なヘビのように木々にまきついていた。エイエイと呼ばれるツル性植物はとにかく何にでも登っていき、太い茎を揺らして枝から枝へ、木から木へと伸びていっては、自分が巻きつくことで当の木々を支えているといった格好だった。樹海を見あげると、頭上はるかに木生シダが群葉を広げ、レフアの木が誇らしげに赤い花を咲かせている。ツル性植物の下では、数は少ないが、米国本土では温室でしかお目にかかれないような珍しい暖色系の奇妙な模様をした植物が育っていた。つまり、マウイ島のディッチ・カントリー自体が巨大な温室のようなものなのだ。なじみのある多種多様なシダ類が繁茂し、小さなクジャクシダのようなアジアンタム属のシダ類から、もっと大きくて繁殖力旺盛なビカクシダなど、あまりなじみのないものまで、さまざまな種が入り乱れていた。このビカクシダは林業作業者にとっては厄介きわまりなくて、さまざまにからみあっては巨大化し、五、六フィートの厚さで数エーカーもの広さをおおいつくしてしまうのだ。

二度とできないような体験だった。これが二日続き、やっとジャングルを抜けて普通の起伏のある土地に出た。実際に荷馬車が通る道をたどり、ギャロップで駆けて牧場まで帰り着いた。こんなにも長くて厳しい旅の最後に馬を駆けさせるのは残酷だとわかっていたが、抑えようと必死にたずなをしめても無駄だった。ここハレアカラで育った馬は、そういうものなのだ。牧場では、牛追いが行われ、焼き印をつけたり、馬を調教したりする楽しい行事があった。頭上ではウキウキウとナウルが激しくせめぎあい、そのまたはるか上方には、陽光をあびた壮大なハレアカラ火山の頂上がそびえていた。

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羊毛のような貿易風の雲が、ウキウキウに駆りたてられて割れ目からわき上がっては消えていく。

スナーク号の航海(39) - ジャック・ロンドン著

ぼくらは火口壁を登り、ちょっと無理かなと思われるところまで馬を乗り入れた。岩を落下させたり、野生のヤギを撃ったりした。ぼくはヤギは狙わなかった。しょっちゅう岩を落下させていたからだ。ある場所のことは今でも忘れない。そこでは、馬ほどの大きさの岩を落下させてしまったのだ。ぐらぐらしていて簡単に転がりだしたが、途中でとまりそうになった。と、岩は二百フィート(約六十メートル)も宙を舞った。火山礫の斜面にぶつかり、くだけたり割れたりしながら小さくなっていく。驚いたジャックラビットが猛ダッシュで黄色の砂塵をまきあげながら逃げていくようだった。だれかが岩がとまったと言ったのだが、割れて小さくなっただけだった。つまり、岩は転がりながら割れていき、上からは見えないほど小さくなってしまったのだ。それほど遠くまで転がって行ってしまったというわけだった。とはいえ、まだ転がっているのが見えると言う者もいた──ぼくだ。あの岩はいまもまだ転がりつづけていると、ぼくは信じている。

クレーターですごした最後の日、ウキウキウが強くなった。ナウルを押し返し、太陽の家を雲でおおいつくしたので、ぼくらも雲に飲みこまれてしまった。ぼくらの雨量計は、テントの小さな穴の下に置いた半リットルほどの容量のカップった。この嵐の夜に雨水でカップが一杯になり、毛布の上にまでこぼれてきたので、それ以上は降雨を測定できなかった。雨量計は使えなくなったし、もうここにとどまっている理由もない、というわけで、ぼくらは夜明けの湿っぽい薄暗がりのなかでキャンプを撤収し、溶岩が流れた跡を東にあるカウポ・ギャップへと向かった。火口縁にできた巨大な割れ目から雲がわいているところだ。東マウイは、はるかな昔、カウポ・ギャップを流れて落ちていった膨大な溶岩流そのものでできていた。この溶岩流の上を進んだのだが、海抜六千五百フィート(約二千メートル)の高地から、あるかないかの道をたどりながら、ゆっくり降りていく。これは馬にとっても一日仕事だった。危険な場所で安全を確保するため、急がず、あわてず歩をすすめ、そうやって平坦地に出ると、馬は駆けだす。道がまた悪くなって駆けられなくなるまで、馬をとめようとしても無駄だったし、いつとまるかは馬自身が判断した。馬たちはそうやって来る日も来る日もきつい労働をしてきたのだ。ぼくらが眠っている夜に草を探して食べていた。そうやって苦労しながら、その日は二十八マイルも進み、仔馬の群れのようにハナに駆けこんだ。ハレアカラ火山の風下側の乾いた土地で育った馬も何頭かいて、蹄鉄をつけたことのない馬も含まれていた。一日中ずっと、蹄鉄をつけず、背中には人間という余計な重量物を乗せて、ぎざぎざした溶岩の上を進んだのだったが、そういう馬のひづめは蹄鉄をつけた馬のひづめよりも状態がよかった。

カウポ・ギャップと呼ばれる山塊の割れ目が海に落ちこんでいるヴィエイラスとハナとの間を通過するのに半日かかった。が、そこの景色は一週間、いや一カ月かける価値があるほどすばらしかった。荒々しく美しい。とはいえ、ハナとホノマヌ渓谷の間にあるゴム園の向こうに広がっている不思議な世界に比べれば、色は淡く、規模も小さい。そのすばらしい土地はハレアカラ火山の風上側にあるのだが、そこを踏破するのに二日もかかった。地元の人々は「ディッチ・カントリー(水路の国)」と呼んでいる。あまり魅力的な名前とは言えないが、その呼び方しかないのだ。観光でここまで来た人はだれもいないし、ぼくら以外にそれについて知っているよそ者もいない。仕事でやってくる一握りの男たちを別にすれば、だれもマウイのこのディッチ・カントリーのことは聞いたことがないのだ。とはいえ、水路は水路であるし、泥だらけだし、ここを横切るのは面白くもなく、景色も単調だろうと思われるのだが、どうして、このナヒク・ディッチはそんじょそこらの用水路とは違うのだ。ハレアカラ火山の風上側は切り立った断崖になっていて、そうした断崖から無数の水流が奔流となって海まで流れ落ちている。海までの間に大小無数の滝ができていた。ここの降水量は世界のどこよりも多く、一九〇四年の降水量は四百二十インチ(約一万ミリ)だった。水といえばサトウキビの栽培に不可欠だが、それでできる砂糖がハワイの屋台骨を支えているのだ。ナヒク・ディッチと呼ばれる水路は単なる一本の用水路ではなく、水路網になっていた。水は地下を流れ、山峡を飛びこえるときだけ出現する。目もくらむような峡谷の上を空高く放出されて対岸の山肌に飛びこんでいく。このすばらしい水路が「ディッチ」と呼ばれているのだが、これはクレオパトラの金色に輝く豪華船を貨車と呼ぶようなもので、その真の魅力を示してはいない。

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底なしの穴へと続く道を進む

この水路の国では馬車の通れるような道はない。ディッチが造られる前、あるいは掘削される前には、馬が通れる道もなかったのだ。肥沃な土壌にふりそそぐ年間何百インチもの降水と熱帯の日差しを受けて、植物が流れに沿って生い茂るジャングルを作り出しているのだ。徒歩でここを切り開きながら進むとすれば一日に一マイルくらいは進めるだろうが、一週間もすれば疲労困憊してしまう。自分が切り開いてきた道が植物に覆い隠されてしまう前に戻りたいと思えば、はってでも急いで戻らなければならないだろう。オーショネッシーはこのジャングルと渓谷を征服した勇気ある技師だったが、この水路と馬の通れる道を造ってくれた。コンクリートと石で、世界的にも注目に値する灌水施設を造り上げたのだ。小川や水の流れるところから地下水路で水が主水路まで運ばれる。降水量が非常に多いときには、余分な水は無数の放水路から海へと流れこんでいく。

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幅一マイル半もある割れ目にクサビ状になって進入してくる雲。その向こうに見えているのは正真正銘の海だ。

スナーク号の航海 (38) - ジャック・ロンドン著

その昔、島で放牧されていた牛を夜間に囲っておくために使われた石囲いの中で ビーフジャーキーとかためのポイで昼食をとった。半マイルほどクレーターの縁を迂回してから、火口の中へ降りていく。火口底は二千五百フィート(約七百五十メートル)下にあり、そこに向かう急な斜面に火山灰が降り積もっている。馬は足をすべらせそうになったり、ずり落ちそうになったりもしたが、足どりはしっかりしている。黒っぽい火山灰の表面が馬のひずめで踏み割られると、黄土色の酸性の粉塵がはげしく舞い上がって雲のようになった。運よく見つけた風穴の入り口まで、平坦なところをギャロップで駆けていく。火山灰の雲に包まれながらも降下は続いた。噴石丘のある一帯では灰が風に舞った。噴石丘はレンガ色をしているが、古いものはバラ色だったり、紫色がかった黒だったりした。荒れた海の大波のような無数の溶岩流をこえ、くねくね曲がった道を進んだ。が、いつのまにか頭上はるかに火口壁がそそりたっている。溶岩流はかちかちに固まっていたが、荒海の波のようにノコギリの歯状になっていて難儀した。どちらの側にもぎざぎさした壁や噴気孔があり、すばらしい景観を形成していた。ぼくらがたどっている踏み跡は昔できた底なしの穴に向かっていたが、一番新しい溶岩流がそれに沿って七マイルも続いていた。

クレーターの一番低い方の端にあるオラーパとコーリアの木が茂る小さな林でキャンプした。千五百フィート(約五百メートル)もの垂直に切り立った火口壁の根元で、クレーターの縁から少し離れたところだ。ここには馬が食べる牧草はあるが水がない。それで、まずぼくらは道をそれて溶岩流を一マイルほども横切り、水があるとわかっているクレーターの壁のくぼみのところまで行った。水たまりはカラだった。しかし、割れ目を五十フィート(約十五メートル)ほども登ると、ドラム缶八本分ほどの水たまりが見つかった。手桶でくみ出すと、この貴重な水は岩を伝って下の水たまりに滴り落ちた。そこに馬が集まってくるので、カウボーイたちはそれを追い返すので忙しかった。というのも、狭くて一度に一頭しか飲めないからだ。それから壁の根元ぞいにキャンプ地まで戻った。野生のヤギの群れが集まってきて騒々しい。テントを立て、ライフルをぶっぱなした。食事のメニューはビーフジャーキーとポイに子ヤギの焼き肉だ。火口の上空、ぼくらの真上に、ウキウキウに吹き流されてきた雲海が広がっている。この雲の海はたえず頂上にさしかかり、それを乗りこえて進もうとするのだが、月はずっと見えていたし、雲に隠されることはなかった。というのも、火口の上空にさしかかった雲は、火口からの熱で消えてしまうからだ。月あかりの下でのたき火に魅せられたのか、クレーターに住み着いている牛がのぞきこむ。下草にたまった露くらいしかなくて、水はほとんど飲んでいないはずなのだが、よく肥えていた。テントのおかげで、夜露をしのげる寝室が確保できた。疲れを知らないカウボーイたちが歌うフラの歌を聞きながら、ぼくらは眠りについた。連中にはたしかに勇敢な先祖たるマウイの血が脈々と流れている。

太陽の家をカメラで再現することはできない。撮影した写真が嘘をつくわけではないが、すべての真実を語っているわけでもない。コオラウ・ギャップと呼ばれる割れ目は網膜に映ったとおりに忠実に再現されているが、写真ではどうしても、あの圧倒的なスケール感が伝わってこない。高さ数百フィートに見えるこうした壁は数千フィートもあるのだ。そしてそこから侵入してくるクサビ状になった雲は、割れ目の幅いっぱいに一マイル半も広がっているし、この割れ目の向こうには本物の海があるのだ。噴石丘の表面や火山灰の外見は形が崩れて色もないように見えるが、実際は赤レンガ色、赤褐色、バラ色と色彩も変化に富んでいる。それに、言葉でもうまく表現できないし、ちょっとむなしい。火口壁は二千フィートもの高さがあると言葉で表現すれば、ちょうど二千フィートの高さということになるが、火口壁には単なる統計上の数字をこえた、圧倒的な量感があるのだ。太陽は九千三百万マイル離れたところにある。が、われわれのように死すべき存在にとって、実感としては隣の郡の方が太陽などより遠くにある気がする。こうした人間の脳の弱点は太陽に対してひどくなるし、太陽の家に対しても同様だ。ハレアカラ火山を何か代わりになるものを使って伝えることはできない、美や驚異という人の魂に向けてのメッセージを発しているのだ。コーリコリはカフルイから六時間のところにある。カフルイはホノルルから一晩船に乗れば行ける。ホノルルは読者諸君がいるサンフランシスコから六日のところにあるのだ。

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半マイルほど下方に見える火口底の墳石丘。小さいもので高さ四百フィート(約百二十メートル)、最大のものは九百フィート(約二百七十メートル)ある。

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運よく見つけた風穴の入り口まで、平坦なところをギャロップで駆けていく

スナーク号の航海 (37) - ジャック・ロンドン著

また朝になり、ブーツをはき、馬に乗り、カウボーイと荷馬を伴って頂上に向かった。荷馬は五ガロンの袋を左右に振り分けて合計二十ガロンの水を運んだ。クレーターの縁から数マイル北東の地域は世界のどこよりも大量の降水があるのだが、クレーターの内側にはほとんどないので水は貴重なのだ。上方に続く道は無数の溶岩流をこえていて、道の痕跡などは残っていないが、十三頭の馬はこれまで見たことがないほど見事に歩を進めた。馬たちはシロイワヤギのように着実かつ冷静に垂直な場所を上ったり下ったりしたが、一頭も落ちたりためらったりはしなかった。

人里離れた山に登る人々がみな体験する、よく知られた奇妙な錯覚がある。それは高く登るほど、広範囲の景色が見えるようになのだが、登る側からすると水平線が上り坂の向こうに見えるのだ。この錯覚はハレアカラ火山で特に知られている。というのも、古い火山が海から直接にそびえていて、周囲に壁や続いているエリアがないためだ。そのため、ハレアカラ火山のおそろしいほどの斜面を一気に登っていくと、ハレアカラ火山自体も自分たちも、周囲にあるものすべてが深い奈落の底に向かって沈みこんでいるような気がしてくる。自分たちより上に水平線があるように思える。海は水平線から自分たちの方へと下ってきているように見える。高度を上げるにつれて、自分たちが沈みこんでいき、はるか頭上は空と海が出会う水平線まで続く急激な登り勾配になっているように感じられる。薄気味が悪く、現実のものとも思えないが、北極海の水が地球の中心に流れこんでいるシムズ・ホールや、ジュール・ベルヌが地球の中心に向かって旅したときに通った火山のようだという思いが脳裏をよぎった。

そうこうしているうちに、とうとうこの巨大な山の頂上に達した。頂上は宇宙の大きな穴の中心に逆さにして置いた円錐の底のようだった。ぼくらの頭上はるかで、水平線が天となってぐるりと取り囲み、山の頂上があるはずのところは、ぼくらのはるか下方にあり、そこに深くくぼんだ巨大なクレーターとなっている太陽の家があった。クレーターの壁は二十三マイルも延々と続いている。ぼくらはほぼ垂直な西側の壁の端に立っていたのだが、クレーターの底は半マイルほども下にあるのだった。底部は溶岩流が噴出した噴石丘になっている。燃え盛る炎の消えたのがつい昨日のように赤くて、露出したばかりで浸食されていないようにも見えた。この墳石丘は小さいもので高さ四百フィート、大きいもので九百フィートあり、よくある砂丘のようにも見えるのだが、できたときの激しさはすさまじいものだったろう。深さ数千フィートもある二本の割れ目がクレータの縁にできていて、この切れ目を通して、ウキウキウが貿易風の雲を進入させようと無駄な努力をしている。この切れこみからうまく入りこんだとしても、クレーターが熱いために薄い大気に消散してしまい、どこにもたどり着けないのだ。

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石がこいの中で、ビーフジャーキーとタロイモを蒸して作ったポイで昼食をとる

広大だが、わびしく荒涼とし、けわしくて人を寄せつけないが、それでも魅了されずにはいない、というような景観だった。ぼくらは火と地震が由来する場所を見おろしていた。眼前に地球のあばら骨がむきだしになっていた。天地創造のときから自然はここで作られてきたのだ、と思わせるようなところだ。あちこちに、原始の地球のころの岩でできた巨大な堰があり、地球という鉢から溶けた岩石が一直線に流れ出て、ついさっき冷却したばかりのようだった。とても現実のものとは思えないし、信じられない。見上げると、頭上はるかに(実際には、自分たちより低いところに)ウキウキウとナウルによる雲のせめぎあいが展開されている。奈落のような斜面を目で登っていくと、雲のせめぎあいのさらに上空に、ラナイ島とモロカイ島が浮かんでいる。クレーターの南東方向には、やはり上にあるように見えるのだが、青緑色の海がある。その向こうにハワイの海岸に押し寄せる白い波が見えている。貿易風による雲の列の先に、八十マイルほど離れた空のかなたに、冠雪した巨大なマウナケア山とマウナロア山の頂上が天の壁よりさらに上方にそびえている。

伝説によれば、はるか昔、現在の西マウイにマウイという名の男が住んでいた。男の母親はヒナと呼ばれていたが、木の皮でカパと呼ばれる布を作っていた。作るのはいつも夜だ。昼間はカパを天日に干して乾燥させなければならないからだ。来る日も来る日も朝になると、母親は苦労して木の皮でこしらえた布を日光に当てた。しかし、太陽は速足で通りすぎてしまうため、すぐに夜になり、しまいこまなければならなかった。というのも、当時は昼の時間が今より短かったからだ。マウイは母親のむくわれない努力を見ていて気の毒に思い、どうにかしてやろうと決意した。むろん、カパを吊るしたり、とりこむのを手伝うということではない。もっと根本的な解決を求めたのだ。つまり、太陽の運行をもっと遅くしようとしたのだ。おそらく彼はハワイで最初の天文学者だった。島の各地で太陽を観察した。そこで得た結論は、太陽はハレアカラ火山の真上を通るということだった。ヨシュアと違って、彼は神に助けを求めなかった。大量のココナッツを集め、繊維を編んで丈夫なヒモを作り、現代のハレアカラのカウボーイがするように一方の端に輪をこしらえた。それから太陽の家に登り、寝ながら待った。太陽が顔を出し、いつもの道を一気に駆け抜けようとしたとき、この勇敢な若者は太陽から出ている最も強く最も幅広い光束に投げ縄をかけた。太陽の速度はいくぶんか遅くなり、太陽の光束はちぎれて短くなった。それでも彼はロープを投げては光束をちぎりとり続けたので、とうとう太陽がこらえきれず、なぜそんなことをするのかと問うた。マウイは講和の条件を示した。太陽はそれを受け入れ、以後、もっとゆっくり運行することに同意した。というわけで、ヒナはカパ布を乾かすのに十分な時間を確保できるようになったが、これが今の方が当時より昼間の時間が長くなっている理由なのだ。この言い伝えは現代の天文学の教えとも一致している。

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クレーターの縁で

スナーク号の航海 (36) - ジャック・ロンドン著

第八章

太陽の家

 たえず動きまわる精霊のように、海や陸の絶景や自然の驚異や美を求めて地球上を旅している多くの人々がいる。そういう人々はヨーロッパにあふれている。フロリダや西インド諸島、ピラミッドやカナディアンロッキーやアメリカのロッキー山脈でも出会うことがある。とはいえ、そういった人々は、この太陽の家では絶滅した恐竜のように稀だ。ハレアカラは「太陽の家」という意味のハワイの言葉だ。壮大な景観の地で、マウイ島にあるのだが、これを眺めてみようという観光客は少ないし、現地まで自分の足で行ってみようとする人はもっと少ない。ほぼゼロだ。だが、自然の美や驚異を求める自然愛好家であれば、ハレアカラ火山では、他のどこにも勝るとも劣らない、すごいものが見られると、あえて言っておこう。ホノルルへは、サンフランシスコから汽船に乗って六日で着く。マウイには、ホノルルから一晩の船旅で着いてしまう。さらに六時間もあれば、海抜一万三十二フィート(約三千五十五メートル)の太陽の家の入口まで行ける、急いだらの話だが。観光客はそこまでは来ないし、ハレアカラ山の斜面には人のいない壮大なパノラマが展開されている。

ぼくらは観光客じゃないので、スナーク号でハレアカラまで行った。この怪物のような山の斜面には、五万エーカー(約二百平方キロ)ほどの牛の牧場があり、ぼくらは高度二千フィートのその場所で一晩すごした。翌朝、ブーツをはき、馬に乗って、カウボーイや荷馬と一緒にウクレレまで登った。ウクレレという名の山荘で、標高五千五百フィート(約千六百七十メートル)のところにある。気候は温暖だが、夜には毛布が必要だし、居間の暖炉には火が焚いてある。ところで、ウクレレというのは、ハワイ語で「ジャンプするノミ」のことだが、ギターを小さくしたようなハワイの楽器でもある。この山荘は楽器の方にちなんで命名されたのだろう。ぼくらは急いでいるわけではないので、その日をウクレレですごし、高度と気圧計について知ったかぶりの議論をし、論拠を証明する必要があるときには気圧計を振りまわしたりした。ぼくらの持っている気圧計は、いままで見たなかで最も優雅で頑丈な道具だ。また、ぼくらは山に自生しているラズベリーを摘んだ。ニワトリの卵かそれより大きなやつだ。ぼくらのいるところから四千五百フィート上にあるハレアカラの山頂まで牧草におおわれた溶岩の斜面が続いていて、それを眺めたり、明るい陽光をあびたぼくらの足元に広がる、雲の激しいせめぎあいを眼下に見てすごした。

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五ガロンの袋に分け入れた二十ガロンの水を荷馬で運ぶ

このはてしない雲のせめぎあいは毎日続いている。ウキウキウというのが、北東から吹きこんできてハレアカラにぶつかる貿易風の呼び名だ。ハレアカラ火山はとても巨大で標高も高いため、貿易風はこの山を迂回することになる。そのため、ハレアカラの風下側では、貿易風はまったく吹いていない。それどころか、北東の貿易風とは反対方向の風が吹いている。この風はナウルと呼ばれている。昼も夜もたえずウキウキウとナウルはぶつかりあい、優勢になったり劣勢になったり、脇にそれたり曲がったり、渦を巻いたり旋回したり、よじれたりしている。この風が衝突する様子は、そこで湧き出た雲同志のせめぎあいとして見ることができる。この山岳の周囲に雲が押し寄せ、ぶつかりあっているのだ。ときには、ウキウキウが強い突風となって、ハレアカラ山頂にかかる巨大な雲を吹き払ってしまうこともある。ナウルがそれをうまく利用して新しい雲の戦隊を編成し、古くからの永遠の好敵手を打ち負かしてしまうこともある。ウキウキウは山の東側に巨大な雲を送りこみ、側面からまわりこむ。しかし、ナウルは風下側の隠れ家から、側面の雲を集めては引きこみ、ねじったり引きずったりして編隊を整えて、山の西側周辺からウキウキウに対抗する。その間ずっと、海へと続いている斜面の高いところにある主たる戦場の上でも下でも、ウキウキウとナウルはたえず雲同志の小競り合いを繰り返しているのだが、そうした雲は木々の間や渓谷を抜けて地面に広がり、いきなり互いに襲いかかったりするのだ。ウキウキウとナウルがふいに巨大な積雲を作り出し、あちらこちらでの小競り合いを飲みこみ上空高く舞い上げて、何千フィートもの垂直に伸びた巨大な渦を作ることもある。

とはいえ、主たる戦闘が続くのはハレアカラ火山の西側斜面である。ここで、ナウルの雲は最大になり、圧倒的な勝利をおさめる。ウキウキウは午後遅くになるにつれて弱くなる。貿易風にはそういう傾向があり、反対側から吹いてくるハウルのために吹き払われてしまうのだ。ナウルの方が卓越するようになる。ナウルは終日、雲を集めては送り出しているのだ。午後も進むにつれて、はっきりとした積雲ができ、先端は鋭さを増し、長さ数マイル、幅も一マイル、厚さ数百フィートにも達する。この巻雲は少しずつ前進してウキウキウとの戦闘に参加してくるため、ウキウキウは急速に弱まって雲散霧消してしまう。しかし、いつも簡単に白旗をあげているわけではない。ウキウキウが荒れ狂い、無限ともいえる北東風の支援を受けて雲が次々に誕生し、ナウルの積雲を一気に半マイルも撃退し、西マウイの方まで一掃してしまうこともある。この二つの勢力が入り混じってしまい、その結果として一つの巨大な垂直にのびた渦ができ、それが空高く何千フィートも積み重なって、ぐるぐるまわることもある。ウキウキウの本流が雲を低く密集させ、地面近くからナウルの下部にもぐりこむように前進させる。ナウルの巨大な中央部はその一撃を受けて上昇するものの、通常は押し寄せてきた雲を押し返して粉砕してしまう。そうして、その間ずっと、あちこちで小競り合いをしていた迷い雲や切り離された雲が木々や谷間を抜けて草地を進み、いきなり出くわして互いに驚くことになる。はるか上空では、沈みゆく太陽の穏やかだがものさびしい光をあびたハレアカラ山が、この雲の衝突を見おろしている。そうやって夜を迎える。だが、朝になると、貿易風はまた勢いを取り戻し、強い風を集めたウキウキウがナウルの雲を押し戻し、敗走させる。来る日も来る日も、そんな雲のせめぎあいが続く。ここハレアカラ山の斜面では、ウキウキウとナウルが永遠に競いあっているのだ。