現代語訳『海のロマンス』52:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第52回)

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二、副直勤務

夜明けの当直の副直(サブワッチ)に立つ。十一月五日。

暗い海から涼しい風が吹き上がって、睡眠(ねむ)りたりない顔にいくぶんの爽快味を与える。うす暗い羅針盤(スタンダード・コンパス)のランプで、針路が南南西になっているのが照らし出される。

例の季節風(モンスーン)のため、したたか悩まされた練習船はついに十一月三日の午後四時に総帆(そうはん)をたたんで機走に移った。北緯八度四十分、西経百二十四度。

暑さはいくぶん減ったようだが、赤道無風帯(ドルドラム)に特有の威嚇的な空と、悪性な海の揺れ方はまだ直りそうもない。

こんな気味の悪い自然を背景に、こんな不愉快な機走をやるほど船乗りにとっては苦しく、つまらない航海はない。「船乗り」というありがたい、尊(とうと)い言葉に対しても、こんな無趣味な、含蓄のない、間の抜けた航海はしたくない。帆船で機走するのは、正宗(まさむね)の名刀を「薪(まき)割り」に使うようなものである。では汽船や軍艦の航海は……と詰め寄る人がいれば、ぼくは彼らはただ船を動かす一種のドライバーである。「船乗り」などとはとんでもないと喝破(かっぱ)するであろう。

こんな「謀反人(むほんにん)」を乗せているとも知らない練習船は、委細(いさい)かまわず、すべての逆風と横波と──自然の権威を風のように受け流し、濃いばい煙を後方に引きずりながら、ただ南へ南へスットンスットンと走る。ブルブルブルッとエンジンルームから伝わってくる振動を足元に感じながら、方位磁石のカードから目を上げると、いましも火かき棒(ポーカー)で炉をかきまわしたと見え、赤い小さい無数の火の粉が、小さな妖魔の抜け魂のごとく、フラフワとリギンの間をくぐって飛ぶ。風が左舷船首から来るので、ススや火の粉はさかんにクロジャッキ・ヤード*1の右端を襲って、黒焦げにくすぶれたヤードカバーは、ローマの騎士の心を見よやと、燈火(ほのお)のうちにわれとわが手を突っこんだ少年の片腕に似ている。

*1: クロジャッキ・ヤード - クロジャッキはクロスジャッキとも呼ばれるが、一番前のマストの最下段に取りつける大型の横帆。ヤードは帆桁(ほげた)。横帆を張るためマストと直角に取りつけられている。

風向(かぜ)がよくなって進路が南へ向かうまでは、この機走はこのままずっと続行するとのことである。

ますますやりきれない。やりきれないのは、ぼくらばかりではなく、海洋(うみ)もまたしゃくにさわると見えて、
さかんに騒ぎ揺れている。

船がかく一言の相談もなく、海の権威を無視して、非合理的に非調和的に傍若無人(ぼうじゃくぶじん)にふるまうからには、当方にも相当の考えがあるというように、ピッチング、ローリング、ヒービング等のはなはだ痛みいるごちそうをくらわせる。なるほど、かかる境地こそ妥協や感情や意思や意見の一致も必要なんだなと急にわかったような気がしてくる。堂々たる政治家諸君が料亭で意気投合されるのも、控室において買収されたり変節されたりするのも、皆、いつわらざる生の必要意義から来るのだろう。

三、航海中の汁物

航海中の汁物は、おおよそこれをワカメ汁、うどん汁、豆汁の三つに分けることができる。

冷蔵庫の肉類がようやく臭くなりだし、ようやく乏しくなって、一番船倉(ホールド)には玉ねぎやセリーの影が認められなくなる頃こそ、豪快なわが航海汁(こうかいじる)が幅をきかす得意なときである。一番ホールドに赤鬼の一物(いちもつ)のようにブラ下がっておったハムがなくなり、毎土曜日にはライムジュースが現れ、缶詰や乾燥野菜のごちそうが心細くも船の食卓を飾るときぞ、わが航海汁の黄金時代である。このころになると、きっと

乾燥野菜や缶詰は
わが食欲を減らすなり

というような珍奇な歌が流行りだす。

ブレースを引き、ロイヤルをかけて*2、空腹がその極度に達したとき、期待と希望と危惧とをもって食堂に入っていく目の前に、変なにおいをして豆汁が平然と盛られているのを見るのは、実に情けない、はかない思いである。水にふやした豆を粉々に砕いたのが分厚く鍋の下に沈滞しているのを見ると、河南(かなん)の袁術(えんじゅつ)*3ではないが、目をつぶっても、心で観念しても、喉の仏様が厳然と通行を拒絶するような気がする。

*2: ブレースはヤード(帆桁)の端に取り付けたロープ。これを引いて帆の向きを調節する。
ロイヤルはマストで一番上に張る帆。

*3: 河南(かなん)の袁術(えんじゅつ)は、中国・後漢時代の武将(155年~199年)。

しかし、かかる貧弱なまずい航海汁が続いていくことで、やがては陸(おか)に対する熱烈なる思慕憧憬(しぼしょうけい)の思いにつながるかと思えば、この航海汁に満足する者は他日の不幸者で、ブツブツの不平党は大幸福者だという、なんとも妙な理屈の真理に到達せざるをえない。やれやれ。

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