ヨーロッパをカヌーで旅する 66:マクレガーの伝説の航海記

ジョン・マクレガー著

現代のカヤックの原型となった(帆走も可能な)ロブ・ロイ・カヌーの提唱者で、自身も実際にヨーロッパや中東の河川を航海し伝説の人となったジョン・マクレガーの航海記の本邦初訳(連載の第66回)
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日曜は散歩したり本を読んだり、のんびりとすごした。宿の気持ちのいい離れで、ミュルーズから釣りに来ていたイギリス人一家と一緒に食事をした。娘の一人が深い池に落ちておぼれかけた。叫び声が聞こえたので、すぐに駆けつけて引き上げた。

このイギリス人の英語には、ちょっと外国人風のアクセントがあった。もうフランスに六年もいるのだそうだ。とはいえ、故郷のランカシャーなまりは会話の随所に出ていた。彼は「マンチェスターの新聞で、ちょうどカヌーについての記事を読んでいたところなんだよ」と語った。その日の朝、子供たちは日曜学校に行き、それから汽車でここまで来たらしい。英国北部の、およそ上品とはいえない彼の所作と、「小さな紳士淑女」たる子供たちのお行儀のよさは対照的だった。その上品な子供の一人であるフィリバートは非常に利口で、一時間か二時間、ぼくの話の相手をしてくれた。仲良くなり、その子はイギリスやアメリカについて、ありとあらゆることを質問しまくった。挿絵の入った本を渡すと、大喜びでフランス語の本を父親に読んでやっていた。その本では、ナポレオンと元帥が、島流しにあったセントヘレナ島でキリスト教の信仰について語りあったりしている、ちょっとびっくりするような本なのだ。フランス語を解する者にとっては、読む価値のある本だ。

この日曜は年に一度の村祭りの日で、楽隊が演奏し、ぱっとしないカップルが一日じゅう、ワルツを踊ったりしていた。このところ雨が降らず、この乾ききった大地を、羊飼いに導かれた羊の大群が通っていった。水深が数センチしかない水たまりでは、かわいそうに、ガチョウが翼をバタバタさせて泳ごうとしていた。例年であれば、この川にはもっと水があるはずなのだ。そのガチョウには大いに同情した。こっちも、カヌーを浮かべるべき川が消えてしまっているのだ。ここでは二泊し、たらふく食べたり飲んだりした。料金は五シリングだった。ぼくは後ろ髪を引かれる思いでマダム・ニコに別れを告げ、運河のカヌー旅を再開した。とはいえ、これまでのような急流下りもなく、単調で、水もきれいというわけではない。ロックを超える作業を一、二回経験すると、こんな旅はもう十分という気がしてくる。予定を変えようと思った──こんなんで自由きままな旅といえるのか、というわけだ。

少し考えてから、土手に上がり、カヌーを運搬する方法を探した。いまのコースを進んでも、次々に出現する退屈なロックをやりすごして丘陵地帯を抜けるまでに何日かかかるだろう。それに、何年前だったか、この運河は漕ぎ手が四人もいるウォーターウイッチ(水中の魔女)号が通ったところだ。はるか遠くに、ボージュのブドウ畑が広がっている。丘陵地帯だ。ここでいったん運河から離れ、あそこまで行こうと思った。丘陵地帯に入ったら、カヌーを荷馬車に積み、モーゼル川の源流まで運ぶ。そうして、まったく別の水系でカヌー旅を続けようと決めた。というわけで、ぼくはそのままUターンし、運河を逆に引き返した。再度、イル川に入りなおす。とはいえ、まもなく、ぼくの軽いカヌーですら浮かべられないほど水深が浅くなった。またも逆戻りだ。運河に戻り、いくつもロックを超え、イルフュートも通り過ぎた。荷馬車が雇えそうな村に着くまで前進あるのみだ。強烈な日差しを受け、やけくそになり、死に物狂いでパドルを漕いだ。だが、ぼくを本当に悩ませたのはそういう肉体的な苦痛ではなく、汚くて悪臭のする運河を何マイルも行ったり来たりして同じロックを二度も三度も通過するという様子を見ている人たちに、こいつ馬鹿だろと思われたり(これはまあ、がまんできる)、怒り狂って常軌を逸した「野放しにすると危険な人物」と思われたりしないかということだった。

じろじろ見られるのが好きな人はいない。自分にその原因となる落ち度がなく、逆に称賛に値するほどの栄誉もなく、それなのに人の注目を浴びるという、この殉教者然とした苦しみに耐えるには、面の皮が分厚くなければならない。形而上学風に言えば、ああ、このまま深みから抜け出てしまうことをおそれた。つまり、「自分でもわかっていないことを説明しようとして混乱してしまったわけだ、つまり、それが形而上学だ」

それでも、ともかくもハイドウィラーという名の村までやってきた。ここには借りられる荷馬車がありそうだった。が、荷馬車はたくさんあるのに、しかも「報酬ははずむよ」と持ちかけても、じゃあ俺が運んでやろうと申し出てくる人は一人もいなかった。この日はブドウ収穫の初日だったのだ。「昔からのしきたりは守らなきゃなんない」という。それで、そのまま、次の村までカヌーを漕いだ。あろうことか、そこでは、ロックを修理するために水を抜いていた。

ここで立往生してしまった! カヌーを浮かべる水がなく、陸路で運搬してくれる荷馬車も見つからない。進退きわまった。ともかく落ち着いて考えよう。ぼくはロックの管理人の女房が焼いてくれた大きな熱々のパンにかじりついた。干しブドウが入っていた。農家で荷車と呼ぶにも無理がある不格好な荷車を見つけ、懇願して借りた。管理人は「その荷車を曳かせる動物を探してくる」と畑に向かった。

管理人は陰気そうな牛を連れて戻ってきた。カヌーを荷車に載せ、ゆっくりと出発した。ここに示したスケッチは、ラウフェンブルクで荷車を引いている牝牛を描いたものだが、こういう風なことを、もっとボロい荷車でやったわけだ。

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荷車も牛も、次の村までという約束だった。そこにブドウ園はない。そこでは不愛想な牛ではなく、馬が見つかった。カヌーを載せた荷馬車を見て、地元の人々は仰天した。それだけでも珍妙な組み合わせなのに、おまけに、その脇には妙ちくりんな外国人までいるのだ。

異常に暑かったし、道はほこりまみれだった。馬車はガタガト進んだ。馬車に比べてぼくの歩く速度が速すぎると、御者はぶつぶつ文句を言っていた。

そんなこんなで、立派な果樹園地帯にあるいくつかの村を通り過ぎた。そうした村々では、馬に餌を食べさせたり、御者に昼食をおごったりした。雇い主たる自分の腹も満たさなければならない。どこの村でも、御者氏がカヌーについて、虚実とりまぜて、一席ぶってくれた。それが結構受けていた。とある街道沿いの宿では、テーブルに新しいワインが置かれていた。できたてのやつだ。それが、まるで冷たいミルクと砂糖の入った冷たいお茶みたいに供されている。飲んでみると、とても甘美で、うまかった。この新酒のワインは特に女性の間で人気があった。「穀物は若者を栄えさせ、新しいブドウ酒は乙女を栄えさせる」(旧訳聖書ゼカリヤ書9.17)。

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