ヨーロッパをカヌーで旅する 46:マクレガーの伝説の航海記

ジョン・マクレガー著

現代のカヤックの原型となった(帆走も可能な)ロブ・ロイ・カヌーの提唱者で、自身も実際にヨーロッパや中東の河川を航海し伝説の人となったジョン・マクレガーの航海記の本邦初訳(連載の第46回)
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丸一日の間、ずっとカヌーに乗っていた。一日に十時間から十二時間ほども本格的に「漕ぐ」のは久しぶりだったので、ぼくは無理をしないよう、のんびりと、尽きることのないルツェルン湖の景色を眺めてすごした。それでもこの豊かで圧倒的な自然の中で、まだ見ていないところも十や二十はありそうだった。とはいえ、さすがに夜中も漕いでまわるというわけにはいかないので、俗事というか、今夜泊まる宿を探さなければならない時間になった。しかし、すでに述べた観光客用の巨大な宿泊施設などには泊まりたくない。どこか日曜には休息できるような静かな場所を見つけたかった。木々が生い茂っている小さな岬をまわると、いきなり探しているものが眼前に飛びこんできた! とはいえ、あれはホテルなのだろうか? そう、「ゼーブルク」という名前が出ている。静かだろうか?  薄暗くなった歩道を観察する。風呂はあるだろうか? はは、そんな心配は不要だろう。庭先に湖が広がっているのだから。釣りはどうだろう? 湖畔に茂ったアシの上から少なくとも四本の釣り竿が伸びていた。その背後には息をひそめて竿先の動きを注視している人影もある。

で、そこに堂々と乗り入れた。十分後には、カヌーは小屋におさまり、ぼくは屋内の立派な部屋にいて、夕食を頼んでいた。ずっと炎天下にいたので、湖に飛びこんで泳ぐのは気持ちよかった。沖まで泳いでいき、透明な湖水で、ぐるぐる円を描いて泳いだ。それから小さいがきれいなバスルームに入り、乾いた服に着替えた。夜には、すてきなイギリスの音楽が奏された。一時間ほどの即興の演奏だった。それから月夜の散歩をした。街の大きなホテルに泊まると、客は仲間同士でかたまっているか、それぞれ自室に引きこもり、みんな人づきあいが悪くなったなどと愚痴を言ったりしていたことだろう。

この宿は、すばらしく快適だった。数組のイギリス人の家族が一日六フランで楽しく「宿泊」していた。それにロシア人の老将軍が一人いた。礼儀正しい軍人で、栗の木の木陰に座って何時間もおしゃべりしたり、釣果があまりなかった四人の辛抱強い釣り人にほほえみかけたりしていた。

日曜にはルツェルンの街の教会に行った。そこでは大勢の信者たちが、有名な教会関係者による立派な説教に耳を傾けていた。そこは「ソサエティ・フォー・コロニアル・アンド・コンチネンタル・チャーチズ」*1という組織が運営しているのだが、旅行をしたりする者は皆、ずっと母国から一歩も出ない人を除き、この団体を支援すべきだと思う。というのも、この団体は海外にいて日曜に食べ物や休息を必要としている人々に、もう何度もそれを与えてきているのだ。海外旅行を楽しんでいると、人間は魂と肉体だけでできていると思ったり行動したりしがちになるが、食べ物もいるし休息も必要なのだ。

ぼくはルツェルン湖からロイス川をカヌーで行くことに決めた。この川はルツェルン湖から流れ出て、街の中を貫いている。サンクト・ゴットハルトの周辺からはライン川、ローヌ川、ロイス川、ティチーノ川という四つの川が流れだしているが、その一つである。四つの川の一つは北海にそそぎ、他の三つは地中海にそそいでいるが、いずれも源流はスイス周辺にある。

ロイス川はスイス・アルプスの山中を流れているので、徒歩で旅行する者は急流のロイス川にはよく出くわす。ぼくにとって、この川には特別な関心があった。というのも、かつて源流となっている氷河を超えてガレンホルン(標高2797m)に登ったことがあるのだが、ガイドが役立たずで、道に迷い、なんと泣き出してしまったのだ。ぼくらは霧の中を手探りで道を探した。やがて雪まで降りだした。吹雪が六時間続いた。ぼくらは悲惨な状態で、食べる物もなく、暗闇をさまよった。しまいに、この愚かな行楽客の一行を捜索する、ライトを持った人々に発見されたのだった。



訳注
*1: Society for Colonial and Continental Churches
英国の植民地と欧州大陸に存在している、海外同胞のためのキリスト教団体の一つ。
この名称の団体は1823年から1974年まで存在していた。

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