オープン・ボート 7

IV

「料理長君」と、船長がいった。「君のいう避難所には、人のいる気配がないようだが」

「そうですね」とコックが答えた。「妙ですね、俺たちのことが見えてないなんて!」

 ボートに乗った男たちの眼前には、低い海岸が広がっていた。上が植物で黒っぽくなった低い砂丘のようだった。波の打ち寄せる轟音がはっきり聞こえたし、ときどき海岸に打ち上がる白い唇のような波頭も見えた。空を背景に、小さな家が一軒、黒い影となって見えていた。南の方には、細い灰色の灯台も見えていた。

潮流に加えて風や波がボートを北に押し流していた。「おかしいな、誰も見てないなんて」と、男たちはつぶやきあった。

ボートに乗っていると、波の音はそれほど明瞭ではなかったが、雷鳴のように力強いものだった。ボートが大きなうねりで持ち上げられると、ボートに座っている男たちにも轟音がはっきり聞こえた。

「こりゃきっと転覆するな」と、誰もが口をそろえた。

公正という点では、ボートのある場所からは、どの方向にも、二十マイル以内に海難救助の詰め所はなかったという事実をここで述べておくべきだろう。が、ボートの男たちはその事実を知らなかったので、国の海難救助に携わっている人々の視力について、口を極めて悪口をいいあった。しかめっ面をしてボートに座り、四人は罵詈雑言の限りをつくした。

「俺たちが見えないって、おかしいだろ」

少し前までの助かったという安心感は完全に消え失せていた。心も辛辣になり、やつらは無能なんだとか、何も見えちゃいないんだ、ひどい臆病者なんだなどと、自分たちがまだ発見されていない理由を次から次に数えあげた。人がたくさん住んでいそうな海岸で、人影がまったく見られないというのは、なんともつらいことだった。

「どうやら」と船長が、やっと口を開いた。「自力でなんとかするしかないようだな。こんなところに浮かんだままで救助を待っていたら、ボートが転覆したときに陸まで泳いでいく体力も奪われてしまう」

それを受けて、オールを手にしていた機関士がボートをまっすく陸に向けた。ふいに全身の筋肉が緊張した。考えるべきことがあるのだった。

「全員が上陸しなかったとしても」と、船長がいった。「全員が上陸できるとはかぎらないが、もし私ができなかったとして、私の最後を誰に連絡すればいいか、君らは知ってるかね?」

彼らは万一のときに必要となる連絡先の住所や伝言について教えあった。彼らには強い怒りがあった。それを言葉で表現すると、おそらく、こういうことだ――万一、自分がおぼれることがあったら、もし俺がおぼれたりしたら――おぼれてしまったら、海を支配している七人の怒れる神の名にかけて、なぜこんなにも長く漂流したあげくに砂浜や木々を見せられているのか? 苦労してここまでやってきて、どうやら助かりそうだとなったところで無慈悲にもその望みを絶つためにここまで生き延びさせたってことなのか? それはおかしい。運命という名の年とった愚かな女神にこんなことしかできないのであれば、人間の運命をもてあそぶ力を剥奪すべきだ。自分が何をしようとしているかも知らない老いたメンドリにすぎないのか。運命の女神が俺をおぼれさせると決めたというのなら、どうして船が沈没したときに殺してくれなかったんだ。そうすれば、こんなきつい目にあわなくてもすんだのに。すべてが……不条理だ。だが、いや、運命の女神だって俺をおぼれさせることなんかできはしない。俺をおぼれ死んだりさせたりはしない。こんなに苦労させられた後で、死ぬなんてありえない」 そうして、天にむかって拳を振り上げたい衝動にもかられた。「俺をおぼれさせてみろ。そしたら、俺がお前を何と呼んでやるか聞きやがれ!」

オープン・ボート 6

スティーヴン・クレイン

こうした理由から、機関士も記者も、このときばかりは漕ぎたくなかった。記者は、正直にいうと、まともな人間で、こういうときにボートを漕ぐのが楽しいと思うようなやつがいるわけないと思った。気晴らしのレジャーではないのだ。ひどい罰を受けているみたいだったし、頭のいかれた天才であっても、これが筋肉に対する拷問ではなく、背中に対する罪悪でもないと断言することはないだろう。ボートを漕ぐのがこんなに楽しいとは思わなかったよ、と記者がボートに乗った連中につぶやくと、疲れ切った機関士がまったく同感だというように苦笑した。船が沈没する前、彼は船の機関室で昼も夜も当番を続けていたのだった。

「まだ無理はするなよ」と、船長がいった。「体力を残しておくんだ。波打ち際まできたら、必死でがんばらなきゃならなくなる――泳ぐ羽目になるだろうからな。のんびりいこう」

陸地が少しずつ海面から高くなってくるのがわかった。黒っぽい一本の線だったものが、黒い線や白い線、樹木や砂浜が見わけられるようになった。とうとう、岸辺に家が見えると船長がいった。「あれが避難所でしょう、きっと」とコックが応じた。「そのうち俺たちを見つけて、救助に来てくれますよ」

遠くに見えていた灯台が建物の背後にそびえていた。「もう灯台守が気づいてるはずだな、ちゃんと望遠鏡で見張っててくれれば」と船長がいった。「救助隊に連絡してくれるだろう」

陸地が徐々に、しかも美しく、登場してきた。また風が強くなった。風向は北東から南東に変化していた。そうして、ついに今まで聞こえなかった音がボートの男たちの耳に聞こえてきた。岸に打ち寄せる、低い雷鳴のような波の音だ。「まっすぐ灯台には向かっていけないだろう」と船長がいった。「ボートを少し北に向けてくれ、ビリー」

「少し北ですね、船長」と機関士が応じた。

小さなボートが船首をまた少し風下の方に向けると、漕ぎ手以外の者は、陸が大きく迫ってくるのを見守っていた。陸がだんだん大きくなってくるにつれて、無事に上陸できるかという疑念や不吉な予感めいたものも、彼らの心から消えていった。ボートを操船するのは相変わらずやっかいだったが、それでも、うれしい気持ちは隠しきれなかった。たぶん、あと一時間もすれば上陸しているはずだ。

男たちは自分の体重を使ってボートのバランスをとるのになれてきていた。今では暴れ馬に乗ってロデオをやってみせるサーカスの男たちのようだった。記者は全身びしょ濡れだと思っていたが、上着のポケットを探ってみると、葉巻が八本見つかった。半分は海水で濡れていたが、残りの四本は無事だ。探すと乾いたマッチも三本見つかった。ボートに乗った四人は、救助が近いことを確信し、目を輝かせて葉巻をくゆらせ、互いの長所や短所を判断しつつ、それぞれ水を一口飲んだ。

オープン・ボート 5

III

海の上で同じ船に乗りあわせた者たちに生じる微妙な連帯感を言葉で表すのはむずかしい。誰も同志だとはいわなかったし、そういうことを口にする者もいなかったが、一緒にボートに乗るはめになってみると、そういう感情というものが実際に存在し、互いに親近感がわいてくるのだった。船長がいた。機関士がいて、船の料理長がいて、それに乗客の記者がいた。この四人は同志だが、普通の仲間よりもっと強いきずなで結ばれていた。負傷した船長は船首の水がめにもたれ、いつも低い声で穏やかに話した。しかし、船長にとって、このボートに乗り合わせた他の三人ほど命令をすぐに受け入れて機敏に動くクルーはいなかっただろう。そこには、安全という共通の目的のために何が最善かをただ認識するということを超えるものがあった。たとえば、司令塔たる船長の命令に従ってみると、たとえば、すべてを批判的に見ろと教えられてきた記者のような者であっても、遭難している状態とはいえ、これが自分の人生で最高の体験になるとわかった。だが、誰もそうだとはいわなかったし、そういうことを口にする者もいなかった。

「帆があったらなあ」と、船長がいった。

「私のオーバーコートをオールの先端にかけてみようか、そうすれば、君ら二人も休めるんじゃないか」

それで、コックと記者はオールをマストのように立てて持ち、コートを広げた。機関士が舵をとった。すると、この新しい帆は小さなボートをうまく前に運んでくれた。機関士は、ボートが波に突っ込まないように、ときどき舵をすばやく動かして漕がなければならなかったが、それをのぞけば、この帆走はうまくいった。

一方、灯台は少しずつ大きくなってきた。いまでは塗られている色もだいたいわかるようになり、空を背景に小さな灰色の影のように見えていた。両手でオールを漕ぐ係は灯台に背を向けていたが、この小さな灰色の影の灯台を見ようと、たびたび振り返った。

やがて、波に頂点まで持ち上げられるたびに、ようやく揺れるボートから陸が見えるようになった。灯台は空を背景にした垂直な影だったが、陸地は水平線上に細くのびた黒い影みたいだった。たしかに紙よりも薄かった。

「ニュースミルナの沖あたりかな」と、コックが言った。彼はこの海岸沿いをスクーナーで何度も航海したことがあったのだ。「ところで、船長、海難救助の詰め所が廃止されたのは一年ぐらい前だったでしょうか?」

「そうなのか?」と、船長がいった。

風は徐々に落ちてきた。コックと記者はもう風を受けるためにオールを立てておく必要がなくなった。だが、波はあいかわらずボートに襲いかかってくる。小さなボートは進むこともできず、波に翻弄された。機関手と記者はまたオールを手にした。

船の沈没は、いきなり起きるものだ。避難訓練を受け、心身が健康なベストの状態で沈没が起きるのであれば、海での溺死者は減るはずだ。だが、このボートに乗っている四人は、救命ボートに乗り込む前の二日二晩というもの、ろくに寝ていなかったし、沈みかけた船の甲板上をはいつくばって登るという異常に興奮した状態にもあったので、腹一杯食べておこうという気にもならなかったのだ。

オープン・ボート 4

一方、機関手と記者はボートを漕ぎ続けていた。漕ぎに漕いだ。

彼らは同じシートに腰かけ、それぞれ一本のオールで漕いだ。やがて機関手が両手で二本のオールを左右に持って漕ぐようになった。それから記者が交代し、同じように両手で左右のオールを漕いだ。彼らは必至に漕いだ。細心の注意が必要なのは、船尾で休んでいる方が自分の番になって漕ごうとするときだ。小さなボートで席を移動するのは、卵をあたためているメンドリから卵を盗みとるよりむずかしい。まず、船尾で待機していた方が手を漕ぎ座にそってすべらせ、壊れやすい陶器でできているみたいに慎重に移動しなければならない。それから漕ぎ座にいた方が手を反対側にそってすべらせるのだ。すべてに細心の注意を払っわなければならなかった。二人が互いにすれ違うときには、ボートに乗っている全員が迫ってくる波を見張っていた。そして船長が「よく見ろ。さあ、いまだ!」と叫んだ。

茶色いカーペットみたいな海藻の塊が、ときどき島のように出現した。そうした海藻の塊は、明らかにどっちの方向にも動いていなかった。海藻の塊はほとんど静止していた。それで、ボートの男たちは自分たちが岸の方にゆっくり流されているとわかったのだった。

船首にいて後方に目を配っていた船長は、ボートが大きな波で高く持ち上げられると、モスキート湾の灯台*1が見えたといった。やがて、コックが俺も見たといった。そのとき、記者は漕いでいたのだが、自分もどうしても灯台を見てみたいと思った。とはいえ、はるか遠くの陸に背を向ける格好で座っていたし、波をうまくやりすごすのが最優先だったので、振り返って眺める機会はなかった。やっと、それまでより穏やかな波が来たので、波でボートが持ち上げられたとき、西方の水平線をちらっと眺めた。

「見えたかね?」と、船長がきいた。

「いいえ」と、記者がゆっくり答えた。「何も見えませんでした」

「もう一度、見てみなさい。こっちの方角だ」と、船長が指で示した。

別の波の頂点にきたとき、記者は指示された方向を眺めた。今度は、揺れ動く水平線の端に何か小さな動かないものが見えた。ピンのように尖っていた。こんな小さな灯台を見つけるのは、よほど注意していないと無理だ。

「あそこまで行けると思いますか、船長?」

「風が持ってくれて、ボートが水没しなけりゃね。他に手はないし」と、船長がいった。

小さなボートは高く盛り上がった波に持ち上げられては水しぶきに洗われ、海藻のないところでは動いていることすらよくわからなかったが、少しずつ進んでいた。ボートは大海原にもみくちゃにされながら、溺れかけた子供のように奇跡的に船首を上にあげて進んでいた。ときどき目の前いっぱいに広がった海水が、真っ白な煙が充満するようにボートに流れ込んできた。

「くみ出したまえ、料理長」と、船長は冷静な声でいった。

「承知しました、船長」と、元気のよい返事が返ってきた。

脚注
*1:モスキート湾の灯台 ─ フロリダ半島中部の大西洋に面した湾にある、米国でも有数の高さを誇る灯台(53m)。

 

『オープン・ボート』は、作者のスティーヴン・クレイン自身が経験した船の沈没と小型ボートでの漂流に基づくもので、この灯台も実在している。



ErgoSum88 [Public domain]

灯台は光が遠くまで届くよう岬などの高い場所に造られることが多いが、この地域は平地なので、灯台自体を高くしてある。


なお、モスキート湾付近にはモスキート沼やモスキート川があり、行政区画もモスキート郡となっていたことから、この付近では開拓者たちもさぞ蚊に悩まされたのだろうということがわかる。

現在、モスキート郡はオレンジ郡、モスキート川はハリファックス川、モスキート湾は、十六世紀のスペインの開拓者にちなんでポンス・デ・レオン湾と名称変更されている。

オープン・ボート 3

波の頂点でボートが跳ねると、風が無帽の男たちの髪をかき乱した。ボートがまた船尾から着水すると、水しぶきが乱れた髪をなでつけていった。盛り上がった波は丘のようで、その頂点にきたとき、一瞬だが、風が吹き乱れている広大な光かがやく大海原が見えた。このエメラルドや白や黄色の光に満ちた荒々しく自由奔放な海は、おそらく壮大で、おそらく輝かしくもあっただろう。

「いいぞ、陸に向かって風が吹いてる」とコックが言った。「そうじゃなかったら、どうなるんだろうな? 考えたくもねえけど」
「そうだな」と記者が言った。
 あれこれ作業で忙しい機関手は、無言でうなづき同意した。

 すると、船首にいた船長がユーモアと侮蔑、悲しみの入り混じった複雑な笑顔を見せ、「助かりそうだとでも思っているのかね、君たちは?」と言った。

すぐに三人は黙った。気まずく咳ばらいしたり口ごもったりした。こんな状況で何かしら希望的観測を述べるのは子供じみていて馬鹿げていると、彼らも感じたのだった。とはいえ、心の中では疑いもなく、なんとかなるんじゃないかと感じててもいるのだった。若者というのはそんなときは強情になるものだ。彼らは若くもあったし、あからさまに示された絶望には反抗したいという思いもあった。だから、船長に反論せず黙りこんだのだ。

「まあ、そうだな」と、船長はとりなすように言った。「なんとか陸には着けるだろうよ」

 だが、彼の声の調子には、条件つきだぞと思わせるものがあったので、機関手がそれを受けて「そうです! この風が続いてくれさえすれば!」と続けた。

 海水をくみ出していたコックは「そうそう! 波でひっくり返りさえしなけりゃな!」と言った。

中国製のネルの生地でできているようなカモメが、ボートの周囲を飛んでいた。洗濯ロープにかけられ強風で揺れるカーペットのように、茶色い海藻の塊が波とともに揺れ動いては巻き波になってくずれ落ちたりしていたが、カモメたちはその近くの海面に降りて浮いたりもしていた。海鳥の群れが平気な様子で浮かんでいるので、ボートに乗った連中には、それをうらやましがるものもいた。というのは、荒れ狂う海といえども、カモメにとっては、数千マイルも内陸の草原ライチョウの群れに対するようなものにすぎなかったからだ。カモメたちは何度も近くまで来て、黒いビーズ玉のような目でボートの連中を見つめた。鳥はまばたきをしないので、監視されているようで不気味だし、何かをたくらんでいるようにも見えたので、男たちは鳥に向かってどなったり、あっちに行けと叫んだりした。一羽のカモメが接近してきて、船長の頭の上に降りようとした。そのカモメは円を描かず、ボートに並行して飛びながら、ニワトリのように短く空中を斜めに移動した。物欲しそうな黒い目は船長の頭に向けられていた。「くそったれの畜生が」と、機関手が鳥に向かって叫んだ。「てめえの体はジャックナイフでできてるみたいじゃねえか」 コックと記者もその鳥をあしざまにののしった。当然のことながら船長も太く重いもやい綱の端でその鳥を追い払いたいと思っていたのだが、あえてそうしなかった。というのも、激しい動作をすると、自分たちを乗せたボートが転覆してしまいかねないからだった。船長は手を広げ、あっちに行けと穏やかに追い払った。カモメに狙われたことで弱気になっていた船長は、ともかく頭を守ることができてほっとしたように息を継いだ。その鳥を何か嫌な不吉なもののように感じていた他の男たちもほっと一息ついた。

オープン・ボート 2

この救命ボートに乗るのは、ロデオの暴れ馬に乗っているようなものだった。馬とボートを比べても、大きさにたいして変わりはない。ボートは馬のように跳ねたり船尾を下にして立ち上がったり、海面に突っこんだりした。波が来るたびにボートは高く持ち上げられ、とんでもなく高い柵に突進するようにも思えたが、こうした海水の壁を登っていく様子は神秘的でもあった。波の頂点は白濁した泡になっていて頂点から崩れ落ちていくので、そのたびにボートは宙を飛び、海面に激突しては水しぶきをあげながら滑り落ちていくのだが、次の脅威となる波の前で武者震いするようにまた揺れ動くのだった。

海で特筆すべきことは波に限りがないということだ、波をうまく乗りこえてもすぐにまたボートを沈めようとたくらんでいる次の波が押し寄せてくるという事実がそれを示している。長さ三メートルのちっぽけなボートに向かって波が次々に押し寄せてくるのを見ると海の資源にはきりがないことを痛感させられるが、こういうことを小さなボートで海に出たことのない普通の人々が経験することはあるまい。灰色の海水の壁が迫ってくるたびに、ボートに乗っている人間の視界から他がすべて遮断され、こんなにひどい波はこれが最後かなと、つい思ってしまうほどだ。波の動きには非常に優雅なところがあって、巻き波が頂点に達して崩れ落ちるのをのぞけば、音もなく迫ってくるのだった。

青白い光を受けたボートの男たちの顔は灰色だったに違いない。視線はたえず船尾の方向に向けられ、異様な光をやどしていたことだろう。その様子を高いところから眺めていれば、そうした光景は全体として疑いもなく絵のように美しかっただろう。だが、ボートの男たちにはそれを眺める余裕はなかったし、かりにあったとしても、心はそれ以外のことで占められていた。太陽はたえず空を背景にゆれていたし、海の色が灰色からエメラルドグリーンに変化したので夜が明けたことを知ったのだ。黄金色の光の筋が走り、泡は雪のように舞っていた。夜が明けていくんだなという認識はなかった。自分たちに向かってくる巻き波の色がそれに応じて変化したことに気がついただけだ。

コックと記者は互いにかみ合わない言葉で海難救助の詰め所と避難小屋の違いをめぐって言い争った。コックは「モスキート湾の灯台のすぐ北に海難救助の詰め所があるんだ。俺たちを見つけてくれればすぐに船を出して拾い上げてくれるぜ」と言った。
「誰が俺たちを見つけてくれるって?」と記者。
「詰め所の連中さ」とコックが言った。
「避難小屋に詰めてる人間はいないぜ」と記者が言った。「俺の知る限り、船の難破に備えて服や食料が保管されているだけさ。スタッフが配属されてるわけじゃない」
「いるんだよ、本当に」とコックが言った。
「いるわけねえだろ」と記者が言った。
「おいおい、俺たちはまだそこに着いたわけじゃないんだ」と、船尾の機関士が口をはさむ。
「そうだな」とコックが答えた。「俺のいうモスキート湾の灯台の近くにあるっていうのは避難小屋じゃないんだ。海難救助の詰め所のほうなんだ」
「だから、そこまでまだ遠いんだって」と船尾の機関士が言った。

オープン・ボート 1

今回からスティーヴン・クレインの『オープン・ボート』の新訳をお届けします。

 スティーヴン・クレイン(1871年~1900年)は米国の自然主義文学の先駆とされる作家で、『赤い武功章』『街の女マギー』などの作品があります。

 二十八歳で早世したため、作品の数は多くなく、日本で知られているとは言えませんが、フォークナーやヘミングウェイなど後の世代の作家にも大きな影響を与えました。

 特にヘミングウェイは、若い作家志望者に与えた必読書十六冊のリストに、クレインの『オープン・ボート』と『青いホテル』の二作品を含めるなど、高く評価していました。このリストにはトルストイの『戦争と平和』やドフトエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』、スタンダールの『赤と黒』、エミリー・ブロンテの『嵐が丘』など、世界文学の傑作が網羅されています。

 

『オープン・ボート』は、クレインが通信員として向かうために乗っていた船がフロリダ沖で沈没したため、三十時間漂流した後に生還したという彼自身の実体験に基づくものです。

 

最初はノンフィクションの手記として発表され、後にフィクションとして『オープン・ボート』という作品にまとめられたものです。

 

ちなみに、ヘミングウェイが若い作家志望者に示したという必読書十六作は、こうなっています。

 

『青いホテル』スティーヴン・クレイン
『オープン・ボート』スティーヴン・クレイン
『ボヴァリー夫人』ギュスターヴ・フローベール
『ダブリン市民』ジェームズ・ジョイス
『赤と黒』スタンダール
『人間の絆』サマセット・モーム
『アンナ・カレーニナ』トルストイ
『戦争と平和』トルストイ
『ブッデンブローク家の人々』トーマス・マン
『歓迎と別れ』ジョージ・ムーア
『カラマーゾフの兄弟』ドストエフスキー
『英語韻文集』オックスフォード大学出版
『大きな部屋』E.E.カミングス
『嵐が丘』エミリー・ブロンテ
『はるかな国 とおい昔』ウィリアム・ハドソン
『アメリカ人』ヘンリー・ジェームズ

 

オープン・ボート

 

沈没した蒸気船コモドア号から脱出した四人の男たちの、
事実にもとづく物語

スティーヴン・クレイン 著
明瀬 和弘 訳

誰も空の色はわからなかった。視線は水平線に向けられ、自分たちに次々に迫ってくる波を見つめていた。波はスレートのような濃い灰色で、頂点は白く泡だっていた。四人とも海の色ははっきり見えていた。水平線は狭くなったり広くなったり、急に沈みこんだり盛り上がったりしていて、その縁はけわしい岩山のようにギザギザになっていた。

彼らが今乗っているボートは、たいていの家にあるバスタブよりも小さいくらいだった。次々に押し寄せてくる波は悪意に満ち残忍で、切り立っていて、しかも大きかった。こういう波の頂点にある泡は、舟を支える実体がないので、小さなボートの操縦ではやっかいだ。

コモドア号の調理担当だったコックはボートの舟底にしゃがんで、自分と海を隔てている六インチの船べりを見つめていた。両腕の袖をまくり上げていたが、舟底にたまった海水をくみ出そうとするたびに、ボタンをとめていないベストの前みごろが垂れ下がって揺れた。「くそったれ! いまのはやばかったな」と何度も言った。そう言うたびに、コックはきまって大荒れの東の海面を見た。

機関士は小さな救命ボートに積んであった二本のオールの片方で舵をとり、ときどきふいに立ち上がっては船尾ごしに渦をまいて飛びこんでくる海水を避けようとしていた。そのオールは薄くて小さく、何度も折れそうになった。

乗客だった記者は、もう一本のオールで漕ぎながら、波を眺めては、自分はどうしてこんなところにいるんだろうと思っていた。

負傷した船長は船首で横になっていた。この時点ではすっかり意気消沈し、周囲の状況にも無関心になっていた。どんなに勇敢で忍耐強い人でも、会社が倒産したり、戦闘で敗北したり、船が沈んだりというような場合には、否応なく、少なくとも一時的には、こういう心理状態に陥ったりするものだ。新米だろうとキャリア十年のベテランであろうと、船長の心は船と共にあるものなのだ。しかも、この船長は、夜明け前の薄明で見た光景、振り返った七つの顔と、先端に白い玉をつけたトップマストの帆柱が波に揺れながらだんだん低くなり、やがて沈んでいった様子に衝撃を受けていた。

それから彼の声音に変化が生じた。言葉や涙をこえた、落ち着いてはいるが、深い悲しみが感じられた。

「舟の向きはもう少し南だ、ビリー」と、船長が言った。
「もう少し南ですね、船長」と、船尾の機関士が応じた。

スティーヴンソンの欧州カヌー紀行 (50)

元の社会へ




それからの二日間の航海についてはほとんど覚えていないし、ノートにも何も書いてない。快適な風景の中を川は安定して流れていた。青い服を着た洗濯女たちや青いシャツを着た釣り師たちが川岸の緑に変化をつけていて、この二つの色は、忘れな草の青い花と葉のようだった。忘れな草のシンフォニー。フランスの詩人テオフィル・ゴーティエなら、この二日間に見えた景色をこう描写しただろう。空は青く、雲一つなかった。川は平原をゆるやかに流れていき、なめらかな川面には空や岸辺が映っていた。洗濯女たちが大きな声でぼくらに笑いかけ、ぼくらはといえば、川を下る間ずっと、寝ぼけまなこで、とりとめもなく物思いにふけったりしていたが、その間も木々のふれあう音や川の音は伴奏のように聞こえていた。

川はまさに大河の風格でとぎれることなく流れていて、そのことはずっと念頭にあった。ここまで来ると川も終着点も近く、十分に決意をかためた成人男子のように、力強く、そしてゆったりと流れていた。ル・アーブルの砂浜では、波が音をたてて岸辺に打ち寄せていた。

ぼくはといえば、バイオリンのケースのようなカヌーに乗って、この動く大通りのような大河を移動していきながら、海を待ち遠しく感じはじめていた。文明化された人間にとって、遅かれ早かれ、文明に戻りたいと思う時が来るものなのだ。ぼくはパドルを漕ぐのにも疲れたし、人の生活の周辺で生きていくというのにも飽きてきた。もう一度、実社会に戻りたいと思った。仕事につき、自分の言うことを理解してくれる人々と、好奇の対象としてではなく同じ条件の人間として、会ってみたいと思った。

そして、ポントアーズで受け取った一通の手紙で、ぼくらは旅を終える決心をし、雨のときも日光が輝いているときもずっとぼくらを楽しませてくれたオアーズ川からカヌーを引き上げたのだった。長い距離を航海し、ぼくらと運命を共にしてくれたが、別れはいつか来るものだ。ぼくらは実社会から離れたところを旅してきて、今やっとなじみのある場所に戻ってきた。ここでは、人生そのものが激しく動いていて、パドルを漕がなくても人生という冒険の渦中に否応なく投げだされてしまう、そういうおなじみの世界に戻ってきたのだ。劇中の航海者のように故郷に戻ってきて、運命によりぼくらの周囲がどう翻弄されたのか、家に戻るとどんな驚きが待っているのか、留守中に世の中がどれほど、そしてどんな風に変わったのかを知らされる。カヌーは日中はずっと漕いでいられるが、夜になれば自分の部屋に戻ることになるし、ストーブの脇で愛や死が待っていたりするのだ。最も美しい冒険とは、ぼくらが探し求めて出かけていった先にあるものではないのだ。

[了]

ロバート・ルイス・スティーヴンソンの『スティーヴンソンの欧州カヌー紀行』は今回で終了です。
次回からは米国の作家、スティーヴン・クレインの『オープン・ボート』(新訳)をお届けします。
これはジャーナリストだった著者が実際にフロリダ沖で体験した船の沈没と救命ボートでの脱出をもとにしたフィクションで、ヘミングウェイは小説志望者の必読書として、16冊の作品リストの冒頭にこの作品をあげています。

スティーヴンソンの欧州カヌー紀行 (49)

彼がワイン片手に語る体験談は傾聴に値した。話がとてもうまくて、自分の失敗談も笑いにまじえて披露したし、大海原で危険に遭遇し、押し寄せる波の音をきいたときのように、いきなり深刻な顔になったりした。二人分の鉄道料金と宿泊費で三フラン支払わなければならないのに、前の晩の公演で得た金は一フラン半だけだったとか、客席の前列に金持ちの市長が座っていて何度もフェラリオ嬢をほめくれはしたものの、その夜の公演では三スーしか払わなかったとか、そういう話だ。地方の役人が旅芸人の芸術家に注ぐ目も厳しかった。そう! ぼく自身もそういう仕打ちを受けたことがあるのでよく知っている。ぼくもまったくの誤解から情け容赦なく収監されたことがあるのだ。デヴォーヴェルサン氏が歌う許可を得るために警察をたずねたときのことだ。警察官はくつろいでたばこを吸っていたが、氏が入っていくと丁寧に帽子をぬいだ。「おまわりさん」と、氏は話しかけた。「私は旅公演をしている者なのですが──」 すると、くだんの警官はすぐに帽子をまたかぶったという。太陽神アポロの仲間として芸術を追求している者に対する礼節など持ちあわせていないのだ。「そんな感じで、ひどいもんですよ」と、デヴォーヴェルサン氏は煙草を持つ手を動かしながら言った。

とはいえ、ぼくが一番面白いと思ったのは、放浪生活の困難や受けた侮辱や苦しみについて夜を徹して話をしていたとき、氏が感情を爆発させたことだ。そういう生活をするくらいなら百万くらいの大金を手にして普通の暮らしをしたほうがいいなと誰かが述べ、フェラリオ嬢もそっちがいいと認めたときだった。「そうじゃない、私は違う──私はそうは思わない」と、デヴォーヴェルサン氏はテーブルを手でたたきながら叫んだのだ。「世の中に失敗者がいるとすれば、それは私でしょうよ。私は芸術にたずさわっていたし、その当時は上手にやれてましたよ──何人かには引けをとらず──そして、それ以外の者たちと比べたら、たぶんもっと上手に。今となっては過去のことなんですがね。今は旅をしながら、つまらない歌をうたって小金を稼ぐ生活をしていますが、私が自分の人生を後悔していると思いますか? 牛のように太った市民になっていたほうがよかったとでも? いや、そうなったらもう私は私でなくなってしまう! 私は舞台で何度も拍手喝さいされたことがありますが、そんなことはどうでもいいんです。劇場で誰も拍手しないときに、言葉の抑揚だとか、台詞と仕草の絶妙なバランスだとか、そういうコツをつかんだと人知れず感じる瞬間があったりもするんです。つまり、喜びとは何なのか、物事をうまくやるとはどういうことか、芸術家であるとはどういうことかということを、私は自分で体験して知ってるんです。そうして、芸術とは何かを知るということは、日常のささいなことでは見い出せない、いつまでもつきることのない興味を持ち続けられるということでもあって、それは、いわば──宗教みたいなものなんですよ」

ぼくの記憶があいまいだったりフランス語の理解に誤りがあるかもしれないが、氏はだいたいそういう意味の信念を表明したのだった。ギターとたばことフェラリオ嬢のことに加えて、彼の本名をここで出したのは、ほかの旅人が氏と出会う可能性もあるだろうと思ったからだ。彼のように誠実に美を追及していて運にめぐまれない人については、周囲の人はもっと丁重に遇してもよいのではなかろうか。詩の守り神でもある太陽神アポロが、これまで誰も夢想だにしなかった詩句を氏に贈ってくれたり、川では銀色に輝く魚が次から次へと氏のルアーにかかりますようにと、祈らずにはいられない。冬の旅で寒さに苦しめられず、ふんぞりかえった村の小役人に侮辱されず、彼があこがれのまなざしで見つめながらギター伴奏をしていたフェラリオ嬢がこれからも彼から離れることがありませんように!

一方、プレシーの人形劇の方はさんざんだった。『ピラムスとティスベ』と題する死ぬほど退屈な五幕物が演じられたが、全編すべてが人形と同じくらい長ったらしい十二音節のアレクサンドル格の韻律で書かれていた。人形の一つが王で、もう一つは邪悪な顧問官、第三の登場人物が比類ないほど美しいというティスベだった。他にも衛兵や頑固なおやじや通行人がいた。ぼくが座って見物していた二幕か三幕では何も特別なことは起こらなかった。しかし、時間と場所と筋は一つに限定され、三一致の法則は守られていた、そして劇全体は、例外が一つあったが、古典における役割にそって展開した。その例外とは、やせた人形が演じる、木靴をはいた道化の田舎紳士で、彼は韻文ではなく散文を語ったが、ひどいなまりがあって、それが観客には受けていた。君主に反逆し、他の人形の口を木靴で蹴りつけ、韻文調で恋を語る求婚者がいないときには、きついなまりのある、ふざけた散文でティスベをかきくどくのだ。

劇の全体を通して笑えたのは、この田舎紳士の所作と、興行主が劇団員を整列させ、彼らが毀誉褒貶には関心を払わず芸術に身をささげていることをほめた、ユーモラスな前口上のところだけだった。とはいえ、プレシーの村の人たちは芝居を楽しんでいたように思えた。実際に何かが演じられ、それを見るために料金を払っているのであれば、それを楽しもうという気にはなるものだ。夕日が沈むころ、ぼくらがそれを見るのにかなりの料金を払い、また神様がサンザシの花が咲く前にふれ太鼓をどんどん鳴らして宣伝したりすれば、ぼくらはその美について大騒ぎをすることだろう! だが、こうしたことについて、愚かな人間は、得がたいよき仲間と同じように、そういうものをすぐに当たり前だと思いこんで、じっくり眺めるのをやめてしまう。馬車に乗った商売人は、路傍に咲いている花や頭上の空の様子には目もくれず、通り過ぎていくのだ。

スティーヴンソンの欧州カヌー紀行 (48)

以前、セーヌ・エ・マルヌ県の宿に滞在していたとき、旅芸人の一行がその宿にやってきたことがあった。父親と母親、それに夫婦の娘二人と色の黒い若者で、娘の方はどちらも歌をうたったり芝居をしたりしたものの、これで舞台に立つとは厚かましいと思えるレベルで、若者の方はどこか教師のようでもあり生意気な塗装工のようでもあるといった感じだったが、歌も演技も悪くはなかった。こういうお粗末な旅芸人の一行に芸達者という言葉を使ってよいのであれば、一座で一番の芸達者は母親だった。興行主の父親は、おかしな田舎者をうまく演じている妻をどうほめてよいかわからず、ビールで赤くなった顔をしてうなづきながら「ま、ご覧になってください」とだけ述べた。ある夜のこと、彼らは厩舎前の庭にランプをともして上演を行った。ひどく出来の悪い出し物で、村の観客たちも冷ややかに眺めていた。翌晩はランプが点灯されるとすぐに雨が激しく降ってきたので、彼らは大急ぎで荷物を片づけ、寝泊まりしていた納屋に避難しなければならなかった。体は冷え切り、びしょ濡れで、晩飯も抜きになってしまった。朝になり、ぼくと同じように旅芸人に好感を持っている親しい友人が連中をなぐさめようと少しばかりカンパを集めてきたので、ぼくが連中のところへ持っていくことになった。その金を父親に渡すと、彼は丁重に礼を述べ、台所で一緒にコーヒーを飲みながら、道路や観客について、また景気が悪いことなどについて話をした。

ぼくが戻ろうとすると、その旅芸人の親父は立ち上がって帽子を脱いだ。「すいません」と彼は言った。「ずうずうしいと思われるかもしれませんが、もう一つお願いがあるんです」 ぼくはとたんにうんざりしかけた。が、彼は「私らは今夜も公演をするんです」と語を継いだ。「もちろん、あなたやお友達からお金はいただきません。もう十分いただきましたからね。でも、今夜の出し物は本当にいいものなんです。あなた方に来ていただけると信じていますよ」 それから、肩をすくめて笑った。「おわかりでしょうけど、これも芸術家の見栄ってやつです!」 これだ! 芸術家の見栄! ぼくが人生についてそれほど捨てたものではないと感じるのは、こういうことがあるからだ。くたびれた服を着て、酒をちびちび飲んでいる、能なしの放浪者にも見えるような人間が、こうやって紳士然としてふるまい、芸術家としての見栄や矜持を持っているのだ。

とはいえ、この人よりもぼくの印象に残っている人がいるのだが、ヴォーヴェルサン氏という。最初に会ったのは二年ほど前だが、ぼくとしては、これからもまた再会できればと本気で願っている。ここで彼の最初の出し物を紹介しておこう。このプログラムは朝食のテーブルに配ってあったもので、楽しかった日々の思い出としてとっておいたのだ。

皆様
マドモアゼル・フェラリオとデヴォーヴェルサン氏が今夜歌う曲目をご紹介します。

マドモアゼル・フェラリオの歌う曲は「ミニオン」「小鳥」「フランス」「フランス人が眠っている」「青い城」「どこへ行きたいの?」です。

デヴォーヴェルサン氏の歌う曲は「マダム・フォンテーヌとロビネット氏」「馬に乗って」「不幸な夫」「おだまり、子供たち」「ちょっと変わった私の隣人」「このような幸せ」「私たちは間違っている」です。

彼らは食堂の隅にしつらえられた舞台で公演を行った。口に葉巻をくわえたデヴォーヴェルサン氏がギターをかき鳴らし、従順で忠実な犬のように、マドモアゼル・フェラリオから目を離さない様子は見ものだった! 公演の最後にトムボラという福引券を賭けた一種のビンゴゲームのような競売が行われた。ギャンブルの刺激すべてが織りこまれているが、夢中になったからといって恥ずかしいわけではないという、娯楽としては申し分のないものだった。というのも、皆が負けるのだ。デヴォーヴェルサン氏とマドモアゼル・フェラリオのために皆がポケットを探ってお金を出し、それを失うのを競いあうのである。

デヴォーヴェルサン氏は小柄で、黒々と豊かな髪をして、愛想がよく魅力的な雰囲気をまとっていた。歯並びがよければ、その笑顔の魅力はもっと増したことだろう。氏はパリのシャトレ座で役者をしていたのだが、舞台のフットライトの熱やまぶしさのため神経をいためてしまった。そういう舞台には向いていなかったのだ。そのとき、マドモアゼル・フェラリオ、つまり当時のアルカザール座にいたマドモアゼル・リタ嬢が旅芸人になることを選択した彼と人生をともにすることに同意した。「彼女の思いやりは忘れられません」と彼は言った。とても細いズボンをはいていて、氏を知る者の間では、それをどうやって脱いだり着たりするのかというのが問題になっていたほどだ。彼は水彩でスケッチを描き、詩を書き、辛抱強い釣り師でもある。宿の庭の隅を流れている澄みきった川で、魚を釣りもせずに、何日もずっと釣り糸をたらしていたこともある。