ヨーロッパをカヌーで旅する 56:マクレガーの伝説の航海記

ジョン・マクレガー著

現代のカヤックの原型となった(帆走も可能な)ロブ・ロイ・カヌーの提唱者で、自身も実際にヨーロッパや中東の河川を航海し伝説の人となったジョン・マクレガーの航海記の本邦初訳(連載の第56回)
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カヌーを載せた牛車の行進はまもなく小さな町に入ったが、地名はわからない。通りに敷いてある大きな丸石を乗りこえながら、荷馬車ならぬ荷牛車がガタゴト音を立ててゆっくり進んでいくと、昼間で人の気配がなかった窓から、たくさんの人が顔を出した。ぼくらをのぞき見て、なんだか面白そうだ、もっとよく見ようと家から飛び出してくる。立派なホテルの入口まで牛が小舟を引いていくのは、確かにめったにお目にかかれない珍光景には違いない。主役となった殊勲の四つ足動物の名誉のために言っておくと、この牝牛はここでは由緒正しい淑女のごとき振る舞いをしてくれた。

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現代語訳『海のロマンス』42:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第42回)

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邦人のホームシック

カリフォルニアに移住する人間がヤンキーから、同化しない頑迷な人種であるとか、野卑(やひ)にして現地のしきたりに従わない頑固者だとか、とかくの非難を受けるのみならず、実際に彼ら白人の高慢ちきの鼻柱をくだくほどの成功者が実に少ない真の原因はなんであるか。

日本人の多くは最初から、この五千里も離れた異国に永住し、かの古(いにしえ)の有名なるシボラの七都市*1のような世界を、二十世紀の現実世界にああいったバラ色の世界を生み出そうというような大きな抱負そのものを持っていない。彼らの多くが独身の若い身空(みそら)で渡米してくるのを見ても、このあたりの事情はわかる。そうして十に一、二で成功した──成功といわれる者の資産がようやく万の単位で数えられるくらいで、多くは十万にも足らぬ──と評判される者も、故郷に錦を飾ろうとして続々と帰国してしまう。ホームシックの患者は米国人ばかりと言い切れるほど、続々と帰国してしまう。

*1: シボラの七都市 - 大航海時代の底流にあった南米アンデス地方の黄金郷(エル・ドラード)伝説と同じく、長期にわたり何度も真剣な探索の対象となった、黄金にあふれた豊かな七つの「架空の」都市を指す。
七という数は、十二世紀にムーア人(北西アフリカのイスラム教徒)がスペインを征服した際に七人の司教が聖なる遺物とともに町を逃れたことに由来する。

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ヨーロッパをカヌーで旅する 55:マクレガーの伝説の航海記

ジョン・マクレガー著

現代のカヤックの原型となった(帆走も可能な)ロブ・ロイ・カヌーの提唱者で、自身も実際にヨーロッパや中東の河川を航海し伝説の人となったジョン・マクレガーの航海記の本邦初訳(連載の第55回)
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今回の航海では、北に行ったり南に行ったり東や西に進んだりと複雑なコースをたどったので、中央ヨーロッパの多くの国や王国などをカヌーでめぐったことになる。すなわち、オランダ、ベルギー、フランス、ビュルテンベルク王国、バイエルン公国、バーデン大公国、レーニッシュ共和国、プロイセン、パラチン伯の領地、スイス、そしてかわいらしいホーエンツォレルン=ジグマリンゲン公国*1である。そして再びバーデン大公国まで戻ってきたことになる。ここでは、旅行者はすべて言動に注意しなければならない。

*1: ビュルテンベルク、バイエルン、バーデン、レーニッシュ、プロイセン、パラチン、ホーエンツォレルン=ジグマリンゲンは、かつて中央ヨーロッパ(現在のドイツ)に実在した小国。
大公や公爵などの貴族の領地で、江戸時代における日本の藩に似ている。

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現代語訳『海のロマンス』41:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第41回)

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ヘレン嬢の信仰

アメリカという国は、イングランド人、スコットランド人、アイルランド人、ドイツ人、フランス人というように世界各国から集まってきている多民族国家だけに、宗教もまたすこぶる複雑で入り組んでいる。イスラム教や仏教やバラモン教はしばらくおき、キリスト教だけについて言っても、人口六万、周囲四里くらいの狭いサンディエゴ市のなかにさえ、ローマ・カトリックもあればプロテスタントもあり、後者だけでもピューリタンに長老会、ユニテリアンにメソジストとざっと十以上の宗派がある。なかには例の一夫多妻主義で名高いモルモン教の帰依者(きえしゃ)もあるらしい。頑固な日本でさえも信仰の自由は認められている。ましてや世界一の自由平等の国である。されば親と子が違った教会に行くくらいは平気なものである。

自分のところに先日「日本のガールは神の存在を認めるか云々(うんぬん)」と手紙をよこしたヘレンという十四になる女の子がある。この娘はローマ・カトリック教の信者で、例の父と子と聖霊との三位(さんみ)を認めている一方で、その母なる人はユニテリアン派の帰依者(きえしゃ)で、三位一体(さんみいったい)論を主張している。天を代表する父と、地の権化たる聖霊とによりキリストの特性は生まれ出でたものであるという説が、ミス・ヘレンが信じている説である。それのみならず、このお嬢さんはときどき大それたことを言う。日本人の信仰の大部分は祖先崇拝というが本当かと聞くから、そうだと答えると、それはおかしいと言う。なぜかと反問すると、祖先は愛慕(あいぼ)するもので崇拝(ワーシップ)するのもではないと、ませたことを言う。

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ヨーロッパをカヌーで旅する 54:マクレガーの伝説の航海記

ジョン・マクレガー著

現代のカヤックの原型となった(帆走も可能な)ロブ・ロイ・カヌーの提唱者で、自身も実際にヨーロッパや中東の河川を航海し伝説の人となったジョン・マクレガーの航海記の本邦初訳(連載の第54回)

今回の航海の最南端ルツェルンを経てヴァンルツフートで、今回の旅の折り返し点を通過したことになります。
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アーレ川はやがてライン川と合流した。土地の言葉ではリーナス川と呼ぶが、またこの大河にカヌーを浮かべることになった。川沿いに森のはずれという意味のヴァルツフートの町があり、高い土手の上から身を乗り出して歓迎しているように見えた。

少し低いところに道があり、崖の裾に小さな家々が一列に並んでいる。このあたりのライン川は流れが速く、水深もあって、強い渦ができていたりした。カヌーに気がついた年配の漁師が大声で話しかけてきた。自分が何者であるかを語りだす。某名家の世話係をしているが、そうなった経緯だとか、イタリアには七回も行ったことがあるとか、疑似餌のフライで魚が釣れるとか、自分は七十歳だが、ぜひとも自分の家に立ち寄ってくれ、といったようなことだ。

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現代語訳『海のロマンス』40:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第40回)

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うぬぼれ挑発策

世にも名高きアメリカ松をざっと荒削(あらけず)りしたばかりの、幅一尺厚さ五寸の巨材を密着させて敷きならべた、サンタフィの埠頭(はとば)から五百歩ほど歩み去ったとき、そこに海員読書室と看板を掲げた粗略(ぞんざいな)一木造家がある。

どんなところかとドアを開けて入ると、正面に、

新兵は守ってやれ。君や俺の子供ではないかもしれないが、どこかの母親の子だ。

と書いた額がうやうやしく掲げられてあった。なるほどと、ちょっと感服して立っていると、奥から人の好さそうな好々爺(こうこうや)が出てきて、ゴトゴトと何か一人でなまった英語で挨拶したのち、少し指に疼痛(いたみ)を感じるくらいの温かい握手をしてきた。なるほど、こんなものかなあと、二たび腹のなかで感嘆の声をもらした。

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ヨーロッパをカヌーで旅する 53:マクレガーの伝説の航海記

ジョン・マクレガー著

現代のカヤックの原型となった(帆走も可能な)ロブ・ロイ・カヌーの提唱者で、自身も実際にヨーロッパや中東の河川を航海し伝説の人となったジョン・マクレガーの航海記の本邦初訳(連載の第53回)
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とはいえ、ここで合流したアーレ川は、カヌーにとってそれほど危険というわけではなかった。川が大きくなってくるにつれて激流も穏やかになるし、あちらこちらで暴れまわった後、少し落ち着いて安定し、堂々とした河になりつつあった。だが、このあたりでは、カヌーでの川下りの旅につきものの流木が多く、あちこちに引っかかっている。川底につかえた状態で先端が浮いたり沈んだりしていて、川の水もひどく濁っているため、流れてきた倒木の危険性は高い。油断せずしっかり見張っていなければならない。

前にも説明したが、身振りに加えて英語を大声で叫ぶというマクレガー流の「川の言語」は、このように川幅が広いところでは厳しい試練を受けことになる。たとえば、百ヤード(約九十メートル)ほども離れた川岸にいる人と、次のようなやり取りをするのに、ジェスチャーと彼らにとっては外国語の英語だけでどうやってうまく意思を伝達できるだろうか?

「あの岩のところまで行って中洲の左側を通った方がいいですか、それともこの辺で上陸し、カヌーを引きずって迂回(うかい)してから、また水路に戻った方がよいですか?」といったようなことだ。

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現代語訳『海のロマンス』39:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第39回)
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仮面を使う人々

なんといっても、アメリカは酒と女と賭博(とばく)と喫煙(きつえん)が自由な国である。二十世紀の相良(さがら)の領地*1である。

*1: 相良の領地 - 将軍の小姓から側用人をへて江戸幕府の老中にまで出世した田沼意次(たぬまおきつぐ、1719年~1788年)は、遠江相良(とおとうみ さがら)藩(静岡県西部)の初代藩主でもあった。
田沼の治世では、賄賂(わいろ)と縁故・縁戚による人事が横行したとされる。

百年前におけるわが享保文政のおおらかな時代を、空中に怪物*2が横行する刺激的気分に満ち満ちている二十世紀に再現させ、これにバターの香りを加え、享楽という異名をかぶせただけである。

*2: 空中に怪物 - 練習帆船・大成丸が竣工した1903年、ライト兄弟が飛行機の初飛行に成功している。
今回の大成丸の世界周航は、その9年後になる。また、飛行船はそれより半世紀ほど早く登場しており、日本でも大成丸が出港する前年、東京で飛行船の初飛行が行われている。

されば、古今独歩、東西無比の天才と、お国自慢のヤンキーから保証された作家ワシントン・アービングはその短編集『スケッチブック』で、

寡婦(かふ)を手に入れんとする者は、ためらうべからず。よろず日の暮れぬ間に仕事を片づけんと覚悟せよ。ゆめ遠慮がちに先の機嫌を問うことなく思い切って言え。さらば寡婦は御身(おんみ)のものなりと。

と、さかんに出歯亀(でばかめ)主義を推奨している。物騒なことである。かくて唯一の天才先生から鼓舞され奨励されては、助平根性たっぷりのヤンキーがおとなしくしているわけがない。

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ヨーロッパをカヌーで旅する 52:マクレガーの伝説の航海記

ジョン・マクレガー著

現代のカヤックの原型となった(帆走も可能な)ロブ・ロイ・カヌーの提唱者で、自身も実際にヨーロッパや中東の河川を航海し伝説の人となったジョン・マクレガーの航海記の本邦初訳(連載の第52回)
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この家のおばあさんという人が出てきた。おっとりとしているが上品で威厳があり、物静かだった。その人が、この闖入者(ちんにゅうしゃ)の受け入れを認めてくれた。年季の入ったオーク材の家具は女性に磨き上げられ光っている。趣味がいい。男連中が熱心に集めたものらしい。太陽がかがやき、水車はまわり、川は流れ続けている。誰もがぼくには親切にしてくれた。「あなたがイギリス人だから」ということだった。

ローマ市民を意味する「キーウィス・ローマーナス」*1というラテン語は、恐怖を与えるときより親切にしてもらうときの方が、ずっとよく威力を発揮する。「互いにかつてのローマ帝国の市民同士」という同胞意識から歓待され、正式に招待してもらったのだが、一向に食事が出る気配はなかった。娘たちがぼくを引き留めるために荷物を冗談半分で隠したりもしたが、ぼくとしては食事ができないのであれば出発せざるをえない。

というわけで、水車小屋に集まっていた全員がカヌーを置いていた場所に移動した。カヌーがあまりにも小さくて、それなのに一人前に小さな旗がひるがえってもるので、若い娘たちは手をたたいて歓声や驚きの声を上げ、漕ぎだすと、さようならと手を振ってくれた。

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現代語訳『海のロマンス』38:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第38回)
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アメリカの女性たち

一、すれっからしの老嬢

赤旗白旗が雲のように狭い六十余州に乱れ翻(ひるがえ)って、源氏と平家がいやが上にもときめいていた昔の帝(みかど)であった後白河院(ごしらかわいん)は「すごろくのサイコロと鴨川の流れと山法師(やまほうし)だけは私の思うようにならない」と嘆かれたということは、小学校時代に先生から聞いた有名な話である。

難波(なにわ)の葦(あし)が伊勢では浜萩(はまはぎ)と呼ばれているように、日本のカタツムリがフランスはパリでは美食とされているように、ここ南カリフォルニアにおいて不可解とか「厄介(やっかい)」という意味の形容詞をたてまつるべき諺(ことわざ)に「アメリカのオールドミスと排日論者の心」というのがある。

女という存在が厄介(やっかい)な、てこずる者であって、油断できない者であったのはずいぶん古い昔からのことと見えて、現にマルクス・アウレリウスという西ローマ帝国の皇帝は「女子は制御しがたき点において船舶に似ている」と、おっしゃっている。皇帝の発言だけでは納得できないというのであれば、他にも証拠はいくらでもある。

まず世界最古の戦争であるトロイ攻略についていうと、この神人混同の大激戦の原因というのは、パリスという女好きの王子と彼に誘拐されたヘレネという王妃(おうひ)とのいきさつから起こったのである。絶世の美女が国を亡ぼすという実例は、このときからすでに挙がっているということができる。

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