最もリアルで臨場感にあふれ、海でのサバイバルのヒントに満ちている漂流記:『大西洋漂流76日間』(スティーヴン・キャラハン著)

海の冒険には嵐や難破、漂流がつきものです。
今回ご紹介するのは

スティーヴン・キャラハンの『大西洋漂流76日間』(長辻象平訳、ハヤカワ文庫)

1952年生まれのキャラハンは12歳でセーリングを始めました。その頃に、全長13・5フィート(約4メートル)のミニヨット、ティンカーベルで大西洋を78日かけて横断したロバート・マンリーの著書を読んで感動し、「二○世紀の後半においても、冒険生活がまだ可能であることを教え」られ、それ以来、小型艇での大西洋横断を夢見つづけていました。
 ただ夢見るだけではなく、実際に必要な技術を習得するための努力を続け、スローカムなどヨットの偉大な先達をはじめとする海の冒険の本を読み漁り、大型ヨットの建造を手伝ったり、外洋航海の経験を積んだりもしています。
 造船技師となってヨットの設計を教えたりしていた1981年、全長21フィート(約6・5メートル)の自設計の小型ヨット、ナポレオン・ソロで1800キロの試験航海を済ませると、バミューダ諸島までのレースに便乗する形で単独航海を行いました。28歳のときです。
ミニ・トランサット6.50という小型ヨットによるソロ(乗員1名のみ)の大西洋横断ヨットレースに出場する条件である「一○○○キロの単独航海の経験」という出場資格を得るためでした*。
* トランサットは大西洋横断 (Transatlantic)の意味で、レースのタイトルにある「ミニ」と「6.50」は「単独」であることと乗り組むヨットのサイズが「全長6メートル50センチまで」に制限されていることから。また、レースのスタート地点はイギリス(イングランド南西端にあり大西洋に突き出したコーンウォール)だった(後のレースではフランスに変更)。
単独航でバミューダに到着したことにより参加資格の条件をクリアすると、そこからは友人と二人でイギリスまで航海し、その段階で最初の大西洋横断を実現しています。
その年の秋にレースが開始されるのですが、海は荒れていて、スタート前の段階ですでに遭難者や死者が出ていたほどです。で、準備のためキャラハンが訪れた現地の雑貨屋の名物店主との会話。
「…もしお前さんがこのレースに勝ったら、なにがもらえるんだ? すごい賞金が手に入るのか?」
「よくはわからないが、プラスチック製のカップというところだろう」
「…お前さんは、そんな優勝カップのために海に出て、海神(ネプチューン)と鬼ごっこをして遊び、海の藻屑(もくず)と消えるのか。楽しい冗談を聞かせてくれるじゃないか」
(引用はすべて上記・長辻訳)
参加したのは26艇。最初の数日で5隻が嵐に翻弄されて損傷したり貨物船と衝突して沈没したりし、最終的にゴールのカリブ海に到着したのは全体の半数にすぎませんでした。
キャラハンも当初は先頭に近い位置につけていたのですが、海には嵐で貨物船から落ちたコンテナや多くの丸太が漂っていたようです。丸太によると思われる亀裂が船体に生じて浸水したため、キャラハンはいったんスペインに避難します。当然のことながら、そのためレースは失格となります。で、現地で船体を修理し、今度はレースではなく自分の楽しみのためにカリブ海をめざして四週間後に再出発したのでした。
レースのコースをほぼなぞる形で、ポルトガルのリスボン、マデイラ諸島、アフリカ大陸の西にあるカナリア諸島を経て、大西洋をカリブ海に向けて一週間ほど西進したとき、突然の轟音に飛び起きると、海水が一気に流れ込んできます。船が沈みかけているので救命イカダに乗り移り、長い漂流がはじまります。二月五日のことでした。
というところから、二ヶ月をこえる漂流中の苦難が克明につづられていきますが、ニューヨークタイムズのベストセラーリストに37週以上もランクインし続けたベストセラーだけに読み応えがあり、ノンフィクションの漂流記として内容も傑出しています。
漂流の実際の様子については本書をひもとく際のお楽しみとして、ここでは彼がイカダの上で行った自分の位置の計測方法がユニークなので、簡単にご紹介。

キャラハンの自分の位置の計測方法

漂流では、水(太陽熱による造水)や食べ物(魚)の確保、サメの襲撃、ゴムボート状の救命イカダの空気漏れなど、さまざまな課題やトラブルに見舞われますが、それがそれなりに落ち着いてくると、誰しも先行きが心配になります。
キャラハンが漂流していた海域(北緯二十度付近の北大西洋)では東から西向きに海流が流れ、貿易風も同じような方向に吹いており、その先には長く鎖状につらなったカリブ海の島々が存在しています。
北米大陸東南端のフロリダ半島から南米大陸の北東端にあるベネズエラまで、コロンブスでおなじみの、いわゆる西インド諸島(現在は個別に異なる名前がついている)――つまりキューバやプエルトリコなど大小様々な島々――がカリブ海にフタをするような形でアーチを描いてつらなっています。コロンブスが第一回の航海で発見したのも大陸ではなく、こうした島々でした。
なんとか沈まずに生きてさえいれば、いずれそこに行き着くわけです。現在の位置とイカダの移動する方向や速度がわかれば、そうした島々に到着するまでの期間の検討もつくわけです。
「アンティグア島の北あたりで、西インド諸島は西のほうへ曲がりはじめる。北緯一八度より北に流されているとすれば、バハマ諸島へ到着するまで、あと二○日から三○日もちこたえなければならないだろう。西インド諸島群のなかで、グアドループ島はもっとも東に位置する島のひとつである。わたしの目標は北緯一七度なのだ。
(前掲書)
(同書掲載の地図の一部)
ちょっとわかりにくいですね。位置関係はこんな感じです。
で、自分の現在地を知るには緯度と経度を知らなければなりません。
京都や札幌は碁盤の目のように整然と区画整理されていて、たとえば烏丸丸太町(からすままるたまち)といえば、烏丸通りと丸太町通りの交差するところという意味で、場所を簡単に特定できます。それと同じように、丸い地球の表面に、赤道と平行な面で地球を輪切りにする緯線(いせん)と、北極と南極をつらぬく地軸を含む縦の面で輪切りにした経線を引いたと想定すると、どの緯線と経線が交差しているかで、自分のいる場所がわかります。
ちなみに日本のへそを自称する兵庫県西脇市の位置は「北緯35度、東経135度」です。
緯度は、水平線からの北極星の高さ(角度)です。また、90度から太陽が真南にきたときの高さを引くと、それも緯度を示しています。
緯度を測定するのが六分儀ですが、そんなものはないので、彼は鉛筆三本を組み合わせて直角三角形をつくり、それで水平線からの北極星の高さを測ります。海図にはコンパスローズという磁針方位(磁石の指す北)と真方位(北極点と南極点を貫く地軸を延長した方向)を描いた円が必ず記入されているので、その目盛りを利用すればおおよその角度もわかるわけです。おおざっぱなもので誤差も大きいわけですが、定期的に測ることで、真西に流されているのか、北寄よりか南寄りかくらいはわかりますね。
(前掲書に記載された地図の一部)
経度は正確な時計と方位磁石さえあれば、太陽が真南に来る時刻を調べることで、経度0度(ロンドン・ケンブリッジを通る子午線)との時間差から簡単な計算で割り出せます。
地球は24時間で1回転(360度)しているので、1時間のずれは経度15度に相当します。時間も角度も60進法なので、分や秒の換算もやりやすいですね。
むろん、地球は完全な球ではないし(西洋梨のような下ぶくれ)、磁石の指す南が真方位の南とは限らない(地域によって偏差がある)のですが、おおよその位置関係は把握できます。
キャラハンは、これに加えて、イカダがどの方向にどれくらいの速度で流されているかも海草の流れる速さから検討をつけ、それらを組み合わせて位置を判断しています。
大航海時代の初期には正確な時計(クロノメータ)はまだ存在していなかったので、コロンブスも船の速度と方向を調べて一日にどれくらい進んだかを毎日記録していました。これを推測航法と呼びますが、そういう、手持ちの利用可能なあらゆる情報を駆使して、できるだけ正確な現在位置を出すことが航海術の基本中の基本です。
結果として、キャラハンが測定した漂流中の位置は、かなり正確でした。
(前掲の図を部分的に拡大。点線が漂流中に測定した位置、実線が救助後に補正した位置)

関連のある本のご紹介

日本の漂流記としては
『たった一人の生還 「たか号」漂流二十七日間の闘い』佐野三治著(山と渓谷社)
また、意図的に漂流を行った先駆的な試みとして
『実験漂流記』アラン・ボンバール著/近藤等訳(白水社)
この他に、漂流に関連する興味深い本は
『実験漂流記』アラン・ボンバール著(白水社)
これは古典ですね。
『太平洋漂流実験50日』斉藤実著(フォア文庫)
日本にもこういう人がいたという本
『たった一人の生還―「たか号」漂流二十七日間の戦い』佐野三治著(新潮文庫)
日本人のヨット漂流記。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です