現代語訳『海のロマンス』115:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第115回)

港口のいかめしい砲台の数々

商港にして軍港を兼ねるリオ港は、これはと思う岬や鼻(小さな突端部)や島には銃眼いかめしい砲台が築かれて、さすがは南米一とうぬぼれる大共和国の国都(こくと)の名に恥ないとうなづかせるほどには厳重でしっかりした装備が整えられている。

四月十六日午前九時、時速八マイルの全速で港口に臨んだ練習船は、右方の岬の先端に構えたる堡塁(ほうるい)の一つと挨拶を交わしながら、極東の新興帝国で戦勝した勢いのまま(大成丸の航海は日露戦争終結から五年後)、胸を張って船尾手すり(タフレイル)上に旭日旗をひるがえした。負けるものかと相手の堡塁(ほうるい)の方も黄色い菱形内に地球をはめた旗を自慢そうに上下した。

Flag of Brazilブラジルの国旗

ところが、堡塁(ほうるい)は港口のいたるところに設けてある様子で、素人のぼくにさえ怪しいとにらみうるところが、シュガーローフ(標高約四百メートルの巨大な奇岩。一般にはパンデアスカルと呼ばれる)の裏手にあるレミの近辺に一、二カ所、ボタファゴの出鼻に二、三カ所、ニトロイ一帯にも一、二カ所はありそうである。

港口に近い湾内の島という島には、この大砲の巣が心得側に跳梁(ちょうりょう)している。そのうちで、練習船の水路に近い大小二つの島は、同じ堡塁(ほうるい)のうちでも確かに毛色の違ったものであった。

港口に近いのはわずかに二町(約二百十八メートル)四方に足らぬ小さな岩礁を平らに切り潰(つぶ)した上に、切り石とコンクリートで亀甲形(タートルシェル)に築きあげた砲台があって、それが外洋に面する方は極めて巧みになめらかな曲率(カーヴァチュア)を持った斜面をなし、一方、内湾に向かった側にはこっそり守備兵が出入しうる通路がある。

何のことはない、一見すると征韓の役(せいかんのえき)に、わが水軍の将、九鬼、藤堂、加藤等を散々に悩ました韓師(かんすい)舜臣(しゅんしん)*の使用した亀甲船**とやらを、はるばる南米三界に回航してきたという図である。

* 舜臣(しゅんしん): 李舜臣(1545年~1598年)は李氏朝鮮の将軍で、文禄・慶長の役で日本軍と戦った。

** 亀甲船(きっこうせん): 舜臣が使用したとされる当時の軍艦の形式。

TurtleShip1795
この亀甲船に相当する堡塁(ほうるい)の屋根の上には、石弓ならぬ八インチの主砲が厳然と据えつけられ、その周囲に二ポンド、三ポンドの速射砲がそれぞれ射程距離や範囲が重ならないように、配置も一直線にならないように、互い違いの千鳥に散らせて配置され、意地悪くこれでも恐れ入らぬか……と威嚇(いかく)している。

しかし、例の地球の旗と、煙管(きせる)の雁首のように突き出している通風管(ベンチレーター)にもたれかかって、口あんぐりとこっちを見ている気が抜けたようなブラジル水兵に目を向けると、気の毒ながら、非力の貧乏神に粟田口(あわたぐち)義弘(よしひろ)の大業物(おおわざもの)*をかつがせたような観があって、せっかく恐縮しかけた恐怖の観念がムラムラと謀反を起こし、なんだ見かけ倒しの砲(ほう)がと、すっかり馬鹿にしてしまう。

* 粟田口(あわたぐち)は鎌倉時代の京都・粟田口周辺で活動した有名な刀工の一派の名称で、代表格は粟田口国吉。義弘は南北朝時代の名刀工、郷義弘。
江戸時代、日本刀はその切れ味に応じて最上大業物、大業物、良業物、業物……と格付けされた。

も一つ奥にある大きな長方形の堡砦(ほうさい)は、子供のとき戦争画で見た田庄台(でんしょうだい)*のような角張った建物で、砲台にして移民検疫所を兼ねているという。これらの砲台は主として水平線掃射用のいわゆる海堡(かいほう)なるもので、その威力もたいしたものではないが、独り入口の左側に屹立するバンダスカル(海抜千フィート余)の頂上には、有力なる射距離を有する陸軍砲があるとのことである。

* 田庄台(でんしょうだい): 日清戦争で日本軍が上陸した中国・山東半島北側の遼河平原にある地名。
当時、戦争画(錦絵)をさかんに描いた小林清親に『田庄台攻撃占領之図』がある。

ぼくらの船がこれらの大砲の巣の中を恐れ気もなく進み入って、はるか右舷船首に霞がかったミナス・ゲラエス、サンパウロという二艦のド級戦闘艦が見えてきたころ、待ちあぐねた水先案内船が来た。ところが、その船には例のブラジル軍艦旗がひるがえって、夢二式の想像に富んだ大きな潤んだ目と、中肉中背の気持ちよく整える体躯を持った一人の海軍士官が、流暢(りゅうちょう)な英語で船長に呼びかけて、さわやかに本船の錨地(びょうち)を教え、望みとあらば自分自身が水先案内をしようとすこぶる慇懃(いんぎん)に歓迎の第一声を吐露(とろ)する。

こうなると人間は勝手なもので、この士官がますますなつかしくありがたく、なんとなく立派な識見と裏表のないしっかりした性格の持ち主であるように思われて、その色白で鼻が高く、華麗(きゃしゃ)な顔立ちが流暢(りゅうちょう)な英語と相まって心にしみじみと映ってくる。

このブラジル艦隊の旗艦ミナス・ゲラエスから特派された好感のもてる士官の案内で、軍艦サンパウロと並んでフェリー埠頭の前面に碇泊(ていはく)し終わったのは十時半。

船長はさっそくお礼にブラジル旗艦(きかん)に出かけるやら、藤田代理行使の来船やら、港務官、検疫官の退船やら一時はなかなか大騒ぎであった。

ちなみに、リオでは水先案内という者が特別には配置されていないのだが、それほどに水深は深く(平均五十フィート)、水道は広く、港口は安全で、出入りは至極無難であるが、他に比類ないすばやい潮流(しお)があって、大いに船乗りを苦しめている。

[ 戻る ] [ 次へ ]

現代語訳『海のロマンス』114:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第114回)

南米の美都
世界三景の随一

日本に生まれて、まだ日本三景の一つさえ知らぬぼくが、不思議にも、幸か不幸か船乗りとなってネプチューン大王の寵児となりすました前世からの奇妙な因縁のためか、ここ南緯二十二度五十四分、西経四十三度十分という、故国にとって地球の真裏に当たる場所において、世界三大景の随一と呼ばれる、絵のごときリオ・デ・ジャネイロの水郷に親炙(しんしゃ)する機会に恵まれたのは、実(じつ)にありがたき幸せである。

実(げ)に、「リオはよいところ、南を受けてアンデスおろしがそよそよと」である。

思えば、銀灰色の s の雲*ゆるやかに北へ流れる空と、蒼茫(そうぼう)として暗い神秘的な深みを持った夜の海との間にあたって、あたかも迷い迷いてまだ浮かばれない人魂(ひとだま)のように明滅しているフリオ岬の閃光灯を右舷正横(アビーム)に望んだのは、四月十六日の真夜中(ミッドナイト)であった。

* sの雲: 雲の略称で s で示されるのは層雲 (St)と層積雲(Sc)。
どちらもどんよりして、入道雲(積乱雲)などとは異なり、雲の形が明確ではない。

赤いマークのついているところがフリオ岬。リオ・デ・ジャネイロの湾はその西(左)側(地図はクリックすると拡大します)。
練習船・大成丸は地図の右上方から海岸線に沿ってフリオ岬を過ぎてリオへと向かった。

船尾に立って、彗星のごとく長い光芒(こうぼう)を一直線に後ろに曳(ひ)くきれいな船脚(ウェイキ)を見つめていると、こういう場合にえてして湧いてくる正体の判明せぬ物の哀れさがしみじみと感ぜられて、理由(いわれ)のない涙がハラハラこぼれそうになった。

美しい泊(とまり)に対するいたずらな想像がその大部分を占める。

浮かれ気味の若やいだ心は、過去の痛ましい平凡で単調な航海生活を顧みて、あわれむ念と入り交じって、一種のいわれなき忙(せわ)しい気分となる。

今から四百余年前の一五〇二年の正月一日にも、これと同じような気分を持ったマドロスを乗せたギャレー船が、はじめてこの絵のごとき(ピクチャレスク)泊(ポート)を訪れたのである。

青い水が末広に、目も涼しく、満々と満ちわたれる様子を見た発見者のアメリゴ・ベスプッチ*は、これこそ幸(さち)多き富める川の口だろうと、すなわちリオ・デ・ジャネイロ(正月の川)と命名したという。

* アメリゴ・ベスプッチ(1454年~1512年)はイタリアの航海者。
新大陸を発見したのはコロンブスだが、その新大陸なるものがアジアとは別の大陸であることを確認したのがアメリゴ・ベスプッチで、アメリカ大陸という名称は彼の名前に由来する。
ちなみに、それ以前にも北欧からグリーンランドに渡った人々が存在していたし、そもそもコロンブスが誤ってインディアンと名づけた原住民自体が、はるか大昔の紀元前に、ベーリング海峡経由でユーラシアから北米大陸に移動していたわけで、新発見とはあくまで西欧社会にとっての「新発見」にすぎない。
見方や立場を変えれば同じ景色が違って見えるという好例でしょうか。

実(げ)に広大でつかみどころがないようでいて、どことなく静寂(しっとり)したところのある港である。

満々朗々とうち湛(たた)えた水が広々と空のはてまでつらなって、ひょうたん形(なり)に深くよどんだ湖水のような港である。

さらに言い換えれば、関八州(せきはっしゅう)*の天地にノアの大洪水が来て野をも丘をも浸しつくした後に、筑波や秩父を小さな島のように取り残した氾濫(はんらん)せる水が、青い秋空の下に碧玉(へきぎょく)を溶(と)いたように広く深く澄みわたったともたとえるべき港である。

* 関八州(せきはっしゅう): 江戸時代の関東八か国の総称。関は箱根の関所で、それから東の地方(相模 さがみ、武蔵 むさし、安房 あわ、上総 かずさ、下総 しもうさ、常陸 ひたち、上野 こうずけ、下野 しもつけ)を指す。

** 碧玉(へきぎょく): 石英(せきえい)の一種で、不純物が含まれているため不透明で色がついている。
この場面では青いものを指していると思われるが、緑や赤などさまざまな色がある。

この気晴らしのよい穏やかな港の景色に、立体的に「線(ライン)」と「色彩(しきさい)」と「感じ」とを加えて加工しようとして、イタリアのルネッサンス式の建築物や、毛槍(けやり)のように頭を振り乱しつつたちはだかった檳榔樹(ロイヤルパーム)や、弩級(どきゅう)型の戦艦(ドレッドノート)*や、外輪船(パドルホイール)タイプの渡船(フェリーボート)や、三角帆(ラティーンセイル)の漁船の舟歌や、船艦の軍楽(バンド)やらが調和して心地よく行き交っている。

* ド級型戦艦: 巨大口径の大砲と高速航行が可能な蒸気タービンを搭載した、当時の代表的な戦艦のタイプ。
ド級はドレッドノート型という意味で、弩級(どきゅう)とも書く。

左の方はパンデアスカールの丘に至るまで一面に、アメリカ物語のごとき市街が一帯の入江(バロア)に沿って連綿と続き、右の方は、対岸のニテロイとの間に遠くはるかにかすんで帆船のマストが林立する商港がほのかに見えるが、例の有名な白い花崗岩(かこうがん)、青い松樹(しょうじゅ)の世界の松島はとんと見当たらない。大小八百どころか、どこかに影を収めたか、これではただの八つもあるまいと疑われるほどに、島は厄介者にされて、ただ水のみ広く幅をきかしている。

しかし、いわゆる風と波とに送られて遠く湾の中央まで出てみたら、見えなんだ島も走馬灯のようにグルリグルリと旋転して、美しい姿を視界に現(あらわ)し来るかもしらんと自ら慰(なぐさ)めた。

南北十七マイル、周囲五十海里(マイル)のリオ・デ・ジャネイロ湾の狭いひょうたん形をした入口の左岸十五海里(マイル)ほどの海岸沿いに、わがリオ市の市街地ができあがっている。

[ 戻る ] [ 次へ ]

現代語訳『海のロマンス』113:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第113回)

(これまでのあらすじ)太平洋を横断して合衆国のサンディエゴに寄港した練習船・大成丸は、乗務員の死亡や船長の行方不明などのトラブルを乗り越えて南太平洋へと航海を続け、南米大陸・最南端のホーン岬をまわります。
その後は当初の目的地であるイギリスのロンドンに向かうはずでした。
ところが、サンディエゴでの滞在が予想外の長期となったことで日程と予算に狂いが生じます。ロンドン行きを断念し、とりあえず南大西洋をそのまま横断して南アフリカのケープタウンに寄港。
そこで物資を補給したのち、逆戻りする形で南大西洋をセントヘレナ島(ナポレオンが流罪となり死亡した孤島)まで北上します。
セントヘレナ島を出発した大成丸は、ロンドンに代えて南米ブラジルのリオデジャネイロを目指すことになります。

南太平洋の鱶(フカ/サメ)釣り

物にふれてはことごとくに感傷しやすい青年の胸には、まだうら若い傷が昨日のごとくわだかまる。

彼らの胸には、無限の容量と美しき色彩とに満ちている想像の世界がある。その想像の世界の源泉だったロンドン行きは、わずかに七千円の航海費用不足という表面的な理由のために、由々(ゆゆ)しくも中止の宣言を受けるにいたった。

かくて、彼らの築いた想像の世界は夢のごとくに破れた。ハニーサックルの薫香(くんこう)が野にあまねくただよっている英国(イングランド)の花にあふれた五月も、四本マストたるバーク型帆船の上品な風姿(すがた)をひたすはずだったテムズ川の流れも、驚いた目をいやが上に見開いて、それが人知れず蔵している神秘にふれようと望んだ灰色の大都(たいと)も――すべてのものが皆――夢のごとくに。

かくて、目的港はロンドンからリオに移された。 続きを読む

現代語訳『海のロマンス』112:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第112回)

荷物倉のカメ

昔、武士(さむらい)という軽佻(けいちょう)にして、しごく簡単なる脳みそを所有し、ただひたすらに威張(いば)りたがった人種が、辻や横町で「町人斬り」という、その気まぐれな道楽をするときの引導とやらの文句に、武士(ぶし)ともあろうものの直々(じきじき)の成敗(せいばい)を受けるとは、汝(そち)はよほどの果報者(かほうもの)じゃわい……この可内(べくない)様の情(なさ)けの刃(やいば)にありがたく成仏(じょうぶつ)せい云々(うんぬん)というのがあります。

その可内(べくない)君の論法でゆくと、ケープタウンで練習船大成丸の客分となる光栄を強制的に負わせられたシカやカメレオンや私――カメ――は、よほどの果報者であるに違いありません。百二十五名もの二十世紀の可内(べくない)君は、今にも「情(なさ)けの誘拐(かどわかし)に、ありがたく成仏(じょうぶつ)しろ」と来るに違いありません。

先方(むこう)が先方ならこっちもこっちです――しゃれでも対句でもありません。いきおい洗いざらい大成丸(ふね)の秘事(ないしょごと)をぶちまけるまでです。そうしたら第一に困るのは士官と学生とでありましょう。そして泣き顔をして、貴様はひどい奴だ、まるで虚(きょ)に吠(ほ)える闘犬の類(たぐい)だと言うでありましょう。犬と軽蔑(さげすま)されるのは心外であります。犬とウサギは生まれながらにして自分には性の合わないものであります。

そこで、世渡りの上手な私は直覚的に、この際、すっぱ抜きはあまり為(ため)にならんと悟(さと)りました。しかし、なぜ今、私がこんな荷物倉庫(バッゲージ)の隅に小さくなっているかは是非(ぜひ)ともここで弁じておかなくてはならないと思います。 続きを読む

現代語訳『海のロマンス』111:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第111回)

五、怪物は風のごとく

日となく夜となく百尺(約三十メートル)の高きに登って風に吹かれ雨にたたかれ、南蛮(なんばん)鉄のごとき抵抗力を充溢(じゅういつ)せしめている彼らの体躯(からだ)は、かねて音に聞いた不死身(ふじみ)とやらを想像させるほどで、彼らにとっては些々(ささ)たる石炭粉ぐらい、どうということはないのだろう。一向に平気であるに違いない。

だれか、この際(さい)、外部から刺激し交渉してくれる者がなければ、そのまま粘液質的*に納まり返っているだろう。彼ら自身では積極的に面白い場面(シーン)の展開を呼んで来そうもない。ここにおいて、ぼくは心の底から外部に向かって何らかの低気圧が起こってくれとひたすら願った。

* 粘液質的: 医学の父と呼ばれる古代ギリシャのヒポクラテスの体液説に基づく気質の分類で、感情の起伏が少なく粘り強い気質を指す。

ところが、至誠(しせい)はこれ天に通ずとかで、それからわずか三十分も経たないうちに、ぼくの注文通りにうまく事件が寄り集まってきたのには、自分ながらその真摯(しんし)な思いがこれほど早く効果を生じたのには感服した次第である。

一時間の英語学習も今は残り少なになって、教科書の主人公の生まれ故郷たるデボンシャーの絵のごとき風景を描写するキングスレイの、いわゆる言葉の絵画が今やようやく佳境(かきょう)に入らんとするころ、ふと食堂兼教室の扉(ドア)の隙間(すきま)から外をのぞいたぼくの目に、ピカリと光るものが二つ見えた。 続きを読む

現代語訳『海のロマンス』110:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第110回)

四、修業日誌の内容

その謹厳(きんげん)なる態度――目の色のただならぬ様(さま)から、息づかいのせわしそうな様子から――真面目(まじめ)な筆跡から推量しても、彼らが少なくとも『ローマ帝国衰亡史』という大著を執筆するときのギボンや、傑作の『神曲』に筆を染めつつあるダンテなどと同じ抱負と気位(きぐらい)と勇気を抱いていることがわかる。

ある者はさかんに呻吟(しんぎん)し、ある者はいたづらに騒いでいる。

一体どんな偉いものを書いているかと、例の人間などには計測できない眼光を放って眺めてみると、いろいろな表題(みだし)がまとまりもなく雑然(ざつぜん)と並んでいて、それが目に飛びこんでくる。すなわち、「帆の効用と船のトリム」、「ケープホーン付近の天候」、「セントヘレナの所感」はまだよいとしても、「便所のサニタリータンクがしょっちゅう壊れることを論じて本船の水管配置(パイプアレンジメント)に及ぶ」はふるっている。こんなずいぶんと汚い問題から堂々とした立派な説を吐露(とろ)したその勇気と気位(きぐらい)と抱負とは実に敬服(けいふく)の至りである。

彼らの態度がこのように謹厳(きんげん)であるのも、その論調がこのように真面目(まじめ)であるのも無理ならぬわけがある。

大日本商船学校練習船大成丸の修業学生としての二年間の実習成績の大部分は、その修業日誌の内容と書きぶりとによるとのことであるから、どんなにのんきな彼らでも、いかに無刺激で非人情の生活を欲する彼らでも、いきおい血眼(ちまなこ)にならざるを得ぬ。いきおい競争的に、刺激的に流されざるを得ない。

当直で上甲板(デッキ)にあってはブレースを引き、非直(ひちょく)で骨休めするときには修業日誌に追われるというのが千編一律(せんぺんいちりつ)にして平凡なる彼らの生活である。

修業日誌とかの発明者は誰だか知らないが、ぼくのこの観察記を読んで、わが黙従主義、同型人物養成主義は大成功だと思ったら大間違いである。

彼ら練習生達は、いわゆる二十世紀の紳士である。決していたづらに精力を消耗するものではない。

すなわち、一人がライブラリーへ行って何かうまい種を見つけてきて書く。すると、他の百二十四人は単なるタイプライターとしてそれを筆記するだけである。研鑽(けんさん)も考究(こうきゅう)もあったものではない。

休息時間のほとんど全部を修業日誌に奪われる彼らは、泣き言を並べながらも校則はいとも尊しと、昼より夜へと、本や他者の文章から適当に抜き出しコピペしてマス目を埋める作業に余念がない。

ときどきは彼ら自身が、こんなにセッセと字句を羅列していても、たった一回専任教官の点検を受けるのみで、二度と開けて見ることはあるまい、などと述懐するのを聞くことがある。

羊のようにただ従順(すなお)にしつけられた彼らは、これが学生の本分で、常識的行為の極地だと固く信じている。殊勝(しゅしょう)なことである。世の中に試験廃止論などが流行(はや)っているとは夢にも知るまい。

一期学生の試験が二、三日かけて施行された他は、平凡にして暑苦しい日が続いては消えた。

南米の沿岸に近づいたためか、毎日夕方になると、蓄積した一日の暑気(しょき)を駆逐(くちく)するように、小気味よい爽快なスコールが来襲するようになった。そしてロイヤル(最高帆 さいこうはん)は夕方に絞られて朝方再び展(てん)ぜられるのが日課のようになった。

船は毎日七、八十海里(マイル)ずつ走って、ぼくはハエをとらえては眠り、眠っては変色して、そこぶる無為(むい)の日を送った。

ところが、四月十日になって、驚天動地(きょうてんどうち)の一大事件がはからずも湧き出した。

午後の一時の鐘(ベル)が鳴って英語教官の訳述が例のごとく始まった。教官も学生も教科書も例のごとくで、すこぶる安穏であったが、いつもと違うものが、ぼくの目に映じだした。

どこからともなく、むせっぽい、気味の悪い、小さな黒い粉が幾万となく舞いだしてくる。

そのうちに、あちらこちらでゴホンゴホンとむせる者が多くなった。

さてはただごとではない。船底深く神秘の魔宮に鎮座ましませる海の神様が吹き出す有毒ガスではあるまいかと、勝手のわからぬぼくは少なからず恐ろしく思い出した。ところがこれは、学生の半数が蒸気機関の缶焚(かまた)きたる火夫(かふ)と共に、このすぐ下のスペアバンカー(予備貯蔵庫)*からエンジン脇のサイドバンカーへ粉末の多いカーディフ炭の移動を行っているからだと知れた。

* スペアバンカー: 原文ではスペヤーバーカー。前後の内容から推して、燃料となる石炭の予備貯蔵庫 (スペアバンカー spare bunker)の誤記と判断。

[ 戻る ] [ 次へ ]

現代語訳『海のロマンス』109:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第109回)

三、ぼくの所有者

黙って聞いていると、ずいぶん腹の立つことがある。

やれ誰さんのカメレオンはハエの取り方が下手だとか、甲所有のは意地が悪いとか、乙のは敏捷(びんしょう)だとか、さかんに自分勝手なごたくを並べている。理不尽(りふじん)に山から海へと誘拐(かどわか)してきて、断りもなく自分で勝手に決めた所有権を無辜(むこ)のぼくらの上に拡張してすましている。図々しいにもほどがある。

しかし、なんと言っても相手は「狂にして、かつ暴」なるものであるから、この際、生きんがために涙をのんで奴隷的(どれいてき)な地位に服従することとした。

そこで、ぼくの所有者は誰だろうかと詮索(せんさく)したら、生意気にも太刀雄(たちお)という変名を持った男である。

昔から変名を持った者にろくな者はない。

あちこちと逃げまわった末に、「ヤアヤア不倶戴天(ふぐたいてん)の父(おや)の仇(あだ)、尋常に勝負せよ」と名乗られるような者でなければ、東海道を股にかけ雲や霞(かすみ)に打ちまたがってその跡(あと)も白浪(しらなみ)と消え失せるような、すねに傷を持っている者に限られるようである。

この男、由来、いかなる星の下に生まれたか、意地が悪くて、強情で、わがままで、しかも忘れっぽいという悪い性質ばかり集めている。

しかし、同じ忘れっぽいのでも、この男のはずいぶんたちが悪く、自分に都合の悪い時に限るようである。

同じく横柄(おうへい)な所有権を振りまわしながらも、他の青公(あおこう)や白君(しろくん)などの所有者はセッセとハエをとらえてきては努めて好かれようとしているのに比べて、この男はいつも都合よく忘れているのか、かつて一度もハエをくれたことがない。しかも、よく図書室に来ては、くだらないことを言っては独りよがりをしている。

学者の蓋然(がいぜん)性の説とかに従うと、このカメレオンがハエを捕らうる可能性(プロバビィリティ)は、カメレオンが十分の成算と覚悟とをもって長い粘着性の舌を吐き出した度数の1/2とのことであるから、今諸君のご覧になる通り、あのカメレオンは今しょっちゅうハエを取り逃がしているが、いつかはこれを捕捉(ほそく)するような手柄(てがら)をあげて、この法則の真なることを立証しよう……

などと演説することもある。

取り逃がそうが、どうしようが、入らざるお世話である。もっとも、その折りは自分でも落胆(がっかり)するほど、取り損なったのは事実であるが。

で、あまり平常(ふだん)のそっけない処置がしゃくにさわったから、一日(あるひ)船尾の四等運転士とやらが「あんまりサルーンにハエが多いので、はえ取り虫を二、三日貸してもらいます」と交渉して、士官のサルーンに持って行った折、ちょっと悪戯(いたずら)して北車(フクシア)の樹(き)から脱走してやった。

これにはさすがの太刀雄(たちお)先生も仰天して、さっそく懐中電灯を携帯した捜索隊を編制し、机や棚の下など一生懸命にもぐって歩いたのは笑止(しょうし)であった。

今日は土曜日の午後で、恒例の船内点検があるので、船長などの目障(おめざわ)りにならぬようにと、ぼくらは図書室から食堂へ移された。移されたのはまあ仕方がないと観念しても、生来、冷酷と健忘性(けんぼうせい)との分子に富んだ連中は、例のごとく再び連れ戻すことを忘れたので、ぼくらは以後、この食堂をわが党の天地とすべく余儀(よぎ)なくされた。

上へ上へと幹を攀(よ)じ登り、枝を渡って、まさに樹葉(じゅよう)の茂みに入ろうとして、ぼくの本能的機能が緑色の皮下色素の満潮という段取りに及んだ時、ぼくらの前の机で無遠慮にアーアと大きなあくびをした奴があった。

日曜の午前である。

この男は今まで「修業日誌)とかいうものを書いておったのである。ところが、見渡すと、この男ばかりでなく、堂内にいる大半の学生は、人生の花と歌わるる青春の燃ゆるがごとき精気をことごとくこの一時に集中させる勢いで、セッセとペンを動かしている。

[ 戻る ] [ 次へ ]

現代語訳『海のロマンス』108:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第108回)

二、地上の獅子(シシ)の由来(ゆらい)

「おい、君、大変だぜ。カメレオンはギリシャ語で地上の獅子という意味だと、ここにあるぜ」

「いかにも、あるある。しかし、生意気だね。僭越(せんえつ)だね。たかがカメレオンの分際(ぶんざい)で”獣の王”の名前を詐称(さしょう)するなんて」

「しかし、まあ、かりに一歩を譲って、ライオンの号を承認してやっても、地上の獅子とはぴんとこないね。せめて樹上の獅子とかいう方がまだまだ理屈にあってるがね」

「それがそれ、へんちくりんな分からず屋のギリシャ人の仕業(しわざ)だね。だから、常識一点張りの例の英国人は、訳のわからない者をとらえてはギリシャ人のようだと言うじゃないか」

「アハハハハハハ。そうかも知らん。ウフッ、笑わせやがる。アハハハハハハ」

他の悪口を堂々と当人の面前で試みて、さも愉快げに心から笑っている。無遠慮にもほどがある。不人情にもほどがある。何がそんなにおかしいか。

ならば、こっちからも言ってやろうか。

まず、啓蒙(けいもう)の第一に、地上の獅子に対する彼らの誤解を指摘してやろう。

彼らはこの「地上の獅子」なる語は、かつてアフリカではルーズベルト君の銃先(つつさき)に追いまわされ、日本では歯磨き粉の看板になっているライオンに当然冠すべきもので、カメレオンごときがそれを差し置いてと冷笑しているが、これはたまたま彼らの浅学かつ無教養なることを自ら証明するものである。

コロンブスやドレーク*に劣らない航海者である自信を持っている彼らは、必ずや赤経十時三分、赤緯十二度二十三分のあたりにわたって「ライオン」(レオ)なる一星座**のあることを知っているだろう。

* ドレーク: サー・フランシス・ドレーク(1543年~1596年)はイギリスの航海者。
西インド諸島周辺でのスペイン船に対する海賊行為で頭角をあらわした、いわば国家公認の海賊=私掠船の船長というわけだが、マゼランに続いて史上二人目の世界一周航海を果たし、海軍提督まで上り詰めた英国の英雄。
南米ホーン岬と南極との間のドレーク海峡に名を残している。
とはいえ、対立するスペインからすれば「悪魔の化身」たる海賊船の船長であり、歴史上の人物の評価は国によって正反対になることも少なくない。

** ライオンなる一星座: 星座占いでもおなじみの「しし座」。
赤経、赤緯は地球上の経度、緯度と考え方は同じで、天の北極、南極、赤道を決めておいて、あらゆる天体の天球における位置を示す指標として使用される。
具体的には、春分の日に太陽の赤緯が0になったときの天球上における太陽の位置を赤経0とする。

しし座
Leo constellation map

彼らに言わせると、「それこそ天上の獅子さ」とうそぶくであろうが、これが目指すライオンの本体であって、サハラの砂漠に吠えている輩(てあい)はその前身に当たるにすぎんので、単に現世だけの通称である。

ゆえに、人間でもこの獅子のように勇猛に働いたものは死後に昇天してはみなライオン星座の一員となるので、かのローマの勇猛果敢なマーカス・アキリウス*という男も今は「レギュラス星」**となって青く光っているのでもわかる。

* マーカス・アキリウス: 現在の一般的な表記はマルクス・アティリウス・レグルス。生没年不詳だが、紀元前の共和制ローマの政治家で軍人。

** レギュラス(レグルス)星: しし座の一等星。

とすると、いわゆる「地上の獅子」なる尊称をいただくしか他にない、まさに押しも押されもせぬぼくであることが判明(わか)るであろうが。

次に……カメレオン風情(ふぜい)でもったいなくも獅子と称するなど僭越(せんえつ)だとの攻撃であるが、これもまた彼ら人間どもの浅はかな智慧(ちえ)から生み出された推論にすぎんのである。昔から人間にせよ動物にせよ、身体(からだ)のある部分が異常に抜群に発達したものに偉人や傑物が多いということでは歴史家の意見は一致している。

頼朝(よりとも)の巨大な頭、劉備(りゅうび)の大きな耳、ナポレオンのフクロウのような眼などはその最も傑出したものである。

他に類例なき長大で飛ぶように動く舌と、左右が独立して自由に回転しうるその目と、自在に敵の目をあざむくことが可能なおそろしき変色術と、竿のごとく一挙に全身を持ち上げる非凡の尾と、一つ一つ数えていけば、ぼくに備わった傑物として認められる資格は十指にあまるほどである。

あるいは、かの空前絶後の奇跡を示したキリストや、ヨーロッパと東洋を融合させたアレキサンダー大王も、人知れずこっそりと、長大な舌や、神秘な変身術を隠し持っていたかも知れないのに、ダーウィンといいゴルドンといい、こんな貴重な研究資料を等閑に付したとは、よくよくのうかつ者であると言わねばならぬ。

ついでにもう一つ――、ライオンが欧米人によって精悍(せいかん)、勇気、秀美(しゅうび)、公明(こうめい)等の男性美の象徴とされたのに対して、尊貴(そんき)、絶倫(ぜつりん)、英邁(えいまい)等、卓越した資質や性質を表現したものとして東洋で人々が想像した動物に龍なるものがある。

龍眼(りゅうがん)とか龍種(りゅうしゅ)とかいうありがたい言葉も語源はこれで、それに基づいて用いられているそうである。

そこで、ぼくはつらつら考えたが、この広い地球上に龍なる想像の動物を具体的に象徴的に示しうるものがわずかに二つある。

一つはタツノオトシゴで、他はすなわち、ぼくである。

形態から言っても見識や抱負などから論じても、爬虫類(はちゅうるい)の仲間ではもちろん、見渡すところ他の生物界でも、ぼくほどにいわゆる龍に似ているものはあるまい。

といって、ぼくの説について直ちにかの虎の威を借りたキツネの亜流だなどと早まる者は、腹に力のない慌(あわ)て者である。

ぼくがかくのごとく論じるのは、ただ船乗りなどという時勢(じせい)遅れの連中から不当な軽蔑(けいべつ)を受けることがすこぶる心外であることをここに明らかに表白しようと思ったからである。

[ 戻る ] [ 次へ ]

現代語訳『海のロマンス』107:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第107回)

カメレオンの独り言

一、絵はがきと交換される

ぼくはカメレオンという小さな動物である。ぼくはこの練習船――かつて見たことのない大きな帆船(ふね)――に乗って、南大西洋を航海している。

ぼくは今、こころよい昼寝の夢からさめる。そのさめた目の前すぐの空間を、音もなくスーツと紫の色美しいものが、静かな熱帯の大気をゆるがして落ちる。

ぼくはフクシアの木にとまっている。沙羅双樹(さらそうじゅ)の花ではないが、生者必滅(せいじゃひつめつ)の色を見ろやとばかり、今日もまた寂しいフクシアの花*がポツンポツンと時をこめて落ちている。

* フクシアの花
熱帯・亜熱帯原産の美しい花を咲かせる低木。
日本ではかつてホクシャと呼ばれていた。
Fuchsia 'Multa'Dominicus Johannes Bergsma, CC BY-SA 4.0 <https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0>, via Wikimedia Commons

人のいない図書室の昼は快く静かである。つい半時ばかり前に好物のハエに首尾よくありついたせいか、どうやら腹がくちくて、とかく得意の瞑想(めいそう)に陥(おちい)りやすい。ところが、ちょっとここに断っておくが、昼寝をする前に心得顔(こころえがお)に、まず一通り仲間の動静を観察するのはぼくの癖である。

グルンと右の目をまわして斜(はす)に三十七度くらいの仰角(ぎょうかく)を作りつつ仲間のカメレオンの青公を見上げると、平常(いつも)しなを作るときにするように、四つの足と一本の尾とでしっかと木を握って背筋を中心にブルブルと身体を痙攣(けいれん)させている。

右とは反対に後方下へ向けた左の目には、いましも灰色から白色に変色しようとしている、これも仲間のカメレオンの白君が、まだ食い足らぬと見え、キョトキョトと目ばかりせわしそうにデングリ返しながら、のっそりのっそりと這(は)いまわっているのが映(うつ)る。

離れたところにある上甲板で次の当番の名前を読み上げる風下当番(リーサイド)の声が遠く聞こえる。フクシアの花がまた一つ、赤く紫に色即是空(しきそくぜくう)と落ちてゆく。自分の住んでいる木の花がかくも情けなく凋落(ちょうらく)していくのを見るのは少なからず心細い。

ぼくがかくのごとく心細く感じた時、ドヤドヤと不意に足音が聞こえて、二、三人の学生が入ってきた。その先頭に立った男は、かつて見知ったこの室(へや)の主人公である。船内では学習係とかいって図書の貸し出しと、学習の肝いりとを兼ねる偉い人だとのことである。口々に何事かわめきながら戸棚から一冊の厚い洋書を出し、鳩首(きゅうしゅ)して、あるページを忙しく読んでいるかと思えば、また時には変な気味の悪い目つきをして、各自(てんで)にまじまじとぼくの顔を眺める――

というだけでは、悟(さと)りの悪い人間に、何の前兆だかちょっと判断がつくまいが、聡明(そうめい)にして鋭敏なる観察眼を有する点において上甲板のシカに劣らざる自信を持っているぼくは、直感的に、頻々(ひんぴん)と彼らの提供する滑稽なる挙止(きょし)や動作(どうさ)のよってくる本来の意味と、簡単にして幼稚な彼らの胸中の心の動きを読むことができた。

かつて見たことも聞いたこともなかったカメレオンという動物を、思いがけずケープタウンで準備する間もなく手に入れてから、にわかに高まったぼくらに対する感興と趣味とは、彼らを駆って、ここに百科全書(エンサイクロペディア)に記載された項目を調べるに至ったのである。

ちょっと話の順序として、どんな悲惨(ひさん)なる経路をたどってぼくらがうまうまと、草かぐわしきアフリカの自由境から練習船(このふね)に誘拐(ゆうかい)されてきたかを語ったならば、いまさらに人間なるものが人間中心説(アンスロポセントリシズム)の大信者として傍若無人(ぼうじゃくぶじん)にわがままな行為を強行する、得手勝手(えてかって)な動物であることを自覚するであろう。

それは心地よく朝晴れのした日であった。

茂りあう緑濃き木の葉の間から、悠々たる白雲の静かに行き来する、のどかに青い蒼穹(そら)を仰いで、すこびるご機嫌となっていると、こつぜんとして暴風と地震と雷とが一度に来たような一大衝撃が根から幹から枝へと樹木全体の緑の葉を一時にふるい落とすような勢いで響き伝わった。

この危機一髪の瞬間でも、衝動的、反射的、本能的機能を巧みに用いることができるぼくは、渾身(こんしん)の力をことごとく四足(しそく)と尾端(びたん)とに集中して、しっかりと枝をつかんだつもりであった。

ところが、この急な震動が静まって周囲の天地がようやく静謐(せいひつ)になってぼくの意識が明瞭に復活してきたとき、意外にも、残念にも、ぼくは仰向(あおむ)けに地上に倒れておったのに気がついた。

やがて、子供らしい一つの手が出てむづとつかんだと思ったら、「南無三宝(なむさんぽう)失敗(しま)った」と思わず口走ったぼくを、無造作(むぞうさ)に暗いポケットの中へと入れてしまった。

かくして同僚二匹とともに、フクシアの樹(き)にとまらせられて、うまうまと練習船(ここ)につれてこられたわけなのだが、実は、このホレイスという小童(こわっぱ)はその二、三日前に練習船(ここ)へ遊びに来て、学生を相手に、

「日本の絵はがきをくださいな」

「うん、やってもいい」

「くださるなら、あのう――カメレオンを捕まえてきますから」

「そうか、それはありがたい。よろしく頼むぜ」

……っていうような会話を交わしていて、その結果がこんなことになったと知っては、うらめしいやら悲しいやら情けないやらで、涙が大きな目からとめどもなく流れた。

[ 戻る ] [ 次へ ]

現代語訳『海のロマンス』106:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第106回)

四、ソバとジワジワ

耳元で何人(だれ)だか、グーグーと大きな艶(つや)消しのいびきをして、それが無遠慮にも、薄い鋭敏な自分の鼓膜に響いて、とかくに覚めやすい暁(あかつき)の夢を破る。誰だろうと不審がるにも及ばず、その雄大な音量からも、その無作法な呼吸運動からも、たしかに人間である。しかも、この船の上の人間のうちで最もわがままな、最も勢力ある練習生の仕業(しわざ)であることもまた確かである。

四時間ごとに否応なしに起こされて当直勤務に立つべく出てくる三十人あまりの練習生は――どうも練習生と十把(じっぱ)一絡(ひとから)げに扱うのがあまりに多くてお気の毒であるが、相当の敬意を表しつつも誤解を招かないこの呼び方は他の表現ではぴったりこない――当番を交代し整列が済むと、彼らはたちまちバラバラと列を乱し、すぐさま寝そべって夢にひたる極楽境へと旅だってしまう。

樹下(じゅか)や石上(せきじょう)に宿を求めて草を枕とし、花を主人(あるじ)にした古人(こじん)のよい心がけは知らないが、ハッチを寝床とし、ロープを枕とする練習生の考えは、暑苦しい下甲板の寝床(ボンク)を、心地よい風が吹き渡っていとも涼しい上甲板の別荘に移したつもりでいる。

この眠っている連中から少し離れて、二人の学生が何かしみじみと密談している。古い言い草だが、「聞くともなしに」立ち聞きをすると、なんでも日本へ着いたら上陸早々一番先に何を食うかという問題で、一人はソバと言い、他はジワジワ*と言い、今や盛んに議論しあっているところである。

「君、ジワジワなんていうものは俗中の俗なるものだあね。そんなことを言うと、趣味が低級だと馬鹿にされるよ」

などと、趣味高尚と心得たソバ屋党が反駁(はんばく)すると、

「すべての欲求の本体は絶対的に抜群無比の実質を具備しなければならない。ソバなんか食いたければ缶詰にしても持ってこられるからね」

などと、どうでもいいようなことに力こぶを入れて堂々と議論している。

* ジワジワ: 具体的にどういう食べ物なのか(何かの俗称?)不明。

当人はこれでも紀元前にマケドニアのフィリッポス二世を弾劾したデモステネスくらいの雄弁であると信じている。自分は情けないような、つまらないような気がして、結果を見ずに、先に失敬して寝てしまった。

五、連日の無風

この二、三日、連日の無風(カーム)で、船は「ビクともするもんじゃない」というように少しも動かない。騒がず迫らず泰然(たいぜん)と重い尻をドッシリとおろしている。まさか「日本を出るときふんどしを忘れた」せいでもあるまいが、これでは真(まこと)に長い道中ブラブーラである。やりきれない、やりきれないと練習生たちが不平を言うのも無理はない。

セントヘレナを出たのはつい少し前のように思われたものが、今日ははや四月六日である。

この頃は海も空も静かで、大気は乾燥しきって軽く澄みきっているためか、昼間は馬鹿に暑苦しく、夕焼けは馬鹿にきれいで、夜中は馬鹿に涼しく露っぽい。

ことに夕焼けの壮大にして艶麗(えんれい)なる風趣は、情緒に富んだ大自然の技巧の一端を示す一大キネオラマ*である。平常見慣れた練習生たちも船縁(ふなべり)に寄りかかっては思わず「いいなあ」とかなんとか、賛美の声をもらしている。練習生の一人の日記には、次のように書かれてあった。

* キネオラマ: パノラマの景色に光線を当てて変化させて楽しむ、明治から大正にかけてはやった興業。語源は「キネマ+パノラマ」。

この海洋(うみ)に輝く雲の色を見れば、はかなきものは若き恋なり。ときどきは日が海に没してまもなく、奇っ怪な形のKの雲が水平線をおおって、呉(ご)でもなく越(えつ)でもなく、どうやら見慣れた羽田の岬の蜃気楼かとも疑われる夕べもある。

雲とは承知で見るが、意識の理と智とをちょっとごまかせば確かに陸影(りくえい)だ。

鈍い頭はこの不思議な情景を前において、半ば修正に引きづられ半ばは実感に脅かされて、現実と幻覚との、想像と実在との、写真と神秘との間に彷徨(ほうこう)する。

菅原道真(すがわらみちざね)の口から吐き出されたザクロの炎のような*深紅(しんく)に染められた雲は、上に向かって爛紅色(らんこうしょく)――朱泥(しゅでい)色――橙紅色(とうこうしょく)――に薄められ、雲と接する蒼穹(そら)の部分も、上から順次に濃い碧瑠璃(へきるり)から藍青色(らんせいしょく)、群青、ヨモギ色と反対に下に向かってぼかされ、崇高(すうこう)にして偉大なる日輪の臨終を飾る下(もと)に、まつげを動かすわずかな時間も与えぬ勢いで、夕暮れの海がまさに一日の多様多種だった様子を刻々と変化させつつ終わりを迎えようとしている。

* ザクロの炎: 左遷され太宰府で死亡した道真は怨霊(おんりょう)となって朝廷をはじめとする人々に祟(たた)りをもたらした――ザクロを口に含み、種を吐き出すと、怨念が炎となって家を燃やした――という故事から。

[ 戻る ] [ 次へ ]