現代語訳『海のロマンス』70:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第70回)
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「ハハア、そう憤慨するなよ。とかく日本の役所は税制整理とか制度整理とかいって表面づらはきれいで、帳面尻(ちょうめんじり)は合っても、内容はからっぽじゃ。表は西陣(にしじん)や錦繍(にしき)を着ていても裏はつぎはぎだらけか……ハッハッハ」

「口先ばかりは、国民膨張の先駆けだとか、海運界の責任は諸君の双肩にありとか、熱心なる海事思想の鼓吹者たれとか、やれ無冠の外交官だとかいっておきながら、旅費を減額されて、立派な外交官が目的地へも行かれず片田舎の木賃宿(ボクチンホテル)に転がっているしだいか……ヤレヤレ」

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現代語訳『海のロマンス』69:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第69回)

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ロンドン行きが中止になった真相

青年の心理(こころ)として、とかく直覚的判断がおもしろいほどに的中するときがある。事件が発生し、進行した後に事実をまげて訳知り顔に語るというのではないが、実際に、ぼくらは今度の「ロンドン行きは中止」について、すでに四カ月前のサンディエゴ停泊中に、絶対的にそうなると推断したわけではないが、少なからずそれを懸念していたし、また全然予想しないわけでもなかったのだ。

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スモールボート・セイリング 〜 スモールボート・セイリング(その5)

Small-Boart Sailing (5)

ジャック・ロンドン著
結局、こういう厳しい出来事というものは、小さな船でのセイリングで最上の部分である。振り返ってみれば、そうしたことが楽しさにメリハリをつけてくれたのだと思う。小さな船での航海では自分の勇気や決意が試されたり、また神様に恨まれていると思いこむほど悲観的になったりもするのだが、後になってみると、そう、後になってみると楽しい記憶として思い出されるし、小さな船で帆走している仲間のスキッパーたちとの交流にもなつかしさを感じるのだ!

狭くて曲がりくねった沼沢地。潮が半分引いて出現した泥の海。近くの皮なめし工場のタンクから出る廃液で変色し濁った海。両岸のいたるところに点在する荒れ果てた果樹園の陰で草が生い茂っている湿地帯、倒壊しそうな古くこわれた波止場。そうした波止場の先端に係留されている白く塗られた小さなスループ型のヨット。ロマンティックなところは微塵もない。冒険の香りすらしない。小型艇でのセイリングでよく語られる楽しさとは裏腹の、絵に描いたような見事に逆の現実。クラウズリーと私にとっては、それは朝食を作り、デッキを洗うといった、つつましくも地味な朝ということになるだろうか。デッキ洗いは私の得意技だが、デッキの向こうに広がっている汚れた海面を見たり、ペンキを塗ったばかりのデッキを見たりしているうちに、やるきが失せてしまう。で、朝食後、チェスを始めた。潮が引き、ヨットが傾き始める。だが、転げ落ちそうになるまでチェスを続けた。傾きがますますひどくなったのでデッキに出てみると、船首と船尾の舫い綱がピンと張っていた。傾いた船の様子をうかがっていたところ、急にまた傾いた。綱は限界まで張りつめている。
「船腹が海底についたら傾きもとまるさ」と私が言った。
クラウズリーは舷側からボートフックで水深を測っている。
「水深七フィート(約二・一メートル)」と彼は言った。「深いところと浅いところがあるが、船がひっくり返って最初に当たるのはマストだろうな」

船尾の係留ロープから不気味な、かすかに切れる音がした。見てみると、ストランドがすり切れていた。おおあわてで船尾から波止場にもう一本のロープを渡して結ぶのと同時に、元のロープが切れた。船首側のロープにも一本増し舫いをしたが、最初に結んでいたロープが音をたてて切れた。その後の作業と興奮は地獄絵図さながらだった。

私たちは舫い綱の数を増やしたが、ロープは次々に切れていき、いとし愛艇の傾きはますますひどくなった。ありったけの予備ロープを使った。帆の展開に使うシートや帆を揚げるハリヤードも外して使った。太さが二インチもある綱も使った。マストの上部や真ん中あたりなど、いたるところにロープを結びつけた。懸命に作業し、汗をかき、神が自分達を呪ってるんだと互いに本気で言いあった。地元の連中が波止場にやってきて、じろじろ眺めている。クラウズリーが巻きとったロープを傾いたデッキから汚いヘドロに落としてしまい、船酔いした蒼白な顔で引きあげていると、地元の連中が大声ではやしたてたので、私は、彼が波止場に登っていって人殺しするのをかろうじて阻止した。

スループのデッキが垂直になるまでに、ブームリフトの下端をほどいて波止場の係船柱に結びつけた。一方の端はマストヘッドに導かれている。滑車とロープを組み合わせたテークルでピンと張った。ブームリフトは鋼線だ。これなら荷重に耐えてくれるだろうと確信したが、マストを支えているステイの保持力についてはそうは思えなかった。

引き潮はまだ二時間は続く(潮が大きい時期だ)し、となれば、また潮が満ちてきてスループが無事に起き上がるかどうかわかるまであと五時間はかかるということだ。

● 用語解説
スキッパー: 小型船の艇長
ボートフック: 舫先端が鉤(カギ)状になった竿
ストランド: より糸。細い糸を束ね、より合わせて太いロープが作られる
ブームリフト:  マストトップからメインセールのブーム(帆桁)を吊っているロープ

スナーク号の航海 (87-2) ー ジャック・ロンドン著

第十七章

しろうと医師

スナーク号に乗ってサンフランシスコから出帆したとき、ぼくは病気については山国スイスに海軍があるとしてその司令長官が海について知っているのと同じくらいの知識しかなかった。というわけで、ここで、これから熱帯地方に出かけようと思っている人に助言させてほしい。一流の薬局――なんでも知っている専門家を雇っている薬局に行って、事情を説明するのだ。相手の言うことを注意深くメモし、お勧めのものの一覧表を書いてもらい、代価全額分の小切手を切って渡す、だ。

ぼくは自分もそうすべきだったと痛感している。ぼくはもっと賢明であるべきだったし、いまとなっては、小型船の船長がよく使う、できあいの、自分で処置できる、誰でも使える救急箱を買っておけばよかったとつくづく思う。そういう救急箱に入っているビンにはそれぞれ番号が振ってあって、救急箱のふたの内側には簡単な指示が書いてある。整理番号と歯痛、天然痘、胃痛、コレラ、リウマチといった具合に、病気のリストに応じた薬がそろえてあるのだ。そうなれば、尊敬すべき船長がするように、ぼくもそれを使うことができたかもしれない。3番が空になったら1番や2番をまぜるとか、7番がすべてなくなったら、乗組員には4番と3番を処方し、3番がなくなったら5番と2番を使うといった具合にだ。

これまでは、昇こう(塩化第二水銀。これは外科手術での消毒薬としておすすめできるが、まだその目的で使ったことはない)を例外として、実際に持参した薬箱は役に立たなかった。役に立たないどころか、もっと悪かった。というのは場所だけはとるからだ。

手術器具があれば話は別だ。まだ本格的に使ったことはないが、場所を占めるからといって後悔なんかしない。それがあると思うだけで安心する。生命保険みたいなもので、生きるか死ぬかという土壇場では役に立つ。むろん医療器具があっても、ぼくは使い方を知らないし、外科手術についても無知なので、直りそうな症例でも一ダースものインチキ療法を行ったりもすることになるだろう。だが、悪魔が来ているときにはそうせざるを得ないし、陸から千海里も離れていて、一番近い港まで二十日もかかるところまで悪魔がやって来たとしても、スナーク号のぼくらはそれについて誰かから警告を受けることもないのだ。

ぼくは歯の処置については何も知らなかったが、友人が鉗子(かんし)や似たような道具を持たせてくれた。ホノルルでは、歯科の本も手に入れた。また、この亜熱帯の島で、頭を押さえておいて痛みを生じさせずにすばやく抜歯したこともある。こうした備えがあったので、ぼくは自分から望んでということはないものの、自分なりのやり方で歯の問題に取り組む用意はできていた。あれはマルケサス諸島のヌクヒバでのことだった。ぼくが最初に治療したのは、小柄な中国人の老人だった。ぼくは武者ぶるいに震えた。ベテランのふりをしようとしたが、心臓はどきどきするし、腕も震えた。そうなって当然ではあった。中国人の老人はぼくの嘘にだまされなかった。彼もぼくと同じくらい驚いていて、震えはもっとひどかった。彼の恐怖がぼくに伝染し、忘れていた畏怖の念というものを思い出させた。だが、老人が逃げだそうとしたら、落ち着きと理性が戻ってくるまで彼を押さえつけただろう。

ぼくは彼の歯を抜こうとしていた。また、マーチンもぼくが抜歯するところを写真に撮りたがっていた。同様に、チャーミアンもカメラを持っていた。それでぼくらは連れだって歩きだした。ぼくらはスティーヴンソンがカスコ号でマルケサスに来たときのクラブハウスだったところで止まった。彼が何時間も過ごしていたベランダは、光線の具合があまりよくなかった。写真撮影には、という意味だ。ぼくは庭に入りこんだ。片手に椅子を持ち、もう片手にはいろんな鉗子を携えて。みっともないが、膝はがたがた震えていた。かわいそうな中国人の老人もついてきた。彼も震えていた。チャーミアンとマーティンはぼくらの背後で、コダックのカメラを構えている。ココヤシの間を縫って進み、アボカドの木の下までやってきた。マーティンによれば、写真の撮影にはうってつけの場所ということだった。

ぼくは老人の歯を診て、自分が五ヶ月前に引っこ抜いた歯について何も覚えていないことを再認識した。歯根は一本だっけ? 二本、あるいは三本だったっけ? ひどく傷んでいるように見えるほうに残っているのを何と言うんだっけ? 歯ぐきの奥深くまで歯をがっちりはさまなければならないということだけは覚えていたので、歯には歯根がいくつあるのかを知っておく必要があった。ぼくは建物に戻って本で歯のことを調べた。中国人の犯罪者がひざまづいて首をはねられるのを待っている写真を見たことがあるが、このかわいそうな年老いた犠牲者も同じように見えた。

「逃げないよう押さえてろよ」と、ぼくはマーティンに言った。「この歯を抜きたいんだ」
「わかってるさ」と、彼はカメラを抱えたまま自信ありげに答えた。「オレもその写真を撮りたいんだ」

ここにきて、ぼくはこの中国人が気の毒になった。本に抜歯方法は載っていなかったが、あるページにすべての歯を示した図があり、それには歯根やアゴにどう並んでいるかが描かれていた。鉗子が手渡された。七対あった。が、どれを使えばよいのかわからない。ぼくはミスはしたくなかった。鉗子をひっくりかえすときガチャガチャ鳴った。哀れな犠牲者から力が抜け、ぼんやりと峡谷が黄緑色になるのを眺めている。老人は太陽について苦情を言った。しかし、写真を撮影するには必要だし、それくらいは我慢してもらわなければならない。ぼくは鉗子を歯に当てた。患者はガタガタ震え、気力もなえたようだった。


最初の抜歯

脚注
*1: ロバート・ルイス・スティーヴンソン(1850~1894年):『宝島』や『ジキル博士とハイド氏』などの著作で知られる一九世紀英国の作家自身の健康問題などもあり、四十歳で家族とともに南太平洋のサモア諸島に移り住み、その四年後に同地で没した。

おことわり

『スナーク号の航海』(ジャック・ロンドン著)は、第87回の第十七章から、こちらの海洋冒険文庫で掲載します。

86回までの分は「海の上の編集室」https://atl-publishing.com/blog/に連載しておりました。
興味のある方はそちらもあわせてご覧ください。海の冒険に関係ある内容は、準備ができしだい順次こちらに移転される予定です。

スナーク号の航海 (87) - ジャック・ロンドン著

第十七章

しろうと医師

スナーク号に乗ってサンフランシスコから出帆したとき、ぼくは病気については山国スイスに海軍があるとしてその司令長官が海について知っているのと同じくらいの知識しかなかった。というわけで、ここで、これから熱帯地方に出かけようと思っている人に助言させてほしい。一流の薬局――なんでも知っている専門家を雇っている薬局に行って、事情を説明するのだ。相手の言うことを注意深くメモし、お勧めのものの一覧表を書いてもらい、代価全額分の小切手を切って渡す、だ。

ぼくは自分もそうすべきだったと痛感している。ぼくはもっと賢明であるべきだったし、いまとなっては、小型船の船長がよく使う、できあいの、自分で処置できる、誰でも使える救急箱を買っておけばよかったとつくづく思う。そういう救急箱に入っているビンにはそれぞれ番号が振ってあって、救急箱のふたの内側には簡単な指示が書いてある。整理番号と歯痛、天然痘、胃痛、コレラ、リウマチといった具合に、病気のリストに応じた薬がそろえてあるのだ。そうなれば、尊敬すべき船長がするように、ぼくもそれを使うことができたかもしれない。3番が空になったら1番や2番をまぜるとか、7番がすべてなくなったら、乗組員には4番と3番を処方し、3番がなくなったら5番と2番を使うといった具合にだ。

これまでは、昇こう(塩化第二水銀。これは外科手術での消毒薬としておすすめできるが、まだその目的で使ったことはない)を例外として、実際に持参した薬箱は役に立たなかった。役に立たないどころか、もっと悪かった。というのは場所だけはとるからだ。

手術器具があれば話は別だ。まだ本格的に使ったことはないが、場所を占めるからといって後悔なんかしない。それがあると思うだけで安心する。生命保険みたいなもので、生きるか死ぬかという土壇場では役に立つ。むろん医療器具があっても、ぼくは使い方を知らないし、外科手術についても無知なので、直りそうな症例でも一ダースものインチキ療法を行ったりもすることになるだろう。だが、悪魔が来ているときにはそうせざるを得ないし、陸から千海里も離れていて、一番近い港まで二十日もかかるところまで悪魔がやって来たとしても、スナーク号のぼくらはそれについて誰かから警告を受けることもないのだ。

ぼくは歯の処置については何も知らなかったが、友人が鉗子(かんし)や似たような道具を持たせてくれた。ホノルルでは、歯科の本も手に入れた。また、この亜熱帯の島で、頭を押さえておいて痛みを生じさせずにすばやく抜歯したこともある。こうした備えがあったので、ぼくは自分から望んでということはないものの、自分なりのやり方で歯の問題に取り組む用意はできていた。あれはマルケサス諸島のヌクヒバでのことだった。ぼくが最初に治療したのは、小柄な中国人の老人だった。ぼくは武者ぶるいに震えた。ベテランのふりをしようとしたが、心臓はどきどきするし、腕も震えた。そうなって当然ではあった。中国人の老人はぼくの嘘にだまされなかった。彼もぼくと同じくらい驚いていて、震えはもっとひどかった。彼の恐怖がぼくに伝染し、忘れていた畏怖の念というものを思い出させた。だが、老人が逃げだそうとしたら、落ち着きと理性が戻ってくるまで彼を押さえつけただろう。

ぼくは彼の歯を抜こうとしていた。また、マーチンもぼくが抜歯するところを写真に撮りたがっていた。同様に、チャーミアンもカメラを持っていた。それでぼくらは連れだって歩きだした。ぼくらはスティーヴンソンがカスコ号でマルケサスに来たときのクラブハウスだったところで止まった。彼が何時間も過ごしていたベランダは、光線の具合があまりよくなかった。写真撮影には、という意味だ。ぼくは庭に入りこんだ。片手に椅子を持ち、もう片手にはいろんな鉗子を携えて。みっともないが、膝はがたがた震えていた。かわいそうな中国人の老人もついてきた。彼も震えていた。チャーミアンとマーティンはぼくらの背後で、コダックのカメラを構えている。ココヤシの間を縫って進み、アボカドの木の下までやってきた。マーティンによれば、写真の撮影にはうってつけの場所ということだった。

ぼくは老人の歯を診て、自分が五ヶ月前に引っこ抜いた歯について何も覚えていないことを再認識した。歯根は一本だっけ? 二本、あるいは三本だったっけ? ひどく傷んでいるように見えるほうに残っているのを何と言うんだっけ? 歯ぐきの奥深くまで歯をがっちりはさまなければならないということだけは覚えていたので、歯には歯根がいくつあるのかを知っておく必要があった。ぼくは建物に戻って本で歯のことを調べた。中国人の犯罪者がひざまづいて首をはねられるのを待っている写真を見たことがあるが、このかわいそうな年老いた犠牲者も同じように見えた。

「逃げないよう押さえてろよ」と、ぼくはマーティンに言った。「この歯を抜きたいんだ」
「わかってるさ」と、彼はカメラを抱えたまま自信ありげに答えた。「オレもその写真を撮りたいんだ」

ここにきて、ぼくはこの中国人が気の毒になった。本に抜歯方法は載っていなかったが、あるページにすべての歯を示した図があり、それには歯根やアゴにどう並んでいるかが描かれていた。鉗子が手渡された。七対あった。が、どれを使えばよいのかわからない。ぼくはミスはしたくなかった。鉗子をひっくりかえすときガチャガチャ鳴った。哀れな犠牲者から力が抜け、ぼんやりと峡谷が黄緑色になるのを眺めている。老人は太陽について苦情を言った。しかし、写真を撮影するには必要だし、それくらいは我慢してもらわなければならない。ぼくは鉗子を歯に当てた。患者はガタガタ震え、気力もなえたようだった。


最初の抜歯

脚注
*1: ロバート・ルイス・スティーヴンソン(1850~1894年):『宝島』や『ジキル博士とハイド氏』などの著作で知られる一九世紀英国の作家。自身の健康問題などもあり、四十歳で家族とともに南太平洋のサモア諸島に移り住み、その四年後に同地で没した。

スナーク号の航海 (86) - ジャック・ロンドン著

「ワッツネイム(名前は?)」は、ピジン語で最もやっかいだ。意味はすべて、言い方で変わってくる。「何の商売?」の場合もあれば、「こんな無礼なことをして、どういうつもりだ?」となることもある。何がほしいんだ? 何を探してるんだ? ちゃんと見張ってろ、説明してくれ、など数百通りもある。夜中に原住民を家の外に呼び出すと、相手は「ワッツネイム、ユーシングアウト、アロングミー?(なんでそんな大声でオレを呼ぶんだ?)」と詰問することだろう。

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グラッドストン(オーストラリア)に行ったことがあるという男

ブーゲンビル島の農園にいるドイツ人たちは苦労しているらしい。現地の労働者を働かせるためにピジン英語を学ばざるをえないのだが、ドイツ人にとって、ピジン語は非科学的である上に、数カ国語が混在しているし、勉強しようにも教科書なんて存在しないのだ。他の白人農園主や交易商人にとっては、きまじめなドイツ人たちが、まわりくどくて文法や辞書もない言語の習得に真剣に取り組んでいる様子はおかしくもある。

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ベラ・ラベラ島の老婦人

数年前、ソロモン諸島の非常に多くの住民がクイーンズランドの砂糖農園での労働に雇われたことがある。宣教師はキリスト教に改宗した労働者の一人に、立ち上がって、到着したばかりのソロモン諸島人たちに教えを垂れるよう勧めた。すると、その男は話のテーマとして人類の堕落を取り上げたのだが、その講話はいまでは南太平洋の島々で古典となっている。こんな感じだ。

「きみたちソロモン諸島人たち、白人ではないきみたち、わたしの仲間たちよ、これから白人について話をしよう。
「はるかな昔、白人には住むところがなかった。ボスである神様も白人で、その人が白人をつくりだしたんだ。このボスの神様は、大きな楽園をつくった。とてもいいことをした。その楽園では、たくさんのヤムイモがとれた。たくさんのココナツ、たくさんのタロイモ、たくさんのクマラ(サツマイモ)。どれもこれもとてもおいしい。
「このボスの神様は白人で、仲間の男を一人つくり、自分の楽園にすまわせた。その男をアダムと呼ぶと、その名前になった。そのアダムを楽園につれていって、こう言った。「この楽園はおまえのものだ」と。そうして、この男アダムが歩きまわるのを見ていた。その男アダムはずっと同じ病気にかかっていた。何も食べないのだ。ただ歩きまわるばかりなので、ボスの神様にはわけがわからなかった。偉大なボスは白人で、頭をかき、こう言った。「なんだ? この男アダムが何をしたいのか、さっぱりわからない」

「そうして神様は頭をかきむしり、また言った。「わかったぞ。こいつはメアリーがほしいんだ」と。それで、神様はアダムを眠らせておいて骨を一本とり、それからメアリーをつくった。その人間メアリーをイブと呼んだ。イブをアダムのところに連れて行き、「仲よくしなさい。この楽園はきみたち二人のものだ」と言った。この木はきみたちには悪さをするから避けなさい。この木にはリンゴがなるんだ」

「アダムとイブの二人は楽園でくらした。とても楽しくすごしていた。ところが、ある日、イブがアダムのところに来て、こう言った。「ねえ、二人でこのリンゴを食べましょうよ」 アダムは言った。「だめだ」 するとイブは「あんた、なんであたしにいじわるするのよ?」と言った。アダムは「おれ、おまえは大好きだけど、神様はこわいよ」 すると、イブが言った。「嘘ばっかり! それがどうしたってのさ? 神様だって、いつもあたしたちを見張ってるわけじゃない、神様はあんたをだましたんだ」 だが、アダムは言った。「いやだ」 だけど、イブは語り続けた――このメアリーはこのクイーンズランドの男にずっと話しかけ、彼をこまらせた。アダムはもううんざりだった。それで「わかったよ」と答えた。そうして、この二人はリンゴを食べた。食べ終わると、なんとまあ、おそろしい地獄が出現し、二人は森に隠れた。

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メアリーたち

「すると、神様が楽園にやってきて「アダム!」と呼んだ。アダムは返事をしなかった。ひどくこわかった。すると、なんと! 神様は「アダム!」と怒鳴った。アダムは言った。「お呼びですか?」 神様は言った。「何度も呼んだんだぞ」 アダムは言った。「ぐっすり寝こんでたので」 すると、神様は言った。「おまえ、このリンゴを食べただろ」 アダムは言った。「いいえ、めっそうもない」 神様は言った。「なぜ私に嘘をつく? おまえは食べたんだ」 すると、アダムは言った。「はい、食べました」

「すると、ボスの神様は、アダムとイブの二人をひどく叱って、こう言った。「お前たち二人はもう私とは縁がきれた。このボッキス(箱)を持って森へ行き地獄に落ちろ」

「それで、アダムとイブの二人は森に入っていった。神様は楽園をぐるっと取りかこむ柵をこしらえた。その柵を仲間の一人にゆだねて、マスケット銃を与えて、こう言った。「この二人、アダムとイブを見つけたら、ぶっぱなしてやれ」

スナーク号の航海 (85) - ジャック・ロンドン著

ところで、ツーマッチは、元の英語と異なり、ピジン語では何か過剰なことを示すのではない。単に一番上だということを指す。ある村までの距離を原住民にたずねると、答えは「近い(クローズアップ)」「ちょっと遠い(ロングウェイ、リトルビット)」「だいぶ遠い(ロングウェイ、ビッグ」か「とても遠い(ロングウェイ、ツーマッチ)のどれかとなる。とても遠いは、村まで歩いては行けないというのではなく、村が「かなり遠い」場合よりもさらに歩かなければならない、という意味になる。

ガモンは嘘をつく、誇張する、冗談を言うという意味だ。メアリーは女性。女性はメアリー。女性はすべてメアリーという風に。このメアリーについてはっきりしているのは、かつてやってきた最初の白人の冒険者が現地の女性を気まぐれにメアリーと呼んだことによる。ピジン語には、似たような成り立ちを持つ語句は他にもたくさんある。白人の男たちはみな船乗りだったため、転覆(キャプサイズ)や叫ぶ(シングアウト)という言葉がもたらされた。メラネシア人のコックに食器を洗った後の水を捨てろと言っても通じない。そういう場合は、食器を転覆させろと言えばよい。シングアウトは叫ぶ、大声で呼ぶ、単に話すことを指す。原住民のキリスト教信者は神がエデンの園でアダムを呼んだのではなく、神はアダムに怒鳴ったのだ、となる。


フィン・ボリから――マライタ島

サヴイ(わかる)やキャッチイ(つかまえる)は、ピジン英語がそのまま持ちこまれた唯一の言葉だ。人々は色黒なのでピカニニイ(黒人の子供)という言葉もあるが、変わった使い方をする。カヌーに乗った原住民からニワトリを買おうとすると、その原住民はぼくに「ピカニニイ、仲間といるの、やめてほしいのか」と聞いてきた。そうして、ひとつかみの卵を見せてくれたのでやっと、ぼくにはその意味がわかった。マイワード(おやまあ)は、とても大事だということを示す感嘆の言葉として英本国から来たのだろう。パドル、櫂、オールはウォッシーと呼ばれる。ウォッシーも動詞として使う。


マライタ島の美女

ここに、サンタアンナで現地人の交易商人のピーターが口述した、雇用主宛の手紙がある。スクーナーの船長のハリーがその手紙を書いてやったのだが、ピーターは二文目が終わったところでやめさせた。手紙のそれから後は、ピーター自身の言う通りに筆記された。というのは、ピーターはハリーがひどいでたらめを書いているのではないかと疑い、自分が本社に行く必要性について率直に語ろうとしたのだ。

サンタアナにて
「交易業者のピーターは御社のために十二ヶ月間働いていますが、まだ支払いを受けておりません。彼は十二ポンドほしいと言っています」(ここで、ピーターの口述を筆記したものに変わる)。「ハリーはいつもでたらめをいう、ひどく。わたし、ほしい、ビスケット六缶、米四袋、ブラマカウ二十四缶。わたし、好き、ライフル二丁も。わたし、ボートで見張ってる。行く場所で悪いやつに会う。そいつは食べようとする、わたしを」
ピータ

ブラマカウは牛肉の缶詰だ。この言葉は、交易業者がメラネシアからもちこんだ英語をサモア流にくずしたものだ。クック船長や初期の航海者たちは種や植物、家畜を原住民にもたらした。そういう航海者の一人が雄牛と雌牛を上陸させたのがサモアだった。「これが雄牛(ブル)アンド雌牛(カウ)だ」と、彼はサモア人に言った。彼らは動物の種類を言ったのだろうと誤解し、それから現在まで、生きた肉牛や缶詰の牛肉はブルアマカウと呼ばれている。

ソロモン島民はフェンスと発音できない。それで、ピジン語ではフェニスとなる。ストアはシットアで、ボックスはボッキスだ。衣装箱もボックスで、ベルが取りつけられていて、開けると警戒音が鳴るものがある。そういう仕組みの箱は単なるボックスではなく、ボッキス・ビロング・ベル(ベルのついた箱)と呼ばれる。


彼は白檀の交易商人もナマコ猟師も知っていた

「フライト(恐怖)は、ピジン語でこわいだ。原住民がびくびくしているので、どうしたんだと聞くと、こういう返事が戻ってくる。「ミー、フライト、アロングユー、ツーマッチ(わたし、こわい、あなた、とても)」 嵐や原野、幽霊の出る場所をこわがることもある。クロスは、あらゆる形の怒りになる。男は不機嫌なときクロスとなる。また、君の頭を切り落とし、食っちまおうと狙っているときもクロスだ。プランテーションで三年も働いた出稼ぎ男が、マライタ島の自分の村にもどることになった。彼はあらゆる種類の派手でピカピカした服を着ていた。頭にはシルクハットをのせている。更紗やビーズ、ネズミイルカの歯、たばこを詰めた衣装箱も持っていた、投錨後すぐに村人たちが乗船してきた。この農園帰りの男は、不安げに親戚たちを探した。が、誰もいなかった。原住民の一人が彼の口からパイプを抜き取った。もう一人はビーズの首かざりを奪った。三人目は派手な腰巻きをはぎ取り、四人目はシルクハットを自分の頭にのせたまま返さなかった。最後に、連中の一人が三年間の労働の報酬である彼の衣装箱を抱え上げて、船に横づけしていたカヌーに放り投げた。「あいつはお前の仲間なのか?」と、船長が略奪している連中を指さし、出稼ぎ男にたずねた。「いや、ちがう」という返事。「じゃあ、なんでこんなところであの箱を下ろさせるんだ?」と、船長は憤然として言った。出稼ぎ男は「わたし、あいつに話しかけ、ボッキスをとるなというと、あいつ、わたしに怒る」と言った。つまり、そんなことをしたら、もう一人の男が自分を殺す、というのだ。クロスは、洪水を発生させた神は人間に対してクロスして(怒って)いた、という風に使う。

スナーク号の航海(80) - ジャック・ロンドン著

「どの殺人について話をしてるんですか?」と、ふいにクライフィールド氏がヤンセン船長に聞いた。どうも会話がちぐはぐだった。
ヤンセン船長は説明した。
「ああ、それは私が話しているのとちがいます」と、クライフィールド氏が言った。「昔の話ですよ、二週間も前のね」

チャーミアンにもとうとうランガランガでソロモン病の潰瘍ができてしまい、そのことで自分だけ無事ってのは許せないと思って、ぼくはひそかににんまりしていたのだが、そういう自分の性格を後悔するはめになったのが、ここマルでだった。それについては、クライフィールド氏にも間接的な責任があるのだ。氏はぼくらにニワトリをくれたので、ぼくはライフルを持って茂みに入っていった。そこでニワトリの首を落とすつもりだった。それはうまくいったのだが、ぼくは木につまづき、むこうずねをすりむいてしまった。その結果、ソロモン病の潰瘍が三カ所できてしまったのだ。これでぼくの潰瘍は五カ所になった。ヤンセン船長とナカタはガリガリにもかかった。ガリガリとは、文字通り、かゆいかゆいという意味だ。だが、残りのぼくらにしてみれば、それを訳す必要もなかった。船長とナカタが体をくねくねとくねらせる仕草を見ていれば、それだけでわかるからだ。

(いや、ソロモン諸島は昔ほど健康的なところではなくなっている。ぼくはイザベル島でこの原稿を書いているのだが、なぜこの島に来たのかというと、潮の干満を利用してスナーク号の船底を露出させて船底の銅板の汚れを落とすためだ。今朝、ぼくは何度目かの発熱が終わったところだ。とはいえ、また一日すれば熱が出るだろう。チャーミアンの発熱の間隔は二週間だった。ワダの体も熱でぼろぼろだった。昨夜、彼は肺炎の症状がすべて出た。タヒチ出身の頑丈な大男、ヘンリーはこの前の発熱から回復したばかりで、去年の小さくて酸っぱいリンゴのように甲板をごろごろしていた。ヘンリーもタイヘイイもソロモン病の潰瘍が広がっていた。連中はそれに加えてガリガリも併発した。これは有毒オークやツタウルシのような植物によるかぶれだ。それだけじゃない。何日も前に、チャーミアンとマーティン、それにぼくとで小さな島での鳩撃ちに出かけたのだが、それ以来ずっと苦しみが続いている。その小島では、マーチンもサメを追いかけていてサンゴの縁で足裏を切った――少なくとも、本人はそう言っているのだが、ぼくの見るところ理由は別にある。とはいえ、そのサンゴによる傷もすべて潰瘍になった。前回の発熱の前に、ぼくの潰瘍は消えたのだが、また新しいのが三つできている。それにしても、かわいそうなのはナカタだ! 三週間もの間、座ることもできなかった。昨日はじめて座ったのだが、ほんの十五分がやっとだった。あと一カ月もすればガリガリも直りますよと、カラ元気を出している。ガリガリはひどくかきむしったものだから、そこからさらに潰瘍が広がっていた。さらにさらに、彼は七度目の発熱で寝こんでしまった。ぼくが王様だったら、敵に対する最も残虐な処罰としてソロモン病に罹患させるよう命じるだろう。とはいえ、王様であってもなくても、そんな残酷なことはしてはいけないと思い直した)。

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女だけの市場

港内での帆走用に建造された小型の細長いヨットで農園の労働者を募集するのはお勧めできない。甲板には募集した労働者とその家族があふれている。メインキャビンでは連中がすし詰めになっている。夜になると、そこで眠るからだ。ぼくらの小さな船室への唯一の入口がこのメインキャビンを通っているので、ぼくらは連中を押しのけるか、またいで出入りした。それだけじゃない。全員が悪性の皮膚病にかかっているのだ。白癬にかかっている者もいれば、ブクアにかかっている者もいた。ブクアは野菜に寄生し皮膚から侵入して食い荒らす虫が原因だ。このかゆさは、とてもがまんできない。これにかかるとかきむしるので、こまかな乾いた皮膚片が空中に飛び散ってしまう。さらに、イチゴ腫もいれば他の皮膚病をわずらっている者も大勢いる。乗船してくる男たちは足にソロモン病の潰瘍があり、それがとても大きいので、つま先立ちしなければ歩けなかったり、足に穴があき、拳が骨のところまですっぽりと入ってしまいそうなくらいひどいのもいた。敗血症もよくある病気で、ヤンセン船長も鞘(さや)入りのナイフと帆を縫う針でどんどん手術していた。症状がどんなに絶望的であっても、切り開いて洗浄した後、彼は堅パンを水にひたして湿布し、その上からたたいていた。ぼくらは特にひどい場合には隅の方にに引っこんで昇汞(しょうこう)をふりかけた。ミノタ号の船上では、そうやって機をのがさず「快適なふりをして」生活しつつ、食べて眠った。

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造成中の人工島

スナーク号の航海(77) - ジャック・ロンドン著

スウでは成果がないまま三日がすぎた。ミノタ号から呼びかけた求人に応じる者はなく、ミノタ号の乗組員で森の連中の犠牲になる者もなかった。本当のことを言うと、一人だけ犠牲になっといえるかもしれない。ワダが熱で寝こんでしまったのだ。ぼくらはボートに乗ってランガランガの海岸に沿って進んでみた。ここは海辺の大きな村で、礁湖に作られた――文字通り途方もない努力によって作り上げられた砂州、好戦的な連中から逃れるために作られた人工島なのだ。ミノタ号が半年前にこの礁湖の海岸で襲撃され、当時の船長が野蛮な連中に殺されていた。狭い入口から進入すると、一隻のカヌーがやってきて、軍艦が三つの村を焼き払い、ブタを三十匹ほど殺し、赤ん坊一人を溺れさせ、この日の朝、立ち去ったばかりだと知らせた。ルイス艦長が指揮をとるカンブリアン号だった。艦長とは日露戦争のときに朝鮮で会ったことがある。それ以来、ぼくらは何度かすれ違ってはいるのだが、実際に会う機会はなかった。スナーク号でフィジーのスバに入港したとき、カンブリアン号は入れ替わりに出港していくところだったし、ニューヘブリディーズ諸島のヴィラでは、一日違いで行き違いになった。サント島の沖では夜間にすれちがった。カンブリアン号がツラギ島に到着した日、ぼくらは十二マイル離れたペンデュフリンを出たところだった。そして、このランガランガでも数時間差ですれ違ったわけだ。

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ウル島――人工の島――マライタ

カンブリアン号はミノタ号の船長殺害の容疑者を処罰するために来たのだったが、目的を達したか否かは、後で伝道者のアボット氏がぼくらのボートにやって来たときにわかった。村々は焼き払われ、ブタが殺されたが、村人は逃げて無事だった。ミノタ号から奪われた旗や道具は取り戻せたものの、殺した連中は捕まらなかった。赤ん坊の溺死は誤解から生じたものだった。ビヌのジョニー村長は軍の上陸部隊を森の連中のところに案内するのを断わり、村人に道案内させることもしなかった。ルイス艦長は当然のごとく立腹し、ジョニー村長に、拒否すれば村を焼き払う、それだけの罪に値すると言った。ジョニーのピジン英語*1に「値する」という語彙は含まれていなかった。村長は、道案内すれば焼き払われずにすむとは思わず、いずれにしても村が焼かれてしまうと思いこんでしまったのだ。住民たちが大慌てで逃げ出したため、赤ん坊が海に落ちてしまった。一方、ジョニー村長はアボット氏のところへ駆けつけた。伝道師にソブリン金貨十四枚を握らせ、カンブリア号に行ってルイス艦長をその金で説得してほしいと頼んだのだ。ジョニー村長の村は焼かれなかったし、ルイス艦長がソブリン金貨を受けとることもなかった。というのは、村長は後になってミノタ号に乗船してきたのだが、ぼくは村長がその金貨をちゃんと持っているのを目にしたからだ。ジョニー村長は、上陸部隊を案内しなかったのは大きな腫れ物ができていたからだと釈明しつつ、それを見せてくれた。だが、当人は認めようとはしなかったが、本当の理由は、森の野蛮な連中の仕返しを恐れたのだ。村長でも村人でも案内してしまえば、カンブリアン号が抜錨したとたん、すぐに血なまぐさい報復を受けると思ったのだ。

 

脚注
*1:ピジン英語(pidgin English)は、南太平洋の西側一帯で話される現地語なまりの英語全般を指す。
地域ごとに呼び方が違っていて、ここでは beche-de-mer というフランス語(ナマコという意味)が使われている。ナマコ漁が行われているニューギニア周辺のピジン英語は特にこう呼ばれる。
「値する(deserve to)」という英語の意味がわからなかったために悲劇が起きたという話は、二十一世紀になった現在でもまだ記憶に新しい事件、一九九二年に米留学中の日本の高校生がハロウィンでパーティ会場を間違えて民家の敷地に入ってしまい、「動くな (freeze、フリーズ)」をプリーズ(どうぞ、いらっしゃい)と聞き違えて射殺された悲劇を想起させる。

スナーク号の航海(76) - ジャック・ロンドン著

最初に入港したのはマライタ島の西岸にあるスウーだった。ソロモン諸島は縁海(えんかい)*1で、島々や環礁に囲まれた閉ざされた海域にある。暗い夜には灯火もなく、暗礁が牙をむく。潮流も複雑に変化する海峡を航海していくのは非常にむずかしい。ソロモン諸島の北西端から南東端までの海岸線は一千マイルもあるのに、灯台が一つもない。その上、海図に描かれている陸地が正確ではないのだ。スウーがその例だ。マライタ島の海図では、この地点の海岸はまっすぐの連続した線として描かれている。だが、ミノタ号はこの連続した直線を超えて進み、深さ二十尋(ひろ)の湾に浮かんでいる。陸地があるとされたところは深い入り江になっていた。ここまで帆走してきて、丸い鏡のような湾に投錨したのだった。マングローブが近くまで迫っている。ヤンセン船長はこの泊地が好きではなかった。彼が初めてここに来たころ、スウーは危険な場所として悪名をはせていた。攻撃されて逃げようとしても、風がなければどうしようもないし、上陸用のボートで沖に漕ぎ出そうとしても奇襲されてしまう。ひと悶着あれば、罠(わな)にかかったも同然だ。

この地図でマライタ島の下(南西)側中央の幅が広くなっているところのすぐ下(南)がスウーの港。

「ミノタ号で上陸するとして──どうしますか」と、ぼくは聞いてみた。
「上陸なんかしないよ」というのが、ヤンセン船長の答えだった。
「だけど、万一そうなったら?」と、ぼくも簡単にはあきらめない。
彼はしばらく考えてから、視線を拳銃を腰につけようとしている航海士から上陸用ボートに乗りこもうとしているクルーに移した。それぞれライフルを所持している。
「ボートに乗り移って、とっとと逃げ出すさ」と、船長はたっぷり時間をかけてから答えた。
しまいに、いざというときにマライタ島出身のクルーは信用しきれないのだと説明した。ここの連中は船が難破でもしたら自分の財産になると思ってるし、連中はスナイダーのライフルも持っている。おまけに、ミノタ号にはスウーに「帰省する」一ダースもの少年たちが乗っているのだ。攻撃を受けたら、彼らが故郷の友人や親戚に味方するのは間違いない、と。

上陸用ボートの最初の仕事は、帰省客と交易品を詰めた箱を海岸まで運ぶことだった。これで危険要素の一つが取りのぞかれるはずだ。この作業中に一隻のカヌーがやってきた。三人の裸の男が乗っている。裸と言ったが、事実そのままだ。服らしきものは何も身に着けていない。鼻の輪や耳飾り、貝殻の腕輪を服として数えなければ、だが。カヌーに乗っているボスは高齢の村長(むらおさ)で隻眼(せきがん)だった。友好的という噂だが、とても汚くて、船底の付着物を落とすために使うスクレーパーでこすっても、その垢(あか)を削り落とすことはできないだろう。彼が何をしに来たかというと、船長に対し、誰も上陸させるなと警告するためだった。この老人は夜にもまた同じ警告を繰り返した。

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ソロモン諸島のイケメン二人

働き手を募集するため、ボートが浜との間を往復したが、成果はなかった。森には武装した現地人がたくさんいて、求人担当の者と話をしたそうにしていたが、年俸六ポンドでプランテーションの三年間の労働に応じる者はいなかった。島の連中はぼくらが上陸するのではないかということを懸念していた。二日目には、湾の先端の浜で火をたいて煙を立ちのぼらせた。これは慣例となった求人の合図で、そのためにボートが派遣された。だが、徒労に終わった。浜には誰もやってこなかったし、こっちの船の者も誰も上陸しなかった。その少し後で、ぼくらは大勢の現地人が浜辺をうろついているのを目撃した。

こうやって姿を見せている連中の他に、森の中にどれだけの人間が隠れているのかはわからない。原始の姿をとどめている密林の奥まで見通すことはできないからだ。午後になると、ヤンセン船長、チャーミアンとぼくは、ダイナマイトを使う漁*2に出かけた。ボートに乗った者はそれぞれリー・エンフィールド銃*3を持っていた。求人担当の現地人の「ジョニー」は一斉攻撃に備えてウィンチェスターライフルも所持していた。ぼくらはボートを漕ぎ、無人に見える海岸に向かった。手前で向きを変え、船尾を先にして近づく。万一の攻撃に備えて、すぐに陸から遠ざかれるようにするためだ。マライタ島に滞在している間、ぼくはボートが船首から上陸するのを一度も見なかった。実際問題として、求人で寄港する船の場合、ボートを二隻積載し、上陸するのはそのうちの一隻だけだ。むろん武装して、だ。もう一隻は数十メートル離れたところにいて、一隻目を「援護」するのだ。とはいえ、ミノタ号は小さかったので、上陸用ボートは一隻しかなかった。

ぼくらは浜に近づいた。さらに船尾から接近したとき、魚の群れが見えた。ダイナマイトに火をつけて投げ入れる。爆発が起き、大量の魚が海面から飛び出してきた。同時に、森も方もさわがしくなった。現地の裸の連中が二十人ほども、弓矢や槍(やり)、スナイドル銃*4を抱えて飛び出してきた。同時に、ぼくらのボートの乗組員もライフルを構えた。こうして両者がにらみあった状態で対峙し、ぼくらの側の手のすいた少年たちが魚を取ろうと海に飛びこんだ。

脚注
*1:縁海(えんかい):大陸の周辺にあり、島などで不完全に閉ざされた海域。日本海などもそれにあたる。ちなみに大陸だけに囲まれている海域は地中海と呼ばれる。固有名詞化しているヨーロッパとアフリカにはさまれた海以外に、カリブ海や北極海も「地中海」に分類される。地球の海は、地理学的には、太平洋/大西洋/インド洋の三大洋と、縁海と地中海を合わせた付属海からなる。

*2:ダイナマイトを使う漁 - かつて日本を含む世界各地で実際に行われていた。現在は環境保護、生態系破壊防止のため、日本はもちろん世界のほとんどの地域で禁止されている。

*3:リー・エンフィールド銃 - 十九世紀末に英国で開発された軍用小銃。

*4:スナイドル銃 - 十九世紀後半に英国軍で採用された銃で、リー・エンフィールド銃より古いタイプ。明治時代の日本陸軍でも使用されていた時期がある。