ヨーロッパをカヌーで旅する 43:マクレガーの伝説の航海記

ジョン・マクレガー著

代のカヤックの原型となった(帆走も可能な)ロブ・ロイ・カヌーの提唱者で、自身も実際にヨーロッパや中東の河川を航海し伝説の人となったジョン・マクレガーの航海記の本邦初訳(連載の第43回)


湖の行きどまり付近で、射撃の標的がずらっと並んだところに出くわした。そこでは、スイス人たちが短い距離からの射撃を行っていた。的を狙うためにレンズや架台、腕につけるストラップやヘアートリガーなどを備えていたが、そのすべてが安っぽくて、カバーまでつけてある。こういう仕掛けの扱いには熟達しているようだが、そうしたものを装着していることで、結局はオモチャの銃のように見えるし、ベルギーやフランスで見るような石弓からさほど進歩しているとも思えない。ベルギーやフランスでは、男たちは柱に固定した詰め物のコマドリを標的にして集まってくるが、的は撃たず、休憩と称してはビールを飲むのだ。 続きを読む

ヨーロッパをカヌーで旅する 42:マクレガーの伝説の航海記

ジョン・マクレガー著

現代のカヤックの原型となった(帆走も可能な)ロブ・ロイ・カヌーの提唱者で、自身も実際にヨーロッパや中東の河川を航海し伝説の人となったジョン・マクレガーの航海記の本邦初訳(連載の第42回)


カヌーの運搬を頼んだ荷馬車の御者はちょっと変わった客、つまり英国旗を掲げたボートを運んでいることが自慢のようだった。それで、友人と出会うたびに、説明を繰り返している。細かいことはわからないが、かなり話を誇張して伝えているようだ。聴く相手もたいてい大喜びしていた。とはいえ、ツークの町を出たところで、この立派な御者先生に運賃の十三フランを払い、もうこの辺でいいですよと言うと、こんな中途半端な場所でよいのかと、ひどく面食らったようだった。出発の準備や何かで朝から動きまわって休憩もとっていなかったので、ぼくとしては一刻も早くカヌーを水面に浮かべて、のんびり休みたかったのだ。とはいえ、「イギリスから来て荷馬車で運ばれているボート」を見たいという町の人々の好奇心から逃れることはできなかった。見えないようにカヌーを石積みの土手の背後に移したのだが、町の人たちは土手の上によじ登り、立ったままこっちを眺めている。ぼくはそっけない顔をして何も言わずに座っていた。連中も同じように腰を下ろし、辛抱強く待っている。そこで作戦を変更し、カヌーを上下さかさまにして修理するふりをした。底板の継ぎ目にそって赤いパテを塗ってみせる。連中は、その作業が終わるまで、じっと見ている。仕方がないので、同じことを隣の継ぎ目でも繰り返しながら、これを全部やらなきゃならないんですよと説明する。さすがに、そこまでは付き合いきれないと、こっちの意図を察した何人かは腰を上げたが、前列のその空いた場所は、すぐに他の人で埋められた。こんなことを繰り返すのは相手にも失礼な気がしたし、ぼくの方も冷静になってきたので、カヌーを湖に浮かべて荷物を載せ、水上から見物人たちに「アデュー」と別れを告げた1

原注 1: この別れの言葉は、他のフランス語と同じく、ドイツやスイスでもよく用いられている。

パドルに水を感じると、また新しい活力がわいてきた。やわらかく、しなやかな流れと水面の穏やかなうねり──埃(ほこり)まみれの陸の旅の後では、こうしたことがまた新鮮な喜びを感じさせてくれる。こういう文字通り流れるような川旅を体験してしまうと、陸上の旅にはもう戻れないような気もしてくる。

ツーク湖は小さな湖で、山があるのは片側だけだ。そこから見事な丘陵が広がっている。リギ山や百を超える峰々が重なり合ったり、峰と峰の間に独峰が高くそびえたりしている。あまりにも風光明媚すぎて、下手な説明なんか、かえって邪魔なくらいだ。それに、この景色は旅行者にはよく知られてもいる。いろんな店のウインドウに、ここの風景を描いた絵が飾ってあるし、実際に現地に行って自分の眼でながめたことのない人であれば、そうした絵だけでも十分に楽しめるだろう。冠雪した山々を一望したときの感動は、とうてい言葉では伝えることはできない。

Zugersee

ツーク湖 [Lake of Zug, Author= Matthias Alder]

[ 戻る ]   [ 次へ ]

ヨーロッパをカヌーで旅する 41:マクレガーの伝説の航海記

ジョン・マクレガー著

現代のカヤックの原型となった(帆走も可能な)ロブ・ロイ・カヌーの提唱者で、自身も実際にヨーロッパや中東の河川を航海し伝説の人となったジョン・マクレガーの航海記の本邦初訳(連載の第41回)

eyecatch_2019
この湖では翌日もカヌーを漕いだ。とても楽しかったが、その魅力の多くは、事前にまったく何も決めておかなかったことにある。つまり「十時までは、ここにいなければならない」とか「夜はあそこで眠らなければならない」といったスケジュールに縛られることがなかったということだ。風の吹くまま好きなようにセーリングで風下に向かってもいいし、朝食をどの村で食べるのか、どこで水浴びしようかといったことも自由に決められる。入江を見つけたら、そこをカヌーでぐるっと一周して探検しても構わない。昼食は対岸に渡ってからにしでもいいし、どこかの岸に寄って食べてもよかった。気が向いたら、カヌーに乗ったまま食べたって何の問題もない。

ぼくは、荷物を持たず首輪もなく、着古すということのない毛皮というコートを一着だけまとって歩きまわっている犬のような気分だった。

水の上を存分に楽しんだので、ちょっと休憩するためにホルゲンに上陸した。うれしかったのは、ホルゲンの子供たちが大喜びしてくれたことだ。見慣れない舟が来たというだけで、子供というのはどうしてあんなに飛び上がったり跳ねまわったり、歓声をあげることができるのだろうか。今回の航海では、どこへ行っても若い人たちが喜んでくれたが、そういう反応を目にするのも大きな楽しみの一つだった。これまでの航海を思い起こしてみると、太ったのや、そうでないのや、何千人もの子供たちや子供っぽい表情を浮かべた顔が目に浮かんでくる。

こうした若い友人たちは、カヌーを荷車に乗せ、御者が脇に立って進み、カヌーの船長たるぼくがその後をてくてくついていくときには、さらに嬉しそうだった。子供たちの母親が何人も家の外に出てきて、そうした行列をにこにこ眺めている。「その舟でイギリスまで行けるの」と聞く人もいる。ぼくの返事は何通りか用意してあって、その日によって違う。「さすがにクリノリンのペチコートを着た女性を乗せるスペースはありませんね」など。その返事をしたとき、一度だけ、じゃあ着ているクリノリン生地のペチコートを重ねてふくらませたスカートは家においてくるから、という女性がいた。これもフランスだったと思うが、別のときには「お金がないから、クリノリンのペチコートなんか着たことないわ」という婦人もいた。

カヌーについては、相手の好奇心に応じて、さまざまな反応があった。質問はせず、念入りに調べ上げるというタイプの人もいたし、逆に、調べたりせず質問攻めにする人もいた。カヌーを持ち抱えて重さを実感したり、掌をデッキに載せ、磨き上げられたシダー材のなめらかさを感じとろうとする人もいた。船底を見てキールの有無をチェックする人もいれば、ロープを曲げて柔らかさを確かめたり、脇に置かれたパドルを握って「実に軽い」という人もいた。カヌー各部のサイズを測定し、さらに突っこんだ質問をする人もいたし、軽くげんこつで船体をたたいたり、すまし顔でカヌーをスケッチしたり、銅釘を食い入るように調べたり、絹地の縁が少しほつれて色あせしている旗にそっとさわってみたりする人もいた。このバージー(三角旗)はどこでも興味の的となったが、まず吟味してみるのは女性たちだった。旅をする者の日々は、こういうちょっとした、どうということもない、すてきな出来事に満ちている。単にどこへ行こうかとか、どこで一息つくか、どこを見物し、どこで人と話をするかといったことは、気高い精神力といったこととは関係ないが、夏の暑さをやりすごすには十分だ。

チューリヒ湖とツーク湖はそれほど離れていない。森林地帯の高い峠を越えることになるが、ちゃんとした道はあるし、歩いても三時間ほどの距離だ。とはいえ、ぼくが歩いたのは十二時から三時までという、一日で日射しが一番強い時間帯だった。暑さと埃(ほこり)にまみれ、ぼくはまた水の上に出たくなった。地図で調べると、ツーク湖まで通じている川は、カヌーを漕いで行けそうだった。しかし、地図というものは、川がカヌーで漕ぐのに適しているかについては教えてはくれない。どの川も紙の上で曲がりくねって引かれている黒い線にすぎない。これだけでは川の深さや流速はわからないし、荷車の御者や宿の主人たちにしても、そんな情報を持っているわけではない。彼らの商売では道がどうなっているかが重要なので、川がどんな風かを知っておく必要はないのだから。

[ 戻る ]    [ 次へ ]