ジョン・マクレガー著
現代のカヤックの原型となった(帆走も可能な)ロブ・ロイ・カヌーの提唱者で、自身も実際にヨーロッパや中東の河川を航海し伝説の人となったジョン・マクレガーの航海記の本邦初訳(連載の第41回)
この湖では翌日もカヌーを漕いだ。とても楽しかったが、その魅力の多くは、事前にまったく何も決めておかなかったことにある。つまり「十時までは、ここにいなければならない」とか「夜はあそこで眠らなければならない」といったスケジュールに縛られることがなかったということだ。風の吹くまま好きなようにセーリングで風下に向かってもいいし、朝食をどの村で食べるのか、どこで水浴びしようかといったことも自由に決められる。入江を見つけたら、そこをカヌーでぐるっと一周して探検しても構わない。昼食は対岸に渡ってからにしでもいいし、どこかの岸に寄って食べてもよかった。気が向いたら、カヌーに乗ったまま食べたって何の問題もない。
ぼくは、荷物を持たず首輪もなく、着古すということのない毛皮というコートを一着だけまとって歩きまわっている犬のような気分だった。
水の上を存分に楽しんだので、ちょっと休憩するためにホルゲンに上陸した。うれしかったのは、ホルゲンの子供たちが大喜びしてくれたことだ。見慣れない舟が来たというだけで、子供というのはどうしてあんなに飛び上がったり跳ねまわったり、歓声をあげることができるのだろうか。今回の航海では、どこへ行っても若い人たちが喜んでくれたが、そういう反応を目にするのも大きな楽しみの一つだった。これまでの航海を思い起こしてみると、太ったのや、そうでないのや、何千人もの子供たちや子供っぽい表情を浮かべた顔が目に浮かんでくる。
こうした若い友人たちは、カヌーを荷車に乗せ、御者が脇に立って進み、カヌーの船長たるぼくがその後をてくてくついていくときには、さらに嬉しそうだった。子供たちの母親が何人も家の外に出てきて、そうした行列をにこにこ眺めている。「その舟でイギリスまで行けるの」と聞く人もいる。ぼくの返事は何通りか用意してあって、その日によって違う。「さすがにクリノリンのペチコートを着た女性を乗せるスペースはありませんね」など。その返事をしたとき、一度だけ、じゃあ着ているクリノリン生地のペチコートを重ねてふくらませたスカートは家においてくるから、という女性がいた。これもフランスだったと思うが、別のときには「お金がないから、クリノリンのペチコートなんか着たことないわ」という婦人もいた。
カヌーについては、相手の好奇心に応じて、さまざまな反応があった。質問はせず、念入りに調べ上げるというタイプの人もいたし、逆に、調べたりせず質問攻めにする人もいた。カヌーを持ち抱えて重さを実感したり、掌をデッキに載せ、磨き上げられたシダー材のなめらかさを感じとろうとする人もいた。船底を見てキールの有無をチェックする人もいれば、ロープを曲げて柔らかさを確かめたり、脇に置かれたパドルを握って「実に軽い」という人もいた。カヌー各部のサイズを測定し、さらに突っこんだ質問をする人もいたし、軽くげんこつで船体をたたいたり、すまし顔でカヌーをスケッチしたり、銅釘を食い入るように調べたり、絹地の縁が少しほつれて色あせしている旗にそっとさわってみたりする人もいた。このバージー(三角旗)はどこでも興味の的となったが、まず吟味してみるのは女性たちだった。旅をする者の日々は、こういうちょっとした、どうということもない、すてきな出来事に満ちている。単にどこへ行こうかとか、どこで一息つくか、どこを見物し、どこで人と話をするかといったことは、気高い精神力といったこととは関係ないが、夏の暑さをやりすごすには十分だ。
チューリヒ湖とツーク湖はそれほど離れていない。森林地帯の高い峠を越えることになるが、ちゃんとした道はあるし、歩いても三時間ほどの距離だ。とはいえ、ぼくが歩いたのは十二時から三時までという、一日で日射しが一番強い時間帯だった。暑さと埃(ほこり)にまみれ、ぼくはまた水の上に出たくなった。地図で調べると、ツーク湖まで通じている川は、カヌーを漕いで行けそうだった。しかし、地図というものは、川がカヌーで漕ぐのに適しているかについては教えてはくれない。どの川も紙の上で曲がりくねって引かれている黒い線にすぎない。これだけでは川の深さや流速はわからないし、荷車の御者や宿の主人たちにしても、そんな情報を持っているわけではない。彼らの商売では道がどうなっているかが重要なので、川がどんな風かを知っておく必要はないのだから。
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