現代語訳『海のロマンス』140:練習帆船・大成丸の世界周航記

米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著

夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第140回)。

明治四十五年(1912年)七月、東京高等商船学校の練習帆船・大成丸は、東まわりでの世界一周航海に出発した。
千葉・館山を出て太平洋を横断し、米国西海岸のサンディエゴへ。
航海中に明治天皇の崩御と明治から大正への年号の変更があり、到着後には、サンディエゴで船長が失踪するなどの事件があった。
とはいえ、航海自体は順調で、サンディエゴを出てからは赤道を超えて太平洋を南下し、南米最南端のケープホーンをまわり、そのまま大西洋を横切ってアフリカ大陸の南端にあるケープタウンに入港する。
本来であれば、大西洋を北上してイギリスに向かうはずだったが、サンディエゴでの予期せぬ長逗留による日程の逼迫(ひっぱく)と予算削減のあおりを受けて、航海のハイライトとなるはずのロンドン訪問が割愛されることになった。
ケープタウンを出航した大成丸は、逆戻りする格好で南大西洋の孤島セントヘレナまで北上し、かつて流罪になっていたナポレオンの旧邸を訪れるなどした後、南米ブラジルのリオ・デ・ジャネイロへ。
リオでの滞在を終えた一行は、地球の裏側から、大西洋、インド洋を横断し、オーストラリアを経て太平洋へと、帰国のための残りの地球半周の航海に出るが、行く手には、それまでになかった試練が待ち受けていた、、、

トップスル四枚を破る


スワンリバー
(オーストラリア南西部の大都市パースを流れる川)


海岸の日没美

南大西洋の秋
一、帰帆(きはん)

練習船大成丸は五月三日、リオと訣別(わか)れた。

花のように美しい、多くの佳人(かじん)の、赤い唇で呼吸されていた、かぐわしい大気のうちに逍遙(しょうよう)しながら、花のように美しい享楽の都に遊んだ二十日間は、どこかぼんやりとしていて、まさに夢のようだ。

かつて、一月の前には

巻けよ、錨を! 開けよ、帆を!!
リオへ、リオへ、リオへ、
乙女よ! さらば!! 吾を忘れるな!!
船はただちにリオ・デ・ジャネイロへ。
いざや歌わん! 別離(わかれ)の歌を!! わが、美しき乙女よ、
ヘレナの島を後に残して(古船調)

と、声も晴れやかに船歌(ふなうた)をうたい、憧(あこが)れていた「正月の川(リオ・デ・ジャネイロ = rio de janeiro = River of January)」の都も、今日は「いざや歌わん別離(わかれ)の歌を」とうたうべき時期(とき)となった。

遠く南の海を望めば、そうでなくても怒りっぽい大西洋は、アルゼンチンの大平原から吹き下ろしてくる、かの雄々しく力強いパンペロ*の接吻(くちづけ)によって、いやが上に騒(さわ)ぎ乱れ、白い波の花は、まるで牡丹(ぼたん)の花のように藍色の海を飾っている。

* パンペロ  南米大陸の大河であるラプラタ川流域に広がる大草原地帯(パンパ)で吹く、冷たい南よりの風(スペイン語)。

この白い波頭(はとう)を裂いて、この青い海洋(うみ)を渡って、わが練習船は、日数にして九十日、距離にして一万海里の航海を敢行しつつある。

そう思うと、二百の若き船人は、雄々(おお)しくも力強い武者震いをして、ごう然と太い眉を上げる……。

この白い波頭を一尺(いっしゃく)裂(さ)くごとに、この青い海洋(うみ)を一歩渡るごとに、わが憧憬(あこがれ)の山紫水明(さんしすいめい)の郷土は、一尺(いっしゃく)または一歩、吾に近づく……このように考えると、若き歓喜の血潮は高く、敏感なる青年の血をたぎらせる……。

ああ、帰帆(きはん)! 汝(なんじ)の名の、なんぞうるわしき!! なんぞかく慕(した)わしき!! ああまた、なんぞかく愁(かな)しき!!

二、「ヨカ二世」

五月五日。

南緯二十七度、西経四十度。風位、北から北西に偏向す。

昨日、正北(せいほく)から強吹(きょうすい)していた気味悪い黒い風は、今日はすでに北西に転じた。これからも、どんどん左まわりになっていくだろう。

空は依然としてどんより曇(くも)って、風力は依然として四から五の間*である。練習船は今、アルゼンチンの東岸の近くに存在する高気圧の内側を南下しつつあるのだ。

* 海上の風力については「ビューフォート風力階級表」に基づくが、この時代にはすでに日本を含め事実上の世界標準になっていた。
風力四(和風): 風速5.5 m~7.9m(小さな波が立ち、白波が増える)
風力五(疾風): 風速8.9m~10.7m(波頭が立つ)

午後、「ヨカ二世」と二人で、舵手(ヘルム)に立つ。

わが「ヨカ二世」のほお髭(ウイスカー)はおそろしく立派である。しかし、かの意地悪い舵は、この立派な髭(ひげ)の所有者の命令を少しも尊重しない。

堂々たるギリシャ式のほお髭(ウイスカー)も、騒(さわ)ぎ狂う、いたずら好きの南大西洋の海洋(うみ)に向かっては、権威などまるでない。暗くにごった雨雲(ニンバス)から、激しく鋭く吐き出された強い北西風が邪険(じゃけん)にマストにぶつかるたびに、青黒くとけた海がまっしぐらに踊(おど)りあがって、やけになったように船側(ふなべり)に突き当たるたびに、羅針儀(コンパス)の「ラムライン」(航程線)は北風(ならい)を食らった酔漢(よいどれ)のように、ユラユラと左右一、二点の間を振幅(スイング)する。船首は人形のように絶えず首を振っている。

「ヨカ二世」は、顔に似合わず、おとなしい真面目な男である。

風がきてマストをたたくごとに、波が踊(おど)って舵をおどかすごとに、かの羅針盤(カード)がフーラフラと運動するごとに、太い手で重い舵輪(ホイール)をまわしながら、小さい心を細々(こまごま)といくつにも刻んで心配する。今日は実に舵の「すわらない日」である。

ときどき、当直士官が進路が適切かを調べに来る。

「ヨカ二世」はそれが恐ろしい。立派な景気のよい髭(ひげ)をふるわせて叱られまいと心配する。

とうとう見つかった。

あまりの「揺れ方」に、叱ろうとした士官も思わず失笑(ふきだ)して、「君、リオが恋しくてまた戻るのかね……」はよかった。わが「ヨカ二世」、姓は大崎、名は信、無口と彼の比類ないほお髭(ウイスカー)から「ヨカ二世」との尊称を受けた。
「ヨカ二世」とは「稚児(ちご)さん」に対する越中島生活の産物である*。

* ヨカ二世  鹿児島の方言で「よかにせ」(いい男、イケメン)。
明治時代に薩摩出身者が数多く上京したことから広まった。
越中島(江東区)は、商船学校の所在地。
語源としては、ヨカ二世 = 「よか(よい)二歳(馬齢)」の意味で、元々は馬をほめる言葉だった。馬の二歳 = 人間では青年期にあたることから。

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現代語訳『海のロマンス』140:練習帆船・大成丸の世界周航記」への2件のフィードバック

  1. 一、帰帆(きはん)  →「正月の川」
    二、「ヨカ二世」 (まっしぐら)の漢字が「*地」のはずで「*」は変換の難しい字のようです。

    • 福谷様、ご指摘ありがとうございます。
      二点とも修正しました。
      (「まっしぐら」は漢字が表記できないので、そのままひらがなにしました)。

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