米窪太刀雄(よねくぼ たちお)著
夏目漱石も激賞した商船学校の練習帆船・大成丸の世界周航記。
若々しさにあふれた商船学校生による異色の帆船航海記が現代の言葉で復活(連載の第79回)
その膝下(しっか)に立ちて
二月十四日、ケープタウンの最初の上陸日に、ぼくはアデレイ通りのビジターズ・ルームを訪問して、ケープタウンと、ケープタウン入港当時に最大に関心事だったテーブルマウンテンのことに関して概括的な知識を得ようと試みた。すると、CPCA(ケープ半島登山会)の首席秘書官だというミスター・アディックソンという人が親切にも奥から出てきて、いろいろと説明してくれ、望みとあらば「登山会」の方から有志五、六名を案内者として出してもよい、などとさかんに親切な申し出をしてくれた。英国人はいったん好意を示したが最後、うるさいほど世話をやき面倒をみてくれる国民だと聞き及んでいる。何か親切の後押しが来ているだろうと(少々意地がきたないようだが、決して心待ちしていたというわけではない)、議会の傍聴をすませて船に戻ってみると、手紙が先回りしてすでに届いていたのにはいささか驚いた。そのなかに、「ケープタウンの者にとって、テーブルマウンテンはいわゆる「詩郷(ホーム・オブ・ポエトリー)である。その明暗、対照的な二つの表情は、見る人の想像をそそるに違いない。しかし、この山に対する賛辞(さんじ)は、登山したいという熱烈なる思慕(しぼ)の念と平等に論ぜらるべきものではない。従って、想像して得られた印象がかのラスキンによって描出せられたもののように深(しん)かつ大(だい)であるとしても、真に山の神秘を洞察しその真髄を理解するには、実際にその山に登ってみなければわからない」というような一節があった。
四世紀前のサー・トーマスなんとかという見たこともない男が「船乗りは……」云々(うんぬん)と言い放ったのさえ少々薄気味悪く感じている矢先に、首席秘書官(チーフ・セクレタリー)という堂々たる肩書を持つ、まじめな英国紳士の偽らざる勧誘を受けたとあって、ことはいよいよ面倒となる。一度は三六〇〇フィートの空で白いテーブルクロスに包まれてみなければ義理が悪い。
二月二十日午前七時、結束して中央郵便局前に集合した百二十五の船乗りのよそ行きの顔には、歓楽(たのしみ)を期待する軽く興奮したような表情がみなぎっている。親の膝にまとわりつく幼児のように、テーブルマウンテンに対する敬虔(けいけん)崇拝(すうはい)のまなざしを巨人の面上にそそげば、さても色と線との上に偉大なる緩和力をふるう大気の力よ。厳粛(げんしゅく)にして早朝なる想覚(そうかく)を──想覚とは不思議な表現かも知れないが、視覚では物足りず、触覚といっても適切ではないので、この場合、写実派というわけではないぼくとしても、こう言いたい──前に感銘を受けたのに比べると、今朝は太陽が逆光の位置にあるせいか、非常にやわらいだ、おとなしい感じが山にただよっているようだ。それが涼しく活気ある朝の大気を通して淡く光っている。
ケープタウンの死と想像と眠りとを支配するテーブルマウンテンは、また活動と休息をも支配するであろう。
八、案内役の中年婦人
テーブルマウンテンの左の斜面が北に延びてライオンズ・ヘッドに続く鞍部(あんぶ)に当たるところに、クルーフネックという電車停留場がある。ケープタウンとキャンバス湾とを結ぶ電車に乗ったぼくたちは、太陽(ひ)の目(め)もろくろく漏れない常緑樹の大森林をくねくねとらせん状にまわりながら通過して電車から下りる。
船長と三等航海士のほかに、例の登山会の会員が五人──男二人女三人──、案内者として先着している。
ナップサックを軽々と六尺(一メートル八十センチ)ほどの体躯(たいく)にしばりつけて「何万マイルあろうとも踏破(とうは)する」といった面魂(つらだましい)をした男と、ととのった顔立ちの中年婦人が夫婦で、他はみな独身者(バチェラーとミス)だという。ぼくらと同様、どうも色恋には縁のなさそうな顔つきをしている。とはいえ、そろって雨具兼用の登山服を着用し、ロシア皮の赤い靴をはいて登山杖を持ったところは、なかなか勇ましいガイドぶりである。
午前九時、明るく澄んだ「進め」のラッパが鳴りわたり、赤い熱い砂を踏むサクサクという音とともに、白い帽子の一列縦隊(いちれつじゅうたい)が谷を渡り、鞍部(あんぶ)をめぐってヘビのように進んでいく。ときどき、疲れたような休息ラッパが響き、その聞きなれない響きがアフリカの空気を驚かす。かくして、山上の貯水池から清水を市に供給する鉄管に沿ったパイプトラックからカスティール・プルートを伝って、十二使徒峰中の第一峰の難所を通り抜けた一行は、ウッドヘッドの貯水池付近で昼食をとり、さらに勇を鼓して奇岩が続く岩場を渡って、正午にキャッチメントの高台に着く。本テーブルと西テーブルとの凹凸の多い山壁を登ったときはえらく難儀(なんぎ)した。これでも何年か経ったら楽しい追憶の種となるかもしれないという、唯一の慰謝(いしゃ)にわれとわが心を鼓舞したときの心理はすこぶる滑稽なものである。
カメの背のように幅広い平たい岩が目もはるかに打ち続いて、巨大な露台(バルコニー)のような頂上が、疲れた目の前に展開している。テーブルマウンテンの名称は、町から遠く眺めたときの輪郭(りんかく)の印象から来たのか、それとも実地に登山して、例のカメの背のようにつるつるした平たい頂上で「これはこれは」と面食(めんく)らった結果から来たのかと、いろいろに思い悩むほどに念の入った平たい頂上である。
頂上が円錐形をなさぬ山にぶつかるとき、習慣による想像から帰納した客観と、実在とを同一視する登山者は、変な山だという。気まぐれな山だという。地球の回転と風力の浸食力とを是認する以上は、円錐形ならぬへんてこな風姿をもった、山として異端となる資格を十分具備したこの山は、地文学と物理学との権威を愚弄(ぐろう)する例外物だという。
しかも、この不思議に平らな山の上に、不思議に美しい花畑があろうとはちょっと意外である。妖艶(ようえん)たるカイザーズ・クラウンやそそとしたブリューダイサが強烈な香りを冷ややかな空気に放散しながら、吹き上げる谷間の風にかよわい茎(くき)を傾けているさまは、どうしても命なき草花の所作とは受けとれぬ。抒情詩人でなくても山の精の化身(けしん)くらいには想像するであろう。この美しい花畑の一角に疲れたる腰をおろして、陽炎(かげろう)の淡く燃えるケープタウンの町をのんびり眺めていると、急に八百膳(やおぜん)*の料理を食いたくなった。しかし不幸にして志賀さんのように重箱を用意してこなかったぼくは、衛生係からもらった海苔(のり)巻きでがまんすることにした。したがって、ただ味覚は理屈で左右することのできぬもの、弁当は腹の減ったときはいつもうまいものだということを、いまさららしく感じたにすぎなかった。そうこうするうちに例の細かい霧(きり)のようなテーブルクロスがかかってきた。御山(みやま)が荒れぬうちに急げ急げ、と案内者がいう。急げ急げとばかり泡(あわ)をくった案内者は──ただし、二人の男と二人の女はとっくにへたばって、残るは一人のミセスだけとなった──あわてずさわがず淡々と急峻(きゅうしゅん)無比のスケルトン・ラビンにさしかかる。さすがの女丈夫もあまりの急こう配にちょっとひるんで、杖を腰にちょっと立ち止まる。薄い雨具が激しく動く胸のせわしい動悸(どうき)を伝えて、いかにも苦しそうである。肩ごしに草原(くさはら)から灌木(かんぼく)帯へ、灌木(かんぼく)帯から森林帯へと続く、おそろしく険(けわ)しい斜面を見下ろせば、ヘビのような一筋の小道がとぎれとぎれに危うげに草を分け、岩を伝っていて、白雲が立ちこめている木立ちで薄暗い林の奥に消えている。
*八百善(やおぜん) - 江戸時代から明治、大正、昭和と続いた高級料亭。幕末に来航したペリーの黒船を江戸料理で饗応したことでも知られている。
創業地は浅草だが、暖簾(のれん)を継承した現在の店は鎌倉にある。
ミセス某(なにがし)はやがて決心した様子で、登山杖を前に突き出しながら、赤い靴を一歩前に進めた。鹿が下りることができるならば馬もまた下りることができるといった義経(よしつね)の壮語(そうご)を思い出して、いさましくも試験的に下りていく女の後ろ姿を見送ったとき、ぼくは見る人によってはいろいろの意味にとりうる苦笑を浮かべずにはいられなかった。
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