ヨーロッパをカヌーで旅する 25:マクレガーの伝説の航海記

ジョン・マクレガー著

現代のカヤックの原型となった(帆走も可能な)ロブ・ロイ・カヌーの提唱者で、自身も実際にヨーロッパや中東の河川を航海し伝説の人となったジョン・マクレガーの航海記の本邦初訳(連載の第38回)


宿の主人はぼくのスケッチブックに興味津々(きょうみしんしん)だった。それで、フランス語のできる友人を一人連れてきた。その人はブリキの管でボートを作ったのだそうだ。人が乗るところが補強されていて、腰かけとオール受けも付いている、世にも奇妙な外観をした細身のボートだ。それはぜひ浮かべてみなくっちゃと、ぼくはなんとか彼を説得してボートを川に浮かべさせ、自分もカヌーに乗って伴走した。二艇で近場を巡航した。二本の金属製チューブを並べたボートは、チューブ以外の部分は足の長いクモのように水面から高いところにある。それに比べると、こっちはオーク材で作った木製カヌーで高さも低い。とはいえ、デッキはニス塗りで小粋に光っているし、旗も風になびいている。二艇で並走する。どっちも単独ですら珍しいのに、それが二隻も並んでいる光景は前代未聞だったろう4

原注4: 英国では今ではペダルを漕いで動かす外輪を持つ双胴船をよく見かけるが、動きは鈍重だ。二つに分かれた船体の内側部分が平行な垂直面になっていれば、この双胴カヌーでの帆走は波のない水面では快適だ。

このあたりの川の雰囲気は、スコットランドのクライド川やその河口付近のカイルズ・オブ・ビュートと呼ばれる多島海に似ていた。国境も入り組んでいる。川に沿ってフランスの集落があり、頭上にはイタリアの空が広がっている。ぼくらは大勢のユダヤ人が住んでいるという集落までやってきた。ユダヤ教の礼拝堂(シナゴーグ)を訪れてみたかったのだ。だが、なんと、ここもまたバーデン大公国になっているのだった。しかも、武装した衛兵が油断なく見張っていて、ぼくらが領土に接近してくるのに気づくと、彼は配置についた。ぼくらと正面から対峙し、上陸するんなら、どこか他の場所にしろと命令した。この男は民間人だったが、その命令はもっともでもあったので、ぼくらはその場を去り、スイス側に向かった。そうして、二隻並んでイバラの生い茂る岸辺に上陸したのだった。イバラの草陰にボートを隠し、丘の上にある休憩所に向かった。六ペンスでワインを飲むためだ。

休憩所では、かわいらしいスイス娘が店番をしていて、イギリス人なら一人知ってるわ、と言った。「イギリス人て、みんなプライドが高いから気の毒よね」とも。そのイギリス人は彼女に英語の手紙を書いてよこしたのだそうだ。じゃあ、その手紙を読んでみてくれないかと、ぼくは彼女に頼んだ。手紙は「いとしの君、あなたを愛しています」と始まっていた。手紙の書きだしとしては、それほど高慢ちきと言われる筋合いのものでもない気がした。連れのブリキ製の双胴船の男は、彼女にコーヒーポットを作ってやろうと約束していた。なにしろ、彼がブリキ職人であることは一目瞭然だったし、なんとも好人物のブリキ職人なのだ。

娘はぼくらがボートやカヌーに乗りこむところまでついてきた。そこに彼女の父親がやってきたのだが、娘が二人の男と一緒にいるのを見て目をぱちくりさせていた。アメリアというこの娘は「誇り高き」イギリス人と船に乗ったブリキ職人に手を振って見送ってくれた。ぼくら二人もそこで別れた。ブリキ職人は大きな四角い彩色した横帆を揚げて帆走し、ぼくはといえば、それと反対の川下の方へ漕ぎ下っていった。

「誇り高きイギリス人」──この言葉を口にした娘が視界から消えても、ぼくの耳にはこの言葉が響いていた。そもそも、ある国の人間が他の国の人間を「誇り高い」──言い換えれば、自尊心が過剰だと判断できるものだろうか。というのも、誇りとかプライドというのは、誰でも同じように持っているものではないのだろうか? これに簡単に答えをだせる人は、天から降ってきた哲学者に違いない。なぜなら、イギリス人でもフランス人でもアメリカ人でもいいが、彼らを第一印象で断言するのは簡単なのだ。だが、実際にその国の人々の間で暮らし、本当に知り合った上で、では彼らはどういう人たちかを判断するとなると、そう簡単ではない。

いわく、ジョン・ブル(イギリス人)は自由を獲得した大昔の勝利を、また世界各地に進出し繁栄していることに、またこの世の終わりまで平和が続くという希望を思い描いて自己満足している。

いわく、ブラザー・ジョナサン(アメリカ人)はまさしく十年前に始まり、ぼくらすべてを本当に驚愕させた南北戦争の勝利に誇りを抱いていて、大海原のかなたの大陸で領土が拡大していく輝かしい未来を楽観的に思い描いて喜んでいる。

いわく、フランス人は自国が輝かしい光に包まれていることを喜んでいる。その光は安全な港を示す灯台というよりは、危険が迫っていることを警告する信号であることの方が多いのだが。いや、それよりもっと悪く、危険な火花や大きな音を伴う戦争という大爆発の予兆かもしれないのだが、それでもフランス人は、他の国がその光を見なければならないこと、その騒音を聞かざるを得ないのに最後にどうなるのかわからないでいることを喜んでいる。

いわく、ジョン・ブルは高所から見下ろして満足している。ブラザー・ジョナサンはその高所を見上げて満足している。フランス人は自分の悪行を他者に見せつけ、自分が世界の手に負えない子供(アンファン・テリブル)であることに満足している。

これまで何週間も、ぼくにとっては毎日がピクニックみたいなものだった。だが、この日に限っては、ぼくは夜も航海を続けた。空気はとてもさわやかで、日没の赤い太陽は、やがて昇ってくる白い月と入れ替わる。川もここまで下って来ると、航海には何の危険もなかった。数マイルごとには集落がある。ぼくは月の光の下での航海を十分に堪能し、シュテインの町で上陸した。夜も遅かったので、川辺にはもう人っ子一人いなかった。到着が遅れたときには、よくあることだ。ぼくはパドルで水音を立てて一かきか二かきし、大きな声で歌を歌った。イタリア語にオランダ語、それにスコットランドのピブロックというバグパイプで奏する景気のよい曲だ*1。それに実際の物音も加えた。すると、それを耳にした暇人たちが集まってくる。そうやって必要な人手を集めるわけだ。

集まってきた人々のうちの一人がすぐにカヌーを宿屋に運ぶ手伝いを買って出てくれた。夜も遅く変な客だったが、宿では上品な女将さんが歓迎してくれた。そのときから、すべてがあわただしくなった。英語でぼくと話をしてみたいというドイツ人がやってきたのだ。何もわからず黙って聞いていた他のドイツ人たちと同じように、彼の英語はぼくにもちんぷんかんぷんだった。

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